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⒉ 護衛の男

 《聖道暦1112年3月5日》


 エステルは翌日、再びウェイドの『護衛斡旋所』を訪れた。この日受付兼待合室には人がまばらで、焦ることなく奥のドアの向こうへと入っていく。


 「ウェイドさん、おはようございます。」


 爽やかに挨拶をすると、そこには笑顔のウェイドと、もう一人中年の男性らしき人物が立っていた。


 「おお!早かったな。じゃあそっちへ行こうか。」


 エステルは黙って頷くと、昨日入ったあの椅子しか置いていない埃っぽい部屋に入る。その後ろから先ほどの男性も中に入ってきた。


 ウェイドはドアが閉まるとエステルに椅子を勧め、ドアの近くに立った男性に手を向けた。


 「エステル、昨日話していた護衛の件だがな、こちらの男を紹介したくて一日待ってもらってたんだ。ラトって言って、こいつも帝国に行く用があるんで安くできそうなんだが、どうだろう?」


 ウェイドの中ではもうこの人で決まりという感じなのだろう。期待を込めた目が若干鬱陶しい。だがエステルには何か心に引っ掛かるものがあった。


 まずこのラトと呼ばれた男性の年齢だ。はっきりしたことはわからないが、髪や服装から判断するにどう見ても四十代くらいに見える。それはつまり彼が経験豊富な護衛ということであり、エステルが支払える金額ではとても報酬を賄えないということだ。そしてもう一つ…


 「ねえウェイドさん、この方、強いわよね?」

 「お、おう。やはりわかるか?」


 ウェイドの笑顔が引き攣っている。そう、この男、おそらくエステルが感じている何倍も強い。ぼんやりとそこに立っているだけでも、ビリビリとその秘めた強さが伝わってくる。


 そんな彼を警戒し睨みつけていると、壁に背をつけて寛いでいる様子だったラトが、エステルに優しく微笑みかけた。


 (あれ、もしかしてこの人・・・)


 「どうも。はじめまして、じゃないな。昨日ぶり!」


 エステルはようやくこの時、彼が昨日自分を助けてくれたあの男性だと気付いた。


 昨日ほど酷い状態ではなかったが、肩のあたりまで伸びた癖のあるその薄茶色の髪は目をほとんど覆い隠し、不精髭に至っては昨日よりさらに広がっていて、全体的にあまり清潔感は感じられなかった。


 「はじめまして。エステリーナ・ルー・クレイデンと申します。と言ってももう家は勘当された身なので、エステリーナと呼んでいただければ。」


 警戒心を強めながらエステルも自己紹介をしてみるが、男はふんふんと笑顔で頷いているだけだ。


 (昨日とはずいぶん人柄も違うように見えるわ。余計に怪しい…)


 焦ったウェイドはエステルのその警戒心を和らげるかのように、大仰な身振り手振りでラトを推薦し始める。


 「こんな身なりだがこれでもしっかりした男なんだ。まあ見た目通り年齢はエステルよりずっと上だが、その分長年の経験でしっかり護衛してくれるさ。それにエステルだって若い男と一緒に移動じゃ、その、色々心配だろう?」


 エステルはジロッとウェイドを睨むと腕を組んで言った。


 「だからってこんなに手練れでなくていいの!若い子なら彼も練習になるだろうし、襲われたりなんかしたらさっさと返り討ちにするわよ。そもそもあなたの斡旋所で今までそんな最悪な人は居たかしら?これまでそんな苦情など一度もなかったのでしょう?」


 ウェイドはエステルの迫力に押され、両手を挙げて必死に宥めはじめた。


 「お、落ち着けってエステル!無い、確かに無い!今のは余計な一言だった!すまん。だがほら、こっちも今忙しい時期でな、帝国方面に物資を運びたい連中にかなりの数を持っていかれちまったんだ。それでその・・・今余っていてお安いのが」

