表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

人は見えないものは信じられない

作者: 泡沫
掲載日:2021/07/28


"人は見えないものは信じられない"


この言葉に代表されるのは幽霊とか妖怪とかオカルトものだろう。

多くの人たちは根拠なきものは信じない。

それはオカルトに限らないように思う。



 毎日、嘔吐を繰り返して、学校に通えなかった。顔は真っ青で、血の気がなかったと、周りの人はいう。頭は動悸に合わせるように、ズキンズキンと痛んだ。電車の中でも気持ち悪くなって途中下車してトイレに籠った。学校に通っても、休み時間の度にトイレにこもって便器を抱いた。胃の中には何も入っていないのに何度もえずいた。スカートがトイレの床についても気にしなかった。抑えるように、市販の薬を飲んで、無理に笑顔を作って、授業に参加した。休み時間、吐きたくても、休んだ日の分、色んな先生を探して校内を歩いた。体育を休むにも朝それ以上に歩いて探さなくてはいけなかった。案の定、次の日は学校を休んだ。


 当然、病院に行った。

 病院に行っても、大抵の場合、原因は分からない。

 インフルエンザなんかは簡単だろう。"検査"がある。

 しかしながら、原因がハッキリとしないと、検査すらできない。私の場合は、取り敢えず、血液検査をした。

 異常はなかった。どれも正常値でなんらかの病気の疑いもなかった。

 本来であれば、ホッとすべきだろうが、そうもいかない。

 検査に異常がなければ、決まって"ストレス"や"生活習慣"が原因と暫定的に決める。

 検査に異常がないと、この症状の原因は"やる気"なのか。"気持ちの問題"なのか。自分が悪いのか。

 それ以外に何も言えないのは分かってるつもりだ。

 しかし、こんなにも苦しいのに"なんでもない"というのは、とても苦しい。


 何度、悩みはないかと聞かれて、同じことを言う。

 改善案を示されて、やってみろと言われても、そんな元気なんてない。あったら、病院になんて来てない。

 人間関係に悩んではいるけれど、誰に休んだ日のノートを見せて貰えばいいか困るけど、喋ったら吐きそうなんだもの。話しかけたりなんてできないよ。人前で吐きたくない。休み時間はトイレに篭るんだから。薬を飲むんだから。周りなんて見えない。やらないんじゃない、できないんだ。

 先生を探して学校中を歩いた次の日には学校を休んだ。体調が悪いから、体育を見学したかった、しかし、見学するために更に体を壊した。


 自分だって自分のことを信じられない。

 "検査結果に異常がない"ならば、元気なはずで、こうなっているのは間違っている。ならば、自分の怠けではないか、甘えではないか。本当に自分が体調が悪いのか、体を壊しているのか、信じられなくなっていた。

 自分が悪いんだ、自分のせいで体が元気なのに言うことを聞かないんだ。


 内科医の勧めで心療内科に通うようになった。

 そこでは、ストレスよりも、元気がないことに問題を置いてくれた。

 随分と楽になったと思う。

 処方された薬を飲んで、体調も緩やかな回復を見せた。

 それでも、明確な検査異常はなかった。

 飽くまで、状況を診てくれたのであって、何か数値があったわけじゃない。

 理解してくれる人はいると思う、けど、やっぱり、理解してくれない人もいると思う。

 万人に理解されなくてもイイと思う。それでも、やはり、不安だ。


 "気合い"の問題"気持ち"の問題じゃない。

 精神的なものも含めて、やはり、見えない原因が確かに存在していて、自分でコントロールすることは不可能なんだと思う。鬱病もその他も、きっとその人の気持ちの問題だけじゃない。複雑に様々な問題が絡み合っていて、断定はできない。そして、検査にも異常はでないことが多いと聞く。


 


 "人は見えないものは信じられない"

 これは、多くのことに言えると思う。


 先の例でそれを数値で検査できるようにすれば解決かというと、それは違うと思う。


 人は数値という、わかりやすい明確な物差しを得てしまった。故に、それに依存してしまって、それ以外のことをより、信じられなくなってしまったのだと思う。


 数値は多くの人で共有し、共通認識を持つことができる、素晴らしいものだと思う。明確で、皆を納得させるために欠かせないものだと考える。政治の根拠とすれば民衆を納得させるのに役立つだろう。民衆も安心して政治を任せることができるだろう。


 しかしながら、数値で表せないものの方が、実際には多いと思う。

 数値で表そうとして、それを成し得ても、また新しい、測れないものが現れると思う。


 わからないことは不安だ。明確でないことは不安だ。

 だからこそ、数値や明確な物差しを信じて、他は、あり得ないこととしたい。

 しかし、数値だけを信じて、それ以外を蔑ろにすることは、先に述べたように問題がある。


 数値に見えない、明確にならない何かが、確実に何かに影響を及ぼしていることを理解しなければならない。

 数値に頼らずに何かを見極めていく方法を考えて、全ての根拠をある見える一つに依存しないようにしていきたいが、それは、とても難しいと思う。


 いつか、見えない何かを信じられるようになって、納得できるようになったなら、これまで見逃されてきた才能が開花して、今、不遇に嘆く人が少しは減るんじゃないかと考えている。


 実力(テストの点など)が優れていなくても、人をまとめる力は優れている人、ただそこに居るだけで場が温まり、結果的に利益に貢献する人、明確でないから、私たちは彼らの実力を信じられない。目に見える何かにならないから、信じられない。


 いつか、見えないものを信じて、互いが互いを尊重して、全ての人が才を活かせるようになることを願う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