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Changeling  作者: みのり
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56

 彩綾は夢を見ていた。


 何度か夢の中に出てきたあの小さな男の子が、元気になって走り回っている。

 あぁ、良かった。あんなに走れるぐらいまで、体調が良くなったんだ。

 お姉ちゃん、お姉ちゃん!一緒に遊ぼう!

 うん、そうね。今そっちに行くわ!あなたも大縄跳びする?あれ、すごく楽しいのよ。

 彩綾が駆け出したその時、足元が崩れ落ちた。

 落ちる!

 そう思った瞬間、手を掴まれふわりと身体が浮いた。

 サーヤ!サーヤ!

 目を開けると、金色の瞳が優しく微笑んでいる。

 彩綾は紅く光るウォルトの腕の中に抱き締められていた。


*


 目が覚め、ぼんやりと天井を見る。起きたばかりだというのに、彩綾の胸は高鳴っていた。

 両手を額に乗せて目を閉じ、自分に目を向ける。もう誤魔化すことはできなくなっていた。


 ----私、ウォルトの事好きだ。これ以上嘘は吐けない…。


 震えるような溜息を吐いて、彩綾は身体を起こした。

 自分がこの世界の人間だったと知った。碧い石と琥珀色の石の事も知った。自分の本当の両親の事も知った。血の繋がった家族がいる事も知った。そして、碧い石はもうレティーナに託してある。後は…


 ----この気持ちと、ちゃんと向き合うだけだ。


 とはいえ、恋なんて久しぶりでどうしていいかわからない。ウォルトにきちんと告白されたわけでもない。それっぽいことを()()()だけだ。


 ----『パートナーとは、将来を誓ったお相手の事を指すのですわ。』


 レイシーに言われたあの言葉が、今でも彩綾の胸を締め付ける。帰ろうとする気持ちを繋ぎとめるかのように、彩綾の心に鎖を巻きつけた。

 彩綾はノロノロと立ち上がり、クローゼットに向かった。扉を開けると、きちんと畳まれた服が目に入った。彩綾がこの世界に来た時に着ていたシャツとスウェットの上下、そして靴下と靴。

 彩綾はなぜか可笑しくなってクスリと笑った。


 ----なんか、ここに来たのが遠い昔みたいね。


 彩綾は服を手に取り、袖を通した。すでにこの城のほとんどの人が、彩綾が違う世界から来た者だと知っている。それなら、乗馬服よりも自分の服を着ていたいと思った。

 ふと、テーブルの上にあるハンカチが目に入った。昨日ウォルトが涙を拭くのに差し出してくれたものだ。借りたままだったことを思い出し、きちんと洗ってから返そうとスウェットパンツのポケットに入れた。

 ちょうど彩綾が着替え終わって靴を履いている頃、扉をノックする音がした。彩綾が返事をすると、ナタリーが入ってきた。


 「おはようござ…まぁ!サーヤ様!どうなさったのですか!?」

 「おはようございます、ナタリーさん。今日は…この服を着ていたいと思いまして。目立つかもしれませんが、よろしくお願いします。」

 「あらまぁ…。ふふ、畏まりました。ご朝食の準備が整っております。食堂までお出でになられますか?それともお部屋で?」

 「そうですね…。食堂へ行きます。」

 「畏まりました。では、参りましょうか。」


 彩綾は部屋を出るとナタリーに連れられ、食堂へと向かった。


*


 「サーヤ!こっちこっち!」


 彩綾とナタリーが食堂の入り口に着いてすぐに、ベージュブラウンの髪をクルクルと舞わせながら駆け寄ってくる兵士が目に飛び込んできた。


 「コルト!コルトじゃない!なんだか久しぶりね!」

 「本当にね、サーヤ。もう、本っ当に心配したんだからね!とにかく無事で良かった!」


 行こう、と手を引くコルトに苦笑しながら、彩綾は上座にあるいつもの席に座った。チラリと隣を見るがグラスが置かれておらず、ここへ来る気配は無い。彩綾が内心ガッカリしていると、心の中を読まれたかのようにコルトが小さな声で言った。


 「ウォルトなら、今朝は執務室で食べるってさ。全く、朝から忙しい男だねアイツも。」

 「え?あぁ、そうなんだ。えっと…いただきます。」


 食事をしながら今日着ている服の事や王都の街に出かけた時の事を話していると、会話が途切れた隙を突いてコルトが再び声を落とした。


 「で、サーヤはホントのところ、ウォルトの事をどう思ってるの?」

 「ブフッ!!」


 彩綾が口に入れたばかりのパンが飛び出さないように慌てて口を押さえると、コルトがニヤニヤしながら追撃した。


 「あれ?もしかしてサーヤ、自覚有りなんだ?へぇ~。ほぉ~。で、それはもうウォルトに言って…るわけないよね、その感じじゃあ。」


 彩綾がダラダラと汗を流してパンを頬張っていると、コルトは肘をついて手に顎を乗せた。


 「サーヤはさ、その気持ちをどうしたい?自分からウォルトに伝えたいのか、それともウォルトから伝えてもらいたいのか。傍から見ればウォルトの気持ちなんてダダ漏れだし、今更って感じなんだけどね。アイツのことだから、サーヤにも言葉なり態度なりでちゃんと伝えてるんじゃない?」


