第7話 真実の声と、繋がる心
息を切らしてフェスティバル会場に戻ると、空気は依然として張り詰めたままだった。開発派の手先たちは衛兵に取り押さえられているものの、彼らを操っていたであろう黒幕――バルドー伯爵とその一派は、まだ他の貴族たちの中に紛れている。レオニード王太子は冷静に玉座に座し、アルト様が厳しい表情で場の秩序を保とうとしていた。
私とフローラが、証拠書類を手に戻ってきたことに気づくと、アルト様の目がわずかに和らいだ。彼は小さく頷き、目で合図を送る。「あとは、あなた次第です」と、そう言われている気がした。
深呼吸を一つ。フローラが隣で「マティルド様…!」と心配そうに私の腕を掴む。その温かさに勇気をもらい、私は意を決して騒ぎの中心へと歩み出た。
「お待ちください!」
凛とした声が、幸いにも会場のざわめきを貫いた。全ての視線が、私に集中する。貴族たちの好奇の目、領民たちの心配そうな目、そしてレオニード王太子の探るような目。
私は、震える手で――けれど、できる限り高く、堂々と――掴んできた書類の束を掲げた。
「私を陥れようとした方々がいますが、本当にディルフィア領の未来を脅かし、不正を行っているのは、あなた方の方ではありませんか? そこにおられる、バルドー伯爵!」
名指しされたバルドー伯爵が、ギョッとしたように顔色を変える。周囲の貴族たちも、驚いて彼を見た。
「な、何を言うか、マティルド嬢! そのようなデタラメを…!」
動揺を隠せない伯爵に向かって、私は言葉を続けた。手の中の証拠が、私に力をくれる。
「デタラメではありません! この書類にはっきりと記されています! あなた方が中心となって進めようとしている『ディルフィア新開拓計画』。その実態は、領民のためではなく、一部の方々の私腹を肥やすためのもの! 実態の不明瞭な業者との法外な契約金! 環境への影響を無視したずさんな計画! そして、その裏で交わされた密約の数々!」
私は、書類の内容を具体的に、一つ一つ読み上げていく。それは、ただの告発ではない。この領地を愛する者としての、魂からの叫びだった。
「これだけの莫大な費用が、どこから捻出されるとお思いですか!? 私たちが納めた、領民一人ひとりが汗水流して納めた税金です! この美しいディルフィアの自然を壊し、一部の人間の懐を温めるために、私たちの未来が売り渡されようとしているのですよ! これが、不正でなくて何だというのですか!」
私の声は、次第に熱を帯びていく。会場は水を打ったように静まり返り、誰もが私の言葉に聞き入っていた。
「ふ、ふん! そのような書類、捏造に決まっている!」
「そうだ! 小娘の戯言を真に受けるな!」
バルドー伯爵とその取り巻きたちが、苦し紛れの反論を叫ぶ。しかし、その声にはもはや何の力もない。誰もが、彼らの顔に浮かんだ焦りと動揺を見て取っていた。
その時だった。会場の後方から、野太い声が響き渡った。
「そうだ! マティルド様の言う通りだ!」
声の主は、いつも工房に顔を出してくれる、リンゴ農家の親父さんだった。彼は、こぶしを突き上げ叫ぶ。
「俺たちの畑を潰して、得体の知れない工場なんぞ建てられてたまるか!」
「マティルド様は、俺たちのリンゴやベリーで、あんなに美味い菓子を作って、村を元気にしてくれたんだ!」
「そうだ! マティルド様をいじめるな!」
一人、また一人と、領民たちが声を上げ始めた。それは、私の工房のお得意様たち、お菓子教室に来てくれた子供たちの親、フローラの友人たち…。彼らの声は、最初は小さかったが、次第に大きなうねりとなり、会場全体に響き渡っていく。
「マティルド様は正しい!」
「領地を食い物にするな!」
「俺たちのヒーローをいじめるな!」
フローラも、目に涙を浮かべながら、領民たちの声に加わっている。貴族たちは、その予想外の展開と、領民たちの強い意志に完全に気圧されていた。彼らは、マティルドが提示した(どう見ても本物らしい)証拠と、地鳴りのような領民の声、そして何より、静かに玉座から全てを見通しているレオニード王太子の存在に、どちらにつくべきかを悟ったのだ。
バルドー伯爵の周りから、さっと人が引いていく。先ほどまで彼に追従していた貴族たちも、今は知らぬ顔でそっぽを向いている。開発派は、完全に孤立した。
その瞬間を見計らったかのように、アルト様が一歩前に出た。その声は、先ほどとは打って変わって、厳粛な響きを帯びていた。
「バルドー伯爵、及び関係者各位。このマティルド様が提示された証拠書類、そして今ここにある領民の声、さらにはこれまでの諸々の状況を鑑み、あなた方には、領地に対する重大な背信行為、及び不正蓄財の嫌疑があります。これより、公爵の名において正式な調査を開始し、厳正なる処分を下すことといたします。衛兵、この者たちを連行なさい!」
もはや抵抗する力も残っていないのだろう。バルドー伯爵とその一派は、顔面蒼白のまま、衛兵たちによって引き立てられていった。その姿は、哀れというほかなく、しかし自業自得だった。
彼らの姿が見えなくなると、会場は一瞬の静寂の後、わあっという歓声と、嵐のような拍手に包まれた。それは、私、マティルド・フォン・グリュースの潔白が証明されたことへの祝福であり、卑劣な陰謀を打ち破った勇気への称賛だった。
私は、込み上げる感情に、思わずよろめきそうになる。そっと支えてくれたのは、隣にいたフローラだった。彼女の笑顔が、涙で滲んで見える。遠くでは、アルト様が一度だけ深く頷いて見せた。そして、玉座のレオニード王太子が、私に向かって柔らかく、そして心からの称賛を込めた微笑みを送ってくれた。
嵐は、去った。降り注ぐ拍手の中で、私は確信する。お菓子作りだけじゃない。領民との絆、信じてくれる仲間、そして真実を叫ぶ勇気。それら全てが、私の力になるのだと。
これは、決して終わりではない。むしろ、ここからが本当の始まりなのだ。このディルフィア領を、私の手で、もっともっと豊かで、笑顔の溢れる場所にしてみせる。そう、強く心に誓った。
(第七話 了)




