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28. 船上の攻防戦

 《聖道暦1112年3月27日》



 メルナは無類の恋愛小説好きだ。好きな作家の新刊が出ればどんなに忙しくてもその日のうちに購入するし、自宅だけでなく別荘や各地にある別宅にも、メルナ専用の鍵のかかった『恋愛小説用』書庫まであるほどだ。


 だが自分自身の恋愛にはあまり興味がない。


 もっとずっと若い頃にはそれなりに好きな人もいたし、お付き合いの真似事のようなことをしてみたことだってある。だが実際にはそれほどときめくようなことはなく、期待外れだったりいまいち気持ちが盛り上がらなかったりして、結局小説の方が面白い、という結論に辿り着いてしまった。


 しかもすでに婚約者はほぼ決まった状態であるし、自分の役割的にそのことに異を唱えるつもりもさらさらない。


 そんな訳で、メルナは若くしてすでに自分の恋愛などどうでもよくなってしまったのである。



 だが人の恋愛は面白い。例えそれが創作だとしても、自分には起こり得ない状況や気持ちの変化をただ傍観者として楽しむことができる。時にはその人になりきって没入するのもいい。


 そして今、現実に目の前で繰り広げられているこの状況を、メルナは何よりも楽しんでいた。



 「ふふふ、新たな登場人物『弟』が現れたわ。さて、どうなることかしら?ああ、小説よりワクワクしちゃう!」


 そう、今メルナが夢中になっているのは、エステリーナと彼女を取り巻く男達との恋愛模様だ。今のところラトが優勢ではあるが、まだ勝敗はわからない。特に新たに登場した弟ヒューイットは昔からエステリーナを溺愛していた。当然メルナも、彼とエステリーナとの間に血縁関係は無いのではないかと考えている。


 (それに関しては色々と気になることもあるけれど…まあ!早速アランが動き出したわ!)


 ここはヒューイットが所有する船の中。そしてその中で最も広い部屋の片隅、そこに設置された硬いクッションのソファーでメルナが寛いでいると、ヒューイットと話し込んでいるエステルの元に、アランタリアがやってきた。


 「エステル、良ければ少し前に購入した精霊道具を見ていただきたいのですが、今少しお時間を貰っても?」


 アランタリアが微笑んでいる。ん、微笑んでいる?


 (あのアランが?大抵の女性には興味を持たない、無表情が基本の彼が!?)


 エステルはメルナには聞こえない声で何事かを答えた後、スッと椅子から立ち上がってアランタリアと部屋を出ていった。ヒューイットはどこか寂しそうにその後ろ姿を見送っている。


 (ヒューイットはきっと気が気ではないわね。でも彼なら弟という立場を生かしていくらでもエステリーナと接点を持てる。今回は彼を手助けする必要はなさそうね)


 メルナは首をゆっくりと横に振ると、ソファーを離れて自分の部屋へと戻っていった。



 ― ― ―



 「先生、これってもしかして、火を着ける道具ですか?」


 今エステルはアランタリアの部屋で、金属製で手のひらに収まる大きさの筒状の物体をしげしげと眺めている。これは彼の蒐集品の中で最近購入したものの一つらしく、表面に施された美しい紋様の彫刻にすっかり目を奪われていた。


 そして彼はその様子を、エステルのすぐ後ろで嬉しそうに見守っている。


 「ええ、そうです。でもどうしてお分かりに?見たことがおありですか?」

 「いえ、ただこの筒から火の気配を感じたので…わっ!?」

 「エステル!?」


 筒の側面にある丸い模様の部分が気になったエステルがつい好奇心からそこに指を当ててみると、上部から勢いよく火が噴き出し、慌てて指を離した。


 火はすぐに消え、安堵のため息を漏らしていると、エステルはふと自分が背後からアランタリアの腕に支えられていることに気が付いた。


 「大丈夫ですか?火傷は?」


 頭の上から心配する声が聞こえ、斜め上を向く。そこには憂いを含む美貌と柔らかそうな銀色の髪が、エステルの視界を覆うように存在していた。


 (もう、どうしてこの人はこんなに綺麗なのかしら…はっ、しっかりしないとエステリーナ!!)


