表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/111

20. 親友との再会

 《聖道暦1112年3月20日》



 衝撃の夜から一夜明け、エステルは眠い目を擦って部屋で朝食を済ませると、身支度を整えながら気持ちを立て直した。


 昨夜のラトは今までで一番おかしかった。あれは一体何だったのか?彼はエステルの護衛をそんなに辞めたくないのだろうか、それとも…


 「だめだめだめ!エステリーナだめよ、勘違いが最も恥ずかしいことだわ。もうあんな恥ずかしい思いは二度としたくないもの!」


 エステルは鏡台の前に腰掛け、自分の化粧っ気のない顔をじっと見つめる。


 鏡の中に映る自分は幼い頃からずっと変わらず地味なままだ。


 そして自分が周りからどう見られているのかを嫌というほど突きつけられたのが、たった一度だけ参加したあの貴族交流会だった。


 その悪夢の一日のことをふと思い出したエステルは、鏡が吹き飛んでいきそうなほど大きなため息を吐いて、目を閉じた。



 ― ― ―



 《聖道暦1109年6月10日》



 あれはまだ十七歳になったばかりの初夏のことだった。


 初めての貴族交流会に参加することになったのは、母親ポーリーンが「世間体が悪いから一度くらいは娘を公の場で披露しておきたい」と言い出したからだ。


 十歳から二年ほどは奴隷のような生活を強いられ、ヒューイットの影響力が大きくなってからは次第に平民程度の暮らしができるようになっていった。


 生活としては諦めもあってそこまで不満はなかったが、やはり貴族令嬢が何一つ貴族らしい会に参加できないという状況には、エステル自身も確かに多少の引け目はあった。


 簡易鑑定前までたくさんいた友人達とも、判定後は交流が途絶えていた。学校には通わせてもらえず、家庭教師などもってのほかという生活。それがある日突然「交流会に出なさい」の一言だけで参加が決まってしまった。


 もちろん何も物を知らなかった十歳の頃の自分ではない。密かに学び続けた知識もあるし、貴族らしい振る舞い方についても自分なりに必死に学んできた。


 それでも、同年代の友人達と並び立てばきっとボロが出てしまうに違いない。美しさも教養も、何もかもレベルが違うはずだ。


 だが、エステルに拒否権はなかった。


 しかも参加しろと簡単に言うが、あの親ならば手袋一つ買ってはくれないことだろう。使用人達ですら自分のことを下に見ていて、当然身支度を手伝ってくれることもない。


 エステルは仕方なくいつものように知り合いに頼み、古くて使っていないドレスがあればお借りしようと、早速手紙を書くことに決めた。



 するとその晩、優しいノックの音と共に、弟のヒューイットがエステルの部屋を訪れた。


 「姉上、交流会に出るというのは本当ですか?はあ、お継母様も相変わらず勝手な方だな。今まで全くそういう場に連れ出してこなかったくせに!」

 「ふふふ、いいのよ。一度だけ出れば、あとはきっと文句も言わないわ。」


 エステルより二つ年下のヒューイットは、幼い頃よく面倒を見てあげたこともあってエステルにいつも優しかった。エステルと兄達は母親譲りの黒い髪だが、この弟だけは美しい焦茶色の髪を持っている。彼だけ母親が違うのだ。


 まだ少し怒っている様子のヒューイットにエステルが困った顔で微笑むと、彼は途端に相好を崩し、垂れ目の優しい目をエステルに向けた。


 「ドレスは僕が準備するから心配しないでください。姉上は美人だから、きっと僕が選ぶドレスを着たら、みんながその美しさにびっくりしてしまいますよ?」


 エステルは、姉贔屓の可愛い弟の手をそっと握りしめて、言った。


 「まさか!でもありがとう。こんな地味な顔の私を美人だなんて言ってくれる弟がいて、私は幸せ者ね。そうだ、化粧品も揃えないと!ちょっと町に出て」

 「待ってください姉上!それも僕が準備しますから!もう、すぐ一人で何でもやろうとしてしまうんだから。」


 呆れたような口調でそんなことを言っているが、彼はいつだって姉のことを心配してくれている。本当に幸せ者だな、そう思ってエステルは再び微笑んだ。



 後日ヒューイットが準備したドレスを目にしたエステルは、思わず感嘆の声をあげた。


 白い生地に薄いブルーや緑を多く取り入れた素晴らしい刺繍、ふんだんにレースをあしらった柔らかなデザイン。どれをとっても今までで一番素敵なドレスだった。




 《聖道暦1109年6月30日》



 そして交流会当日がやってきた。


 この日、髪は丁寧に結い上げられ、化粧はヒューイットが一押しだという人気店の女性に担当してもらう。そんな彼女が「こんなに美しくなるなんて」と感動するほど、その日のエステルは別人のように美人に仕立て上げられた。


