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⒈ 許されざる結果と旅立ち

 その日、エステリーナ・ルー・クレイデン伯爵令嬢、エステルという愛称で呼ばれていたこの少女には、試練の時が訪れていた。


 エステルはこれまで両親の愛情を深く感じたこともなければ、二人の兄達と仲が良かった記憶もない。それでも何不自由ない生活ができ、三年ほど前には腹違いの優しい弟もやってきた。決して多くはないが、自慢できる素敵な友人だっている。


 しかしそんなありふれた幼少期は、この特別な日を境に、全てが一変してしまったのだ。



 《聖道暦1102年3月7日》


 十歳の誕生日を迎えたその日は、朝からずっと慌しかった。誕生日パーティーには何人かの友人達を招待していたし、可愛らしいドレスを着たり髪を整えてもらったりと準備に余念がなかった。


 「ああ、楽しみだわ!メルナも必ず来るって手紙に書いてあったし、きっと素晴らしい誕生日会になるわね!」


 メイドのケリーは「そうですねお嬢様」と優しく答えると、再びその長くまっすぐな黒髪と格闘し始める。癖のない髪なのでまとめ髪を作るのは大変なのだそうだ。


 エステルはウキウキしながら鏡越しにその様子を見つめ、午後からの誕生日会を心待ちにしていた。


 だが、その楽しみな気持ちも時間も、全てを奪い去るような出来事がその日の午前中に起きてしまう。


 それは誰もが十歳の誕生日に迎える大事な儀式、『簡易鑑定』での出来事だった。



 ― ― ―



 この世界の人々には、生まれつき『特殊能力』が備わっている。ただそれは神話時代の話によると、欲に溺れ聖獣を殺してしまった人間への『呪い』であり、『嘆きの力』とも呼ばれていたものらしい。


 確かに、特殊な能力は使いすぎると体に痛みや痺れ、息苦しさなどが現れる場合がある。また、症状が酷い場合はそれが病となり、長期に渡って療養しなければならない人も過去にはかなりいたらしい。


 だが数百年前から現代に至る間に各地に神殿が建てられるようになると、そこで神官に定期的に祈りを捧げてもらうことで、多くの人々がその苦難から解放されるようになった。


 それ以来人々は、その『嘆きの力』を『特殊能力』と呼んで好意的に受け入れ始め、力の強さや種類、持っている能力の数に応じて地位や職業が決まっていくようにさえなっていった。


 通常は一つ、あっても二つの『特殊能力』を持っていれば十分で、平民のほとんどが持っているのは《火》か《水》の能力だ。これらの能力は大昔の聖獣達が持っていた一般的な能力だったようで、この世界から聖獣が消え去ってしまった後に人間達が受け継いだ、と語り継がれている。


 だが中には五つ以上もの能力を持っている者もいて、そうした人々はその数と持っている能力の特殊性に応じて、各国で重要人物として重用されるようになっていった。


 そして現在ではどの国も能力に応じた爵位を与える形を取っており、その中でも突出した数と力を持って国を治めているのが皇帝や王という存在である。


 このように今では生きるための重要な条件となってしまった『特殊能力』だが、基本的には両親の持つ力を子供達が受け継ぐことが多い。つまり貴族の子には親譲りの多くの能力が、平民の子には一般的かつ数少ない能力が開花する、はずだった。



 ― ― ―



 「何?能力が…無いだと!?」


 それはクレイデン邸に派遣されてきたこの国の神官からの、非情な宣告だった。


 「無い、と言うことは考えられませんが、どのような能力があるのかわからない程度には力が弱いかと存じます。ただ私の能力では簡易的な鑑定しかできませんので、現時点では『判定不能』ということしかお伝えができません。この場合お嬢様は一度帝都の大神殿にお越しいただき『本鑑定』を」


 その言葉に父は顔を真っ赤にして激昂した。


 「ふざけたことをぬかすな!貴族の令嬢ともあろう者が『本鑑定』を受けるなど、恥以外の何ものでもない!!いいか、この結果は誰にも言うな。もし一言でも誰かに漏らしてみろ、このクレイデン伯爵がお前のところの神殿を燃やし尽くしてやる!!」


 燃やし尽くす、というのは決して言葉だけのものではない。エステルの父は本人の七つの能力の中に、《燃焼》という《火》よりも高い能力を保有しているのだ。


 「お、落ち着いてください伯爵!能力の有無や種類については秘匿することになっておりますゆえご安心ください!しかし、いずれ成人の儀では貴族のご令嬢の場合、能力の開示が必要となりましょう。その時には…」


