1.乙女ゲームのヒロインとお兄様
王都アルカンシエル内のあるお屋敷にて、お気に入りのドレスに身を包んだメルは驚愕に目を見開く。どこかに出かけていた父親が夕方になって男の子を連れて帰ってきたのだ。この幼いながらも整った容姿。黒髪の父にも自分に似た金髪の母にもまるで似ても似つかない茶髪の風貌はしかしながらどこか既視感を覚えた。
「今日からきみのお兄さんになるフレンだ。仲良くしなさい」
父親の隣に立つその人は優しそうな丸い瞳をでどこか睨みつけるように見ている。何故そこまで威嚇されるのか不思議に思いながらもメルはそれよりも重大なことに思考を持っていかれていた。
――フレン・オスフェ
この世界において貴重とされる天賦の才を持ち、学園内でも様々な才能から生徒会長を務める人物だ。しかし、そんな王立アスフィル学園に入学するのは14歳の春で更には生徒会長になるには3年生にならなければならないはずだ。では何故メルには目の前の少年の未来がわかるのか。
(これは…まさかの…)
乙女ゲーム、という言葉が頭を掠めた瞬間、目の前の景色が歪む。そのまま自分の名前を必死に呼ぶ母親と何が起きたのか分からない顔の父とフレンを残してメルは静かに意識を飛ばすのだった。
* * * *
――そうだ、この設定はあの乙女ゲームの設定だ、ということはまさかっ!!
そこでメルは目を覚ました。透き通る水色の瞳がゆっくりと開かれると心配そうにこちらを見つめる母親アリアと父親ヴァンが目に入った。
「メル!!目が覚めたのね…!!痛いところはない?」
「お母様…。はい、大丈夫です」
「大丈夫かい、メル…。ごめんね、突然のことでびっくりしすぎてしまったのかな…」
父親の気落ちした声に倒れてしまったことを思い出したメルは慌てて周りを見渡した。倒れる前に目の前にいたはずの茶髪が見当たらない。
「そんなにキョロキョロしてどうしたの、メル。まだどこか痛いところがあるの?」
「いえ、それは大丈夫です。あの、お父様…」
「ん?どうしたいんだい?」
「あの、フレン…様は、どちらに…?」
部屋にいるのはベッド周りに父親と母親、そしてメルの専属メイドが1人扉の前に立たずんでいるだけである。いくら睨まれていたとはいえ、目の前で倒れてしまって驚いているであろう少年に一言謝ろうと思ったのだ。しかしそんなメルの気持ちとは裏腹にヴァンは気まずそうに口を開く。
「フレンはメルが倒れたことにすごく驚いてしまったみたいでね。お医者様にメルを見てもらっている間に部屋に戻ってもらったんだよ」
何も言わずにいきなり紹介してしまってごめんね、と頭を撫でるヴァンにメルは慌てて首を振る。そもそも突然兄が出来たからと人が倒れるはずがない。その様子を見て安心したように笑うと、ヴァンは静かに立ち上がった。
「身体に問題はないそうだし、今夜はゆっくり休みなさい。メルが大丈夫なら、また明日しっかり話をしよう」
「そうね、今日はいつもより疲れたでしょう。私たちもお部屋に戻るわ。何かあったらすぐにメイド達に言うのよ?明日の朝食の席で改めてお話させてちょうだい。…おやすみなさい」
最後にメルの額にキスをして、ヴァンとアリアは部屋を後にした。そのまま起き上がっていた上体をベッドに横にすると休むと思ったのだろうメイドも一礼して部屋を出ていった音がした。
扉が完全に閉まったことを横目に確認したメルは先程夢にまで出てきた前世の記憶に思考をやる。
* * * *
『やっぱりこのヒロイン可愛すぎるっ』
興奮したように女の子――芽瑠は叫んでいた。すぐ後に階段の下から聞こえる咎める声にすぐに冷静になったが、それでもキラキラとした瞳は画面を見つめている。
《童話のヒロインよりもヒロインになれる》を謳い文句にしたその乙女ゲームはカタルシスという童話のキャラクターたちに準えた不思議な能力を持つ個性豊かなキャラクターたちの魅力、何より戦闘あり恋愛あり逆ハーものというシステム性により爆発的人気を誇った。シリーズ化され、アニメや漫画にまで広がり、そのどれもが女の子達の心を鷲掴みにしていた。しかし、こと芽瑠においては少しだけ目的が違ったのだ。
