死闘
「なあ、一条」
「何?」
「どうして一条が俺たちと一緒に来てるんだ?」
約1時間後、揺れる85式駆逐戦車の車上で、和人は一条理沙に声をかけていた。参加者は国立高校生の中で軍事教練を修了している者、即ち3年生男子のみ。和人はそう命じていた。
ところが何故か、参加者の中には理沙が混ざっていたのだ。
「私は軍事教練を修了しているわよ。足手まといにはならないと思うけど」
理沙が、何を訝しんでいるのかと言いたげな口調で言った。確かに彼女は女子であるにも関わらず軍事教練を自主的に受けており、しかも優秀な成績を残している。
よって「軍事教練を修了している者」という条件で選ぶなら、確かに理沙はその中に入る。しかし。
「どうして参加したのかを聞いてるんだ。十中八九、死ぬぞ」
和人は言った。和人と違って理沙は、参加しなくても誰にも文句を言われない立場の筈だ。その理沙が自ら志願して最前線に向かう理由が、和人には理解できなかったのだ。
「国立高校生だから、では不足かしら。国立高校生は有事には国防に従事する義務を負っている筈だけど」
理沙が涼しい顔で答える。本気で言っているのかは、彼女の秀麗な横顔からうかがい知ることは出来ない。
ただ確かなのは、理沙に翻意の意思が無いことだけだった。
何かが風を切る音が聞こえてきたのはその時だった。その音に、和人は全身を硬直させた。この音には聞き覚えがある。軍事教練で見学した軍の砲撃演習で聞いた音だ。
「全員、下車して散開しろ!」
和人は叫ぶように命じると、自らも85式駆逐戦車の上から飛び降りて模範を示した。そのまま地面に伏せ、肺の中から空気を吐き出す。
一瞬後、地鳴りのような衝撃が響き渡り、視界が一瞬赤に染まった。衝撃は次から次へと訪れ、地面を揺らしていく。紛れもない敵軍の、日本人民共和国軍の砲撃である。
和人は不意に左腕に何かがべっとりと付着するのを感じ、そこに視線を移した。一対の眼球が、和人を恨みがまし気に見つめている。顎の所で切断された人間の頭部が、和人の左腕に載っていた。
慌てて払い落そうとするが取れない。脳漿というものは意外に粘着性が高いようだと、和人はぼんやりと思った。発狂して喚き散らしたいが、その気力さえ湧かない。ただ事態が収拾するのを待つことしか、和人の頭には浮かばなかった。
轟音と衝撃は連続し、今度は人間の腕部の残骸らしきものが目の前に降ってくる。和人にはただ、それを無気力に見つめていることしか出来なかった。
唐突に始まった砲撃は、始まった時と同じくらい唐突に止んだ。辺りには硝煙の臭いと血の臭い、そして人間の内臓が発する形容しがたい悪臭が漂っている。
「各クラス代表、点呼を取れ。クラス代表が戦死している場合は、副代表が点呼を取り、報告すること」
砲撃によって着火した落ち葉が燃えるぱちぱちとした音の中、和人は立ち上がって皆に命令を出した。出来ればずっとここにへたり込んでいたいという衝動を、急ごしらえの軍人精神で無理やり抑え込みながら。
「113名が戦死、乃至は戦闘不能か。やはり戦車跨乗歩兵の損耗率は高いのだな」
取りまとめられた報告に、和人は意識して感情を鈍麻させながら呟いた。参加者は和人と理沙を含めて497名だったから、ごく短時間の砲撃で2割以上がやられたことになる。乗るべき車両が無かったのだから仕方がないとはいえ、戦車への跨乗はやはり危険な戦法であった。
「級長、無事だったみたいね」
そこに理沙が駆け寄ってきた。こちらも傷は負っていないようだが、真っ白な肌と亜麻色の髪が、血で赤黒く汚れている。
「ああ、おかげさまでな」
和人は答えると、小銃の安全装置を解除した。こちらの85式駆逐戦車とは明らかに違う走行音が、前方から聞こえてきたのだ。
「総員戦闘用意。クラス長の指示に従って行動せよ」
和人は大声で命じた。そのまま伏せ撃ちの態勢を取り、接近する敵軍を待ち構える。やがて巨大な椀型の砲塔を持つ車両20両程が進んできた。紛れもない日本人民共和国軍の主力戦車、T-72であった。
後にほぼ同数が続いているのはBMP-2歩兵戦闘車だろうか。
(そう言えば、味方の駆逐戦車はどこだ?)