 エステルは戸惑った微笑みを浮かべながら、ゆっくりと彼の腕を逃れた。


 「びっくりはしましたが平気です!あ、そうそう、この丸い模様のところが起動点になっているよう…」


 だがその話の途中でエステルの視界は再び白っぽい輝きに包まれた。よく見るとそれは今彼が着ている白いローブで、なぜこんなに近くにあるのだろうとぼんやり考えているうちに、上から穏やかなアランタリアの声が聞こえてきた。


 「ああ、エステル。あなたはどうしてこんなに可愛らしいのですか?」


 その言葉でようやく意識がはっきりして上を見上げると、彼の瞳が切なそうにこちらを見つめているのが目に入った。


 思わずドキッとして両手を前に出し距離を取ろうとしたが、反対に彼はその両手を引っ張って自分の腕の中に引き込んだ。


 「あっ、先生!?」


 薬草の優しい香りがふわっと届いて鼻をくすぐる。パニック状態なはずのに、その香りの影響なのか、変に心が落ち着いていく。


 「前回は逃げられてしまいましたから、今日こそもう一度伝えます。私はあなたに惹かれています、エステル。どうか私と、これからの人生を共に歩むことを考えてはいただけませんか?」

「え!?先生、あの、と、友達からでよいのでは?」


 困ったエステルが小さな抵抗をしてみたが、相手は思ったより強敵だった。


 「友達?いえ、今の私が望むのはもっと深い関係です。」

 「えっと、あの、お、お断りを」


 だがその言葉は、よりきつく抱きしめられたことでかき消えてしまう。胸が苦しい、物理的にも、精神的にも。


 「私はまだ諦めません。あなた以外の女性など考えられない。美しく、人生の試練に勇敢に立ち向かうあなたが本当に好きなのです。ですから今の言葉は聞かなかったことにします。」


 そこまで言うと、彼はゆっくりとその腕の中からエステルを解放した。そして少し屈み、今度は真っ直ぐにエステルの目を見て言った。


 「だって私のこの顔が、少しはあなたの動揺を引き出せるようですしね。ほら、頬が赤くなりましたよ?」


 (嘘!?ああっ、この人の顔面が美しすぎるのが罪なのよ!!)


 エステルは思わず両手で頬を押さえて俯く。それを見て嬉しそうに笑うアランタリアは最後に、エステルの髪にそっと触れた。


 「ああ、可愛いエステル。今はこれ以上を望みません。ですが私のことも、もっと考えてみてください。ね?」

 「え?…は、はい。」


 エステルは逃げ場のない美しさの前に、それ以外の言葉を言うことができなかった。それでもどうにか髪を優しく撫でてくる手から逃れると、先ほどの道具をテーブルの上にそっと置き、急いでアランタリアの部屋を飛び出していった。



 ― ― ―



 「ん?エステル?あれは、先生の部屋か!?」


 アランタリアの部屋から飛び出してきたエステルが小走りで廊下を進んでいくのが見え、ラトは眉をひそめた。


 (何かあったな。全くあの医者、油断も隙もない!)


 アランタリアに会うかエステルを追いかけるか迷った末、ラトは後者を選んだ。



 ― ― ―



 アランタリアから逃れたエステルが向かった先は、自分の部屋だった。


 ドキドキとする胸を押さえて後ろ手にドアを閉めると、力が抜けてその場に座り込んでしまう。だがドアを背もたれにしていたせいで、ノックとほぼ同時に開いたドアと共にそのまま廊下に倒れこんだ。


 「うわっ!?」

 「おっと!なんでそんなところにいるんだ!?」


 床に転がったエステルは、真上から自分を覗き込むラトの不思議そうな顔と目が合った。恥ずかしさで声が出ず口をぱくぱくとさせていると、ラトが苦笑しながらエステルの手を引っ張り助け起こした。


