11. 二つの出会い
《聖道暦1112年3月14日》
翌朝、日が昇るのとほぼ同じ頃に起床したエステル達は、朝食を軽く済ませると早速森の中へと突入していった。
外から見ていた通り、クネクネと曲がる道。この道は確かに一本なのだが、時々とても開けた場所に出たり急に狭くなったりして、道の感覚を失わせていく。
だがそんなことはものともせず、ラトは上手に馬を操り、森の中を迷いなく進んでいった。
「迷いさえしなければ二時間ほどで抜けるはず」という彼の話を頭の後ろで聞きながらすっかり安心していたエステルだったが、心に余裕が生まれたことで、ようやく別の問題があることに気付かされた。
(そういえば私今、ラトさんの腕の中にいるのよね?こんなに男性と密着していたなんて…え?どうしよう!?)
「あの、ラトさん、えっと、隣の国に着いたら、馬車をどうにかしましょう!うん、絶対に!もっと広いのがいいかなあ!でも余分な資金はあまり無いし、うーん、どうしよう…」
冷静になった途端、急に今の状況が恥ずかしくなったエステルは、後ろも見ずに、まるで言い訳をするかのように話し続ける。
初めは何を言い出したんだ?と首を傾げていたラトだったが、彼女の細い首筋や耳がほんのり赤みを帯びているのに気付き、自身も密かに赤面してしまう。
(ここ何年も、いや魔獣戦争以降はこんな甘酸っぱい気持ちなんてすっかり忘れてたのにな…)
おそらく彼女は今になってラトに密着しているこの状況が気恥ずかしくなったのだろう。
(いつもあんなに強気なエステルが、まさかこんなに照れるなんて…)
可愛い、という言葉が思わず口をついて出てきてしまうのをグッと堪え、ラトはふざけた調子でそれに答えた。
「うーん、次は足を伸ばして寝られるやつがいいねえ!おじさん最近変な体勢で寝ると体が痛くてさあ。」と。
その言葉や言い方で、エステルはラトが気を遣ってくれたのだとすぐに察し、「護衛のくせにあんな所で昼寝するからですよーだ!」と、こちらも憎まれ口を叩いてラトの腕を軽くつねった。
ハハっと軽い感じで楽しそうに笑う声が頭の上に響いてくる。エステルはこれまでの人生で味わったことのない、その不思議でちょっとだけドキドキする感覚を知ってしまったことを、絶対に、一生ラトには秘密にしようと心に誓った。
森に入ってからちょうど一時間ほど経った頃、それまでは木々の間から差し込む木漏れ日が十分な明るさを保ってくれていたのだが、とある狭い道に入ったところから急に辺りが暗くなり始めた。
「ひと雨降るかもしれないな」と呟くラトの声に、エステルも反応し空を見上げる。
だがその瞬間、二人はキュウ、という高く柔らかい鳴き声のようなものを耳にして、そちらに素早く意識を向けた。
「おいまさか…本当にペカロが?」
「嘘!?どこかしら?」
二人は一旦馬を降り、鳴き声の主を探す。
だが夢の通りなら相当足は速いだろうし、隠れていれば見つけられる可能性はかなり低いだろう。
希少なその動物に会えることをそれほど期待してはいなかったが、可愛らしい鳴き声に導かれるように歩き続けていった結果、予想を全く裏切る形でその生き物と出会うことになった。
「あっ、ラトさん、あれ!」
「んー?なんだ、罠にかかってたのか?」
そこにあったのは、膝よりも少し低い草の陰に巧妙に隠された金属の檻だった。その中で、あの夢で見た白い生き物が悲しそうな瞳でこちらを見上げていた。
助けてあげても良いものなのだろうかと一瞬悩んだが、ラトによると捕獲して良い動物ではないらしく、おそらく別の動物向けの罠に間違ってかかったのだろうとのことだった。そうして彼は迷いなく檻に近寄ると、それをあっさりと開けてしまった。
するとその白い希少生物ペカロは目にも止まらぬ速さで檻を飛び出し、まっすぐにエステルに飛びついた。しかも、キュウキュウとあの耳が蕩けるような可愛いらしい声で鳴きながら、小さく柔らかい顔をエステルの頬に擦り付けてくる。
(うわあ!なんて可愛らしい子なの!!)
