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34. エステルの潜入捜査②

 その後、フィリペはエステルをベッラというベテランの女性に紹介すると、彼女は寮での過ごし方、出勤時間や休みについてなど、細々としたことを説明してくれた。


 その様子を見届けた彼は、少ししてから別れの挨拶を告げて帰宅していき、エステルはベッラにそのまま寮まで案内されることとなった。



 従業員用の寮は店舗と工場から少し離れた場所にあるようで、十分ほど歩いて到着した。


 すると見えてきたのは、木造二階建てで明るいベージュの壁とくすんだ橙色の屋根が美しい、とても快適そうな大きな建物だった。現在はここに三十人ほどの女性達が共同で生活しているらしい。


 エステルはこの場所を見てすぐにあることに気が付いた。それはこの寮が、あの女性が引きずられていった家から徒歩でほんの一、二分ほどの場所にある、ということだ。


 (ここなら間違いなく、市場に出ようとする時にあの暗い路地のような場所を通ろうとするはずだわ。つまり女性達が監禁されていたあの家は、それが理由で準備された場所だったということかしら?)


 考えながら嫌な気持ちになったエステルだったが、頭を振って気持ちを切り替えると、今日はとりあえず大人しく過ごそうと決めて、案内された自分の部屋へと入っていった。



 《聖道暦1112年4月2日》


 翌日、エステルは早速行動を開始した。


 出勤後すぐは大人しく書類の整理をしていたが、しばらくして事務所には誰も来ないことがわかると、何か怪しげなものが隠されてはいないかと部屋の中の様々な場所を調べ始めた。


 だが当然と言えば当然なのだが、入ったばかりの従業員が触れられるような場所に、そんな重要な書類も証拠もあるはずはなかった。


 そこで今度は休憩時間を使って店舗や加工工場の様子を見に行ったり、ベッラや彼女の取り巻き達と仲良くなって、店のちょっとした噂話などを仕入れ始めた。


 それは決して調査というほどのものではなく、女性同士の日常的な会話や井戸端会議程度のことだったので、特に誰かに何かを疑われたり、不審に思われたりはせずに済んだ。



 だが二日ほどそうして過ごしているうちに、エステルはもう一歩踏み込んでの調査が必要だと感じ始めた。


 それはベッラのある一言がきっかけだった。


 「あら?ミシェルは今日も来てないのかい?全く、今時の子はみんな根性がないねえ!」

 「ベッラさん、ミシェルさんが出勤していないのですか?」


 呆れた様子のベッラに声を掛けると、彼女はそうなんだよ!と言いながら腕を組んで顔を顰めた。


 「時々うちの店の、特に若い子達が勝手にここを辞めていなくなっちまうんだよ。婚約者ができたとか、仕事が辛くなったとか置き手紙をしてね。そりゃあここはランジュさんが一生懸命大きくしてきた高級店だからねえ。仕事は大変に決まってる。だからって随分無責任なんじゃないかねえ。給料だって待遇だって他の店に引けを取らないんだよ?何が不満なのか…」


 エステルがベッラの愚痴に丁寧に付き合うと、彼女は少ししてから満足したようで、「悪かったね、忙しいのに」と言って持ち場に帰っていった。


 (ミシェルさんといえば店舗の方にいた栗毛色の髪の背が低い、可愛い女の子だわ。もしかしたら彼女も…)


 だが前日届いたメルナからの手紙によると、エステル達が助け出したあの女性達が監禁されていた家は、相手に警戒されてしまったのか、今は無関係の別の入居者が入っているらしい。となると一体ミシェルはどこに行ってしまったのか?


 (これは急いで動く必要がありそうね!)



