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15. 引き返せない分岐点

 《聖道暦1112年3月15日深夜》



 夜が更け、アランタリアの家にエステルを預けたラトは、再び外に出た。


 (エステルが逃げたことを知れば、奴らも何かしら動きを見せるはずだ。今夜しか、彼らを救出する機会はない!)


 なんとか夜のうちに誘拐されている人々を救出するため、ラトは早速行動を開始した。実は今夜のために日中いくつか根回しも終わらせてある。


 エステルもあの場所にいれば安心だろう。まさか通りすがりの旅人があの家にいるとは思われまい。それにあの家の家政婦も、隠してはいるがかなりの実力者だ。住み込みのようだし、彼女に任せておけば大丈夫…


 「でも俺はまた、『護衛の仕事を放棄して!』ってエステルに怒られるんだろうなあ…」

 「そうですね。」

 「うわっ、エ、エステルちゃん!?」


 ラトがその声に驚愕し体を捩って飛び退くと、怒った顔のエステルが腕を組んで立っているのが見えた。


 その姿は昼間見たブラウスにスカートという若い女性らしいものとは違い、黒っぽく動きやすい衣服に身を包み、髪は後ろ、少し高い位置で一本にまとめている。


 (へえ、こんな姿も可愛いな…)


 ラトがついエステルに見惚れていると、彼女は怒りの表情を見せたまま顎をくいっと上げて言った。


 「護衛の仕事を放棄したのには何か理由があるんでしょう?ほら、どこに行くのか知らないけれど、早く行きましょ!」


 組んでいた腕を解いて早速動き出したエステルを、ラトは慌てて引き留める。


 「ちょ、ちょっと待った!今は先生のところが一番安全なんだ。頼むから今夜はあそこに居てくれ!それにこれから行くのはかなり危険な場所だから君を連れていく訳には」


 その瞬間、さらに怒りを増した顔のエステルがぐいとラトの口元に人差し指を突きつけた。ラトはビクッとして慌ててその口を閉じる。


 「いい加減にして!護衛の仕事は放棄する、依頼主に黙って行動する、挙げ句の果てにはこの間自分が言った言葉を否定するなんて!!」

 「この間の、言葉?」


 エステルの細く白い人差し指がゆっくりとラトの口元から離れると、彼女の顔は怒りと照れくささが混じったような複雑な表情へと変わっていく。


 そして今度は自分の口元にその人差し指を当てると、視線を下に落としてこう囁いた。


 「だって、ラトさん言ったじゃないですか、『心配はいらない…俺が傍にいるからな』って。」


 ラトはこの瞬間、先ほどまで必死に蓋をしてきた感情が洪水のように溢れだして全身を覆っていくのを感じた。だが頭の方はその溢れ出る感情を処理できず、一気に体が硬直してしまう。


 エステルはそんなラトに追い打ちをかけるように、瞳の奥を探るような上目遣いで真剣にこう言った。


 「それって、ラトさんの傍が一番安全、てことでしょう?」


 (これは…無理だ)


 これまで心の中でひたすら曖昧に濁してきた感情が、しっかりとした形を成してそのど真ん中にどーんと鎮座してしまった。


 それに気付いてしまえばきっと止められないというのに、もうどうにもならないところまで来てしまったことを、ラトは認めざるを得なかった。


 右手で両目を塞ぎ少し上を向く。そして動揺して掠れそうな声を誤魔化しながら口を開いた。


 「あー…うん、そうだな。確かに、俺の傍が一番安全、だ。」

 「ほらやっぱり!それにやりたいことがあるなら私も多少は手伝えると思うんです!ね、お願い連れて行って!事情は道中教えてくれればいいので!」


 楽しそうな声につい反応してしまい、目の上に置いていた手を外す。まだまだ空は暗かったが、エステルの瞳が生き生きと輝き、あの長いまつ毛が揺れているのが見えた。


 (どうしようもないな、俺は)


 だが、もう朝はそこまで迫っている。急がなければならない。


 「…わかった。行こう、エステル。」

 「ええ!」


 (もうどうにもならないなら、ただ彼女の傍にいればいい。それが正しいことじゃないとしても、今だけは…)


 ラトはエステルの手を握ると、驚いた表情の彼女に微笑みかけてから走りだした。握りしめたその小さく柔らかい手は、もう冷たくも震えてもいなかった。



 ― ― ―



 この出来事の少し前、エステルは淡々と自分の部屋で荷物の整理をしていた。


 一つ、また一つと荷物を詰め込んでいくうちに、心も記憶も自然と整っていくのがわかる。ここ数日の、もう一生分なのではないかと思うほどの騒動の数々…


 どの出来事にもラトと関わり、腹を立てたり呆れたりもたくさんしてきた。だがラトは冷たくいい加減な男のふりをしながらも、結局エステルのことを助けてくれた。いつでも守っていてくれた。


 (今回だって…でも、今までの彼ならもっと早く私を助けてくれていたはず…)


 エステルはそこで手を止め、今回の出来事をしっかりと振り返ってみる。


 あのラトが、エステルが誘拐されていくのを見逃したはずはない。つまり彼は最初からエステルが誘拐されることを知っていた…?