 出かける前にヒューイットが部屋にやってきて、


 「姉上、綺麗だ…」


 と言ったまましばらく放心してしまったことは、今でもいい思い出だ。



 準備は万端。送り迎えも弟にお願いできた。だが「これで少しは安心して参加できるかも」というエステルの期待は大きく外れてしまうことになる。


 そしてこの貴族交流会での出来事こそが、エステルの心の中に大きな傷を残すこととなった。



 今回の貴族交流会は、ローゼン王国の中でもひときわ人気のある大きなレストランを貸し切って行われた。ここは外に広がるシンメトリーが美しい庭園が特に有名だ。数多くのトピアリーが置かれているのも特徴の一つで、エステルはそれが見られることも密かに楽しみにしていた。


 会場には王国内の貴族の子女達が多く集まり、この会を主催した大人達数名が会の進行や全体の管理を担っている。


 本格的な社交界の催しではないため、同伴者がいなくても問題はないし、感覚的には昼間のちょっとした食事会という感じなので、会としてはそこまで大仰なものではない。



 エステルはできるだけ目立たないように壁の花に徹していたが、残念なことに数名の貴族子息達に目をつけられてしまった。


 (化粧なんてしてこなければよかったかしら?作りものの私なのに…ああ、面倒だわ)


 お美しい、庭でお話でも、よければお名前を…


 何人もの誘いを無難に断り笑顔で乗り切っていたエステルだったが、その状況が、最も面倒な男に目をつけられるきっかけとなってしまった。



 エステルにその日最後に声をかけてきたのは、女たらしとして有名なレイナード侯爵の子息、ヘンリーという男だった。彼はエステルがどんな男性の誘いにも靡かない様子を見て興味を持ったらしい。


 「レディ、私はヘンリー・レイナードと申します。もしよろしければ外でお話でもいかがですか?」


 最初は貴族子息らしい振る舞いを見せていたヘンリー。だがエステルが先ほどまでと同じように丁重に断りの言葉を伝えると、その態度は一変した。


 なんとヘンリーは引き下がらなかったばかりでなく、エステルの腕を掴み強引に会場の外へと引っ張り出したのだ。



 庭に出るとそこに人気はなく、大きなトピアリーの陰に設置されているベンチに無理やり座らされた。彼は執拗に腕や肩、顔に触れようとしてきたが、エステルは出来るだけ失礼のないように優しくそれを拒否し続けた。


 しかしそれが彼の被虐心をさらに煽ってしまったらしく、とうとう能力を使ってエステルに脅しを掛け始めたのだ。さすがに頭にきたエステルは、隙を見て彼の腕を捻り上げ、「ふざけないで!」と啖呵を切ってしまった。


 だがその様子を隠れて見ていた彼の取り巻き達がいた。


 彼らはそれぞれが持つ能力を使ってエステルを押さえつけ、身動きが取れない状態にしてからヘンリーの前に無理やり座らせたのだ。


 ところがここで取り巻きの一人が、エステルがクレイデン家の娘ではないか、と言い始めた。


 おそらくエステルに何かしらの悪戯をしようとしていたのだろうが、その話を聞いて怒り狂ったヘンリーは唐突にエステルのドレスを破り、散々な暴言を浴びせた上、綺麗に結い上げられた髪も手直しができないほどに崩してしまった。挙句の果てにはその状態で会場を追い出され、その時点でエステルの心はもうズタズタになっていた。


 「化粧で誤魔化すしかない不細工な女め!」

 「ちょっと声を掛けたからって勘違いするなよ、初めて見た女だったから優しくしただけだ!」

 「お前のような能力無しが、俺達のような優秀な人間に愛されるわけがないだろ?」


 今もその声は耳に残っている。こびりついて取れない汚れのように気になっていても剥がすことはできず、いつまでも心を小さく傷付け続けている。



 それでもエステルは決して泣かなかった。この程度のことはあの家では日常茶飯事だったし、ただそれが家の外でも変わらなかったというだけのこと。そう割り切ってしまえば、どうということはなかった。


 (地味で不器量で、愛される資格のない私だからといって、人としての尊厳までは失わないわ。だから私は泣かない。泣く必要なんかないもの)


 その後恥ずかしくない程度にドレスを直し、髪を解いて手櫛で整えると、ヒューイットとの待ち合わせ時間まで物陰に隠れてそこでやり過ごすことに決めた。



 だがしばらく経った頃、「あ、いた!」という声と共に誰かがエステルに声を掛けてきた。


 それは明るいピンクのドレスを纏ったブロンドの髪が美しい女性だった。エステルが目を丸くして彼女を見つめていると、その女性はにっこりと微笑んで言った。


 「エステリーナよね?ほら、私よ私、小さい頃よく遊んでいたじゃない!メルナよ、メルナ・オルキンス!」


 その名を耳にした瞬間、エステルの脳裏に彼女と屈託なく笑い合いながら遊んだ記憶が次々と浮かび、懐かしさのあまり飛び上がって喜んだ。


 オルキンス子爵の娘である彼女は、幼い頃から自由奔放に生きている愛らしい女性だった。童顔に豊かなブロンドの髪。彼女の姿は誰が見ても魅力的で、今回の会でも最も皆の注目を浴びている一人だった。


 「メルナ!久しぶりね!元気にしていらした?」


 エステルは彼女の部屋でよく人形遊びをしたり剣術ごっこをしていたことも思い出し、懐かしさで胸がいっぱいになっていく。


 (懐かしい、大切な友人…会えて本当に嬉しいわ!)