『あーん、やっぱりない…。どうしてヒロインにはグッズがないの!?そもそも名前くらい考えてあげようよ!』
そう、芽瑠のお目当ては魅力的な攻略対象でも、アニメで人気を獲得したサブキャラでもない。シリーズ全てにおいてヒロインを務めている女の子が大好きなのだ。乙女ゲームが原作とあって、公式に名前も無く、アニメ化されるまでは声すらも入ってなかったヒロイン。ファンタジーにも関わらず純日本人かのような黒髪黒目、そして目立った才能もない女の子だが、芽瑠にはその普通がとても輝いて見えた。教室の片隅で1人読書をする目立たない芽瑠は仲のいい友達もおらず、いつもキラキラとした同級生たちを羨ましく思っていた。そんな芽瑠だからこそ、普通のヒロインが学園の人気者たちに好かれるその様子がなによりも好きでそんなヒロインが憧れだったのだ。そのため、乙女ゲームだということは知っているがアニメや漫画しか見ていない。自分はヒロインが好きなのであって、攻略対象はヒロインを好きでいたらいい。あのヒロインが楽しそうに動く様子を見れるアニメだけで芽瑠は満足だったのだ。いつか友達になりたい、そう願ったのはいつだったか。
「そうだ、あの茶髪にあの容姿。まだ幼いけどフレンさんで間違いないよね?」
この剣と魔法の世界で魔力を持って生まれただけでも優秀とされているが、カタルシスを持つ人間はその能力を駆使することで国の中でも重要なポストにつくことができる。《天賦の才》――それは童話の登場人物に準えた特別な力だ。能力も様々で空を飛んだり身体の大きさを変えたりする能力から、毒耐性と言った状態異常への有効な能力だったりと幅広くある。故に、カタルシスを持つ子供はこの世界では大切にされるのだ。貴族から一般家庭まで家の位を問わず、世界中のカタルシスを持った者が一堂に会する学園がある程だ。フレンはその中でもピーターパンの才能を持ち、成績優秀、保有する魔力も一流と余すことなく才能を発揮するキャラだった。ヒロインよりも2学年上で頼れる先輩キャラとして人気を博していた。
「そうそう、アニメでは確かそんなフレンさんの妹がヒロインのこと悪く言ってたんだよね。そんなに仲良くしたくないなら私が代わりたいって…思って…」
そこでふと倒れる前の父親の台詞を思い出す。たしかフレンが私の…
「お兄ちゃん…!?」
そうだ、確かにあの時父はメルのお兄ちゃんになると言った。はっきりと。フレンがお兄ちゃんになる。つまりそれはメルが妹になるということだ。フレンの妹。先程思い出した役柄はヒロインに冷たく当たる曰く悪役令嬢というやつではなかったか。
「えぇぇ、やだよやだよ、!わたしはヒロインちゃんと仲良くなりたいの!カタルシスは無いし魔力は小さいけどそれでも一生懸命に学園で頑張るヒロインちゃんを応援したいのに…」
ずーん、と落ち込むメル。ようやく憧れのヒロインに近づくチャンスがやってくるのだ。それを無碍にするなんてメルには出来ない。ベッドの中で必死に思考を巡らせてなんとか出来ないかと考える。この際、友達にならなくてもいい。遠くからでもいいからヒロインが幸せそうに微笑むところが見たい。あんなに頑張っていたヒロインが報われるところをこの目で見てみたい。その時、メルの頭の中にひとつのアイデアが浮かんだ。
(そうだ、攻略対象と仲良くなればいいんだ!!)
――メルは少し思考がズレたタイプの子だった。
(そうだよ、攻略対象と仲良くしてたらヒロインちゃんと仲良くなっていく様子も聞けるし、私がヒロインちゃんをフォローしたらヒロインちゃんの魅力に皆が気づくのがもっと早いかもしれない!!せっかくフレンさんの妹なんだし、攻略対象のキャラクターは皆カタルシスを持っているから上流階級の家庭の方々だったはず。幼い頃から関わりがあることもアニメでヒロインちゃんに言ってたから私もすぐに会えると思うし、学園に入るまでに交流を深めておこう!!)
