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----何だって言うのよ…!
昼食を食べ終え、部屋に戻った彩綾はソファにもたれかかりながら空を睨みつけていた。食堂での出来事が脳内で何度も再生され、なかなか怒りが収まらない。ウォルトが放った突き刺すような言葉と表情が、彩綾に身に覚えのない罪悪感を植え付けた。その事が、何よりも腹が立つ原因だった。
----何よあの態度!私が何したってのよ!
----触るな?自意識過剰なんじゃないの!?アンタなんかに欠片も興味ないわよ!
拳を握りしめ、ボスッ!ボスッ!とソファを叩いていると、扉をノックする音が聞こえた。彩綾は慌てて座り直すと、「どうぞ」と返事をする。その声に反応して扉が開き、扉を開けたままリークが一歩部屋に入って立ち止まった。
軽くお辞儀をして、穏やかな表情で話し出す。アイツは周りの人間に恵まれるタイプらしい。
「失礼いたします、サーヤ様。お休みのところを申し訳ございません。旦那様から執務室に来るよう言付かっております。私がご案内いたしますので、ご一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか?」
執事の言葉に、彩綾はまたしても先ほどの出来事が蘇った。用があるなら自分から来いと言ってしまいそうになるが、なんとか堪えて飲み込んだ。
「…それ、今どうしても行かなきゃいけませんか?」
「何かご都合がお悪いのでしたら、また改めて伺う旨を旦那様にお伝えいたしますが。」
「…いえ、大丈夫です。行きます。」
彩綾はまだ正直会いたくは無かったが、無関係のリークを何往復もさせるのも忍びないと思い直し、さっさと終わらせる方を選んだ。重い足を引きずるように、リークの後ろについていった。
*
執務室の扉をノックする音がした。ウォルトはソファに座り、手元の書類に目を落としたまま「入れ」と返事をした。リークが扉を開け、彩綾に軽くお辞儀をして中へ入るよう促した。
彩綾が部屋に入ってきた事を確かめるように視線だけを彩綾に向けると、持っていた書類をテーブルに投げるように置き、部屋から出ようとしたリークにこのまま留まるよう命じた。
リークは扉を閉めると、部屋の隅で立ったまま待機している。ウォルトは彩綾にソファに座るように声をかけ、彩綾はウォルトと対面するように反対側のソファに座った。せっかくなので遠慮なく睨みつけるが、ウォルトは全く意に介していない。
「急に呼び立てて悪かったな。」
何事も無かったかのような口調に、彩綾は静かに嫌悪を滲ませた。
「謝るのはそこじゃ無いでしょう?」
「…なんの事だ?」
「しらばっくれないでよ。さっきの態度、何よあれ。」
彩綾の中で、着実に燻っていた怒りが増長し始めるのがわかった。それでもなお冷静に話そうと努めていたが、沸点はあっという間に訪れた。
「あぁ、あの事か。あれは何でもない、忘れてくれ。それより…」
「忘れろですって!?人を真っ向から威嚇しておきながら、アンタほんといい性格してるわね!」
ウォルトの言葉に激高した彩綾は、手元にあったクッションを掴むとウォルトにめがけて思いきり投げつけた。
ウォルトは黙って当てられたクッションを横に置いて彩綾を見ると、もう一つ投げつけようと構えている彩綾の姿が目に映ってギョッとした。片手を額に当てて大きく溜息を吐き、彩綾の目を見てクッションを置くよう視線で促す。
彩綾は呼吸が落ち着くのを待ち、ゆっくりとソファに座り直すと、フンと鼻を鳴らした。
「…で、何の用よ。」
「あぁ、お前を呼んだのは他でもない。お前の首にぶら下がっているその碧い石のことだ。」
ウォルトは彩綾の胸元を指で指し示す。
彩綾は首にかけたまま服の中にしまっているペンダントを服越しに握った。
「そういえば、さっきもこれを見せろって言ってたわよね。これがどうかしたの?」
そうだ。そもそもウォルトは最初からこの石の存在を知っていてあの森に来たのだ。彩綾自身の存在はさして重要な事ではない。いや、運び手としてはそれなりに調べておきたいと言ったところだろう。石だけに用があるなら、自分まで城に連れてくる必要が無いからだ。
「お前は、その石をどうやって手に入れた?」
「どうやってって…。これは、私の母が生前に渡してくれたものなの。」
「お前の母親から?では、お前の母親はその石をずっと持っていたのか?」
母親からもらったという所に、ウォルトの妙な食いつきを感じた彩綾は咄嗟に身構えた。
「ちょっと、なんでそんなこと聞くのよ。」
「いいから、答えろ。持っていたのか?」
