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22. この世界の闇

 「この世界にはね、神話の時代からずっと、水面下で暗躍する恐ろしい存在達がいるの。」


 そう言ってメルナが話し始めたのは、この大陸で信仰されている『三柱神教』と異界に堕ちてしまったノクトル神との因縁に関する話だった。


 「私達が祈りを捧げるのは純粋な信仰によるものだけでなく、ノクトルの呪いによる苦しみを少しでも和らげてもらうためのものでしょう?でもそれ以外にも大事な目的があるのよ。」

 「大事な目的?」

 「ええ。それはね、『三柱神への祈りを通して、ノクトルが異界の扉を開き、この世界に再臨するのを防ぐこと』。」


 エステルは想像の範疇を遥かに超えたその話に、息を呑んだ。


 「私達や神官達の祈りがそれを支えている。そしてもっと現実的な問題もあるわ。」


 メルナはそこで言葉を止め、エステルをじっと見つめた。


 「その逆で、『ノクトルを再びこの世界に呼び戻す』という目的を持って活動している者達が実際にいる、ということよ。」

 「えっ、まさか!?」


 つい声を大きくしてしまったエステルは、ハッとして俯いた。


 「ごめんなさい、朝から大声を…」


 そんなエステルにメルナは優しく微笑みかける。


 「いいのよ。こんな話を聞いたら誰だって最初は驚くわ。でもね、もう少し話しておかなければならないことがあるの。」


 少しの間をおいて、メルナは小さく息を吸い込むと、再び口を開いた。


 「…この世界には異界の影響を大きく受けた存在がいくつか存在するわ。それがあの『バロフ』だったり、異界の虫と呼ばれている『レンチュラ』という存在だったり、それから魔獣だったりね。そうしたもの達がこの世界に時々漏れ出てくるの。」

 「虫…それ、私以前見たわ!黒い虫のことよね?」


 メルナは黙って頷いた。


 「そうよ。そして何より恐ろしいのは、さっきも話したように『人間』の中にもノクトルの熱狂的な信奉者がいる、ということなの。彼らについて詳しく話すことはできないのだけれど、でも一つ言えるのは、あなたには異界の存在達を引きつける何かがあるということね。」

 「えっ!?」


 それは思いもよらない衝撃的な話だった。


 「昨日見たバロフ、あれは明らかにあなたを狙っていたわ。あの存在は憎しみに取り込まれた人間の生気と憎悪を吸い取るだけで、物理的に人を襲ったりはしない。それなのにあの時、あなたにはなぜか執拗に攻撃を続けていた。」


 そう言われてエステルは再び、あのアンセラの町で起きた虫の事件を思い出した。あの時は単に子供達の憎悪を吸って増殖したのではと思っていたが、エステル本人に反応した可能性もある。


 そう考えるとこれまで遭遇してきた出来事のいくつかは、単なる偶然に寄るものではなく、必然だったのかも知れない。


 「エステリーナ?」

 「…あ、うん。ちょっとびっくりして。」

 「無理もないわ。こんな話、すぐに受け入れられるわけはないものね。」


 全てを話し終えたメルナは、エステルがこの話をどう受け止めたのかを探っているように思えた。


 (頭がうまく働かない。こんなに恐ろしい世界が、思っていた以上に身近にあったのね…)



 そして数分後、頭を少しだけ整理できたエステルがようやく口を開いた。


 「つまりあの黒い生き物は、私だけに危害を加えようとしていた、ということよね。」


 エステルが発した言葉に、意を唱えるものは誰もいなかった。それだけでもすでに恐ろしいことだが、さらに震え上がるような事実がエステルを待ち受けていた。


 「そう。それとねエステリーナ、アランから聞いてしまったのだけれど、あなたには『特殊能力』が無いのよね?」


 エステルは顔を顰めてゆっくりと頷く。するとメルナは先ほどよりもさらに深刻そうにこう告げた。


 「もしあなたが本当に能力を持っていないなら、帝都の神殿にあなたを連れていくわけにはいかないわ。能力が無いことが『本鑑定』で確定したら、きっとあなた、奴らに殺される。」


