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99. 青緑色の瞳

 《聖道暦1112年9月11日》


 昨日アランタリアから依頼を受けたエステルは、この日約束通り大神殿へと足を運んだ。


 ラトは「行きは付き添えないが急いでそちらに向かう」とのことで、エステルはアランタリアと数名の兵士達に守られながら現地へと向かう。


 いつもよりも小さな窓しかないその丈夫そうな馬車の中で、エステルは帝都がひどく荒れていることに気が付いた。


 道を歩く人々はまばらで、しかも何かを警戒するように辺りを窺いながら進んでいる。ところどころ破壊された何かが道端に置かれていたり街路樹が倒されていたりと、ずいぶん荒れ果てた様子に驚かされた。通り沿いの店もざっと見えただけでも半分ほどは閉まっており、大通りにも関わらず、以前の賑わいは全く感じられなかった。


 「思っていたより酷い状況なのね。」

 「そうだね。ここのところ毎日のようにどこかで魔獣が出没しているし、昨日襲撃があったのはちょうどこの辺りなんだ。こんな状況だから特に帝都からはかなりの人が避難を始めていると聞いたよ。帝国内でも比較的安全な北部とか、国外に出る者も多いらしい。」

 「そう、そうなの…」


 初めてここを訪れた時に感動したあの美しい帝都の街並みは、すでにその輝きを失いつつある。だがそれを残念に思う気持ちよりも、今は目の前の人達を守ることの方が重要だ。


 エステルは隣に座るアランタリアの視線を感じながら、厳しくなっていく戦況をしっかり把握しておかなければと、気持ちを新たにしていた。



 久々に見る大神殿は、特に大きな被害は受けていなかった。だが先ほどの大通りと同じように、やはり人の姿はほとんど見られなかった。


 神殿の中に入り、以前エステルの『本鑑定』を行ったあの部屋へと向かう。


 懐かしさを感じながらドアを開けるとそこには一台の簡易的なベッドと椅子が置かれており、ベッドの上には黒く大きな塊が横たわっていた。


 パタン、とドアが閉まり、アランタリアがエステルに椅子を勧めた。だがそれを断るとすぐにベッドに近寄り、女性の状態を確認する。


 「確かによく見ると人だわ…」

 「うん。彼女の名前を調べてもらったところ、どうやらメルナの友人の妹さんの親友らしい。」

 「そうなの。妹さんはこのことを?」

 「いや、知らせていない。彼女はまだ十四歳だと言っていたから、もしかしたら事実は伏せておくのかもしれないな。」

 「そう…」


 多感な時期だからこそ、周囲もきっと色々と考えてしまうのだろう。エステルは再びその少女らしき黒い人物に目を向けると、手だと思われる部分がぴくりと動いたような気がして、思わずその部分を握りしめた。


 「エステル!?」


 危険かもしれないと思ったのだろう、アランタリアが慌ててエステルの手を上から掴む。だがエステルは握った部分を決して離そうとはしなかった。


 「少し温かいわ。小さな手…辛かったわね。」


 その言葉を聞いたアランタリアの手がゆっくりと離れていく。


 「エステル、彼女のために祈ってくれるかい?」


 エステルは、少女の手らしき部分を見つめたままゆっくりと頷いた。そして目を閉じて、祈りを捧げる。


 「名もなき神よ、どうか哀れなるこの少女に、あなたの愛を与えたまえ…」


 小さく口ずさんだ祈りはその狭い部屋の中で微かな風を呼び起こした。そしてエステルが握りしめた手の部分が光り始めたかと思うと、そこから黒い綿のようなものがぽろぽろと剥がれ始め、体中から柔らかな光が何かの隙間を縫うように溢れだした。


 「これは…」


 エステルは光が収まるとすぐに、手でその黒い何かを剥ぎ取り床に落としていく。すると徐々に白い肌が現れ始め、アランタリアは「何か布を持ってきます」と言って部屋を出ていった。


 全ての黒いものを取り除くと、胸の辺りにうっすらと傷を残す少女の窶れた姿があった。


 「傷は治りかけている。でも、相当弱っているようね…」


 ドアがノックされ、エステルが布を受け取って彼女の体に掛けると、アランタリアも部屋に入る。彼は床に散らばる黒い物体に眉を顰めていたが、エステルの顔を見ると微かな笑みを浮かべて言った。


 「ありがとう、エステル。彼女はだいぶ衰弱しているようだが、まだ望みはある。君のお陰だ。本当にありがとう。」


 エステルは首を横に振って言った。


 「ううん、彼女が生きたいと頑張っていたからよ。でもまだ安心はできないわ。そうだ、親御さんもお呼びしないと!」

 「…ああ、うん。そうだね。」


 その言い方に何か引っ掛かるものを感じて何かを言おうとした次の瞬間、それは大きな物音に遮られてしまった。


 ガッシャーン!!ゴロゴロゴロ……


 大きな物が壁か何かにぶつかり、崩れるような音が外から聞こえ、二人は勢いよく部屋を飛び出した。


 裏口から外に出ると、近くにいた人々が悲鳴をあげながら逃げていくのが見えた。そしてそのまま大神殿の入り口の方まで周りこむと、そこには巨大な魔獣、ではなく、人の顔を持つあの魔獣もどきが、すでに崩れかけた大神殿の壁に勢いをつけて体当たりしようとしていた。


