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32. 救出

 《聖道暦1112年3月31日》


 ラトはこの日思うところがあり、少し離れた場所から密かにエステルの護衛を続けていた。朝から降り続く雨に憂鬱な気持ちになりながら、アランタリアと出かけていくエステルを追う。


 一昨日、そして昨日と、勢いで彼女に迫りすぎてしまったと若干反省したラトは、今日くらい彼女を一人にしておこうと考えて今のこの状況となっているのだが…


 (エステル、君はどれだけ俺をやきもきさせたら気が済むんだ?)


 相変わらず皆に優しいエステルは、血のつながっていない弟と朝食で笑い合い、自分に思いを寄せる医者と買い物に出かける。


 (あんなに俺のことが好きなくせに、すぐ他の男に優しくする!)


 傘のせいで一定の距離を保って歩いていることだけが救いだが、まるでデートをしているかのような二人の姿に、つい何度も舌打ちしてしまう。


 そしてラトには一つ気掛かりなことがあった。


 なぜエステルはゴレの町であんなに帝国入りを急いでいたのか。もしかしたらラトとの関係をはっきりさせないのも、そこに原因があるのかもしれない、と。


 昨日の彼女はあの強引なキスを受け入れ、抱きしめた腕にもたれかかるように寄り添ってくれた。そんな彼女が、自分のことを想っていないはずはない。実際彼女の弟やアランタリアとの間にも、昨日までの自分達のような親密さは感じられなかった。


 だとすればやはり、帝都に着くまで答えを待たせていることには、何か理由があるのだろう。



 ラトがそんなことを考えているうちに、エステル達は何やら石がゴロゴロと置いてある店に立ち寄っていた。


 雨が上がり、光がエステルを照らす。その光を浴びて石を見つめる彼女の整った横顔が、ラトの心を鷲掴みにしていく。


 (なんて綺麗なんだ…エステル…)


 その後彼女は二つほど石を購入し、再びアランタリアと歩き出した。後で気付いたが、その店の人は昨日出会ったあの、会釈をしてくれた中年男性だったようだ。


 店から離れた二人を追って再び歩きだすと、今度はエステルがとある場所で驚いて立ち止まっているのが見えた。何やらアランタリアと相談をしているようだが、周りが騒がしくて声までは聞こえない。


 するとエステルは突然その建物と建物の間に入っていってしまい、アランタリアもその後を追っていった。


 (おい、何やってるんだ?まさかまた事件に首を突っ込んでるのか!?)


 人のことは言えないラトだが、エステルも大概である。ラトは今日一番大きな舌打ちをすると、彼らが消えていった路地のような場所へと走っていった。



 ― ― ―



 「すみません!どなたかいらっしゃいますか?」


 エステルは先ほど女性が入っていったと思われるドアを開けると、あえて大声でそう呼びかけた。


 ドアの中には誰もおらず、白っぽい色の絨毯が敷かれた廊下とその奥に一つだけドアが見える。そして壁と同じ色をした木の階段が上に続いているだけの何も無い空間には、窓すら見当たらない。


 だが、何かふんわりとした違和感がそこにはあった。


 (何かしら?何がこんなに気になるの?)


 エステルは違和感の正体がわからぬまま、一際大きな声で叫んだ。


 「どうか、どなたかいらっしゃったら、助けていただけませんかー!!」


 すると階段の上から物音がして、一人の男性が降りてきた。明らかにこちらを警戒している様子のその男は、肩までざっくりと伸ばした白髪混じりの髪を耳に掛け、エステルをジロリと睨みつけた。


 (白髪ではあるけれど、まだ若そうね。そして隙がない!)


 エステルは本気で困った声を出しながら男性に縋り付く。


 「どうかお助けください!今そこで婚約者が倒れてしまいましたの!どうかお医者様をお呼びいただけませんか!?」


 エステルの演技は真に迫っていたが、男性は眉ひとつ動かさずこう言った。


 「うちは病院じゃないし人助けもやってない!何を勘違いしたか知らんが、市場の奴らに助けを求めろ。さあ、出て行け。」

 「そんな…!!」


 そうしてエステルはあっという間にその家を追い出され、ガチャリという鍵が閉まる重い音が響いた後は、全く反応が無くなってしまった。


 「エステル…」

 「アラン!?」


 念のためこの場を離れるまでは演技を続けようと取り決めてあった二人は、倒れているアランタリアをエステルが支える形で移動し始めた。


 「どうでしたか?」


 アランタリアがエステルの耳元に囁きかける。エステルはまた後でと囁き返し、市場の雑踏の中に紛れ込んだところで、彼から離れた。離れる間際、


 「役得でした。」


 というアランタリアの声が聞こえたような気がしたが、それを聞かなかったことにして、エステルは彼と共に宿へと急ぎ戻っていった。



 宿に戻るとその入り口で、ラトが冷ややかな目でエステル達を待っていた。


 「やあエステル。俺を置いて二人でどこに行ってたのかな?」


 エステルはぐっと言葉に詰まったが、嘘は言わないと決めて説明を始めた。


 「どうしても行きたいお店があって先生と出かけていたんです。そうしたら一人の女性がとある家の中に連れ去られる姿を見たような気がして、試しにその家に入ってみたんですが、女性はいなくて、でも…」