 メルナもまた同じ気持ちだったようで、お互いに両手を握り合って再会の喜びを分かち合った。


 だがそこでメルナの表情が変わる。


 「ねえ、それよりその格好、一体何があったの?さっきまでとても綺麗で、いつ声を掛けようかとワクワクしていたのよ?それがこんな…」


 苦しげな表情を浮かべるメルナに気を遣わせまいと、エステルは正直に、だが曖昧に状況を説明する。


 とある男性に誘いをかけられたが、断ってもしつこかったので少し揉めてしまったと。


 しかしメルナはその短い説明だけでも何かを察したらしく、「また彼らね」と言って憤慨し始めた。そしてこれからはいつでもエステルの味方になること、今後の交流会では一緒にいましょうとの励ましの言葉をくれたのだ。


 だが結局、エステルはあの後一度たりとも交流会に出ることはなかった。そしてメルナとの繋がりも、そこですっぱりと切れてしまったのだった。



 ― ― ―



 あの日のことは嫌な思い出になってしまったが、今考えるとメルナと再会できたのも、あの会に参加したからこそだった。


 (どんなに嫌な出来事も、振り返れば意味があることだったということなのかしらね…)


 こうしてエステルは得意の『気持ちの切り替え』を発動し、無理やり笑顔を取り戻した。


 過去のことは過去のこと。今のエステルはここで笑顔で生きている。


 今…そしてゆっくりと目を開く。


 鏡の中には笑顔の自分が映っている。エステルは今のエステルを楽しむために小さなバッグに財布を詰め込んで、弾むように部屋を飛び出していった。



 本来ならば出発する予定だったこの日、アランタリアから「どうしても手に入れたいものが見つかってしまいまして」と懇願され、結局同じ宿にもう一泊することになっていた。


 時間を持て余してしまったエステルは、仕方なく前日行けなかった細い通りにある小さな店を見て回ることにする。ラトは部屋で休んでいるようで、エステルが宿を出ても追ってくることはなかった。



 そしてふと見つけた路地の奥にある宝飾品店の入り口で、エステルは懐かしいその人との再会を果たした。


 「まあ、あなたもしかしてエステリーナ!?」

 

 だが嬉しそうに駆け寄ってきた彼女を、どこからともなく現れた誰かが遮った。


 「おっと!あんた、何者だ?」

 「え、ラトさん!?」


 どうやらラトは、こっそりエステルの後を尾けてきていたらしい。彼は目の前の女性から守ろうと、エステルの前に立った。


 「メルナ!!」


 だがエステルはそんなラトを強引に横に押しやり、メルナに駆け寄りその手を握る。メルナの方も泣きそうな表情になり、エステルの手をしっかりと握り返すと「あなたにもう一度会えて本当によかった!」と叫んでいる。


 ラトも知り合いとわかって安心したのか、しばらく二人の再会を静かに見守ってくれていた。


 「メルナ、どうしてこんな所に?あなた確か帝国に留学していたのでは?」


 エステルが聞き齧った噂を思い出してそう尋ねると、メルナはふふっと楽しそうに笑ってそれに答えた。


 「そうなの。そしてこの春に卒業して、今は少し自由にさせてもらっているのよ。この大陸でまだ行ったことの無い場所に行こうと思って旅をしていたの。でももうすぐ帰らなければならなくてね。今日はこの町で、色々と買い物をしていたのよ。」


 そこで急に声のトーンを抑えると、彼女はエステルに近付き、訝しげにラトを見て言った。


 「ねえ、それよりあの人は何者?とても普通の人には見えないのだけれど。」


 メルナは子爵の娘とは思えないほど特殊能力が強い女性だった。貴族交流会の時に少し話を聞いただけだが、彼女は特に戦闘に特化した能力に秀でているらしい。


 その時冗談で、「ヘンリーを痛い目に合わせるならこう戦うわ!」と言って戦闘方法を熱く語ってくれたのだが、今思い出してもあれはとても理に適った、効率的な戦い方だった。その話を聞いたエステルは、「ああ、彼女も戦闘経験があるんだな」と漠然と感じていたのを思い出す。


 だからきっと彼女にも感覚的にわかるのだ。このラトという男が只者ではない、ということが。


 「ええと彼はその、私の護衛なの。」


 エステルはとりあえず無難な言葉で話を濁す。だが彼女はまだあまり納得はしていないようだった。


 「まあとにかく、今は再会をお祝いしましょ?」


 エステルがメルナの腕に手を掛けてその狭い路地を抜けると、ラトが少し先の街路樹に寄り掛かってこちらを見ていた。


 その視線に何かほっとする気持ちを感じながら、エステルは昨日ラトが見つけたあのカフェへと、彼女を連れて楽しげに歩いていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