 すると父ジェラルディオは凍りつくような冷たい視線をエステルに向けて言った。


 「娘、成人するまでは置いてやる。成人したら勝手に『本鑑定』でも何でも受ければ良い。その代わりこの家からは出ていくんだ。いいな?」

「…」


 エステルは真っ青になり、言葉を失っていた。若い神官は二人の様子を交互に眺めていたが、どうにもならないことを察すると、荷物を持ちドアに駆け寄った。


 「ええと、では私はこれで失礼させていただきます。」


 そうして父と二人きりで部屋に残されたエステルは、誕生日会もドレスも楽しみにしていたケーキやプレゼントも何もかも、そしてそれ以降の希望の全てを、父に取り上げられてしまうことになったのだった。



 ― ― ―



 《聖道暦1112年3月4日》


 心地の良い風を窓から取り入れながら、この日エステルは丁寧に荷造りを始めていた。


 動きやすい服を何着か、薄手と厚手の上着を一着ずつ、下着や裁縫道具、替えの靴、そして野営に必要な道具などなど、旅に必要そうなものはできる限り詰め込んでいく。


 「ふう、こんなものかしらね。あ、お化粧道具…いえ、鏡だけあればいいわ。」


 旅は長期に渡る予定だが、見栄えを意識する場面など訪れはしない。むしろ人目を忍んで静かに向かう、孤独な旅なのだ。


 「あ、そうだ!ヒューにもらったあの袋も持って行かないと!」


 そう言ってエステルがベッドの下から引っ張り出したのは麻のような素材でできたペラペラの袋で、全体に緑色の美しい刺繍が施されたものだった。口の部分には留めるための長い組紐が取り付けられており、それをぐるぐると周りに巻く形で口を閉じるようになっている。


 手に持って見ても厚みも重さも感じないが、実はこの袋の中にはいくつもの特別な道具が隠されているのだ。


 「これはお腹のところに縛って保管しておかないとね。いざという時すぐに使えるように、と。」


 エステルはシンプルなワンピースのベルトにしっかりとそれを固定すると、何度も引っ張って落ちないことを確認した。


 「さあ、これでいいわ!」


 こうして全ての荷造りと準備を終えると、エステルは一通の手紙をしたため、それをテーブルの上に置いてから、窓を閉めた。


 「色々あったけれど、こうして十年もここで生きていられたのだもの、感謝しなければね。ありがとうございました。お父様、お母様、お兄様方、そして…大好きなヒュー。」


 エステルは簡素だが清潔に保たれた自分の部屋を見回して笑顔を向けると、大きな荷物を抱え、静かにその部屋を出ていった。



 屋敷の裏口を抜け、高台となっているそこから坂道を下っていく。その少し高い位置から見慣れた街並みに目を向けると、潮の香りの中で白く羽ばたく鳥が、青空にくっきりとその輪郭を映していた。


 気持ちの良い春の陽射しを感じながらさらに下っていくと、エステルは人が多く行き交う町の中心地に入っていった。そして目的地である『護衛斡旋所』へと真っ直ぐ向かっていく。


 何度か訪れたこの場所は、すでにドアの向こう側にザワザワと多くの人が集まっている気配がしていた。


 普通の貴族令嬢ならその時点で怖気付きそうなものだが、エステルにとってはただ大きく逞しい男性達が大勢集まっている場所の一つに過ぎない。


 「こんにちは!」


 元気に挨拶をしながら傷だらけの古いドアを大きく開けると、その広い室内には重そうな武器や防具を身につけた男性達がひしめき合っていた。今日に限って特に人が多い。


 エステルは「何だこの女性は!?」という奇異な目をいくつもかいくぐり、暑苦しい男性達の隙間を縫って、予定していた奥の部屋へと素早く入っていった。


 「よう、エステル!待っていたぞ!」

 「ウェイドさん、今日は宜しくお願いします。」


 特にノックもせずにドアを開けたが、誰もそれを気にする様子はなかった。そこは広々とした事務所となっており、ウェイドと呼ばれた坊主頭の男以外にも三人ほどの男性が働いている、静かな空間だった。


 「おう。じゃあ、もう一つ奥の部屋に行こう。」


 促されてさらに奥まった部屋へと向かうと、彼は閉まっていたカーテンを開けてエステルを古びた椅子に座らせた。若干埃っぽかったが、エステルは全く気にもしなかった。


 「ねえウェイドさん、やはり護衛はどうしても必要?どうにかして一人で行ける方法はないかしら?」


 諦めの悪いエステルがこの質問を彼に投げかけるのはもう三度目だ。だがウェイドはやはり大きく首を横に振って言った。


 「何度も言うが、それは無理だ。七年前に『判定不能』が出た場合は帝都にある大神殿で『本鑑定』を受けよという通達が出ただろ?一昨年まではまあ努力義務って感じだったが、今や王国もそれを後押しするようになってな、ほぼ強制になってる。しかも『判定不能』が出た人はたいてい身を守る手段が無い、つまり『庇護対象者』に指定されてるし、対象者が護衛無しで帝都に向かうことは禁じられてる。」


