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深紅の夏  作者: 立夏
6/10

最初の悲劇

 耳慣れない爆音が聞こえてきたのはその時だった。日本皇国軍のF-16のものでも、開戦の発表以来馴染みになった日本人民共和国軍のSu-27のものでもない。上空を見上げると、それらの機体よりずんぐりした形状で、直線に近い主翼を持った飛行機が低空飛行している。

 

 「あの機体は……」

 「Su-25、フロッグフットだ。日本人民共和国空軍の主力攻撃機だ」

 

 和人が識別表を見返そうとする前に、田中が早口で言った。あの機体はSu-25、西側の通称ではフロッグフットと呼ばれるソ連製の対地攻撃機だという。

 

 「これは大分まずいな。思っていたよりもっとまずいかもしれない」

 「強力な機体ということか?」

 

 田中が塹壕内に走り込みながら早口で呟き、和人は尋ねた。あのSu-25とやら言う機体は、それ程危険な相手ということなのだろうか。

 

 「それもそうだけど、あの機体が飛んでいること自体がまずい。あんな低速の攻撃機が自由に飛び回れるってことは、味方は完全に制空権を失っているってことだ」

 

 田中が相変わらずの早口で答えた。田中によると、Su-25の最高速度はマッハ1にも達しない。マッハ2を出せるF-16に襲われれば、確実に撃墜されるということである。いやもしこちらの戦闘機がF-4やF-104等の旧式機であっても、結果は同じだろう。

 

 そのSu-25が白昼堂々と飛行している。これは味方が明らかな敗勢にある証拠だ。田中はそう言った。

 空中戦での損失が大きかったのかそれとも地上撃破されたのかは不明だが、とにかく日本皇国空軍は既に壊滅状態にある。Su-25が悠々とここを飛び回っているのはその証だと。

 

 「そういう意味か」

 

 和人は思わず呻いた。現代戦における制空権の大切さについては、軍事教練における座学で散々教育されている。日本皇国空軍はその制空権を失ってしまったというのだ。

 


 和人が青ざめる中、何年かの1年生が塹壕各所に設けてあるM-2重機関銃陣地に取りついた。どうやらSu-25を撃ち落そうとしているらしい。確かに相手は低空を低速で飛行しており、もしかしたら当たるかもしれないが。

 

 「やめろ! 奴を刺激するな!」

 「田中の言う通りだ。別命あるまで発砲はするな。これは命令だ」

 

 田中が血相を変えて1年生たちを一喝し、和人もそれに倣った。何だか分からないがこの状況下では、ただの軍事オタクとはいえ和人よりは軍について詳しい田中の言うことを聞いた方がいい。そう直感的に判断したのだ。

 



 だが遅かった。1年生たちは既に引き金を引いてしまっていたのだ。曳光弾の青い光が空を駆け上がり、上空のSu-25に向かっていく。そのうちの何発かは確実に命中したように見えたのだが。

 

 (効果が無い!?)

 

 和人は1年生たちを制止しながら内心で愕然とした。ほぼ確実に当たった筈なのに、Su-25には変化が見られなかったのだ。

 

 「無駄なんだ。奴は装甲を持ってる。12.7 mm程度の機銃じゃ効果が無いんだ」

 

 その和人の耳に、発砲中止命令に対して不平を漏らす1年生たちを説教する田中の声が入ってきた。Su-25は堅固な装甲に守られた機体であり、M2重機関銃の12.7 mm弾程度では撃墜不可能だ。田中はそう述べた。

 そして対地攻撃機に向かって不用意に発砲すると。

 

 「来るぞ、皆、伏せろ」

 

 Su-25の動きを見た和人は叫んだ。Su-25が機首を翻し、こちらに向かってきたのが見えたのだ。そして次の瞬間、その機首に閃光が走り、硝煙が混ざった土煙が和人の鼻と口に流れ込んできた。

 

 「皆、状況を報告しろ! 傷を負った者は?」

 

 和人は咳き込みながら叫んだ。辺りには土と硝煙の臭いに混じって金気を含んだ生臭さが確かに漂っている。紛れもなく血の臭いだった。負傷者は誰なのか、どの程度の傷なのか、級長としては把握しなければならない。

 

 いや、その行動自体が現実逃避であるのかもしれない。和人の中で状況を俯瞰している部分が囁いた。土煙が晴れ始める中で、被害の全貌が明らかになり始めていたからだ。

 

 まずM2重機関銃はバラバラの鉄屑と化し、四方八方に四散していた。Su-25の放った大口径機関砲弾が直撃した証である。

 そしてバラバラに四散しているのは、機関銃だけでは無かった。そこに取りついていた1年生たちもまた、赤と白が入り混じった混合物と化して周囲に飛散している。中身が入った軍靴だけが幾つもその場に残っている様子は、何やら滑稽ですらあった。

