33. エステルの潜入捜査①
女性二人をを無事救出したエステル達は、宿に二人を匿うと、今後の方針を話し合った。
あれこれと案を出してはみたが、落とし所は見つからない。どうしようかと頭を悩ませていると、アランタリアから「メルナに相談するのはどうでしょう?」と提案があり、二人は一も二もなくそれを受け入れた。
《聖道暦1112年4月1日》
翌朝、メルナの部屋に揃った四人は、膝を突き合わせて話し合いを始めていた。
「なるほど。これは起こるべくして起きた事態ね。」
朝から服も化粧もしっかりと整えたメルナは、相変わらず絶好調のようだ。この時もふんふんと何かを納得しながら頷いているその顔は、エステルにはとても生き生きと輝いて見えた。
その後の彼女の話によると、どうやら昨日会っていた知り合いというのが、今回失踪していた女性の一人と密かに結婚の約束をしていた男性の友人だったらしい。その友人から相談を受けていたメルナは、自ら調査をしようと思っていたところだったそうで、本当に時期が良かったと喜んでいた。
「婚約者の女性が見つかったことでこの話を終わりにしてもいいのだけれど、私の知り合いはもう少しこの件に関わってほしいらしくてね。まあ私もちょっと気になる点があるから、できるだけこの件を解決してからここを離れたいのだけれど…」
メルナはそこで言葉を止めると、物欲しげな表情でエステルの顔を見つめた。エステルは一瞬驚いたが、その表情の意味を理解すると笑顔を見せて言った。
「メルナ、私が親友の頼みを断れる訳がないでしょう?もちろん協力するわ!」
「さすが私のエステリーナ!大好きよ!!」
「ふふっ、嬉しい!私もあなたが大好きよ!!」
そう言って二人がひしと抱き合うと、ラトがぐいっとエステルを引き離し、自分の隣に座らせた。
「ほら、いいから話し合いを続けるぞ。」
不機嫌さを隠そうともしないラトに対し、メルナは不満そうに口を尖らせた。
「もう!相変わらず嫉妬深い男ね!まあいいわ。とにかく、あのランジュという男を追い詰めて、どうにかして情報を引き出しましょう。今回の件、どうもあの男は人身売買に加えて、何かもっと大きな悪事に関わっているようだから。」
「もっと大きな?」
エステルは人身売買以上の大きな悪事というものを想像すらできなかった。言い知れぬ不安が胸をよぎる。だがエステルの握りしめた拳にふいに重ねられたラトの温かな手が、その不安をすっと消し去ってくれた。
「ラトさん?」
「心配するな。俺がいるだろ。」
柔らかな彼の微笑みが、エステルの心を軽くする。
「そうですよ、私もいます。メルナも強いですからね。大丈夫。私達があなたのことを守ります。」
メルナはにっこりと笑い、アランタリアもゆったりと微笑む。エステルはいつの間にかこれほどまでに素敵な仲間に恵まれていたのだと、改めてその幸せに心が満たされていくのを感じていた。
その後昼前まで四人での話し合いは続き、今後の方針がだいたい固まった。
まず、エステルが身寄りのない女性としてランジュの店に入り込むこと。これは先日の男に再会する可能性も考慮して、あの時体調を崩していた婚約者が亡くなり、生きていく術を失ったという設定にしておいた。
この方法は最初ラトに猛反対されたが、エステルが「ラトの監視有り、かつ彼のお願い(できることに限る)を何でも一つ聞く」という条件を出したところ、あっさりと了承された。
そしてメルナはその間に情報収集を続け、アランタリアは宿で女性達を守る。ヒューイットはここでの仕事が比較的忙しそうなので、もう少しこの町に滞在することになったとだけ伝え、詳細については話さないこととなった。
《聖道暦1112年4月1日》
翌日、エステルは例のメルナの知り合いという人と共に、『ランジュ香辛料専門店』へと向かって歩いていた。
「エステリーナさん、緊張していらっしゃいますか?」
そのメルナの知人は四十代くらいの優しそうな貴族の男性で、この町で起きている失踪事件や、裏で悪事を働いている者達を調査している人物、とのことだった。そして彼自身も、さらに上の立場の人から指示されて動いているらしい。
「ええ、少し。ですが大丈夫です。誰だって初めての場所には緊張するものでしょうから、むしろ疑いを持たれにくいのではないかと思いますので。」
「なるほど、確かにそうですね。…さて、到着しましたよ。ではこちらを。」