接近してくる敵車両群を睨みつけながら、和人は唐突に思った。車両から飛び降りて伏せた所までは記憶にあるが、その後はどうなったのだろう。もしかしたら、敵の砲撃を浴びて全滅してしまったのだろうか。
答えは数十秒後に出た。和人たちの後ろから突然の発砲音が響き、砲弾が空気を切り裂く音が後に続いたのだ。そして和人の目の前で、T-72群の砲塔がびっくり箱のように跳ね上がった。
そのうちの何両かからは全身を炎に包まれた戦車兵が這い出てきたかと思うと、数十秒間の死の舞踏を踊った後に事切れていく。
T-72の生き残りは散開しようとしたが、こちらの2度目の砲撃の方が早い。再びの風切り音とそれに続く爆発の後、T-72たちは全滅していた。
(流石です。本田少佐殿)
その光景を見た和人は内心で、駆逐戦車大隊指揮官の本田茂雄少佐を称賛した。駆逐戦車たちは全滅などしていなかった。森林内に身を隠し、肉食獣のように敵を待ち構えていたのだ。
その肉食獣の「牙」は今度は、戦車隊の全滅を見て右往左往している歩兵戦闘車群に向いた。先ほどとは音色の違う砲弾、恐らくは陣地破壊用の徹甲榴弾が飛び、歩兵戦闘車たちに突き刺さっていく。
時間にして数十秒にも満たない交戦で、敵車両群は文字通りの意味で全滅していた。
「やった! やったぞ!」
和人の周りでは、砲撃を生き延びた国立高校生たちが歓声を上げている。どう見ても敗色濃厚なこの戦争において、初めて味方が圧倒的な勝利を収めている所を見た為、気分が高揚しているらしい。
「皆、浮かれるな、とにかく塹壕を掘っておけ」
それを見た和人は彼らに釘を刺した。敵がさっきの40両程度だけの筈が無い。必ず後続がやってくる。その時に備えておく必要があった。
しかし和人たちがスコップを地面に突き立て始めた刹那、鋭い音が立て続けに響いた。一瞬後、国立高校生の何人かがその場に倒れ伏していく。更に後方では、先ほどT-72やBMP-2が破壊された時とほぼ同じ音が鳴り響いた。
確認しなくても分かる。こちらの85式駆逐戦車が何者かによって破壊されたのだ。
「敵の歩兵部隊か」
和人は唸った。先ほどBMPが破壊されたとき、同時に火葬されたと思い込んでいた敵歩兵だが、真実はそうでは無かった。彼らは既に下車し、森林内を浸透中だったのだ。
「皆、伏せろ。そして無駄撃ちをするな。敵が撃ってきたときだけ撃ち返すんだ」
和人は案の定銃を出鱈目に乱射し始めた国立高校生たちに向かって、喉が張り裂けんばかりの声で命じた。本来なら森林内を機動しながら戦うべきなのだろうが、本職の兵士でも何でもない国立高校生にそれが出来るとは思えない。
ここは伏せることで出来るだけ被弾確率を低めつつ、敵が撃ってきた場所に向かって撃ち返すしかなかった。
和人は自らも再び伏せながら目を凝らした。生い茂る枝葉の向こうに、ぼんやりとだが一群の人影が見える。そしてその人影たちはこちらに向かって銃を放ってきた。銃弾が放たれる頻度は1秒に10回程度。と言うことは。
「あれは敵だ! 撃て!」
和人は周りの国立高校生たちに命じた。日本皇国軍が使用するM-16系統の銃は、発射速度が毎分900発前後に達する。つまり900÷60で1秒に15回、弾が発射されるという事である。
対して日本人民共和国軍が使用するAK-74系統の銃の発射速度は、600発前後とやや控えめに設定されている。1秒に出る弾の数が10発前後ということである。
この単純な数式から言って、枝葉の向こうにいる影はAK-74系統の銃を使っている。つまり敵兵だということだった。
和人は自らも敵兵に向かって引き金を引いた。初めて経験するフルオート射撃の重い衝撃が肩にかかるのを感じる。そしてスコープの向こうでは、敵兵たちが崩れ落ちていくのが見えた。こちらの銃撃が命中したのだ。
「やった?」
和人は半信半疑で呟いた。形ばかりの教練を受けただけの高校生が、敵の正規軍人を倒した。信じがたい快挙であった。
だがその興奮は一瞬しか続かなかった。今度は真横から、敵の銃撃が飛んできたのだ。前ばかりを見ていた国立高校生たちは慌てて身体の向きを変えようとして反射的に立ち上がり、そこに銃撃を浴びた。
和人の周囲で国立高校生たちが次々と、AK-74の5.45 mm弾を喰らって倒れていく。
(ど、どうすればいい!?)