 殺される、という言葉に驚愕したエステルが弾かれたように顔を上げると、この日初めてラトと目が合った。だが再びその視線は逸らされ、エステルの胸はキリキリと痛む。


 「でも、どうして…」


 消え入りそうな声でそう尋ねると、メルナは言いにくそうに唇を噛んでからこう答えた。


 「私にもまだはっきりとした理由はわかっていないの。ただ、彼らがあなたのように能力の全く無い人間を、血眼になって探していることだけは確かよ。」


 アランタリアはしばらく心配そうに二人の様子を見守っていたが、エステルの方に顔を向けると明るい声で言った。


 「エステリーナさん、大丈夫です。まだあなたの存在はそれほど教団内で注目されてはいないでしょう。貴族の子女が親よりも能力が低かった、もしくはかなり弱かったということはよくあること。気付かれていない今であれば、ご実家に戻ることもでき」

 「それはできません!」


 エステルの被せるような鋭い返答に、アランタリアは首を僅かに傾げて問いかけた。


 「なぜ…」


 それについては話せば長いので、と言って話を濁したが、朝食の時間が差し迫っていたこともあり、アランタリアはそれ以上追求してはこなかった。



 そしてこの話し合いの最後の最後に、ようやくラトがその重い口を開いた。


 「エステル、俺からは一点だけ。どうして音が収まった時、俺を呼ばなかった?」

 「え?」


 予想もしていなかった質問に戸惑い、じっと彼を見つめる。音が止まったことはあの場にいたエステルしか知らないことだ。ということはあの時ラトは、最初からずっと自分を見守ってくれていた、ということなのだろう。


 そして彼を呼ばなかったのは、きっと自分で何とかできると…


 「一人でどうにかできると思ったのか?能力もないくせにどうしてそう思える?実際メルナさんが現れなければ君はどうなってた?」


 エステルはラトがぶつけてくる本気の説教に、その厳しさに青ざめ、言葉を失った。


 「庇護対象者に護衛を付けるのはどうしてなのか、これでよくわかっただろ?俺だって君に信頼してもらえなければ助けられない。君の護衛を辞めるつもりはさらさら無いが、だとしても今のままでは守りきれないんだ。護衛が対象者を守れないってのは一番苦しく辛いことなんだ。わかるか?」


 今ならわかる。いや、今もまだ本当の意味ではわかっていないのだろうか。


 エステルは心の奥底から込み上げてくる何かを全力で押し戻し、ただゆっくりと頷いた。


 ラトの表情が若干柔らかくなったような気がしたがそれは一瞬で、すぐに苦しげなものへと変わっていった。


 「エステル、頼むからもっと俺を頼ってくれ。俺に、拘束を掛けるんじゃなく。」


 ラトは最後にそう言い放つと、エステルの返事を待たずにその部屋を出て行った。



 ― ― ―



 「ねえ、ちょっと待って!」


 アランタリアの部屋を離れたラトは、後を追ってきたメルナに背後から呼び止められた。渋々立ち止まり、顔だけ振り返ってその呼びかけに応える。


 「何ですか?」


 貴族令嬢だということなので一応最低限の敬意は払う。だがメルナはそんなことを気にするそぶりもなく、前置きもすっ飛ばしてとんでもない質問をぶつけてきた。


 「もしかしてあなた、四十年ほど前に魔獣戦争を終結させたと言われている、あの英雄ニコラ?」


 ラトは無意識に額に指を当てようとしていた自分を残り少ない精神力で抑え込み、メルナを凝視した。


 魔獣戦争…それは四十年以上前、帝国を中心に魔獣達が大量発生し、帝国全体、そして周辺国にまでも大きな被害をもたらした悲劇を指す言葉だ。


 その人間対魔獣の戦いは五年以上も続き、終盤はほぼ人間対魔人の戦いへと移行していったのだが、最終的には辛くも勝利した人間側が、再び以前の平和な世界をなんとか取り戻している。


 「…何を根拠に?」

 「その言葉は半分肯定しているようなものよ?まあでも根拠を聞かせろっていうなら、エステリーナが危険だった時に滲み出ていた殺気が尋常じゃなかったし、明らかに高等能力者だってわかる動きだった。そもそも『空中浮遊』なんて奇跡みたいな能力、私が知る限り『英雄ニコラ』しか持っていないはずよ。それとさっきのあれ、怒った本当の理由、違うわよね?」


