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深紅の夏  作者: 立夏
1/10

プロローグ

 1993年、日本列島の西側を支配する日本皇国はその黄昏を迎えようとしていた。或いは西側と呼ばれる政治勢力全体がと言うべきかもしれない。西側諸国というものは実質的な意味でも象徴的な意味でも、過去の存在になろうとしていたのだから。

 

 何故そうなったのかは誰にも分からなかった。西側陣営の敗北は共産主義が自由主義に勝利したことを意味するのか。ソビエト連邦の戦略がアメリカ合衆国のそれより上を行っていたからなのか。それとも単に東側の方がより多くの領土と人口を抱えていたからなのか。

 

 いずれにせよ、1991年のNATO解散を契機とした西側の崩壊はとどまることを知らず、盟主であるアメリカ合衆国をも文字通り2つに切り裂いた。1993年初頭、合衆国の南部諸州は新国家アメリカ連合国としての独立を宣言したのだ。

 南部人に言わせれば北部の専制からの解放、北部人に言わせればソビエトに扇動された売国行為であるが、どちらの立場を取るにせよ少なくとも1つの事実が残った。アメリカ合衆国がソビエト連邦と並ぶ超大国である時代は終わったということである。

 無数の小規模紛争を伴いながら2つに割れたアメリカ合衆国は世界の半分を統べる超大国から、ただの地域大国に転落した。いつか復活のときが来るとしても、それには少なくとも数十年を要するだろう。

 

 合衆国崩壊、かつてのNATO諸国のワルシャワ条約機構加盟、東南アジア諸国の急激な赤化。ドミノが崩れるように、1993年の世界はソビエト連邦が主導する新秩序に向かっていた。日本皇国、かつての大日本帝国の残骸から作られたアメリカのアジアへの橋頭保は、最後の西側諸国となりつつあったのだ。

 

 

 そして老人と歴史を齧ったことがある者は、夏が近づくとともに思い出していた。「1945年の夏も冷夏だった」と。

 

 第2次大戦最末期のその年、大日本帝国はアメリカとソ連の両方を敵として絶望的な戦いを繰り広げた。その大日本帝国政府をして降伏と米ソによる分割占領を受け入れさせたのは、全国的な冷夏の到来だった。

 亜熱帯を原産とする作物であるコメは、冷涼な気候の下では収量が極端に低下する。このままでは物流の遮断による分配不均衡と併せて1千万単位の餓死者が出るという予測は、末期大日本帝国政府の要人さえ慄かせた。大日本帝国政府は末端の将兵を弊履のように使い捨てたことで悪名高いが、その彼らでも国家規模の餓死は受け入れられなかったのだ。

 かくして1945年、大日本帝国は歴史から姿を消した。日本皇国と日本人民共和国という、米ソの傀儡国家2つを遺して。

 

 1993年の夏は、その1945年と同じく冷夏となることが予測されていた。そして日本皇国にとっては1945年と同じく、世界を敵とした状態で迎える夏であることも。



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