「…持っていたというか、箱に入れて大事にしまっていたの。」
彩綾は両親の事を言いたくは無かったが、石の事を説明するにはそれを避けて通ることができない。
不本意な状況に口惜しくなった。目の前にいる男にはこんな感情ばかりが募る。
「…私の両親は本当の父と母じゃなくて、血は繋がってないのよ。父は私が幼い頃に病気で他界して、その後は母と二人で暮らしていたんだけど、7年前に母も病気で倒れてしまって…。母が亡くなる前に、本当の親子じゃ無いことと、私を拾った時にこの石が私の腕に巻き付いていたことを教えてくれたの。」
そこまで話すと、彩綾は目を伏せて俯いた。ウォルトはじっと彩綾を見つめた後、ソファの背にもたれかかり上を向いて目を閉じた。そしてしばらく考え込んだ後、身体を起こし彩綾の方へと向き直った。
「お前の母親は、お前を拾った時のことで何か言っていなかったか?」
「何か?…うーん…。」
彩綾は口元に手を当てて、病室での会話を思い出そうとした。そして、ここへ来た時の光景を思い出し、母の言葉を思い出した。
「…あ、そういえば、私を見つける直前に父と二人で散歩していたら、すぐ近くの…森だったか林だったか、大きな光が一瞬見えたって言ってたわ。」
「大きな光!?」
「ええ、確かにそう言ってた。すごく田舎で周りに誰もいなかったから、他にその光を見た人はいなかったんだって。それで、父と母はちょっとした冒険心で光った場所を見に行って、そこで私を見つけたって言ってたわ。」
ウォルトは黙り込んでリークへチラと視線を送ると、リークも同じ様にウォルトに視線を送っていた。彩綾は二人の顔を交互に見つめ、どうしたのかと訝しんだ。しばらくの沈黙のあと、ウォルトは自分の胸元に手を差し入れ、首にかけていたものを取り出した。
*
琥珀色をした石に、紐が括り付けられている。
ウォルトは首にかけたまま、その石を彩綾の視線の高さにぶら下げた。彩綾は目を見開いて、凝視する。いや、自然と吸い込まれるように見つめていた。
「その石…。」
「あぁ、これは俺の石だ。色は違うが、お前の石と似ているだろう?」
「え…一体、どういう事なの?」
自分とウォルトに…いや、自分とこの世界には既に繋がりがあった可能性を突きつけられたようで、彩綾は呆然とした。ここに来たのは必然的な出来事だったという恐ろしい考えに、指先が微かに震えるのを感じる。
「お前は、その碧い石について何か知っているか?」
「…石について?いいえ…何も。母から受け取ってからはずっと箱にしまっていたし…昨日たまたま箱から出して首にかけてみたぐらいだもの。」
彩綾が顔を青くして消え入りそうな声でそう答えると、ウォルトが宥めるような口調でゆっくりと言った。
「そうか…。わかった、時間を取らせて悪かったな。とりあえずその石は肌身離さず持っていてくれ。決して口外せず、できるだけ誰にも見られないよう注意してくれ。できるか?」
「なんでそんなに…」
「で・き・る・か?」
「わかったわよ!注意すればいいんでしょ!?」
「ああ、それでいい。」
気をつけろよ、と言いながらウォルトはソファから立ち上がり、テーブルに置いた書類を手に取って仕事に戻った。彩綾も立ち上がり、執務室を後にする。廊下を歩きながら彩綾がウォルトとのやり取りにもやもやした気持ちを抱えていると、彩綾を部屋まで送るために隣を歩いていたリークがふと足を止めた。そして彩綾へと向き直り、ニコッと笑って声をかける。
「サーヤ様、このままお部屋までお戻りになられた後はお休みになられるかと思いますが、ご夕食はいかがなさいますか?」
「はぇ?夕食ですか?」
不意を突かれた質問に思わず彩綾の声が裏返り、笑われてしまった。
「ふふふ…はい。とてもお疲れのようにお見受けいたしましたので。もしお望みでしたらご夕食はお部屋で召し上がれるよう手配いたしますが。」
リークの申し出に、彩綾は胸がすっとする気持ちがした。常識では考えられない状況でずっと緊張していた割に、一人で落ち着く暇もなかったことに気付いたのだ。そんな彩綾の気持ちを汲んでくれるリークの気遣いに、素直に感動していた。
「お心遣い、ありがとうございます。お願いしてもいいですか?」
「畏まりました。では、私からナタリーに申し伝えておきますので、サーヤ様はお部屋でごゆっくりお休みください。」
リークは優しく笑ってそう言うと、彩綾を部屋まで送っていった。
彩綾が部屋で休んでしばらくすると、ナタリーが夕食を運んできた。一人で食べる夕食に心が落ち着いた途端、彩綾は強烈な眠気に襲われ、そのままベッドで泥のように眠りはじめた。
----そして、何度目かの同じ夢を久しぶりに見た。