 「何やってるんだよ。ドアと添い寝でもしてたのか?」

 「ち、違います。ちょっと疲れちゃって、床に座っていただけです。」

 「ふうん。先生の部屋で疲れるような何かって、何だろうなあ?」

 「えっ!?」


 一気に雰囲気が変わったラトに気付き、エステルは戦慄する。彼は青ざめて硬直してしまったエステルを部屋の中に強引に押し込むと、ドアと鍵を閉めてそこに寄りかかり、エステルの逃げ場をなくしてしまった。


 「エステル」

 「な、何ですか?」


 ラトは動かない。エステルはごくりと唾を飲む。


 「先生と何があった?」

 「べ、別に、何も。」

 「ふうん、俺に嘘、ついちゃうんだ。」

 「ラトさんには関係ありませんから。」

 「へえ。相変わらずそういうこと言っちゃうんだね、エステルちゃん?」


 ラトが一歩前に出た。エステルはその動きを警戒して彼の目を見つめながら後退る。


 だが当然そこは狭い部屋、すぐ後ろはベッドと小さな窓しかない。嫌な汗を感じながら、エステルはどうやってドアの外へ逃げようかと隙を窺っていた。


 だが当然エステルのそんな考えなどお見通しだったラトは、素早くエステルの両手を掴むとそのままベッドに押し倒した。


 「きゃっ!?何を!?」

 「あいつに何されたの?」

 「だから何も!」

 「抱きしめられた?」

 「…」

 「なるほど。じゃあキスは?」

 「そんなことされてません!」

 「ふむ、嘘じゃないな。じゃあ、これが初めてか。」

 「え?」


 そう言うと、ラトはゆっくりとエステルに顔を近付けていく。彼の形の良い唇が徐々に迫り、熱い吐息が顔にかかると、エステルの全ての神経がそこに集中していった。


 (駄目!!そんなことされたら私、もう…)


 「あ!?」


 だがその唇は僅かにエステルの唇を逸れ、頬に触れた。そして彼はその場で小さく囁いた。


 「エステル、頼むから俺だけを見て、俺だけを感じてよ。」

 「え…?」


 その心の底から搾り出すような切ない声が聞こえた直後、額にも軽いキスを残して彼は素早くベッドを離れた。エステルは衝撃のあまり声が出ず、そこから起き上がることもできなかった。


 「あー、悪い。ちょっとやり過ぎた。」


 そしてラトは再びエステルを動揺させるようなその一言を残して、静かに部屋を去っていった。



 しばらくしてエステルはベッドからガバッと身を起こすと、近くにあった上着を雑に羽織ってドスドスと物凄い足音を立てながらデッキへと上がっていった。


 「何あれ!何あれ!何あれ!!二人とも、二人ともよ!!あの二人は私のことを一体何だと思っているの!?先生は強引だしラトさんに至っては…あれは…ああっ、もう!!」


 バン!と足音よりさらに大きな音を立ててデッキに繋がるドアを開けると、少し強めの風がエステルの髪とまつ毛をふわりと揺らす。


 「姉上?どうしたんですか?」


 (ああ、癒しの弟がいる!)


 「ヒュー、良かった!あなただったのね。」


 エステルはそう言いながらゆっくりとヒューイットに近付くと、彼は目の前にいた数名の船員達に何かしらの指示を出してからエステルと向き合った。


 「さあ、仕事は終了です。もう夕方になるしここは寒いから、僕の部屋へ行きましょう。」

 「部屋!?」

 「え?」

 「ああ、ううん。そうね、そうしましょう!」


 先ほどの事件のせいでつい警戒してしまったが、ヒューイットは弟だ。心配などする必要はない。


 (あの二人、今日はもう口をきかないから!!)