 彩綾は水でパンを流し込むと、俯きながらぼそぼそと口を開いた。小声といっても周りには大勢の兵士たちや動き回る従者たちがいる。誰にどんな単語を拾われるかわからない以上、とても大っぴらには話せなかった。


 「その…自覚したのは、つい最近なの。でも、私は彼よりずっと年上だし、もっと彼に合った良い人が現れるかもしれない。それに…私には元いた世界があるから…。」


 彩綾は自分の発した言葉に打ちのめされた。結局自分はどうしたいのかが見えてこない。

 コルトはしばらく考え込んだ後、「よし!」と言って彩綾に向き直ると、満面の笑みを浮かべた。


 「ねぇ、サーヤ。もしウォルトがサーヤにちゃんと気持ちを伝えて、側にいて欲しいと言ったら、君はこの世界に()()()()()()()()()って思うかい?」


 彩綾はコルトの笑顔をまじまじと見ながら、ずるい質問だな、と思った。

 『留まるか』とか、『留まりたいか』ではなく、『留まってあげてもいいかなと思うか』とコルトは聞いた。その女性優位の言い回しは、素直になれない女性の心を動かす魔法の言葉のようだった。

 彩綾は小さくコクリと頷くと、顔を真っ赤にして呟いた。


 「…そう、ね。彼が…どうしてもって言うなら…。」

 「本当に?よし、わかった!それじゃあ僕がウォルトと話をするから、サーヤは心の準備をしておいてよ。」

 「でも、いいのかしら…。」

 「大丈夫だよ。アイツだってとっくに心は決まってるんだから、モヤモヤしてるの嫌でしょ。」


 コルトはそう言って立ち上がると、「もうちょっと待っててね」と言って食堂から出て行った。彩綾も食事を終えて席を立つと、広場へと向かった。


*


 広場の一角では、相変わらず子供たちが元気に遊びまわっていた。彩綾が駆け足で近付いて行くと、彩綾に気付いた子供たちが一斉にパッと明るい顔をする。その中に、ユアンの顔は無かった。


 「サーヤだ!帰ってきたんだ!」

 「お姉ちゃーん!おはよー!」

 「サーヤ!お帰りー!」


 子供たちが手を振り、口元に手を当てて大声で彩綾に声をかける。彩綾は片手で手を振りながら子供たちの輪に加わった。


 「みんな、久しぶりね!元気にしてた?」

 「うん、でもお姉ちゃんがいなくて寂しかった。」

 「また大縄跳びしようよ!」


 彩綾が嬉しそうに微笑んでいると、そばかす顔のトニーが不安そうな顔で彩綾を見上げた。


 「サーヤ、ユアンの奴がさ、急にいなくなったんだ。どこに行ったのかもわからなくて…。」


 トニーの沈んだ顔がチクリと胸に刺さり、彩綾は咄嗟に誤魔化した。


 「ユアンなら、彼を知っている人が現れて引き取られたのよ。今はその人のお家で暮らしているわ。だから、心配しなくても大丈夫よ。」

 「そうなのか!?そっか、良かった!」


 トニーが嬉しそうに顔を崩すと、彩綾も笑顔で応えた。ふと、遊んでいる時のユアンの嬉しそうな顔が脳裏に浮かぶ。あれが彼の素の姿だったんだな、と彩綾は思った。

 子供たちと遊んでいる途中で、スウェットパンツに軽い重みを感じてハッとした。


 ----いけない!ウォルトに返すハンカチ、洗うの忘れてた!


 彩綾は慌てて子供たちに声をかけて、落とさないようにポケットに入れたまま洗い場へと向かった。


 ----危ない危ない、早く洗って乾かさないと!


 彩綾が井戸のある中庭に向かって速足で歩いていると、角を曲がった井戸の側から話し声が聞こえてきた。その聞き慣れた声が耳朶に触れ、無意識に足を止める。声の主に気が付くと、彩綾は咄嗟に壁の影に隠れた。


 ----この声…ウォルトとコルトじゃない?


 彩綾は食堂でのコルトとのやり取りを思い出し、胸の鼓動を必死で抑えていた。


 「だから、前にも言っただろう。俺はサーヤのことを何とも思ってないし、同じような境遇だから気にかけているだけだ、と。」


 ----…え…?