 「そうそう、俺ってこと!ねえエステルちゃん、俺にしとかない?」


 ラトという男はそこで唐突にエステル達の会話に割り込んできた。エステルが眉を顰める。


 「エステル、ちゃん!?」


 突然愛称で、しかもずいぶん親しげに呼ばれたことでさらに眉間の皺は深くなる。だがそんなエステルの顔にもラトは全く動揺することなく、ニコニコと微笑みながら自己アピールを続けた。


 「ほら、俺のこと強いっていうけどさ、その強さも使わなければただのおじさん、だろ?帝国までのんびりと、ほぼ仕事もせずに移動できるなんて奇跡みたいな仕事じゃないか!その分お安くしとくからさ、おじさんを帝都まで連れてってよ、ね?」


 (本当に胡散臭い・・・ああ、でも背に腹はかえられないのよね)


 エステルは腰を低くして懇願する大男二人組をしばらく見つめていたが、諦めたようにため息をついて言った。


 「はあ、わかったわ。ではこの方で契約します。でも!仕事は適当でもちゃんと帝都まではついてきてくださいね!!」


 すると二人の男性の顔がぱあっと明るくなり、なぜか二人は手を取り合って喜び始めた。


 「うおー、やったなラト!エステルに一日待ってもらった甲斐があったぞ!」

 「ウェイド、ありがとうな!お前はいつまでも俺の親友だ!」


 エステルは「何を見せられているのかしら」と呆れた顔で二人を見ていたが、とにかく前には進めそうだと気持ちを切り替え、少しだけ笑顔を取り戻してから契約を進めていった。



 だがその日の午後、エステルはすでにこのラトという男と契約したことを後悔し始めていた。


 (馬車に乗ってからというものずっと寝てばかり。髪がいい感じに日よけになって昼寝がしやすいのかしら?)


 本人の言う通り、彼は全く仕事をしようとはしなかった。エステルが借りてきた今にも壊れそうな馬車は、辛うじて後部座席で体を横にできるような素人手作り感満載のものだったが、彼は全く意に介することなく大きな体を縮めてそこで眠っている。


 エステルは時々聞こえる彼の寝息やいびきに苛立ちを感じながらも、「節約のためよ」と自分に何度も言い聞かせて、淡々と馬車を走らせていった。



 フォーンの町から離れ、潮の香りもかなり薄れてきた頃、次の町に繋がる草原地帯に差しかかった。エステルはここで少し休憩を取ろうと馬車を止める。


 ラトはまだ寝ているようなのでそのまま放置し、持ってきていた瓶入りの水を飲み、辺りを見渡した。


 この辺りは村も農地もない地域のようで、人や家畜どころか野生動物の気配すら感じられない。だがここは以前、師匠のカイザーに連れられて魔獣退治をした場所にかなり近い。油断は禁物、とエステルは気を引き締める。


 もちろん一瞬も気を抜かない状態というのは難しい。ずっと同じ姿勢で座り続けていたことで体がすっかり固くなったエステルは、少しでも体をほぐそうと、馬車を降りて短い散歩に出かけた。



 「あー、やっぱり体を動かすと気持ちいいわね!あら、あそこに野いちごがあるわ!」


 近くに流れていた細い川の縁に赤いものがチラホラと見え、その正体が野いちごだとわかると、エステルは嬉しくなってそこに近寄っていく。


 しかし残念ながらその場所には、野いちご以外のものも息を潜めて隠れていたらしい。


 意外と高さのある草が多く茂っているその場所にさらに近付いて行くと、突然グワアア!という低い声と共に、野犬よりも少し大きめの魔獣が飛び出してきたのだ。


 エステルは声を出す余裕もなく反射的にその攻撃を避け、素早く場所を移動すると、腰につけていた袋から古びた短剣を取り出した。それは一見するととても使い物にはならなそうな見た目の剣だったが、鞘を抜きその柄の部分に唇が触れると、それは一瞬で新品同様の輝きを放つ姿へと変わっていった。


 「精霊の力を持つ短剣さん、今日もどうか私を守ってね。」


 そしてエステルは再び襲いかかってきたその黒い魔獣に素早く短剣を突きつける。残念ながら一撃目は避けられてしまったが、心を落ち着けてもう一度剣を構える。


 初めは野犬のように見えていたそれは、近くで見るとどちらかといえば豹のような姿をしていた。だがその足は六本あり、尻尾は二つに裂けてゆらゆらとエステルを挑発するように揺れていた。


 (次で仕留めないと、暗くなったら負ける!)