和人は頭が真っ白になるのを感じた。側面からいきなり銃撃を受けた時にどうすべきか等、国立高校生に分かる筈が無い。所詮は週に2-3回程度、木銃やエアガンを使って戦争ごっこをしていただけの集団なのだ。
実戦で敵の側面攻撃を受けたときにどうすべきか等、和人には全く分からなかった。何かをしなければいけないのかは分かるが、何をすればいいのかが分からない状態である。
和人が混乱している間にも、国立高校生たちは銃弾を喰らって倒れていっていた。頭部に銃弾を喰らった者は一瞬で絶命してその場に倒れ伏し、胴体や手足に銃弾を受けた者は軍服を血で真っ赤に染めて苦悶する。
これが紛れもない実戦であり、敵が撃ってきているのは実弾であることを、何よりも雄弁に物語る光景であった。
「皆、私に続きなさい」
和人が何をすべきかも分からないままに伏せ続けている中で、不意に凛とした声が響いた。一条理沙の声である。理沙はM-16を肩に構えて撃ちながら、側面に現れた敵兵に向かって突撃している。
「ふ、副級長に続け!」
和人は辛うじて言うと、自らも立ち上がって突撃に参加した。理沙の行動が正しいのかは分からないが、どちらにせよここにじっと伏せていても事態は悪化の一途を辿るだけだ。ならば理沙とともに突撃するのが、この状況下では最もマシな選択肢だった。
和人は息を切らせ、M-16の引き金を引き続けながら走った。すぐに弾が切れたのが分かるが、弾倉を交換している余裕は無い。そのまま走る。気が付いたときには目の前に敵兵がいた。
「喰らえ」
和人は喚声を上げながら、M-16の銃身で敵兵の顔を殴りつけた。肉と骨が潰れる嫌な感触が両腕に伝わってくる。和人はそのまま2度、3度と、敵兵の顔面をM-16で殴打した。
「やめなさい。もうとっくに死んでいるわ」
そこに理沙がやってきて和人を制止した。改めて見ると、敵兵の顔は潰れた肉の塊と化しており、破裂した眼球から流れ出る漿液と血液で染まっている。理沙の言う通り、明らかに死んでいた。
「それから、銃を変えなさい。銃身が曲がっているから」
理沙が続いて言い、和人は自分が持つM-16を見つめた。見ると確かに、銃身が横向きに歪んでいるのが分かる。強く殴りすぎたらしい。
和人は頷くと、死んだ国立高校生の1人が抱えている銃をその手から剥ぎ取った。ついでに予備弾倉も幾つか失敬していく。そのような行為を躊躇なく行えるようになっている自分に、内心で慄きながら。
「それで一体どうなった?」
「分からないけど、とにかく敵の1個小隊くらいは潰したと思う。こっちは100人は死んでいるけど」
和人が聞き、理沙が敵味方の死体を指しながら答えた。戦場には日本皇国軍の軍服を着た死体が100体以上と、日本人民共和国軍の軍服を着た死体40体前後が転がっている。
酷い交換率だが、こちらが素人集団であることを考えればむしろよくやったと見るべきだろうか。
「それで次はどうすべきだろうか」
「駆逐戦車の周りで戦っている人たちの援護に行きましょう。苦戦しているみたいだから」
和人の再びの質問に、理沙が淀みない口調で答える。全く以て堂に入った態度だと、和人としては改めて思った。やはり本来級長に相応しいのは、和人ではなく理沙なのだろうとも。
「皆、集まれ。これから駆逐戦車隊の支援に向かう」
しかし今になって級長を理沙に変えることも出来ない。和人は精一杯の威厳を示しながら、周囲にいる生き残り70名程を寄せ集めた。
そのまま小走りで、後方にいる駆逐戦車隊に向かっていく。その横には理沙が、亜麻色の髪を靡かせながら進んでいた。
辿り着いた駆逐戦車隊の周囲には国立高校生の死体が100体程と、敵兵の死体30体程が転がっていた。更に85式駆逐戦車のうち3両が、力尽きた巨獣のように砲身を下げて停止している。敵歩兵の対戦車ミサイルを喰らったのだろう。
残りの駆逐戦車たちは時たま機関銃を乱射しながら、前後進を繰り返している。本来ならスラローム走行を行いたい所だろうが、周囲が森林地帯である為出来ないのだろう。
そしてその駆逐戦車たちを狙っている一団を、和人は発見した。対戦車ミサイル発射器と思しき兵器を持ち、日本人民共和国軍の軍服を纏った兵士10人程が、85式に狙いをつけていたのだ。
そして機関銃の撃ち方から見るに、85式たちはその存在に気付いていない。駆逐戦車の限られた視界では、周囲の様子を探るのに限界があるのだろう。