 エステルはその夜、早速とある場所への潜入計画を立て始めた。


 女性の噂話というのは本当に情報の宝庫だ。


 エステルはすでに『フィリペの自宅住所』『愛人を匿っていると噂の別宅住所』『フィリペの行動パターン』などの情報を短期間で一気に手に入れていた。


 特におしゃべりなベッラと彼女の取り巻きの女性達は、エステルが居ても居なくても様々な噂話を口にしていたため、思っていた以上に順調に情報が集まった形だ。


 そうしてこの日の夜はまず、『フィリペの自宅』への潜入を決めた。


 動きやすい服装に着替え、例のペンダントとブローチをあらかじめ身につけておくと、皆が寝静まった頃に活動を開始する。


 が、寮を出て数分もするとガッチリと誰かに肩を掴まれ、エステルは暗い夜道ですっかり身動きが取れなくなっていた。


 「エステルちゃん、何勝手に危険な場所に行こうとしてるのかな?」

 「あー、あはは!ええと、その、きっとラトさんがどこかで見守っていてくれるから大丈夫かなぁって!」


 エステルが乾いた笑いでそう誤魔化すと、肩を掴んでいた手に体を回転させられ、久しぶりに怒っている顔のラトの正面に立たされた。


 「そう言えば俺が許すとでも?」

 「許して…はいただけないですよね?」

 「わかってるんだ。へえ。」

 「…」


 決まりの悪くなったエステルが顔を背けると、ラトはエステルの顔を両手で挟み、ゆっくりと前に戻して言った。


 「お願いごと、一つじゃ足りないなあ。」

 「え?」

 「二つにしてくれたら協力するよ。どうする?」

 「そんな!?」

 「じゃあこのまま宿に連れて帰る。」

 「うう…ワカリマシタ。」


 エステルは渋々、消え入りそうな声で条件変更に同意する。するとラトは一気に笑顔になり、こう言った。


 「そう!じゃあ先にお願いの内容を伝えておく。一つ、この件が片付いたら君の唇をもらう。もう一つ、エステルの護衛は俺が契約破棄をしたいと言い出すまで継続する。もちろん延長料金は要らない。」

 「は、はい!?何ですかそれ!!」


 どちらのお願いも受け入れ難い内容で、エステルは怒りとも焦りともつかぬ表情になり、ラトの手から慌てて逃れると両手で自分をガードし始めた。


 「む、無理です無理無理!!だって、そんな、できることに限るってこの間言ったじゃないですか!?」

 「できることでしょ?キスなんてもう三回もしたんだし、護衛はただ側にいるだけでいいんだから、何をそんなに困ることがあるんだ?」

 「だって…」


 エステルは真っ赤になりながら反論を試みる。しかしキスを三回もしていたという事実を改めて突きつけられたせいで頭が真っ白になり、それ以上何も言えなくなってしまった。ラトはそんなエステルを優しく引き寄せ抱きしめると、耳元でそっと囁いた。


 「大好きな君の我儘は俺が全て叶えてあげる。その代わり、絶対に君を離さないから。」

 「!!」


 エステルは、その言葉の重みと苦ささえ感じるほどの甘さに、全ての力が抜けていった。


 ラトはエステルのその変化に敏感に気付くと、すかさず体勢を変えて抱えあげ、いわゆるお姫様抱っこの状態で近くの公園まで運んでいった。


 (もう駄目、これ以上は無理。どうあがいたって私はラトさんのことを…)


 そしてラトは約束通り、いやむしろ約束よりもずいぶんと早く、花々が咲き乱れるその美しい公園の東屋の中で、エステルから四回目のキスをきっちりと奪っていった。



 明け方近く。


 エステルは真っ赤な顔のまま、ラトを無視してフィリペの自宅へと歩き続けていた。


 「ねえエステルちゃん、約束を前払いしてもらっただけなのに、どうしてそんなに怒ってるのかな?おーい、聞いてる?」


 ラトはエステルの怒りなど大して気にする素振りもなく、のほほんとそんなことを言いながら後ろをついてくる。エステルはしばらく無視を続けていたが、しつこく声を掛けてくるラトにとうとう怒りをぶちまけた。


 「だって!!あんな、あんなに長いなんて思っていなかったというか、あんな恥ずかしいことっ…」


 エステルはこの時、あの東屋での長い長い、そして深いキス…つまり想像を超えたラトからの『甘い攻撃』に、今までで一番の混乱状態に陥っていた。


 「うーん、ちょっとやりすぎちゃったかなぁとは思うけど、まああの程度のこと、恋人同士なら普通の」

 「恋人同士?あの程度!?」


 エステルははあはあと息を荒げて振り返り、唇を噛んでラトを睨んだ。だが彼はそんなエステルにゆったりと微笑みかける。


 そしてこの後エステルは、彼の策略にまんまと嵌ったことを、痛烈に思い知ることになった。


 「だってあのくらいしないとエステルちゃん、冷静になったらペンダント使ってあの家に一人で侵入しちゃうでしょ?」

 「ハッ!?」


 そういうことか、と思った時にはもう手遅れだった。エステルの横顔に穏やかな光が当たり始め、夜が明けたことを知らせていた。


 (ああ、貴重な一日が終わってしまったわ…)


 「エステル、焦りは禁物。侵入するなら計画的にすること。もちろん俺も一緒に、な?」

 「…はい。」


 今後もこうして彼の手のひらの上で踊らされ続けるのだろうかと頭を抱えたが、ラトはそんなエステルを、ただ幸せそうに見つめて微笑むだけだった。


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