 日はすでにその光を弱め始め、間もなく山の向こうに沈もうとしている。エステルは再度こちらに突進してこようとする魔獣を真正面から捉えると、その恐ろしいほど大きな爪と牙がエステルの眼前に来た瞬間を狙い、体を低くして一気にその首元を切り裂いた。


 クアウウウウウウ…


 断末魔の声が徐々に小さくなり聞こえなくなったことを確認すると、エステルは立ち上がって後ろを振り返った。そこにはもう、あの悍ましい姿の生き物の気配はなかった。


 「よかった…。でも、こうして彼らはまたここでこの悪夢を繰り返していくのね。」


 魔獣という存在は決して血など流さない。急所を突かれてしまえばただ静かに倒れ、その後砂のように消えていってしまう不思議な存在だ。そしていつかまたここで、同じような魔獣が地面の中から再生する。


 (なぜ彼らはそんな風に生きていかなければならないのかしら…)


 黒い髪と豊かで長いまつ毛が、ふいに吹いてきた柔らかな風に揺れる。野いちごを採ろうとしていたことなどすっかり忘れてしまったエステルは、得意の気持ちの切り替えもできぬまま、馬車のある場所へとゆっくり戻っていった。



 ― ― ―



 「へえ。お嬢様なのによくここまで鍛えたな。」


 とある方法で姿を隠してエステルに近付いていたラトは、今の光景を見ながらすっかり感服していた。


 大体はウェイドから聞かされていた彼女の姿そのままではあったが、実際にその目で目撃したエステルは予想以上に機敏な動きを見せ、取り乱すことは一度もなかった。


 それに彼女の戦う姿はとても…


 ラトは心に浮かんだその考えを振り払う。


 「ま、護衛としての仕事はしばらく様子見だな。報酬のことを気にして解雇!なんて言われても困るしなあ。…さて、戻るか。」


 ラトはふっと口の端に笑みを浮かべると、音も立てずに素早く馬車へと戻っていった。



 ― ― ―



 久しぶりに魔獣を倒し、若干興奮した状態で馬車に戻ったエステルは、そこで手を振りながら笑顔で自分を待っているラトに軽い殺意を覚えた。


 (いくら報酬が安いからって、手を抜きすぎでは?)


 せめて近くで何かあった時に見守っていてくれるくらいのことはしてくれてもいいはずだ。いや、それも望みすぎなのだろうか?彼ほどの力のある人材には、一度の手助けすら高額の報酬を支払うべきなのだろうか?


 「あれ、エステルちゃん、なんか疲れてるね。もしかして何かあった?」


 ラトは全く心配するそぶりも見せず、軽く首を傾げている。エステルは怒る気力も失われ、「いえ何も」とだけ言って再び馬車に乗りこんだ。


 この辺りで野営をするのは危険すぎる。もう少しで隣町に着くのだから、疲れていようと苛立っていようと、このまま先に進まなければならない。


 「ふうん。何もなかったならいいけどね。そうだ、今日は隣町まで行くんだろ?俺は今夜宿は要らないから、エステルちゃんは勝手にどこか泊まっててよ。」


 エステルが振り向くと、彼はすでに先ほどと同じ体勢で寝転がっていた。


 「言われなくてもそうします。ラトさんはご自由にお過ごしください。ただ朝は早く出ますから、それだけはお願いしますね。」

 「はいはいお任せください。じゃああと少し、頑張って!」

 「…」


 何も頑張っていない人に言われる「頑張って」ほどイラッとするものはない。だがエステルは気持ちを切り替える達人だ。大きく深呼吸をして今のやりとりを極力頭の中から追い出すと、手綱をギュッと握りしめて前に進み始めた。


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