 メルナの最後の言葉の意味が掴めず、ラトは訝しげに目を細めた。ご令嬢への配慮など、この時にはもうすっかり頭になかった。


 「どういう意味だ?」


 メルナはラトの薄手のセーターの袖を引っ張って廊下の隅に連れて行き、小声で話し始めた。


 「確かに昨夜のエステリーナの行動は無謀だったと思う。でもあなたはあの状況を全て見ていたようだし、助けようと思えばもっと早く助けられた。それなのにそうしなかったのは、あの子があなたを頼ろうとしないことをわかっていて、後でその危険性について話そうと思っていたからよね?つまりあんなに怒るほどのことではなかったということ。だとしたら…」


 そこで言葉を切ると、彼女はもう一段階声を低く小さくして、決定的な言葉をラトに告げた。


 「あなたが怒ったのは『自分に頼らなかったこと』じゃなくて、『拘束されたこと』に対してなんじゃないかしら?信頼していたのに、裏切られたように感じたのではなくて?」


 ラトは小さく息を呑む。


 図星だった。


 あの拘束を掛けられた瞬間、エステルが自分を信頼していないのだと、いやむしろこちらからの信頼を彼女が裏切ろうとしているのだと、そう思ってしまったのだ。


 ただそのことを大して知りもしない人間に正直に話す気にはなれず、ラトは沈黙を守ったまま目を閉じた。


 しかしメルナは最後まで容赦がなかった。


 「気持ちはわかるわ。でもどうか彼女のことを理解してあげてほしいの。あの子はずっとずっと、あの最低な家族に虐げられて生きてきたのよ。成人したらあの家を追い出されることもだいぶ前から決まっていたの。そんな彼女だからこそ、目の前で苦しんでいる人を見たら見捨てることはできない。それが他の人からは誤解されるような方法であっても、彼女の中にある基準で、いつだって誰かを助けたいと願って行動する。そういう人なのよ?昨日だってそう。」


 それは先ほどエステルが言い渋っていた家族の話なのだろう。そしてメルナの話はこれまでの旅で見てきた彼女の姿と一致する。だがその話を聞いて納得できる自分と、それでも許せないと感じる自分がいて、心はどんどんささくれ立っていく。


 「それで、結局何が言いたい?」


 苛立ちが募り、辛辣な態度でそう返すと、メルナは片方の眉を器用にあげてこう告げた。


 「だから!あの子は『リリアーヌ』じゃないの!あなたを裏切ったわけじゃないのよ?」

 「!!」


 その名を聞いた瞬間、爆発しそうなほどの怒りが全身を駆け抜け、ラトは拳を強く壁に叩きつけた。ドン!という強烈な打撃音に、メルナは顔を顰める。だがいつもは抑えられるはずの殺気を、今は全く隠せそうになかった。


 「はあ、やはりね。ほらその殺気、当たりでしょ?エステリーナはあの黒いものに女性が包まれているのを見て、反射的にあなたの攻撃を止めようと思っただけよ。どう見たってあなたを裏切ろうと思っての行動ではないわ。あなただってもうわかっているんでしょ?だったら早く仲直りしなさいな、ってこと!」

 「…余計なお世話だ。」


 ラトが不機嫌さを隠そうともせずに顔を背けると、メルナは今壁に空いた穴をじっと見つめてから言った。


 「エステリーナはずっと無意識に、心から甘えられる人を探してきたと思うの。私は彼女にそういう人を一日も早く見つけてあげたい。それが別にあなたじゃなくても、ね?」

 「…!」


(それはつまり自分以外の男でもいいから、エステルが甘えられる人を探してやるつもりってことか?)


 「さあどうする?あなたが仲直りをするなら、私が二人のことを応援してあげてもい…」

 「仲直りします。」

 「ブフッ!?」


 ラトの変わり身の速さに思わず噴き出してしまったメルナは、「じゃあ早めに頼むわね!」と言ってさっさとその場を離れていった。


 (はぁ…あの女、全く油断ならないな)


 ラトは周囲に誰もいないことを確認すると、能力を使って壁の穴を修復し、ため息を何度も吐きながら自分の部屋へと戻っていった。


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