27. 再会と進路変更
「姉上、お久しぶりです!」
そう言ってヒューイットは突然ギュッとエステルを抱きしめた。一見すると姉弟の感動的な再会、のように見えるかもしれないが、エステルは予想外のヒューイットの行動にすっかり戸惑っていた。
「え?ちょっとヒュー!?どうしたの急に?」
彼はいつだって紳士的で優しくて、姉といえども適切な距離を保つタイプであり、こんな風に抱擁による挨拶など、普段は一切しないのだ。
(あら?でも小さい頃に一度、こんなことがあったような…あれは確か…)
ふと何かを思い出しそうになって俯いていると、ヒューイットから無理やり引き剥がされたエステルは、抵抗する間もなくラトの腕の中に囚われていた。
「ラトさん!?」
「申し訳ないがこれでも私は彼女の護衛なので、身元が不明な方に護衛対象を近付けさせるわけにはいきません。」
珍しく丁寧な口調ではあったが、ラトは身体中からヒューイットを警戒する雰囲気を漂わせている。そしてなぜかそこにアランタリアまでもが現れ、エステルを守ろうとするように目の前に立って言った。
「全くその通りですね。突然公衆の面前で女性を抱きしめるとは何事ですか?お身内の方のようですが…しかし」
「あっ、ああ!自己紹介がまだでしたね、失礼をいたしました!」
そこでヒューイットはなぜかアランタリアの発言を遮るように、大きな声でそう言った。
(ヒューったら今日はどうしたのかしら?いつもなら人の話を遮ったりなんて絶対しないのに)
明らかに挙動不審な弟に不安を感じるエステルだったが、ヒューイットはその後、丁寧な自己紹介と再会の嬉しさでついはしゃいでしまった旨を説明し、二人の男性の警戒心を若干解くことができたようだ。
その数分後。
トンネル手前にある待合所の中で、エステルはメルナとヒューイットと三人で、幼い頃の思い出話に花を咲かせていた。
そこはトンネルを通る人達のための待合室なのだが、見た目はまるでカフェのような空間となっていた。ベージュ色の壁にはいくつもの小さな絵画が飾られ、部屋の角には観葉植物や独特な形をした大きな花々がシンプルな花瓶に生けられている。
エステル達は実際に数種類のお茶が飲めるその場所で、通行できる時間になるまで待機することになっていた。
「まさかこのような場所でメルナさんと再会できるとは思ってもみませんでした。そういえば小さい頃はよく姉とうちの庭で遊んでいらっしゃいましたね。懐かしいです。」
「そうよねえ。ああそうだわ、あなたは来なかったけれど、エステリーナは我が家にも時々泊まりに来ていたのよ?よくエステリーナから、『泊まりは寂しいと弟が泣いて離してくれなくて』なんて聞かされていたんだから!」
そんな風に話が盛り上がっていけばいくほど、自然に互いの忘れていた記憶も引き出されていく。そしてそれは、エステルも例外ではなかった。
「そうそう!泊まりと言えば私、一度どこか別荘のような所に行かなかったかしら?その時はヒューと、他にも誰かいたような気がするのだけれど…」
首を傾げて今頭にふと浮かんだ思い出を口にしてみたのだが、なぜか二人の反応が思わしくない。
「あ、ああ、ええと、そうだったかな?」
「あったような気もするわね!ちょっとすぐには思い出せないのだけれど…」
「?」
エステルはその雰囲気に何か引っ掛かるものを感じたが、すぐに彼らが話題を変えて、エステルの子供時代のやんちゃだった姿を揶揄い始めたので、その話は自然と有耶無耶になってしまった。
― ― ―
エステル達三人が思い出話で盛り上がっていた頃、残りの男二人は少し遠い席からその様子を窺っていた。
目の前に置かれた二つのお茶は、もうすっかり冷め切っている。
「…どう見てもあれは弟じゃないだろ。」
「そうですね。まあ残念ながらその追求は阻まれてしまいましたが。」
そう、珍しく二人は今意気投合している。新たな敵を前に、無意識かつ一時的な休戦状態となっているのだ。
「顔も髪の色もあまりに違う。それに何より」
「エステルを見る目!あれは『男』の目です!」
二人は顔を見合わせた。ラトが顔を顰める。
「ところで先生、いつから彼女のことを『エステル』と?」
アランタリアは飄々とそれに答えた。
「いつだっていいでしょう?彼女には了承をいただいています。」
「…」
「…」
どうやら二人はまだ、完全に仲間にはなりきれないようだ。結局その後彼らに良くない知らせが届くまで、二人は無言で冷たいお茶を啜って過ごすことになった。
― ― ―
さらに数分後。メルナがトンネル管理局の事務員らしき女性に呼ばれて席を外すと、ヒューイットがテーブルに前のめりになり、エステルと向き合った。
「姉上、気になっていたのですが、あの男の人達は誰なんです?」
「え?ああ、あの髪が短い方は私の護衛のラトさんで、もう一人の方は今乗っている馬車を貸してくださったナイト先生というお医者様よ。」
