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彩綾がシェランドル城に戻った二日後、王都にいるウォルトの父クレイス侯爵から連絡があった。執務室で書類に目を通しているウォルトの側でリークがお茶を淹れていると、扉をノックする音がした。
「ウォルト、呼んだ?」
「あぁ。わざわざ来てもらって悪いな、サーヤ。」
ウォルトは立ち上がり彩綾にソファに座るように促すと、自分も彩綾の隣に座った。リークが用意したお茶からはほのかな柑橘系の香りが漂い、部屋中を満たす。
「先ほど父上から手紙が届いてな。二日後に巫女殿の祭壇室に来るように、との事だった。お前を連れて行くとなると馬車になるから、明日出発して実家に泊まり、明朝宮殿に出向くことになるんだが構わないだろうか。」
「レティーナ様のところへ?えぇ、もちろん構わないわよ。ちょうど、私も皆さんにご挨拶しに行きたいと思っていたの。」
「そうか、それなら良かった。リーク、悪いがそういう事になったから、明日から数日城を開けることになる。実家にも、明日帰ることを連絡しておいてくれ。」
「畏まりました。」
彩綾がお茶の香りを楽しんでいると、ウォルトが唐突に切り出した。
「サーヤ、父上とお会いしたら、その時に俺たちの事をきちんと報告しておこうかと思っている。」
「俺たちって…その、お付き合いをしています、みたいなこと?」
「は?何言ってんだよ。結婚します、に決まってんだろうが。」
「ブフォッ!!」
彩綾が噴き出す直前に、ウォルトは素早く身を離す。
「お前のパターン、大体読めてきた。」
*
翌日の陽が落ちかける頃、彩綾とウォルトを乗せた馬車は王都にあるクレイス家の屋敷に着いた。彩綾が馬車から降りるなり、シャロラインとセレリーナが駆け寄り抱き締め合った。
「それにしても、サーヤさんが戻ってきてくれるなんて、夢みたいだわ。消えたと聞いた時は心臓が止まるかと思ったわよ。」
ティールームで、シャロラインはカップを持って小さく息を吐いた。ウォルトはバツの悪さを隠すために無言でお茶を啜る。そこへ、セレリーナが容赦なく棘を刺した。
「本当ですわね。全く…どこかの残念な男の、残念な言葉で、残念な事になるなんて、夢にも思いませんでしたわ。サーヤさんが心の広い女性で良かったわね、ウォルト。」
「義姉上…。もうその辺で勘弁して下さい。」
「あ、あの、お母様、お姉様、ご心配をおかけして申し訳ありません。その…私はこちらの世界の常識とか、マナーとか、何も知らないんです。お二人にいろいろ教えていただければと思うのですが…。」
彩綾が顔を真っ赤にして頭を下げると、シャロラインとセレリーナは顔を見合わせて目を丸くした。シャロラインがウォルトに視線を移す。ウォルトが小さく頷くと、パッと顔を明るくさせて彩綾に向き直った。
「まぁ!まぁまぁ!そういう事なの!?サーヤさん、ウォルトの気持ちを受け取ってくれたのね!?」
「え?いえ、その、受け取ったというか、私も…と言いますか…。」
「まぁぁ!サーヤさん、本当によろしいの?いつまた下らない嫉妬で貴女を責めるかわからないわよ?」
「義姉上…。」
きゃあきゃあと盛り上がる女性陣にウォルトが閉口していると、扉がガチャリと開いた。全員が振り向いた先から、モンドールとチェスター、シューゼルが揃って中に入ってくる。ウォルトと彩綾は咄嗟に立ち上がり、ウォルトは胸に手を当てて礼をした。
「父上!兄上たちも!どうしたのですか、このような時間に。」
「ウォルト、よく戻った。ああ、サーヤさん!」
モンドールがウォルトを押しのけるように前へ進むと、両手を広げて彩綾を抱き締めた。ギュウギュウと締め付けるモンドールに応えるように、彩綾も背中に腕を回す。しばらく抱き合うと、モンドールが身体を離して彩綾の両肩に手を添えた。
「サーヤさん、戻ってきてくれて本当に良かった。あのまま二度と会えなくなるのではと、生きた心地がしなかった。」
モンドールの後ろで、シューゼルがウォルトに「お前はどうでもいいって感じだったな」と囁くと、ウォルトは半目になって黙っていた。
「お父様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。至らない娘ですが…よろしくお願いいたします。」
「…!今、娘と…。そうか、そうだな。ありがとう、サーヤさん。」
モンドールの後ろに控えていたチェスターが前に出ると、彩綾を優しく抱きしめた。