 わかってはいたが逃れられないその状況に、エステルは大きくため息をついた。


 「『庇護対象者』だなんて…私あなたのところの若い護衛達よりもよっぽど強いのに!」


 ウェイドは苦笑してもう一つの椅子に座ると、その背に寄りかかった。


 「それは耳が痛い話だが、間違いないだろうな。そういえば師匠は元気かい?」

 「ええ。カイザー様はあのお年でまだ現役だもの。今も毎日熱心に後進の指導に当たっていらっしゃるわ。」


 カイザーというのはこの王国の名誉騎士であり、間違いなく剣術に関しては王国内で右に出る者はいないという人物だ。実はエステルは八年ほど前からこのカイザーの弟子となり、剣術の指導を受けてきていた。そしてまたウェイドも一時期彼の元で学んだことがあったらしい。


 「そうか。あの方のことだ、エステルのことはきっと孫のように思っているのだろうな。」

 「ふふふ!そうなのかしら。だったら嬉しいわ。」


 一瞬二人の間に和やかな空気が流れたが、すぐにウェイドは厳しい顔つきに変わった。


 「そうだエステル、護衛のことなんだがな、もう一日待ってくれないか?」

 「え?どうして?誰でもいいと言ったじゃない!」


 エステルにはどうしても出発を急ぐ理由があった。早くこの王国を出なければ、心配性の弟に早めに家を出たことが気付かれてしまう。そして帝国に行く別の目的もある。


 「いやまあそう…確かにエステルは強い。だがやはり女性なんだから、俺は友人の君にそれなりの人をつけておきたいんだよ。な?あと一日でいい!いい奴を安くつけるから!」


 ウェイドが珍しく下手に出て頼みこんでくる。エステルも彼の優しい気遣いを無碍にすることはできなかった。


 「わかりました。では近くの宿に一泊して待っているわ。でも本当にあまりお金は無いのよ。帝国まではかなり距離があるし、馬車だって調達しなくちゃいけないのだから。どうかあまり優秀な人を斡旋しないでね?」


 ウェイドは嬉しそうに顔を上げると、わかったと言ってにっこりと微笑んだ。強面のくせに可愛く笑うのねと、エステルもつられて笑ってしまった。



 その日の夜。エステルは食事をするために、町の中でも特に飲食店が多く集まる通りへと向かっていた。


 ここローゼン王国はこの広大な西の大陸の最東端にある国で、今いるのは大きな港と美しい海岸線で有名なフォーンという町だ。


 近海では様々な魚介類が獲れるため市場や国内への流通などは賑わいを見せているが、少し沖に出ると強い海流や頻繁に嵐が発生するという理由から、その先にある東の大陸に直接向かうことはできない。


 (近いのに遠い大陸。でも私はいつか必ずそこに行くわ!)


 エステルは建物の隙間から時々見える海を横目に、改めてそんな決意を固めながら歩いていった。



 少しして向かった先に、行きつけの小さな食堂が見えてくる。エステルはこの町での最後の食事はあそこしかないわと呟き、足を速めて前に進む。すると左側の、今歩いている通りよりも多少幅の広い道で、何やら揉め事が起きているのが目に入った。


 どうやら十人ほどの男性達が誰かを取り囲むようにしてわあわあと言い争っているようだ。エステルから集団の中の様子は見えないが、明らかに周囲も、これ以上大ごとになるとまずい、という雰囲気になっている。


 関わるのはよそうと思っていたが、どうやら揉め事の方がエステルを放っておいてはくれなかったらしい。


 突然先ほどの集団が大きな声を上げたかと思うと、エステルのいる通りへと突進してくるのが見えた。中心となる人物は目を血走らせながら、太い棒のようなものを振り上げて走ってくる。


 「はい?え、ちょっと!?」


 何も武器を準備していなかったエステルは無意識に受け身の姿勢を取り体を捻ると、避けられそうもない衝撃に備える。


 だがその時、何かが大きな影となり、エステルの上に覆い被さった。


 「危ないな、全く。」


 目を開けるとそこにはボサボサ髪、ダボっとした作業着のような服装の背の高い男性が立っていた。顔を見ると髭も剃っていないようで、表情はほとんど見えない。


 (声は若い気がしたけれど、そう若くもなさそうね)


 そんな余計なことを考える程度にはまだ余裕があったらしい。エステルは体勢を立て直すと今度は武器を取り出そうと例の袋に手を掛けた。


 だがその中年の男性はエステルの肩を雑に押し退けると、「邪魔、どいて」と冷たく言い放ち、再びこちらに押し寄せようとしていた男性達の中に入っていった。そしてその途端何かあり得ないほど大きな力が、瞬間的に周囲に放たれたのを感じた。


 「え?何これ!?」


 周りの人達もその変化に気付いたのか、あれほど騒がしかった集団も野次馬達も、一瞬で静まり返っていた。


 気付けば一人、また一人とそこから人が居なくなっていき、エステル以外の人間は何も起きていなかったかのように静かにそれぞれの日常生活へと戻っていった。


 そして先ほどのボサボサ頭の男は、すでにそこから居なくなっていた。


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