 (だとしたら、彼には何か目的があったはずよ。え、じゃあもしかして今ここに居ないのも…!)


 そこでようやくエステルは、ラトが今夜何かをしようとしているのだと、そしてエステルをこれ以上その件に巻き込まないよう安全な場所まで送り届けてくれたのだと気が付いた。


 「それなら急いで追いかけないと!それで、めいいっぱい文句を言ってやるんだから!!」


 ふん!と鼻息も荒く立ち上がると、エステルは今詰めたばかりの荷物をベッドにぶちまけ、急いで身支度を整えて部屋を飛び出した。



 ― ― ―



 そして現在。


 エステルは小走りで移動しながら、ラトから今回の件について簡単に事情を説明してもらっていた。

 

 彼の話によると、この村では『判定不能』という烙印を押された者達が帝都に向かう途中に誘拐される、という事件が過去に何件か起こっているらしい。


 しかもそれは、何らかの目的で精霊との繋がりを取り戻したいから、という奇妙な理由によるものだった。


 「何それ!?酷い話ね!!」


 エステルはそれを聞いて憤慨した。精霊はこんなことをする人間に良くしてくれるほど優しい存在ではないし、そもそも失礼な話だ、と。


 エステル自身は確かに他の人より精霊の力を感じやすいし、その恩恵に与れることに感謝もしている。だからと言ってそれを利用して罪の無い人を傷つけようと思ったことなど一度もない。


 「精霊信仰のために誰かを誘拐するなんて、本当に最低!!」


 エステルは込み上げる怒りを露わにしながら早足で歩いていく。ラトもそれに同意し、頷きながら歩き続けた。


 「確かにな。ここの奴らはどうにかして精霊との繋がりを取り戻したいらしいが、あまりうまくいってはいない。まあ当然だな、ここは呪いの力が強い人間が多いし、精霊の力を借りたい理由も、実は貴族の欲を満たすためっていう裏も取れてるんだ。」


 エステルはその時ふと自分の手に目をやった。そしてその右手がまだラトと繋がっていることに気付き、慌ててその手を振り解く。


 「ご、ごめんなさい、いつまでも手なんか握っていて!」


 ラトは振り解かれた後の自分の手をじっと見ながら歩いていたが、すぐに顔を上げ、エステルの手を再び捕まえて言った。


 「俺が握りたかったから、そうしてただけ。」

 「え…?」


 予想外の言動にエステルが戸惑っていると、ラトは少しスピードを上げて歩き始めた。


 「ええっ!?ちょっとラトさん?」

 「いいから。」

 「…」

 「…」


 強引な彼はエステルに有無を言わさず歩き続けると、朝焼けが始まる頃にようやく、目的地である材木置き場に辿り着いたのだった。



 《聖道暦1112年3月16日未明》



 エステル達の目の前には、草木がほとんど生えていない空き地と、その奥に大きな木々が横倒しになって積み上げられている光景が広がっていた。


 さらにその奥、空き地の東側には、かなり深い森が続いているようで、朝日はすでに顔を出しているようだが、森に隠されていてまだ辺りは薄暗かった。


 「もうすぐ朝ですね。」

 「ああ。さて、それじゃあ作戦開始だ。エステルちゃんも来てくれたことだし、こうなったら悪い奴らを一緒に一網打尽にしちゃうか!」


 ラトがふざけながらエステルの顔を覗き込む。


 「またそんな冗談みたいに言って!でも、私にできることはします。何をしたらいいんですか?」


 するとラトは材木置き場の向こうにある建物を指さして言った。


 「あの建物には誘拐された人達が監禁されている。エステルちゃんには、俺が合図したら例の『拘束の木』を使って奴らを足止めして欲しいんだ。」

 「わかりました。じゃあ、準備しておきますね。」


 エステルが腰の袋に手を伸ばしたその時、ラトがその手をそっと掴んだ。エステルは驚いて顔を上げる。


 「な、何ですか?」

 「エステル」


 見たこともないほど真剣な表情のラトが、エステルを見つめる。そして静かに言った。


 「心配するな。何があっても、俺が傍にいるから。」

 

 彼の言葉とその手の熱さが、エステルの心に小さな灯りを灯していく。


 「…はい」


 そして二人は新しい朝を迎えるために、静かに行動を開始した。


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