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104. 暗黒の一日②

 黒く揺れる長い毛を全身に纏ったその魔獣らしき生き物は、エステルの目にはなぜか哀しげな女性の姿に見えてしまう。細い腕、長い黒髪、美しい顔……


 カイザーの言葉をきっかけにした勝手な想像でしかないが、その姿が脳裏にチラチラと浮かんでは消えていく。


 カイザーによると、この目の前の生き物こそ、『リリアーヌ』という魔人だろうとのことだった。


 四十年前のあの魔獣戦争で、若き日の彼はリリアーヌと遭遇したことがあったそうだ。長年の経験と勘から個人個人の能力の違いを察知できるカイザーには、どう見てもあの生き物がリリアーヌにしか思えないらしい。


 (この人がずっと私の命を狙っていた人…)


 もし彼女が小神殿で出会ったジェンナという女性と同一人物なのだとしたら、不思議なのは今、あの時のような恐怖を全く感じないことだった。それがエステルが変わったからなのか、それとも彼女自身の知性が失われているからなのかはわからない。


 「とにかく、彼女を倒さないと!」


 エステルは剣を握りしめて前を向くと、兵士達が一斉に攻撃を仕掛ける様子を目で追いつつ隙を窺う。


 彼女の細い腕らしき部分が大きく振り上げられ、押し寄せる兵士達の攻撃が大量の水に押し流される。エステルはその水の冷たさを足元に感じながら、剣に集中力を込め始めた。


 剣は先ほどよりも強い光を纏い、その光は炎のようにふんわりと揺れる。


 「いける!」


 能力の連続発動は魔人であっても難しいはずだ。エステルは発動を終えたばかりの今こそ、とリリアーヌに駆け寄り剣を振るう。


 だが彼女は再び腕らしき部分を素早く動かし、エステルの足元に石の壁を作り出して行手を阻んだ。


 エステルは諦めずにその壁を壊して前に進むと、あと一歩のところで彼女の長い腕が体を直撃し、エステルは後ろへと大きく突き飛ばされた。


 「きゃああっ!?」


 ザーッという服が地面に擦れる音、そして体中が水浸しになる感覚を覚えながら、エステルは手を突いて必死で立ち上がる。


 カイザーはその間にエステルの前に出て剣を持ち、能力の発動と同時にその剣をリリアーヌに向けた。しかし彼のその攻撃すらも、次々に繰り出される彼女の能力によって弾き返されてしまう。


 「こんなに連続で発動できるなんて…」

 「エステリーナ、わしが前に出る。その隙に後ろから狙えるか?」


 だがエステルは、自分を犠牲にするようなその案を即座に断った。


 「カイザー様、駄目です!他の方法を考えましょう!」

 「そんなことを言っている場合か?見ろ、兵士達はもう力が尽きかけているぞ!」


 確かにカイザーの言う通りだ。兵士達は皆、リリアーヌの能力発動の速さに振り回され疲弊しきっている。あと数回あんな攻撃を食らってしまえばあっという間に限界を迎えるだろう。


 「…カイザー様、では、数分だけでいいので皆さんの防御をお願いできますか?」

 「何か考えがあるのだな。わかった。」


 彼は何も事情を聞かず、すぐにそれを行動に移した。


 そしてその間にエステルは少しだけ後ろにさがり、心の中で呼びかける。


 (ペカロちゃん!どうかお願い!!力を貸して!!)


 エステルがそう心の中で祈りながら上を見上げていると、分厚く黒々とした雲の向こうが徐々に明るさを増し、空が裂けたかのように強い光が溢れ出した。そしてその光がエステルの頭上に降りてくると、美しい白い毛を持つ聖獣、ペカロが姿を現した。


 (エステル!僕を呼んでくれて嬉しい!さあ、何をしたらいい?)


 「ペカロちゃん、精霊さんの力を借りたいの!できるだけ早く、あの人の能力の発動を止めたいのよ!」


 ペカロはふっとリリアーヌの方に顔を向けると、青く輝く瞳がより濃い青へと変化した。


 (能力の発動を止めるんだね。わかった、僕に任せて。でも…あの人、もうすぐ力が尽きそうだよ?)


 エステルにはとてもそうは見えなかったが、もしかしたら力の発動には限界があるのかもしれない。だとしてももう兵士達がこれ以上の攻撃を防ぎ切れないだろう。カイザーが応戦してくれているうちに何とかしなければ…


 「お願い、このままだとみんなの命が…」


 ペカロはその言葉を聞くや否や素早く身を翻し、能力を好き放題に放っているリリアーヌの頭上に飛んでいった。そして彼は全身の美しい被毛を一瞬で逆立てると、青い瞳から強烈な光を放ち、その光はリリアーヌの腕に直撃した。


 ギギギギャアアアアアオオオウウ…!!


 そして思わず顔を顰めたくなるような不快な咆哮を上げたリリアーヌは、ペカロが放った青い光に全身が縛られ包み込まれて、その場で硬直してしまった。


 (エステル、今だよ!!)