「サーヤさん、本当に、戻ってきてくれてありがとう。貴女を家族として迎えられることを嬉しく思うよ。」
「チェスターお兄様…。ありがとうございます。私には兄弟も姉妹もいませんでしたから、私を迎え入れて下さったこと、本当に感謝しています。」
順番が回ってきたシューゼルが抱きつこうと飛び出した途端、ウォルトが間に入って抱きとめた。
「うわっ!何するんだよ!」
「シューゼル兄上はご遠慮下さい。」
「何でだよ!この恩知らず!!」
彩綾はギャアギャアと言い合う二人に苦笑すると、ウォルトの肩をそっとどけて、シューゼルをふわりと抱き締めた。シューゼルはグッと喉を詰まらせると、彩綾をギュッと抱き締め返した。
「サーヤちゃん、良かった!本当に…もう帰ってこないかと思った…。」
「心配かけてごめんなさい、シューゼルさん。」
「本当だよ!サーヤちゃんがいなかったこの一月程の間、ウォルトの面倒見るの大変だったんだからね!」
「シューゼル兄上、余計な事は言わなくていい。」
彩綾はハタと思い出すと、持ってきた荷物の中から小さな箱を取り出し、モンドールに差し出した。
「これは?」
「これは、母が生前私に手渡した箱です。この中に、碧い石が入っていました。」
「そうだったのか…。中には何か入っているのか?」
「はい。今は、この中に両親との写真…いえ、絵が入っています。」
彩綾は箱を開けて写真を取り出すと、モンドールに手渡した。幼い頃の彩綾の顔に亡き弟と巫女の面影が映る。モンドールは目を潤ませ唇を震わせた。
「これは…いかんな。歳を取ると、涙もろくなる。この一緒に描かれているのが、貴女の両親だね?」
「そうです。私を拾って育ててくれた…大切な両親です。」
「そうか…。やはり思った通り、優しそうなご両親だ。私は生涯、この方たちに心から感謝し続けるだろう。」
モンドールがチェスターに写真を渡すとシューゼルが覗き込み、シャロラインとセレリーナも駆け寄って写真を眺めていた。そのあまりの精巧さに皆が目を見張ったが、それについては誰も何も聞こうとはしなかった。
ウォルトはその横をすり抜けてモンドールの前に出ると、姿勢を正して一礼した。
「父上。私は本日、ここにいるサーヤ・キリタニ嬢との結婚のお許しを頂くために参りました。どうかご承諾下さいますよう、お願い申し上げます。」
ウォルトの言葉に、その場にいた全員が固まった。彩綾はハッと我に返ると慌ててウォルトの傍に寄り添い、一緒に頭を下げた。顔から火が出る程真っ赤になるのがわかる。
----このタイミングで言うなら言うって、先に言ってよバカ!!
ティールームに沈黙が流れ、彩綾が妙な汗をかいていると、沈黙を破ったのはシューゼルだった。
「え?二人、結婚するの?早くない?サーヤちゃん、つい数日前に帰ってきたばかりでしょ?」
「そうですわ。まだこの世界に慣れていない事が沢山ありますのに、サーヤさんはそれでよろしいの?」
「シューゼル兄上も、義姉上も、ご心配なく。彼女とはそれ以前から一緒にいましたし、もっと言えば知り合ったのは12年前です。それに、ここでの事はこれからゆっくり身に付ければいい。」
「…早く自分のものにしたい、って事だな…。」
モンドールが小さく咳払いをすると、彩綾に向き直り、優しく見つめた。
「サーヤさん、本当にこのままこの世界で、ウォルトと共に生きていってくれるのか?」
「はい。一度自分の世界に戻った時に、思ったんです。ウォルトのいる世界に行きたい、ウォルトに会いたい、と。ですから、今回持ってきたもの以外は全て整理してきました。もう思い残すことはありません。」
「そうか…。わかった、貴女が覚悟をもってウォルトの元へ来てくれたと信じよう。ウォルト。」
「はい、父上。」
「よいか。サーヤさんは、亡き弟と先代巫女の大事な娘だ。必ず幸せにすると誓えるか。」
「はい、もちろんです父上。私は生涯サーヤを愛し、幸せにすることをここに誓います。」
「…そうか。ならば、二人の結婚を認めよう。サーヤさん、こやつはまだまだ未熟だ。それでも、貴女を想う気持ちだけは誰にも負けない。息子の事、よろしく頼む。」
「はい…。ありがとう…ございます…。」
モンドールの優しい微笑みに亡き父の面影を見て、彩綾は涙が溢れた。
*
翌朝、彩綾とウォルトは馬車に乗り込み、王宮へと向かった。
朝の涼しい風が窓を通り抜け、車内の空気を清める。彩綾は少し慣れてきたドレスを整えながら、ソワソワと外の景色を眺めた。