「撃て!」
和人は上ずった声で引き連れてきた70名に命じると、自らも引き金を引いた。敵兵たちが壊れた人形のように倒れていくのが見える。
慌てて向き直ろうとした敵兵もいたが、その顔面にこちらが放った5.56 mm弾が叩き込まれる方が早い。敵兵の頭蓋骨が破裂し、周囲の草が脳漿で白く染まっていくのがはっきりと分かる。ほんの数秒のうちに、和人たちは10人の敵兵全員を片づけていた。
だが束の間の勝利の後には、再び地獄が待っていた。後方からAK-74の発射音が聞こえ、国立高校生たちが次々と倒れ伏したのだ。
「敵の新手か」
和人は呻いた。AK-74の銃声に混じって装軌車両の走行音多数が耳に入ったのだ。敵は新たな部隊、しかも機甲部隊を投入してきたことになる。
「皆、応戦しろ。出来るだけ木や岩の陰に隠れながらだ」
自らも模範を示すように木陰に飛び込みながら、和人は大音声で命じた。そのままM-16に次の弾倉を装着し、接近してくる敵兵を生き残った60名程の国立高校生たちとともに狙い撃つ。
道路を走ってきていた100人ほどの敵兵のうち先頭の20人前後が血飛沫を上げながら倒れ、残りが森林内に散開し始めるのが見えた。
その間に、85式駆逐戦車たちは接近してくるT-72とBMP-2の群れを狙い撃っていた。120 mm弾が発射される度に、T-72の椀型をした砲塔が続々と吹き飛ばされていくのが見える。
対するT-72も125 mm砲を連射して応戦するが、その砲弾は85式に命中しても大抵の場合、明後日の方向に弾き返されていた。85式はそのままT-72全車を沈黙させると、今度は後方を進むBMP-2に標的を切り替えた。
かつての第2次世界大戦で、日本戦車がソ連のT-34に全く歯が立たなかったのが嘘のような鮮やかな勝利である。
「どうも敵戦車が弱いな。どういうことだ?」
85式を側面から襲わんと森林内を機動する敵兵たちに銃撃を断続的に浴びせながら、和人は呟いた。T-72は最新のT-80には劣るかもしれないが、陸軍超大国たるソビエト連邦が誇る主力戦車の1つであることに違いはない筈だ。
そのT-72が戦車先進国とは言い難い日本皇国陸軍の駆逐戦車によって、ほぼ一方的に撃破されている。喜ばしくはあるが、それ以上に解せない光景だった。
「モンキーモデルだからでしょう。多分外見だけがT-72のハリボテみたいなものよ。あれは」
隣で同じく敵兵に銃撃を浴びせていた理沙が答える。彼女によるとソビエト連邦は、政治的信頼性が疑わしい同盟国に兵器を販売する際は、わざと性能を落としたダウングレード版を輸出することがあるという。
例えば戦闘機であればエンジンの推力を落としたり、戦車であれば装甲や砲弾の質を低下させた代物を輸出するのだ。これをモンキーモデルと言う。
さっき85式によって撃破されたT-72はそのモンキーモデルだろうと理沙は述べた。見た目だけはソ連陸軍のT-72と同じでも、装甲や砲弾はまるで違う代物である可能性が高いと。
「だとすると癪な話だな。我が日本皇国軍は、そんな低性能の兵器を装備した敵軍にも勝てなかったということか」
和人は憤然として言った。開戦以来、日本皇国軍は敗退を重ねている。青少年突撃隊という軍隊の紛い物まで投入している時点で、その敗勢は明らかだ。
その敗北が、輸出用の廉価版兵器しか持たない敵軍によってもたらされたとなれば、屈辱感もひとしおだった。
「こっちの兵器、特に空軍の兵器がそれ以下だったということでしょう。強いとか弱いなんて言うのは相対的な話だし」
理沙が答え、和人は肩を落とした。田中が生前によくしていた、現代戦とは制空戦であるという話を思い出す。
日本皇国空軍は当初F-15を導入しようとしていたが予算不足でそれが出来ず、F-16で妥協せざるを得なかった。しかもF-16と言ってもごく初期型の、碌なレーダーも無ければエンジン出力も低いタイプである。
対して日本人民共和国軍は、モンキーモデルかもしれないとはいえSu-27を保有している。しかもこちらのF-16の、ほぼ4倍の機数をだ。これでは最初から、勝負になる筈が無かったのだ。
「さてと、喋っていないで戦うわよ。敵兵はまだいるのだし」
理沙が不用意に姿を現した敵兵に5.56 mm弾を撃ち込みながら言った。敵戦車は全て撃破したが、歩兵はまだ残っている。85式への被害を避けるためには、それらを掃討する必要があった。