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36. 叶うならば

 「君とそのことについて話し合うつもりはない。」


 自分の弱さを隠すためについきつい言葉を投げかけてしまったラトは、フィリペの愛人宅に一人で向かっていった彼女を追って走りだした。しかしあと少しで目的の建物に辿り着くというところで、急な眩暈に襲われ立ち止まる。


 「こんな時に……動け、しっかりしろ!!」


 だがその眩暈は一向に治らず、ラトは込み上げる吐き気に耐えきれなくなり思わずその場でしゃがみ込んだ。


 ラトが以前使用した『透視』という能力は、『略奪』というおそらくラトだけが保有している特殊能力によって、昔とある犯罪者から奪い取った力だった。そのように誰かから強制的に奪った能力の場合、元々持っている力を使った時よりも一気に反動が起こることがある。


 先ほどエステルに止められはしたが、あの時点で少し能力を発動しかけていた。だから前回の分と合わせての反動が今一気に押し寄せてきてしまったのだろう。


 (エステル…危ないことはしないでくれ…頼む!)


 しかしその願いが、エステルに届くことはなかった。



 ― ― ―



 エステルはまどろみの中でラトの夢を見ていた。


 彼が戦場に立っている。鎧を身に着け、朝日を浴びながら前を見ている。その眼前にはどこまでも果てしなく広がる草原と、倒れている数え切れないほどの人々…


 そして彼の目に、一筋の涙が流れた。



 「ん、眩しい…」

 「おや、起きましたか?」


 エステルは聞きなれない声に驚きパッと体を起こした。いや、起こそうとしたのだが、全く体は動かない。


 「えっ、何これ!?」


 よく見ると、自分の手足だけでなく腰回りや太ももの辺りまで太い縄が巻かれ、ベッドの上に横たえられている。そしてそんな自分を舐めるように見つめている目の前の男こそ、フィリペ・ランジュだった。


 その顔がエステルの少し前の記憶を呼び覚ます。


 フィリペの愛人宅と言われている部屋の玄関先でフィリペに誤って衝突してしまったこと、そこでペンダントの効力が消え、彼の持つ何らかの特殊能力で押さえつけられてしまったことまでは覚えているのだが、そこから先の記憶は無い。


 「いやあ、まさかローレンツ伯爵のご紹介で、こんな鼠が入ってくるとは思ってもいませんでしたよ。」


 自分の雇い主から丁寧で嫌味な言葉を投げ掛けられるほど恐ろしいことはない。しかもこのような状況下では。


 エステルはカラカラに乾いた喉を無理やり開き、無理を承知で抵抗を試みる。


 「どうかこの縄を解いてください!私はただ」

 「言い訳は結構。むしろあなたが正体を見せてくれたのは好都合でした。」


 当然のようにエステルの言葉は遮られ、フィリペは徐々にベッドに近寄ってくる。エステルは息を呑んだ。


 「最初にあなたを見た時から、あなただけは売らずに私のものにしようと思っていたんでね。ああ、この若々しい体、艶のある肌、そして男を誘惑するその美しい目…あなたのまつ毛が震える度に、私はあなたを自分のものにしたくてたまらなかった。」

 「な、何を言って!?」


 真っ青になったエステルの言葉は再び遮られたが、それは彼の大きな手を使った物理的な妨害によるものだった。生暖かい手のひらの感触が、エステルの心をさらに動揺させる。


 「んーんー!?」

 「はははは!何もできないくせに抵抗する姿もとてもいじらしい。本当は今すぐに可愛がってあげたいんだが、こちらも仕事でね。ミシェルをとある方にお届けに行かねばならないんだ。残念だが今夜帰ってきてからゆっくりと…ね。」


 それだけ言うとフィリペは、エステルの口元に手を当てた状態で額にねっとりとしたキスを落とし、ゆっくりとその部屋を出ていった。



 フィリペが去った後、身動きがほぼ取れない状態のエステルは、顔だけをできる限り動かして辺りを見渡す。右側にある一つしかない窓は板で打ち付けられ、左側にあるドアには鍵穴が付いていないように見える。


 今寝かされている天蓋付きのベッドの近くには一つだけ明かりが付いており、先ほど感じた眩しさは外の光ではなくこの明かりのせいだとわかった。


 体を拘束している縄はかなりきつく結ばれており、簡単には外れそうもない。しかもよく見ると服が全て着替えさせられており、袖口に忍ばせている例の隠しナイフも使えない状態だった。


 (あ、そういえばあの袋は!?)