「へえ、そうなのですね。ではまさかあの方々と帝都まで一緒に?」
ヒューイットの声に冷ややかな怒りの感情が混じる。ハッとしたエステルは、宥めるように彼の手に自分の手を重ねた。
「ヒュー、お二人ともいい方なの。まあ確かに色々あったけれど…でも今は大切な仲間だし、帝都までは仲良くしていたいのよ。だから、ね?」
皆までは言わなかったが、暗に「喧嘩を売ったり排除するような行動をしないでね」と釘を刺した形だ。昔から彼は姉のこととなるとつい熱くなりがちなのだ。
数年前、メイドの一人がエステルの食事に何かよくないものを混入したことがあった。何かはわからないが、それを食べた後エステルは吐き気を催し、二日間ほぼ何も食べられなかった。
するとヒューイットはすぐにその犯人を見つけだし、徹底的に糾弾し完膚なきまでに精神的に追い詰めた挙句、父の了承までもぎ取ってあっという間に彼女に暇を出したのだ。
(あのメイドって確か、ヒューの担当じゃなく私の食事係になったことが不満だった、って言ってたわね…)
ヒューイットは一度エステルの敵だとみなした相手には全く容赦がない。エステルは再びその時のようなことが起こらないよう、必死で説得を続ける。
「あの家にいる時、あなた以外に私を大事に思ってくれる人はいなかった。でも今は違うの。三人とも本当に私を大切な友人として大事にしてくれるし、今はとても幸せなの。だからヒュー、どうか心配しないで。」
「姉上…わかりました。でも、その代わり僕も帝都まで一緒に行きます!」
「え、ええっ!?」
ヒューの突然の同行宣言にエステルが狼狽えていると、そこに渋い顔をしたメルナが足早に戻ってくるのが見えた。
「エステリーナ、大変!トンネルの先で土砂崩れがあったらしくて、しばらくここが通行止めになってしまったって!!」
「通行止め!?」
ヒューの発言に加えてトンネルを使えなくなってしまったという悪い知らせに、エステルはすっかり頭を抱えてしまった。
「どうしたエステル?」
そこにラトとアランタリアも駆けつけ、メルナが事情を説明する。するとラトは暫し俯いて考えこんでから、ゆっくりとその顔を上げた。
「通行止めがいつ解除されるかわからないんだろう?それなら二択だ。ここでのんびり解除されるのを待つか、それとも別ルートで帝都に向かうか。」
エステルは「待つなんて駄目よ!」と叫びたい気持ちをグッと堪えた。ここでそんなことを言ったが最後、間違いなく勘の鋭いラトやヒューイットの「なぜそんなに急かすんだ?」という追求が始まるだろう。そして確実に東の大陸行きを阻止されてしまう!
(どうしよう?遠回りでもいいから早く帝都に行きたいなんて、とても言えない…)
再び頭を抱えたエステルがうだうだと悩んでいる間に、ヒューイットが人差し指をすっと上に挙げ、とある提案を始めた。
「それなら、運河を使いましょう!」
「どういうこと!?」
「運河?」
皆の注目がヒューイットに集まる。それは思ってもみない提案だった。
「でも運河は貿易や商用のためにしか使えないとお聞きしましたが。」
そこでアランタリアが全員の心に浮かんだ疑問を投げかける。ヒューイットは爽やかな笑顔でその疑問にこう答えを返した。
「ええ。ですから僕がここに来るまでに乗ってきた商用船で行きましょう。まあ、残念ながら帝都の中までは行けませんが、山を超えてすぐの帝国の町『ドゥビル』までなら通行許可を持っていますし、実際そこで仕入れたい商品がありますので。」
「そうなの?凄いわ、ヒュー!」
エステルは山越えを回避できたことに大喜びだったが、他の三人はなぜかあまり乗り気ではないようだ。
「あー、あそこか。あの町からだとなあ…」
「でも今回は仕方ないわよ。」
「ですが、あの辺りは…」
どうもヒューイットの提案はあまり歓迎されていないようで、三人はヒソヒソと相談しあっている。しかし一日も早く帝都に辿り着きたいエステルは、勢いで押し切ることに決めた。
「行きましょう!ここでいつ解除されるかわからない通行止めをただ待っているというのは性に合わないし、何かあっても私には凄腕の護衛がいるもの、ね!ラトさん?」
ラトは眉を上げると腕を組み、ヒューイットに向けていた視線をエステルに移して言った。
「ほう…なるほど。俺を持ち上げるなんて普段しないようなことをするくらい、早く帝都に行きたいのか。まあ聞きたいことは色々あるが、そういうことなら弟さんの提案に乗っかってみますか?」
ラトにあっさりと意図を見抜かれてしまい青ざめたエステルだったが、言ってしまったことはもう取り消せない。
「…お、お願いします。」
明らかに含みを持たせたラトの態度と言葉は気がかりだったが、今は時間短縮が何よりの優先事項。
焦る気持ちを笑顔で封印し、他の二人が渋々頷くのを確認すると、エステルはもう通ることのできないトンネルに目を向けて小さくため息をついた。