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彩綾はナタリーに連れられ食堂へと続く廊下を歩きながら、ここでやっと自分が強烈な空腹を抱えていたことを思い出した。そもそも、食べ物を買いにコンビニに行こうとしていたのだ。
----今頃はアパートの部屋でおにぎりでも食べてたんだろうなぁ。明太子は外せないよねぇ。
ナタリーに食堂の入り口まで案内してもらうと、ちょうどお昼の時間だからだろう、たくさんの兵士や使用人が忙しなく出入りしていてごった返している。
兵士たちが空いている席に着くとすぐにトレイに水を載せた従者が水を運んでくる。その後、料理を載せたトレイを持つ従者や大きな籠にパンを載せた従者が次々と兵士の前に並べていく。その一方で席を立った後を手早く片付けている者もいた。
感覚で互いの動線の邪魔をせずに、手際よく、効率よく動き回る従者達の動作に彩綾が思わず見入っていると、ナタリーが声をかけた。
「ではお嬢様、お席にご案内しますね。」
「あの、私もここで食べるんですか?兵士さん達のお邪魔になるんじゃないでしょうか。」
食堂内を見渡すと、大勢の人がひしめき合ってる。ただでさえ席を譲り合っている状態なのに、部外者である自分が入ってもいいものかと躊躇った。
「いいえ、お気になさる必要はございませんよ。食堂といえども、お食事をされる席はそれぞれのご身分やお役職によって分けられております。お嬢様のお席はあちらの上座の方ですから、お気になさらずお召し上がりください。」
ナタリーの指し示す方に目をやると、確かに上座のあたりには他の兵士たちと装いの違う男たちが座っていた。その上座のあたりでもやはりテーブルは分けられているようで、最も奥のテーブルには豪華なテーブルクロスが敷かれていた。もうすでに何人か座っている。嫌な予感がした。
「あの…もしかして、あの一番奥のテーブルじゃないですよね?」
彩綾が恐る恐る奥の席を指さすと、当然だという表情で返された。
「ええ、もちろんあのお席ですよ。旦那様からそこへお通しするように申しつかっております。」
やっぱり、と彩綾は顔を青くした。申しつけた張本人の憎たらしい顔が思い浮かぶ。彩綾は脳内からその顔を振り払うと、なんとか上座での食事を回避しようと、ナタリーに詰め寄った。
「いやいやいや、待ってください。私があの席に座るなんて、とんでもないです。そもそも私は貴族でも何でもない、ただの一般人です。この世界で言うところの、平民です。あ、言うのを忘れていましたが、私のことはお嬢様ではなくサーヤと呼んでください。私は28歳ですので、お嬢様と呼んでいただくことには少し後ろめたい気持ちになってしまいます。話が逸れましたが、やはり高貴な方々と肩を並べて食事をするのは辞退させていただきたいと思います。ナタリーさん達と一緒に食事をさせていただけませんか?」
彩綾はこれ以上目立つようなことはしたくないし、何よりすでに周りからの視線が痛い。自分たちの主が外から女性を連れて帰った噂は、短時間の内にたちまち城中に広がっていた。
食堂の入り口横でそんなやり取りをしていることに気付いた一人の兵士が、最も奥の上座の席を立ち二人の元へと歩き出した。ベージュブラウンの髪がくるくると揺れている。
「やぁ、サーヤ、そんなとこに突っ立って何してるの?早くおいでよ。お腹すいたでしょ?」
彩綾は背後からかけられた言葉に振り返ると、人懐っこい顔をしてニコニコ笑う兵士と目が合った。知っている顔を見つけて安堵の息を吐く。
「あ、コルト!ちょうど良かった。あのね、アイツが私を上座に座らせるようにナタリーさんに言ったみたいなんだけど…」
「あぁ、そのことなら聞いてるよ。ちょうどいい、僕が案内するよ。行こう。」
----聞いてる、とは?