 いつもお腹周りに隠し持っている袋も手元には無い。慌てて体をできるだけ捩りながら周囲を確かめると、それがエステルの服と共にベッドの下に投げ捨てられているのが辛うじて見えた。


 (よかった、持ち去られてはいなかった…)


 若干安堵はしたが、今のところ助かる望みは薄いままだ。ベッドの下に移動しようと何度か挑戦してはみたが、縄の一部が天蓋を支える太い柱にしっかりと結えられていてほとんど体を移動することができなかった。


 しかしこのままここにいれば、今夜あの男に…


 嫌な想像で身震いをしたエステルは、必死で気持ちを奮い立たせると再び力を込めて体を動かし始めた。だが大きく動く度に縄はきつく体に食い込み、摩擦によって皮膚は傷付く。


 「痛い…」


 エステルはこれまでずっと、大抵のことは自分でどうにかできると思って生きてきた。


 そんな自分が、この旅を通してそうではなかったんだと、仲間や大事な人に支えられていたからこそ強くあれたのだと知ることができた。


 確かにそれを知ったことで「常に強い自分でいなければ」という気持ちは弱まってしまったかもしれない。


 ラトという大きな存在に守られることに慣れ、甘えることを覚えてしまったかもしれない。


 それでも彼との出会いを通して新たな自分を知り、弱い自分だからこそできることを見出すことができた。何よりも、彼と過ごす時間の中に言葉にならない喜びがあることを知った。


 だからこそもっともっとラトと、優しくて強い仲間達と一緒に旅をしていたかった。この願いが叶うならば、あと少し、あとほんの少しでいいから、ラトと一緒に居たいと…



 エステルの目に涙が浮かびかけたその時、ドオーン!!という轟音と共に建物が大きく揺れ、体の上に天井からの埃がパラパラと降り注いだ。


 驚きのあまりビクッと体を震わせると、誰かがこちらに走ってくる音が聞こえ思わず息を止めた。その間にも足音はどんどん近付き、目の前のドアが勢いよく開かれる――


 「エステル!!」


 バアン!というドアが開く大きな音と共にそこに現れたのは、見たこともないほど狼狽した様子のアランタリアだった。


 「せ、んせい?」


 目を大きく開いてアランタリアを見つめていると、彼は腰に下げていたナイフでエステルを拘束していた縄を素早く切り落とした。


 しかし縄が解けたことで傷だらけになった肌が露わになり、それを目にした彼は青ざめた顔でエステルの手を強く握りしめた。


 「何て酷いことを…」


 普段とは違い髪を結び動きやすい服装をした彼は、予想以上に筋肉質なその体で軽々とエステルを抱きかかえると、勢いよくその部屋を飛び出していく。


 「あの、先生、私、歩けます!」

 「いいから大人しくしていてくれ!!」

 「…」


 アランタリアから出たとは思えないような強い言葉にショックを受けたエステルは、それ以上言葉を発することはできないまま彼に身を預けて目を閉じた。


 (先生、本当に心配してくれていたのね…申し訳ないわ)


 長く暗い廊下を移動していく間も、建物の外では大きな叫び声と爆発音、風の音、水が弾ける音などが飛び交っている。


 アランタリアはそれらに気を取られる様子もなく早足で歩いていき、階段を降りて再び長い廊下を抜けると、突き当たりにあった小さなドアを開けて外に出た。


 だがドアの向こうには数人の男達が待機していたようで、二人の姿に気付くと彼らは恐ろしい形相で襲いかかってきた。アランタリアは素早く自分の後ろにエステルを隠すと、先ほど縄を切ったあのナイフと見事な体術で全員を制圧し、再びエステルを抱え上げた。


 「先生、本当にもう歩けますから!」

 「エステル、歩けるかどうかじゃない。私はもう限界なんだ!信頼して任せていたのに、あの男はあなたをこんな目に遭わせて…」

 「え?」


 アランタリアの怒りの矛先はもしかしたらラトなのかもしれない。そう直感したその時、二人の前にまさにその人が現れた。


 「エステル!?」


 しかしこの時のラトには、いつもの余裕など欠片も残ってはいないようだった。髪も服も大きく乱れ、あちこちが汚れたり破れたりしている。その顔は青白く、少しやつれたようにすら見えた。


 ラトはエステルと目が合うと、二人から少し離れた場所で立ち止まる。


 するとそれを見たアランタリアが、エステルの耳元で囁いた。


 「エステル、あなたは今彼と話したい?もし嫌なら、私があなたを連れて逃げてあげる。」


 エステルは一瞬悩み、ラトと見つめあっていた目をため息と共に閉じると、アランタリアの首元に抱きついて囁き返した。


 「先生、今は、私を連れて逃げてくれますか?」


 アランタリアの体が一瞬硬直し、ふっと力が緩んだ。そして彼はエステルを丁寧に抱え直すと、ラトに向かって言った。


 「ラト殿、エステルは貰っていく。」

 「何、を!?」


 ラトの掠れた声はエステルの耳にも届いたが、その場を離れるまで決して、アランタリアの首元から顔を上げることはなかった。


 その後、温かな腕の中でひとときの安らぎを感じながら宿に戻ったエステルは、置いてきてしまった荷物のことなどすっかり忘れ、久々の宿のベッドの上で泥のような眠りに落ちていった。


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