 エステルは躊躇なく大剣を取り出すと、素早く光を纏わせて魔獣もどきに斬りかかる。だが前回見たものよりも知性も敏捷性も高いようで、一撃目はあっさりと避けられてしまった。


 アランタリアは他の神官達と近くで倒れている人を救出ししてから、大神殿の中から大きな杖を持って戻り、以前見た『能力減衰』の力を発動した。


 エステルが剣を構えて再び魔獣もどきに向き合うと、にやりと笑う顔が見えた瞬間、その顔の部分にどこからともなく青い炎が現れ、体毛を焼き尽くすかのように全身に燃え広がっていく。


 「エステル、今だ!!」


 遠くから聞こえるラトの声に瞬時に反応したエステルは、再度光を帯びた剣を構えると、一気にその腹部を切り裂いた。


 キイイイイイイイギイイイイイイ… ドーン…


 耳障りな悲鳴と巨体が倒れる音が周囲に広がっていき、そしてそれは静けさの中に消えていった。



 「待たせてすまない。エステル、怪我はないか?」

 「ええ、大丈夫。」


 落ち着いてから辺りを見回すと、兵士が十人ほどこちらにやってくるのが見えた。その光景にほっと一息ついていると、なぜか今度は中型の魔獣が建物の陰から一体、また一体と現れ始める。


 ハッと気付いた時には、エステル達は完全に魔獣の群れに取り囲まれていた。


 「エステル、まだ動けるな。」

 「もちろん。」

 「いいか、奴らは一気に襲ってくる。これだけの数、魔人が操っていなければ絶対に現れない。どこかにいる魔人を俺が倒すまで、兵士達と全力で身を守れ!」

 「わかったわ!」


 エステルがニコッと微笑むと、少し驚いた表情を見せたラトは突然エステルに近寄り、その額に唇を近付けたところで動きを止めた。


 「…はあ、なんでそんなに可愛いんだ。勘弁してくれ。」


 結局その唇はエステルに触れないまま、ぼそっとその言葉だけを残して彼はすぐにそこを離れていった。


 「な、何なのよ、もう…」


 触れなかった額に不思議な熱を感じてそこを手で押さえたエステルは、頭をブンブンと振って気合いを入れ直すと剣を持って集中を始めた。


 そうして何十体もの魔獣達を次々に斬って消滅させていくと、兵士達の活躍もありどうにかほとんどの魔獣を倒すことができた。


 「あ、消えた…」


 残すところあと数体というところで魔獣達は姿を消す。おそらくラトが、魔獣達を導き操っていた魔人を倒したのだろう。


 (それにしてももうこんなに身近なところに魔人が当たり前のように存在するのね)


 その身震いするような状況に改めて気付かされたエステルは、ため息をついて周囲に目をやった。


 兵士達が辺りの片付けを始めている中、この騒動に巻き込まれた平民達の姿がちらほら見えた。神官達が声をかけたり治療に当たっている中、まだ誰にも声をかけられず地面に座りこんでいる男性の姿に気が付いた。


 「あの、大丈夫ですか。どこか怪我でも…」


 男性が顔を上げる。どこか見覚えのあるような青緑色の瞳が、エステルの視線を捕らえた。


 「ああ、僕の愛し子…見いつけた。」


 その瞬間、エステルは目の前の男性に掴まれた手首から何か酷く冷たいものが体中を駆け巡っていくのを感じ、そして、意識を失った。



 「あれ?私、ここで何を…」


 それは一瞬のことだったのか、それとも数分経っていたのか、エステルはなぜか地面に腰をおろし、空を見上げていた。


 「今私、何をしていたんだっけ?」


 周りではまだ兵士達がバタバタと作業を続けている。治療を終えた平民達はその場にはもうおらず、神官達は遠巻きに兵士達の動きを見守っている。


 「エステル、どうしました?」

 「アラン?うーん、どうしたのかしら?疲れていたのかな?」

 「そうかもしれないね。さあ、立てるかい?」

 「うん、大丈夫。」


 そう言って自力で立ち上がったエステルは、急に立ちくらみを起こし近くの木に手をついた。


 「エステル?」

 「あ、大丈夫。」


 アランの心配そうな表情が目に入ったが、エステルの頭は先ほどの抜け落ちた時間のことで一杯になっていた。


 (おかしい、絶対におかしいわ。私の中に空白の時間がある。でも何があったのか何も思い出せない…)


 その時、遠くからこちらにやってくるラトの顔を見つけて少しだけ安堵するエステルだったが、その青緑色の瞳が心を騒めかせる理由は、全く見当もつかなかった。


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