コルトは彩綾が言い終わる前にそう言うと、ナタリーから固まる彩綾を引き受けた。エスコートしようと彩綾に手を差し伸べるが、彩綾はその手の意味がわからずキョトンとした顔で手を見つめている。その様子から察したコルトは思わず目を細めた。気を取り直すようにエスコート用の手を引っ込めて彩綾の前に立つと、兵士や従者にぶつからないように配慮しながら席へと案内した。
*
食堂中の視線を一身に受けながら、彩綾はコルトに案内されるがままにテーブルに着くと、運ばれてくる水や料理に目を落とした。空いている隣の席には立派なグラスが置いてある。誰の席かはすぐにわかった。料理を運んでくる従者たちはチラチラと彩綾の様子を伺い、彩綾が時折顔を上げてお礼を言うと、顔を真っ赤にして一礼し、慌てて厨房へと下がっていった。
その様子を横で見ていたコルトは、小さくクスリと笑って彩綾に話しかける。
「ところで、どうしてそんな恰好してるの?これから乗馬でも始めるのかい?」
からかう素振りもなく、世間話のような体で聞いてくれるコルトに対して、やっぱり話しやすい人だなと感心した。
「あぁ、これ?それが、用意してもらってた服がドレスばかりだったの。私、動きにくい服って苦手だから、ドレスじゃなくてもっと動きやすい服を下さいってお願いしたのよ。そしたら、これを持ってきてくれたの。」
彩綾が苦笑交じりにそう言うと、コルトが興味深そうに聞き返す。
「なるほどね。そういえば、さっきも動きやすそうな服を着ていたもんね。サーヤの国では女性はドレスを着たりしないの?皆、そういった動きやすい服を好んで着るのかな?」
「そうね、どちらかと言うと動きやすい服を好む傾向にあるかしら。もちろん、スカートやワンピースみたいな女性らしい恰好を好む女性もたくさんいるわよ。でも、ドレスは限られた状況の時ぐらいしか着ないんじゃないかしら。私は着たことないからわからないけれど。」
「え!ドレスを着たことないの!?」
「ええ、無いわよ。」
信じられない、といった顔をするコルトに対し、彩綾は平然と返した。
この世界では異常かもしれないが、自分の世界では普通のことだ。なるほど、こちらの『常識』に相手が驚くことがあるのも当然かと思うと、彩綾は少しおかしくなった。
コルトに自分の世界の女性服や男性服について話していると、空席だった場所に人の気配を感じて振り返った。ちょうどウォルトが自分の席に座るところだったが、この場に着いたと同時に目を丸くして彩綾の恰好を凝視していることに気付いた。
「おい、なんだその恰好は。乗馬でも始めるつもりか?」
「…なんで皆して同じこと聞くのよ。そんなに気になるものなの?」
コルトと同じことを言われたのに、どうしてこうも不快に感じるのかと溜息を吐いた。ウォルトは彩綾の態度が気に入らないかのように、目を合わさずにグラスに注がれた葡萄酒に口をつける。互いに目を合わさないまま淡々とした会話が続く。
「ドレスを用意させたはずだが?」
「かくかくしかじかよ。」
「なんだそれは。」
「たった今コルトに説明したところだから、同じ事を言うのが面倒臭い時に使う言葉よ。」
「おい、面倒臭いとか言うな。なぜドレスを着ない?」
「動きにくいからよ。ひらひらした格好は苦手なの。」
「いい歳して女らしさの欠片も無いな。」
「一言余計よ。アンタみたいな子供に女らしさがわかってたまるもんですか。」
「まったく、減らず口もそこまでくるといっそ清々しいな。」
「アンタは減らず口がお似合いのお年頃よね。羨ましいわ。」
顔を合わすなりバチバチと火花を散らす二人の様子を、周りにいる兵士や従者たちは固唾を呑んで見守っている。料理を運びに来た従者たちは二人の間に入るタイミングがわからずオロオロとしていた。
コルトは顔を背けてクツクツと笑った後、呼吸を整えて顔を上げ助け舟を出した。
「まぁまぁ、二人ともその辺にしてご飯食べようよ。そうだウォルト、せっかくだからこの機会にサーヤの事を皆に紹介してあげなよ。さっきからずっと、遠くから好奇の視線を向けられてるからサーヤだっていい加減ウンザリするよね。皆も気になるだろうし、ハッキリさせといた方がいいんじゃないかな。」
それもそうだな、とウォルトは隣にいる彩綾にも立つよう視線を向けて、自らも立ちあがり片手を上げて皆の注目を促した。主の指示に食堂は一気に静まり返り、その場にいた者すべての視線が主の方へと注がれた。彩綾もその視線の流れ弾を受け途端に心臓が早鐘を打ち、誰とも目が合わないように目を泳がせた。
「皆、食事中にすまないが紹介したい者がいる。」
静まり返った食堂に、透き通ったウォルトの声が響き渡る。
こんな声も出せるのかと、彩綾は少し驚いた。
「彼女はサーヤ・キリタニ。今日からしばらくの間うちで預かることになった客人だ。皆、見知りおいてくれ。今ここにいない者には、それぞれの隊の者が伝えておくように。以上だ。」
ウォルトは言い終わると、チラと彩綾の方を見た。彩綾はハッとして、慌てて大きな声で「よろしくお願いいたします!」と勢いよく頭を下げた。顔から火が噴くほど恥ずかしく、顔が真っ赤になるのがわかった。その様子を見てウォルトがこっそりと笑いを堪えているのが視界の端に映る。
----やっぱり、コイツ嫌いだわ!
賑やかな食事も終わる頃、先に席を立ったのはウォルトだった。「午後は執務室に籠って仕事をする」と言い置き、椅子から離れようとした時だった。パサッと軽い音がして目をやると、小さな巾着が落ちている。
「ねぇ、落としたわよ。」
括りつけた紐が緩んで落ちたのだろう。ウォルトがその巾着を腰に括り付けているのは何度も視界に入っていた。彩綾はさっとそれを拾い上げると、緩んだ紐を括り直そうとして巾着の口に指をかけた。
「それに触るな!!!」
言うが早いか、ウォルトが彩綾の手から乱暴に巾着を奪い取っていた。突然向けられた剣幕に彩綾はビクッと肩を震わせ、固まったままウォルトを凝視した。主の怒声に食堂は再び静まり返り、空気が凍り付いたように物音一つしなくなった。
ウォルトは巾着をギュッと握りしめ、彩綾を見据えて低い声で言った。
「…いいか、これには絶対に触るな。わかったな。」
「……。」
ウォルトはそう言うと、踵を返して大股で食堂から出ていった。残された彩綾は訳がわからないといった視線をコルトに送る。コルトも戸惑っているのか、肩を竦めて溜息混じりに苦笑した。