 そこで言葉を濁す。するとアランタリアがハッとしたように言った。


 「もしかして、何か女性の痕跡などを発見したのですか?」


 ラトも同じ疑問を持ったようで、エステルをじっと見つめて答えを待っている。エステルはその時のことを思い出しながらぽつぽつと話し始めた。


 「不思議な香りがしたんです。あれはなんだろう?華やかなのにちょっと空腹になってしまいそうな、そんな独特の香り…」


 エステルのお腹がキュルッと音を立てそうになり、お腹に力を入れてそれを誤魔化す。するとアランタリアが突然「ああ!」と大きな声を上げた。


 「もしかしてそれは、香辛料の香りではありませんか?『ランジュ香辛料専門店』はこの町の名物店です。しかも各地から仕事を求めてやってきた身寄りのない女性達にとても良い条件の仕事を与える店、としてもよく知られていますよ。」

 「女性達?え、ランジュ?」

 「おい、まさか昨日の!」

 「ああっ!?」


 エステルとラトは同時にあることに気付いた。それは、昨日歓声の上がる市場の中でエステルが拾った紙に描かれていたこの町の名士、『フィリペ・ランジュ』のことであると。


 アランタリアは「そうその人です」と言いながら大きく頷いた。


 「お二人もご存知でしたか。彼はこの町があまり活気のなかった頃から、ドゥビルをもっと盛り上げたいと様々な取り組みを実践してきたこの町の有名人です。が、まあこれは噂ですが、どうも裏のある人物としても一部の人間には知られているようですね。」


 その時、ラトが鋭い視線をアランタリアに向けた。


 「どうして先生が関わりのない町のそんな裏情報を知ってるんだ?」


 すると珍しくアランタリアは目を細め、冷笑しながらそれに答えた。


 「さあ。あなたの知らない伝手が、私にもあるのかも知れませんよ?」

 「…」


 エステルはいつもとは違う大人な雰囲気で話す二人を内心ドキドキしながら見守っていたが、そこでふとあることに気付いた。


 「ねえ、ラトさん。じゃあもしかしてあのレオンさんって人が言っていたことって、あながち間違いじゃないかも知れないってこと?」


 二人の視線が、今度はエステルに注がれる。


 「そうだな。その怪しい家の所有者がわかればいいんだが…まあ今はどちらにしろ時間がない。エステル、この件に本当に関わるつもりか?」


 ラトは真っ直ぐエステルを見つめ、アランタリアの心配そうな顔がチラチラと目の端に映る。


 エステルは決断した。


 「ええ、関わります。虐げられている女性がいるなら助けたい。きっとその香辛料の香りは、連れ去られた女性の香りだと思うんです。でも、私一人では無理だから、その…」


 ラトが一歩前に出ると、エステルに手を伸ばした。


 「言っただろ。いつも傍にいるって。」


 アランタリアも銀色の髪を揺らして大きく息を吸うと、同じように手を伸ばす。


 「私も言いましたよ。あなたとなら、どんなことに巻き込まれてもいいと。」


 エステルは差し出された二つの手を同時に握ると、笑顔で言った。


 「二人ともありがとうございます!それじゃあ準備をして、彼女の救出に向かいましょう!」


 繋がれた二つの手は、エステルの小さな手を力強く握り返した。




 数時間後、深夜少し前。


 エステル、ラト、アランタリアの三人は、食事や着替え、作戦会議などを終えてから再び宿の入り口に集まった。


 メルナは知り合いの家からまだ帰ってきておらず、ヒューイットは夕食時「この後仕事の話があって少し出かける」と言っていたので、今回の件については特に説明はしなかった。


 そして現在、目の前にいるアランタリアは髪を丁寧に纏めて古びた帽子の中にそれを押し込んでいるところだ。ちなみ今着ている服は、この辺りに住んでいる商人達の姿を真似たものらしい。


 「いやいや先生、まずその顔をどうにかしないと!」


 ラトがそう突っ込んでしまう気持ちはよくわかる。アランタリアの美貌は、ちょっとした変装程度では隠せそうにない。


 仕方なくラトがどこかから少し形が歪んだ伊達眼鏡を見つけてくるとそれを無理やり掛けさせ、帽子を目深に被り直させて、ようやく及第点を出した。


 ラト自身はいつも通りの動きやすい服装、エステルは以前着たことのあるあの黒っぽい上下の服に身を包んでいる。


 「エステルちゃんそれ、前着てたやつ。それ、異様に可愛いから。いや本当に。」


 真顔で恥ずかしいことを言う癖は早く治してほしいものだ。しかもなぜラトはそんな変な話し方をするのだろう?