すごくいい案を思いついたとばかりにメルは浮かれる。あれやこれやとまだ見ぬヒロインのことを考えながら夜は更けていった。
* * * *
次の日、メイドが起こしに来るよりも早く目が覚めてしまったメルは昨日の作戦について考えながらメイドに着替えを手伝ってもらっていた。前世の記憶を思い出したとはいえ、もう5年もメルとして生きているのだ。これくらいのお嬢様具合には慣れている。そのままフレンのことを考えながら身支度を整えたメルはハーフアップにされた髪の毛の黒いリボンを撫でながらメイドに問いかけた。
「フレン様にもメイドって着くのかしら?」
「いいえ、お嬢様。フレン様は男の子ですし、執事が着くそうです。すでにフレン様専属候補の執事が何名か朝の身支度のためにお部屋に伺ったと奥様が仰っていましたので」
その言葉に満足したメルはそう、と一言返事をして朝食の席に向かうために立ち上がった。メルにとっては今から戦場へ向かうくらいの心持ちだ。ヒロインと仲良くなるために攻略対象である兄とも仲良くする。それは前世で友達や親しい関係の者が余り居なかったメルにとっては正しく闘いなのである。
(今日失敗してもまだまだ時間はあるわ。とはいえ今回少しでも仲良くなれなかったら慣れる前に凹んでしまって勇気が無くなってしまうかもしれないわ。やっぱり今から私は闘いに行くのよ、!)
決意を胸にいつもよりも胸を張り、緊張の面持ちで1歩ずつ歩む自信の仕えるお嬢様に対して、突然の兄に緊張しているのだと勘違いしたメイドたちはその背中へそっとエールを送ったのだった。
「お母様、お父様、おはようございます」
「おはよう、メルリア」
「おはよう。いつもよりも早いわね」
父親と母親が座る机はとても広く、いい匂いを漂わせた料理たちが広々と並んでいる。母親の横に置かれた椅子をメイドが引いてくれるままに座ったメルの向かいはまだ空席のままだ。
「おや、おはよう、フレン。こっちにおいで」
三人で少し談笑しながら待っていると父親がメルの後ろを見て微笑みながら声をかけた。ドアを開ける音もしなかったぞ、と不思議に思いながら後ろを見るとそこには昨日見た時よりも整った服に身を包んだフレンがそこに立っていた。
「おはよう、ございます。すみません、お待たせしてしまって…」
「おはよう。気にしなくていいのよ、メルも今日は早いけどいつもはフレンよりも身支度に時間がかかるのよ」
母親の言葉にメルが頷けば、ホッとしたような表情をしながらメルの向かい―父の隣に座るフレン。そんなフレンをじっと見つめれば、フレンも昨日のように見つめ返してくる。その瞳には昨日のような探るような様子もなく心の中で首を傾げたメルはしかしながら作戦を思い出し、静かに立ち上がった。そのままそこで軽くスカートを持ち上げて礼をする。
「昨日は突然倒れてしまってすみません。メルリア・オスフェと申します。私、お兄様がずっと欲しかったのでフレン様が来てくださって嬉しいですわ!!」
そうして全力の笑顔を浮かべてなんとか言葉を絞り出したメルはフレンの表情を盗み見た。父と母はメルが声を上げたことにより様子をうかがうように静かに見守ってくれている。何故か驚いた表情をしたフレンはメルを見つめたまま静かに口を開いた。
「フレン…です。昨日はその、大丈夫でしたか?」
「ご心配をおかけしました。痛いところもなく、絶好調です!!」
「それなら良かったです。余計なことだとは思ったのですが、心配…だったので…」
「ありがとうございます!!お陰様で無事ですわ。それより、何故敬語を使われるんですか?」
その言葉に表情を変えたのはフレンだけではなかった。表情を硬くしたフレンに父と母は揃って悲しそうに顔を俯かせた。