 ペカロの声が脳内に響く。それを合図にしてエステルは光を纏わせた剣を構え、リリアーヌに正面から斬り込んだ。


 ずしっ、と手に重さを感じる。だがここで怯むわけにはいかない。ペカロが放った青い光が弱くなっていくのが目に入る。残された時間はあと僅かだ。エステルは覚悟を決めると、もう一度リリアーヌの黒い体に剣を振り下ろした。


 シュンッ……


 剣に纏わせていた光が周囲に飛び散り、同時に青い光も消えた。


 そしてリリアーヌは、地面に倒れた。


 「エステリーナ、とどめを!!」


 カイザーの声が少し遠くから聞こえる。だがエステルは光の消えてしまった剣を片手に持ったまま、倒れてピクピクと体を震わせているリリアーヌにただゆっくりと近付いた。


 「……リリアーヌさん、ですよね?」


 リリアーヌと思われる黒い生き物は、まるでそうだとでも言うように動きを止めた。


 「今からあなたのために祈ります。ですが、それが本当にあなたの助けになるかどうかは……わかりません。」


 ギュウウ、グウウというくぐもった鳴き声が聞こえてくる。もしかしたらやめろと言っているのかもしれないが、エステルには「助けてほしい」と言っているように聞こえた。


 そして地面にそっと剣を置くと、膝をついて両手で彼女の腕らしき部分に手を当てた。冷たく硬いその部位には、よく見ると筋張った黒い線が何本も走っていた。


 「名もなき神よ、どうか哀れなるこの存在に、あなたの愛を与えたまえ…」

 

 エステルの周囲に光を帯びた風が巻き起こる。それは徐々にリリアーヌの全身を包みこみ、そして、眩しいほどの光が辺りを照らし出した後、一瞬でその光は消え去った。


 「あ……」


 眩しさで眩んでしまった目をゆっくりと開けると、地面に倒れていたのは、干からびた姿の黒い肌をした女性だった。


 しばらくすると彼女はゆっくりと体を起こし、這うようにしてその場を離れようとする。


 エステルがどうしていいかわからずその姿を見守ってると、カイザーがエステルの剣を拾い上げ、エステル自身の手も取って立ち上がらせた。


 「エステリーナ、彼女はもう何もできまい。放っておくといい。」

 「ですが!」

 「あれが、彼女の選んだ道の末路だったのだ。」

 「……」


 カイザーのその言葉は、この大陸を恐怖に陥れた魔人リリアーヌの終焉をはっきりと告げるものだった。



 ― ― ―



 ラトはその頃、アランタリアと合流し回復の祈りを捧げてもらっていた。周囲からは相変わらず爆発音や人々の恐怖の声、兵士達の戦う音が聞こえている。


 「先生、助かった。」


 祈りを終えると、ラトは感謝の意を伝える。するとアランタリアはじっとラトを見つめながら言った。


 「エステルのためです。……ペリドール様にお願いして、彼女に『深部治癒』をかけてもらったのです。でも、エステルはあなたのことを思い出せなかった。」


 ラトは微かに微笑み、目を伏せた。


 「そうか。まあ、仕方ないさ。」

 「仕方ない?また諦めるのですか?また彼女を突き放すのですか!?」

 「え、先生?」


 なぜこんなにアランタリアは怒っているのだろうか?自分のことを忘れていてくれた方が、彼にとっては好都合だろうに…


 アランタリアはゆっくりと立ち上がると、階段に座っているラトを見下ろして言った。


 「あなたのことを思い出せなくても、心のどこかにあなたへの想いが眠っているんです!何も思い出せなくても、あなたを見た瞬間、彼女は苦しそうにこう言ったのです。」


 彼は拳をしっかりと握りしめ、目を瞑った。


 「『あの人を助けなきゃ。あの人を、私が!』と。」

 「……」


 その言葉はラトの胸に、ふわっと温かい気持ちを蘇らせた。


 「あなたは彼女のためを思って行動したのでしょう。ですがいつもそうやってどこかで彼女を突き放そうとしている。だから言ったんです。あの男はやめた方がいいと。何度も何度もエステルに言ったんです。それでも、彼女はあなたを選んだ。あなたを……愛しているんです。」


 アランタリアの固く握られた拳は、もう片方の手に包まれて見えなくなった。そして彼は口調を変え、怒りを滲ませながら言った。


 「いいか、本気で彼女のことを愛しているというのなら、彼女があんたのことを忘れてしまったくらいで諦めるな!あの男を倒せるのはあんたしかいないんだろ!?あんたを忘れても命懸けで戦ってくれている彼女を、どこかで今も想ってくれている彼女をしっかり捕まえておけ!!でないと今度こそ俺が」

 「先生には、渡さない。」

 「……」


 ラトは立ち上がった。背丈がほとんど変わらない二人は、お互いを睨み合いように立つ。


 「先生にはエステルを渡さない。いや、誰にも渡すつもりはない。でも今はまずこの戦いを終わらせなきゃならない。そのためには絶対に先生の力が必要なんだ。手助け、してもらえるか?」


 ラトの言葉に、アランタリアは黙って頷いた。


 「ありがとう。…じゃあ、行くか。」

 「ええ。でもどこへ?」

 「おそらくあの男は異界を開く気なんだろう。異界の裂け目が開きやすいのは人々の憎悪や恐怖が集まりやすい場所なんだ。今だとまさにここ、帝都。その中心と言えば…」


 二人は振り返り、白く聳え立つヘレナムア城に目を向けた。


 「行きましょうか。」

 「ああ。」


 黒々とした雲が覆う夜の帝都には、まだまだ朝はやってこないようだった。


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