あまりの感動的な事態にエステルが目を丸くして喜んでいると、ラトがその様子を見ながら優しく微笑んで言った。
「もしかしたら、夢の中でエステルちゃんに助けを求めていたのかもなあ。」
「え!?じゃあ、あなたはあの夢の中の子?ふふ、可愛い!あははは!くすぐったいわ!」
エステルはつい嬉しくなってペカロとしばらく戯れてしまったが、この辺りの国の法律では、狩猟可能な動物以外は許可なく捕獲してはいけないとのこと。もっと一緒にいたいという気持ちは山々だったが、最後にギュッと抱きしめてからそっと地面に下ろした。
下ろしてみてから気付いたが、ペカロの脚はよく見るとウサギというよりも、しっかりとした爪がある猫の脚のように思えた。
「あなたに会えてよかった。そして檻から助けられて本当に良かったわ!可愛いペカロちゃん、元気でね!」
だがペカロは、何かを訴えかけているかのようにエステルをじっと見上げている。そして再び驚異的なジャンプ力を使って、あっという間にエステルの肩に跳び乗ってしまった。
「ええっ!?どうしよう?私、旅の途中だし、あなたをこの森から連れてはいけないんだけれど…」
ラトはその様子をしばらく黙って見守っていたが、いよいよ何かを言おうと口を開きかけた時、森の奥の方からガサっと物音がして慌てて振り返った。
「ああ、あなた達でしたか。まさか探していたペカロと一緒にいるとは。ペカロ、あなたがこの方達のところへ導いてくれたのですね。」
物音のした場所に現れたのは、少しくすんだ灰色の髪を肩より少し長く伸ばした長身の男性だった。瞳はもう少し明るい灰色をしており、何よりもエステルの目を引いたのは、その驚くほどの美貌だった。
馬に乗っていたのではっきりとはわからなかったが、ゆったりとした薄い水色の服を纏っているその姿は、まるで森の中で祈りを捧げる神官のようにも見えた。
「あんた、なぜ俺達のことを知っている?」
ラトは普段通りの軽い口調で淡々と男に尋ねる。
エステルはそれを聞いて確かにそうだと、気を抜いていた迂闊な自分を反省し、相手への警戒を強めた。
それに対し灰色の髪の男性は、静かに答えた。
「私はアランタリア・ナイトと申します。少し先にある町で医者をしている者です。あなた方のことを知っていたのは、友人のウェイドにあることを頼まれていたからです。そろそろこちらにいらっしゃるとは思っていましたが、意外と時間が掛かったのですね。」
するとエステルの肩に乗っていたペカロがサッとそこから降り、素早くアランタリアの肩へと飛び乗った。
(ペカロが警戒していないということは、やはりいい人なのかしら…)
エステルの考えを見通したかのように、その男性はそっとペカロの首元を撫でる。
「今日は森に薬草を取りに来ていましてね。途中でよくうちに遊びに来るペカロの声が聞こえたので探していたのです。ああ、ちなみにそちらの男性のことはお名前しか存じ上げませんが、エステリーナさんとは実は一度お会いして…いや、お見かけしていまして。」
彼は表情も変えず淡々とそう説明すると、じっとエステルを見つめた。
エステルはどこかでこの人を見かけただろうかと思い返してみたが、何も思い出せない。
「そうなのですね。ですが私はあなたのことを全く存じ上げません。なぜあなたは私達を探していらしたのですか?ウェイドさんに一体何を依頼されたのでしょうか?」
「エステルちゃん、なんか俺に対する態度とだいぶ違わない?え、そんなに丁寧な感じなの、いつも?」
悲しそうなふりをして絡んでくるラトを一旦無視して、エステルはアランタリアからの返答を待つ。
すると彼は、ふっと空を見上げてから言った。
「ここでは何ですし、雨も降りそうですから、まずは我が家へご招待しましょう。そこで今の疑問に関しては全てご説明いたします。ああ、ちなみに私は元『神官』ですので、その系統の能力しか持ち合わせておりません。ですが不安でしたら、武器などお持ちになっていただいても構いませんよ。」
ラトとエステルは顔を見合わせて互いの意思を確認すると、二人の返答を待たずに移動を始めたアランタリアの後を追って、森のさらに奥へと進んでいった。