――そもそもフレンが突然兄になったのには明確な理由がある。元々オスフェの分家にあたる家で生まれたフレンは残念ながら当主とその奥方の息子ではなかった。当主が酔った拍子にメイドに迫ってしまい、その際に出来てしまった子供なのだ。当主本人も覚えておらず、メイドがずっと隠して部屋でひっそりと育てていたのだが、そのフレンがカタルシスを発現させたことにより事態は一変。せめて子供をいい環境で育ててくれとメイドが進言したことにより露呈したその事実にその家では今も問題解決に至ってはいない。しかし、フレンに罪は無いとして、カタルシスを所持していたこともあり本家であるオスフェが引き取ったのだ。その事情をしっかりと理解しているフレンはアリアやヴァンがいくら説明しても自分はメルよりも下だと感じている。ゲームではその負い目を逆手に取られ、ヒロインに酷いことをするメルのことをフレンは止めることが出来ないのだが、メルはフレンと仲良くしたいのだ。そんな負い目を早く捨ててもらいたい。
「フレンお兄様。私、お兄様が出来てとっても嬉しいんです。私の事はメルって呼んでください」
「しかし、メルリア様、私は…」
「メル、ですわ、お兄様。そう呼んで下さらないと私はお返事しませんからね!それから、そんな畏まってお話されると私悲しいです。もっと普通にお話しましょ?」
「いや、でも…」
畳み掛けるように喋るメルにどうしていいのか分からなくなったフレンは助けを求めて横に座るヴァンに視線をやる。しかし、そこには娘の言葉に嬉しそうに微笑み、フレンとメルの会話を微笑ましく眺める姿があった。アリアも同様に、兄妹で仲良く喋っているところを見つめるだけで口を挟む様子もない。
「そうですわ、お兄様。まだお屋敷の中もお庭の中もあまり知らないでしょう?私が案内致しますわ!」
「そうだね、それはいい案だ。任せてもいいかい?メル」
「もちろんです!お父様!」
「いや、それは…。そんなことメルリア様にしていただく訳には…!!」
「安心して、フレン。メルは方向音痴だけど流石にもう自分の家で迷子にはならないわ。一応メイドも執事もちゃんと着いて行かせるから」
「そ、そうではなくて…、」
「あら、それでは他に心配がありますか?お兄様が一緒に行かせて下さるならなんでも答えますわよ!」
「心配とかではくて…!その、メルリア様のお手を煩わせる訳には…。それに、私なんかのためにそんなこと、自分の部屋まで用意して頂けて、それだけで嬉しいんです。お部屋で大人しくしているのでそんな案内なんて…」
「いけませんわ!!」
俯くフレンの言葉を大声で遮ったメルは立ち上がってフレンの横まで歩み寄ると膝の上で固く握られた両手を解くように優しく包み込んだ。あまりのフレンのネガティブ思考に途中からヒロインのためにということも忘れてフレンに語りかけた。
「せっかく家族になれたんですもの、私はフレンお兄様と仲良くなりたいんです。お父様もお母様も、もちろん私も。みんなフレンお兄様が家族として来てくださって嬉しいんです。ですから、お部屋に篭もるなんて寂しいことを言わないで、私に案内させてください。これからたくさん私と遊んでくださいませ」
フレンの優しげな瞳を見つめながら言いきったメルは言ってやったとばかりに心の中で得意げになっていた。しかし、見つめ続けていたフレンの瞳が次第に涙の膜を滲ませ始めたことに慌てて手を離す。
「す、すみません、フレンお兄様…!手が痛かったですか?何か酷いことを言ってしまったかしら、そもそも手を握るのがダメでした?!」
オロオロと離した手を目の前で震わせながら焦りまくるメルにフレンはどこか晴れる気持ちがした。自分の出生に疑問を抱いていたフレンは元の母親とひっそりと暮らしていたときでさえこんなに温かな気持ちになったことは無かった。当主にバレないようにと音も出さず、一日中部屋に閉じこもる毎日。母親は自分を産んだことも誰にも話しておらず、朝早くに部屋を出ては夜遅くに帰ってくる。嫌われていたとは思っていないが興味すら持ってもらえていなかったんではと考えていた。自分を受け入れてくれるんだ、と態度で示してくれる目の前の自分よりも幼い少女に自然と笑みが零れた。先程まで自分がされていたように、メルの両手をそっと包み込んだ。
「フレン…お兄様…?」
「……メルリア…いや、…メル」
「!!」
「今日はお屋敷の中を探検したいんだ。……案内を任せてもいい?」
「……っ!!はいっ!!もちろんですわ!!」
「…ありがとう」
静かに一筋の涙を流しながら、しかし嬉しそうに微笑んだフレンの顔をメルは嬉しく思いながら見つめた。