 憤慨する気持ちを笑顔の下に押し隠して、エステルはヒューイットの腕を取り、彼の部屋へと向かった。



 だが、やはりそこでも事件は起きた。


「姉上、実は大事な話があるんです。」


 ヒューイットは部屋に入るなり唐突に話し始めた。重々しい雰囲気を醸し出す彼を見て、エステルは実家で何かあったのかと訝るが、そうではなかった。


 そして彼はエステルの手を握って言った。


 「ずっと話さなければと思っていたのですが、ええと、僕と姉上はその、本当の姉弟ではないのです。」


 エステルは話が終わった後もじっとヒューイットの手を見つめていたが、少ししてから顔を上げ、笑顔でこう答えた。


 「そうね、私達、血は繋がっていないわね。」

 「え?」


 ヒューイットはまさか姉がその事実を知っているとは思っていなかったのだろう。顔は青ざめ、言葉を失っていた。


 エステルは彼の手をポンと優しく叩く。


 「でもねヒュー、私はあなたのことを家族だと、たった一人の大切な家族だと思って生きてきたわ。だから血の繋がりなんてなくても構わないの。私はいつまでもあなたのことを」

 「やめてください!!」


 だがその思いを込めた家族への言葉は、ヒューイットの悲痛な叫びによって遮られた。先ほどとは一転して顔を上気させそう叫んだ彼は、ギュッと瞑っていた目をゆっくりと開き、微かな声で何かを告げた。


 「嫌だ、もう嫌なんだ。僕は、僕はずっと…」

 「ヒュー?何?何て言ったの?」


 よく聞こえない声に必死に耳を傾けていたエステルだったが、彼の顔を覗き込むとその頬に流れる涙に気づく。驚いて思わずその頬に手を伸ばすと、ヒューイットはその小さな手に自分の手を重ねて言った。


 「僕はずっと、姉上のことが好きだった。姉上、いや、エステリーナ、僕はあなたを、女性として愛しています。」

 「嘘」

 「嘘なんかじゃ…」

 「嘘って言って!」

 「エステリーナ!?」

 「そんな風に呼ぶのはやめて!!そんな、だったら私にはもう誰一人家族はいないということ?やめて!お願いヒュー、私からたった一人の家族を、弟を奪わないで!!」

 「姉上…」


 エステルは泣きそうになりながら必死にそう訴えた。彼の気持ちが自分に向いていることを全く知らなかった訳ではない。だがきっと彼ならずっと優しい弟でいてくれると、心のどこかで信じていたのだ。


 それなのに…


 「姉上の気持ちはよくわかりました。変なことを言ってごめんなさい。でも今すぐにという話じゃないと思って聞いて欲しい。僕はいつかあの家の当主になったら、姉上を僕の妻に迎えたいとずっとずっと思って生きてきたんです。」


 エステルは思いもかけない言葉に動揺し、ヒューイットから離れた。緊張なのか不安なのか、自分でもよくわからない感情がエステルの体の中で暴れている。そしてヒューイットは続けた。


 「そうしたらもう一度家族になれる。いや、今もそしてこれからもずっと、別の形で家族でいられる。姉上、すぐじゃなくてもいい。僕のことを一人の男性としても、考えてみてはくれませんか?」


 真剣な表情を見せるヒューイットは、もうエステルの知っている優しくて垂れ目が愛らしい『弟』ではなかった。さらにもう一歩、後ろへと退がる。


 「もういい。もういいわ!私しばらく誰とも話したくない!ヒュー、あなたもよ!目的地に到着するまで一切私に話し掛けないで!!」

 「えっ、姉上!?」


 エステルはそれだけ言い捨てると、再び大きな足音を立てながら部屋へと駆け戻った。


 (今日は一体何て日なの!?最低!三人とも最低だわ!!絶対、少なくともドゥビルに到着するまでは、絶対に口をきかないから!!)


 エステルのその決意は固く、結局件の男性三人は、この後二日ほど、エステルに徹底的に無視され続けることになるのだった。


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