そう言って手渡されたのは、小さな小瓶に入った液体だった。
「はい…あ、ちょっと沁みる!」
婚約者を失った女性ならば涙目は必須の条件だろう。アランタリアが準備してくれた疲れ目用の目薬で、泣き明かした女性を演出する。
「では行きましょうか、エステリーナ嬢?」
「はい、ローレンツ伯爵。」
そうして二人は万全の体制で、敵地へと乗り込んでいった。
「なるほど、以前から体の弱かった婚約者の方が隣町に行く道中でお亡くなりになったと。ずいぶんお辛かったでしょう。」
今エステルが向き合って話をしているこの男性こそ、フィリペ・ランジュ、その人だ。彼は赤に近い茶色の豊かな髪を持ち、その顔には年相応の皺は刻まれているものの、エステルにはとても生命力に溢れた人物に見えた。
「ええ、ですが覚悟もしておりました。彼は病弱でしたし、きっと私を連れて逃げるこの旅は、彼にとって大変負担となっていたのでしょう…」
エステルは持っていたハンカチで目元を押さえながら、あらかじめ準備していた『設定』を元に話を進めていく。
「そうでしたか…わかりました。それではこの店についてご説明しましょう。まず私どもの店は香辛料という高級品を専門に扱っております。当然厳しい面もありますが、きちんと丁寧に仕事をしてくれれば、従業員用の寮とこの辺りでは十分な給金を保証しますよ。」
「本当ですか?それならば本当にありがたいです。貴族の家で生まれた私ですが、婚約者と駆け落ちのようにして家を出てきてしまったので、これからどうやって生きていったら良いのかと、ほとほと困り果てていたのです。」
涙目でフィリペを見つめながらそう話すと、彼は口元を少し震わせてから頷いた。
「そのような事情があったのですか。では尚のことあなたの助けになりたいものですな。こちらのローレンツ伯爵のご紹介でもありますし、私の方は今日からでも働いていただいて結構ですよ。」
フィリペは優しそうな笑顔をエステルに向けると、すかさずテーブルの上に置いてあった書類を目の前に差し出した。もちろん横には高級そうなペンを添えてある。
「エステリーナ嬢、この方は地元の名士でもありますし、少なくとも今後の行き先が決まるまで、こちらにお世話になってはどうでしょう?」
ローレンツが最後の一押しを手伝う。エステルは悩むそぶりを見せた後に、どうぞ宜しくお願いいたしますと言ってその紙にサインを終えた。
ローレンツが帰宅後、エステルはなぜか他の従業員ではなく、フィリペに直接店を案内してもらうことになった。どうやらそれはかなり珍しいことのようで、店の中で働く女性達の視線は、どれも驚きや疑問を感じさせるものばかりだった。実際それらしき会話もちらほら聞こえてもいた。
(きっとランジュ氏本人が新しい従業員に店を案内するなんて、かなり異例なことなのね。ローレンツ様の紹介だからなのかしら?)
理由ははっきりしなかったが、とにかく直接首謀者と思われる人物と接触できたことは幸運だった。
店舗、その奥の加工工場、さらに隣にある香辛料を使用した高級レストランという順に案内されていったが、どの部門で働くのかわからないまま、最後はなぜか事務所のような場所へと連れられていく。
「さあ、ここがあなたの勤務する場所ですよ。」
「え?ここ、ですか?」
そこは二つの机と椅子が置かれただけの簡素な部屋だったが、その二つの壁には天井まで届く高さまでびっちりと書類や冊子などが詰まっていた。また棚の無い壁には入り口のドアと、その正面の壁には小さな窓が設置されている。
部屋の中に入りそのドアが閉まると、フィリペはそっとエステルの背中に手を当て、「ここにお掛けなさい」と言って手前の椅子に座らせた。
エステルはその行為に何か寒気のようなものを感じてはいたが、大人しく言うことを聞いてそこに腰掛ける。
するとフィリペは前置きもなく棚にある書類の説明を始め、香辛料の取り扱い方からどんな国や地域とどのような売買を行なっているか、そしてエステルにどの部分で関わってほしいかについて事細かに説明を始めた。
「エステリーナさん、あなたは元とはいえ貴族のご令嬢です。店舗や工場で働かせるつもりはありません。それにあなたのような美しい女性を…いやまあ、それはおいおいお話ししましょうか。」
「え?」
エステルは最後のフィリペの言葉に違和感と若干の嫌悪感を感じたが、彼が顔色ひとつ変えていなかったため、あえてそのことについて尋ねることはできなかった。