 

 「おい、田中、無事か?」

 

 塹壕内に飛び散った血と肉と脂肪と骨の欠片をなるべく見ないようにしながら、和人は田中に駆け寄った。田中が戦死した1年生たち、或いは1年生たちだったものの近くに倒れ伏しているのが見えたのだ。

 少なくとも顔と頭部は無事だ。これなら手当出来るかもしれない。いやもしかしたら、倒れているだけで無傷かもしれない。

 

 

 「た、田中……」

 

 だが田中の元に駆け寄った和人は思わず声を詰まらせた。顔が異常に青白い。大量出血している証だ。そしてその腰の下からは脚が消え失せており、代わりにはみ出した腸が伸びて蠕動運動を繰り返していた。

 周囲には濃厚な血の臭いと、破裂した内蔵から飛び出した未消化便の悪臭が漂っている。

 

 「よう、級長に副級長。お前らは無事だったようで何よりだ」

 

 絶句する和人に、上半身だけになった田中はニヤリと笑った。その横では同じく駆け寄った理沙が、首を横に振っている。助けようが無いという合図である。

 

 「し、喋るな。すぐに救護班が……」

 「誤魔化すのはよせ。俺はもう助からんよ」

 

 田中が文字通りの意味で血を吐きながら言った。一言喋るごとに、その顔から生気が薄れていくのが分かる。

 

 「……また、靖国で会おう」

 

 和人は辛うじてそう言った。友人の最期に際してかける言葉としては、あまりに陳腐で時代がかっていることは分かっているが、他にかけるべき言葉を和人は持っていなかったのだ。

 

 「ああ、お別れだ、級長」

 

 言うと田中はゆっくりと目を閉じた。その目が再び開かれることが無いのは、誰の目にも明らかだった。

 

 


 「畜生」

 

 和人は低い声で小さく叫んだ。マグマのように熱い何かが、腹の底からこみ上げてくるのが分かる。

 和人はなおも旋回を続ける敵機を睨みつけると、殆ど無意識のうちに小銃を構えていた。効果が無いことは分かっているが、どんなに微力であってもあの敵機に、田中を殺した対地攻撃機に復讐の一太刀を加えてやりたかったのだ。

 

 「よしなさい!」

 

 だが和人が引き金を引こうとした瞬間、頬に衝撃が走った。理沙が和人の頬を張ったのだ。

 

 「何をするんだ?」

 「何をするじゃないわよ! いい? あなたは級長なのよ! 級長が率先して馬鹿な真似をしてどうするの?」

 

 和人の叫びに対し、理沙が叫び返した。辺りを見渡すと多数の1年生や2年生が、ちょうど和人と同じように小銃を構えているのが見える。中には既にもう、発砲を始めている者もいた。

 対するSu-25は、飛んでくる小銃弾をものともせずに再び飛来すると、機関砲を塹壕に乱射した。血が混じった土煙が上がり、肉骨片が飛び散っていく。

 

 「皆、伏せろ! 撃たずに伏せるんだ!」

 

 我に返った和人は命じた。12.7 mm機銃で落ちなかったものが、5.56 mm小銃で落ちる筈が無い。そんな当たり前の事実に今更気付いたのだ。

 同時に自らも、血と脂肪で泥濘んだ塹壕内に伏せる。理沙の言う通り、級長たる者は皆に模範を示さなければならないのだ。

 


 だが1-2年生の一部は、それでも伏せようとせず、あくまでSu-25を撃ち続けた。銃声や爆発音のせいで和人の命令が届いていないのか、それとも戦闘の興奮に我を忘れているのかは分からない。

 しかしどちらにせよ確かなのは、その行為が致命的な過ちであることだった。機関砲の発射音が響くごとに悲鳴と断末魔の絶叫が上がり、小銃の発砲音が小さくなっていく。やがて弾薬を使い果たしたらしいSu-25が引き上げるまで、この無意味で陰惨な戦闘は続いた。


 「各クラス長は点呼を取り、終了次第結果を報告せよ」

 

 和人は血と泥に塗れながら立ち上がると、辛うじてそう命じた。ひとまず、敵機の攻撃によって生じた被害を確認しなければならなかった。

 



 「戦死59名、負傷が122名……か」

 

 やがて点呼は完了し、和人はその結果に複雑な呻きを発した。意外に少ないという気持ちと、59名という数字の重さが交互に押し寄せてくる。

 誰かの息子や娘であった者が59名、永遠にこの世から消えたのだ。負傷した122名にしても、いつ死者の仲間入りをするか分かったものではない。ここには必要最小限の救護訓練を受けた者しかいないのだから。

 


 そのまま放心したように塹壕の中に座り込んでいた和人だが、不意に顔を上げた。鋭く重い金属音が聞こえてきたのだ。この音には聞き覚えがある。装軌車両の走行音だった。 



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