宮殿に着くと、迎えに出てきた侍女に連れられ、祭壇室へと向かった。侍女が扉を開けて中に入ると、祭壇の前にモンドールとレティーナが、そして二人と対面するように、下座にはシャロラインをはじめクレイス家の者が並んでいた。
「これは…。」
彩綾とウォルトが呆気に取られていると、モンドールが「二人とも、こちらへ」と祭壇の前に促した。祭壇から少し離れたところには、王太子が静かに立っている。二人は慌てて一礼をすると、モンドールに向き直った。
「父上、これは一体…。」
「よく来たな、ウォルト。そして、サーヤさん。この時を待っていた。チェスター。」
「はい。」
チェスターがモンドールに書類を渡すと、モンドールが静かに読み上げる。
----『バーヴェルク王国国王側近モンドール・クレイス侯爵と、シェランドル領主ウォルター・クレイスの養子縁組を解消する。』
----『余、バーヴェルク王国国王ハルベルト・ヴァーリンボルは、シェランドル新領主ウォルター・クレイスが、琥珀色の石をもってシェランドルを統治し、彼の地に安寧をもたらし、バーヴェルク王国に利を与えるならば、シェランドルを独立国として認め、その初代国王に琥珀色の石の継承者ウォルター・クレイスを置き、バーヴェルク王国と永久不可侵の同盟国とすることをここに誓う。』
モンドールが読み終えると、祭壇室は静寂に包まれた。ウォルトが何を言われたのか理解できないまま呆然と立ち尽くしていると、モンドールは書類を祭壇の上に置き、レティーナと共に下座へと足を踏み出した。そして、マントを翻してウォルトに向き直ると、両膝をついて頭を下げる。皆がそれに倣うと、モンドールが透き通った声を響かせた。
「ウォルター・クレイス様、サーヤ・キリタニ様。我々、取り換え子の一族であるクレイス家及び碧の巫女レティーナは、バーヴェルク王国に忠誠を誓うとともに、シェランドル初代国王ウォルター・クレイス様にも未来永劫、忠誠を誓うことをここに宣言致します。」
モンドールが言い終わると、再び静寂に包まれた。ウォルトが頭を下げたまま動かないモンドールを呆然と眺めていると、隣で控えていた王太子がクスクスと笑いながら歩み寄った。
「ウォルト、ほら、何か言わなきゃ。じゃないと皆このまま頭を下げたままになってしまうよ。」
「え?あ、あの…父上、どうか…お立ち下さい。母上も、兄上たちも、皆…立ち上がって…。」
ウォルトの声に皆が立ち並ぶと、ウォルトは困惑したままモンドールの前に出た。
「父上、これはどういう事でしょうか。私が、シェランドルの国王だなどと…。冗談にも程があります。」
「ウォルター様。これは、貴方様を私の養子としてお迎えした時から考えていた事です。もし貴方様が琥珀色の石の継承者としてご立派にご成長なされた暁には、一つの国に属するのではなく、一つの国を統べる者として在らねばならない、と。」
「しかし…、そんな急に…。私には王など無理です!なぜ、父上の子でいてはならないのですか!」
ウォルトの懇願に、モンドールは目を閉じて小さく息を吐くと、ウォルトの両肩に手を置いて優しい眼差しを向けた。
「…よいか、ウォルト。お前のその力は、一つの国を、国を統べる者の心を乱すものだ。遥か昔の世であれば、その存在を隠して生き続けられたであろう。しかし時代は変わり、お前の力は世に出てしまった。これからは、もっとその力を利用しようとする者が出てくるやもしれん。あるいは、その力も通用しなくなる時代がくるやもしれん。どちらにせよ、お前は今後、その力といかに共存していくかを考えねばならんのだ。」
「案ずるな。お前一人に、その荷を負わせるようなことはせん。その為に、私たちがいるのだろう?お前やサーヤさんにもしもの事があれば、我がクレイス家は全身全霊をもって助けに行くだろう。よいか、忘れるな。お前はサーヤさんをはじめ、多くの者に支えられているんだ。辛くなったら寄りかかればよいのだ。」
「私とて、これが最善の事だとは言い切れない。なぜなら、何が正しかったか、何が過ちだったかは、後の世の者が決める事だからだ。それは、この国の歴史を見ればわかるだろう。なれば、今我々ができる最善だと思う事を精一杯成し遂げることが、未来に希望を繋げるのだ。」
「ウォルト…。お前が私の息子になってくれたこと、私は心から神に感謝する。大丈夫だ。私はいつでも、お前の見方だ…!」
モンドールがウォルトを強く抱き締める。
その広く逞しい胸に、ウォルトは肩を震わせ顔を埋めた。