 出発前にそんなふざけたやりとりはあったものの、三人はほぼ予定通りに宿を出発することができた。



 三人が先ほど女性を見失ったあの建物に辿り着くと、そこには一切の街灯も人の気配もなく、シーンと静まり返った街並みと、市場の活気の余韻だけが広がっていた。


 「じゃあラトさん、お願いします!」

 「はいよ。」


 ここからの作戦はこうだ。


 ラトがまず能力を使って建物を『透視』する。その能力で女性のいる位置を把握したら、次はエステルが鍵を開けて中に侵入し女性を救出する、という流れだ。


 「ただ、その女性一人じゃない可能性もある」


 アランタリアの言う噂が本当であれば、他にも何らかの理由で女性が監禁されている恐れもある。エステル達はそれも考慮して、まずはラトの透視結果を聞いてから動こう、ということになっていた。



 ただ一点、エステルには気になることがあった。それは宿でのこの作戦会議の後、男二人がこっそりと話していた何かだ。


 「そんな…力…、何…か……?」

 「わかっ…だ…、先生……たい」


 その会話内容は所々しか聞き取れず、情報が少なすぎて推測すらできなかったのだが、いつも通りのラトとは対照的に、アランタリアの声には心配するような響きが含まれているように感じた。


 (先生が何かを心配している。でもラトさんはあまり気にしていないみたい…)


 二人がその時エステルに言えない何かを話していることはわかったが、今それを追求しても二人はそれを教えてはくれないだろう。エステルは気持ちを切り替えると、再び今に意識を向け始めた。



 そして現在、ラトは額に指を当てて集中を始めている。しかしいつもとはどこか様子が違う。能力の発動までの時間が長く、表情も少し辛そうに見える。以前の彼の様子から考えると、かなり負担の大きい特殊能力のようだ。


 (どうか成功しますように…)


 エステルが祈るように両手を握りしめて待っていると、ラトの瞳の色が変わっていくのが見えた。


 (え…黒い!?)


 普段なら透き通るような美しさを持つあの青緑色の瞳に、僅かだが黒い靄のようなものが混じっていく。だがそれはほんの一瞬現れただけであっという間に消えてしまい、彼が能力を使い終わったことをエステル達に告げた時には、普段通りの瞳がそこにあった。


 (何だったのかしら、今の黒い…)


 「見えた。二階のようだが、隠し部屋か何かだな。そこに二人いる。見張りはこの建物の中にはいないな。何か仕掛けがあるのかもしれないが、とにかく一度行ってみよう。」


 ラトの言葉に深く頷くと、エステルはドアに近寄り例の黒い棒を使って鍵を開けた。ラトは「あの時もそうやって逃げたのか」と呟き、何かを一人で納得している様子だった。



 鍵が開くと、三人は玄関から素早く中に入る。すぐに二階に上がり、狭い空間の先にあるドアを開けると、そこは簡易的な倉庫のようになっており、埃を被った木箱や書類、本など雑多なものが適当に置かれていた。


 そしてふんわりと漂うあの独特の香り。その香りが特に強い場所を慎重に探っていくと、一箇所だけ埃を被っていない箇所を見つけ、エステルは急いで二人を呼んだ。


 「ねえ、ここかしら?」

 「おや、ここだけ確かに綺麗になっていますね。エステル、私が探ってみますので少し退がっていてください。」

 「はい。」


 アランタリアがその部分、本の入っていない本棚のような場所に手を置いて目を瞑る。


 いつもの美貌があの歪んだ眼鏡に邪魔されて絶妙なアンバランスさを見せているな、などと余計なことを考えながらぼんやりと彼を目で追っていると、アランタリアが棚の真ん中より少し下の部分を両手で持ち、そのまま上に引き上げた。


 ガコン、という音に驚きエステルはビクッと体を揺らす。その音と共に本棚と思っていた場所は上下に割れるように開き、中から先ほどよりも強い香辛料の香りと、息を呑む女性達の気配が伝わってきた。


 「どうかお静かに!助けは必要ですか?もし必要なら一緒に逃げましょう!」


 エステルが急いでそう声をかけると、二人の女性達は震えながら何度も何度も頷いた。


 ラトとアランタリアが女性達の手を取り、エステルが気配を探りながら外へと誘導する。そして四人は夜の闇に紛れるように、静かに、だが素早く、宿へと戻っていった。


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