 彩綾は呼吸が止まるのを感じた。何を言っているのか分からないまま、呆然と立ち尽くす。足が震えて立ち去る事もできないまま、二人の会話はなおも続いた。


 「だから、何でそんな頑なに否定するんだよ。別にいいじゃねぇか。どうせ、今回の包囲網は私情が絡んでると疑われるのが嫌だってだけなんだろ?誰もそんな事思ったりしねぇし、疑う奴がいたところで放っときゃいいだろうが。」

 「…。」

 「それとも何か?前みたいに婚約者がいるから、とか言うのか?」

 「彼女との婚約は白紙に戻した。だが、それとこれとは話が別だ。とにかく、これ以上口出しするな。いくらお前でも、俺のプライベートにまで踏み入るのは許さん。」


 ----マズイ、こっちに来る…!


 ウォルトが踵を返して立ち去ろうとすると、コルトがウォルトの背中に向かって言葉を刺した。


 「そうか…じゃあ、サーヤは僕がもらってもいいよな。」

 「…何だと?」


 コルトの言葉に、ウォルトは足をピタリと止めた。ゆっくりと振り向いたその目には、殺気が滲んでいる。コルトは全く意に介さないような涼しい顔で、それを受け流した。


 「僕はサーヤの事、ずっと気になってた。最初はただの興味だったが、彼女がこの城で見せる笑顔や子供たちと遊んでいる姿とか見てたら、いつの間にか自然と目で追っててさ。あ、これ惚れちゃったなって気付いたんだよ。」

 「…サーヤはお前より年上だろうが。お前、年上の女は受け付けないんじゃなかったのか?」


 ウォルトが拳を握り締めて睨みつける。コルトは腕を組んでそれを真っ直ぐに受け取った。


 「あぁ、そうだ。僕もそう思ってたよ。だが、それがどうした?今まではそうだった、ってだけの話だろうが。」

 「…。」


 突然訪れた沈黙に彩綾が心臓をバクバクと鳴らせていると、ウォルトの冷え切った声が彩綾の耳を貫いた。


 「…お前、確かランダース子爵家の嫡男だったよな…?」

 「うん?それがどうかしたのか?」

 「…サーヤは、処女じゃない。」

 「は??」


 ----なっ…!


 ウォルトの一言が、その場の空気を凍らせる。彩綾は古傷を抉られるような感覚に、目の前が真っ暗になった。

 その空気を破るように先に口を開いたのは、呆気にとられたコルトだった。


 「は?お前、何言ってんだ?てゆうか、何で今それを持ち出した。さすがにどうかと思うぞ。」

 「やかましい。お前がいずれ家を継いで妻を娶る時に、処女じゃない女なんかもらえねぇだろうが。それともサーヤの事は、それまでの繋ぎにするつもりか?」


 ----ドクン…ドクン…

 ----胸が…痛い…


 コルトは片手で額を抑えると、眩暈がするのをなんとか押し止めていた。


 「いや、ちょっと待て。いいから落ち着け。まず僕は、家を継ぐ気はさらさら無い。柄じゃないし、そんなものは姉か義兄に任せればいいと思ってる。それから、サーヤが処女かどうかなんて、何の関係があるんだ?僕は別に純潔主義じゃないし、彼女の見た目や年齢を考えたら、過去にそういう事があっても不思議じゃないだろう。」

 「だから気にしない、とでも言うのか?ハッ!貴族にとっては、妻に迎える女は処女じゃなきゃ意味が無いだろう。どこの馬の種を持ってるかわかったもんじゃねぇからな。」


 ----ドクン…ドクン…ドクン…

 ----息ができない…


 「お前っ!いくらなんでも言い過ぎだろう!彼女の事なんだと思ってるんだ!!」

 「やかましい!遊ぶんだったら他の女を…」


 ----ドクン…ドクン…ドク…ドク…ドクドクドクドク…


 「なっ…、サ、サーヤ!!」


 コルトが目を見開いた視線の先で、彩綾は胸を押さえて地面にへたり込んでいた。

 コルトの言葉に振り返ったウォルトと目が合う。その驚愕の眼差しを受け取る間もなく、彩綾は立ち上がり、駆け出した。


 「サーヤ!!待て!!」


 ----…ドクドクドクドクドク…

 ----やっぱり嘘だったんだ。何もかも…


 「サーヤ!!」


 ----『もともと、お前が処女だってわかったから興味持ったのがきっかけなんだよ』

 ----『俺、処女の相手とかしたことないから、どんなもんか興味あってさ』


 ----…ドクドクドクドクドクドクドクドク…

 ----やめて…やだ…


 ----『サーヤは、処女じゃない』

 ----『妻を娶る時に、処女じゃない女なんかもらえねぇだろうが』


 「サーヤ!!止まれ!!」


 ----『妻に迎える女は処女じゃなきゃ意味が無いだろう』


 ----ドクンッ!!

 ----やだっ!!


 「サーヤ!!」


 ウォルトが腕を伸ばした、その時だった。

 振り返った彩綾の瞳に大粒の涙が溢れ、頬いっぱいに零れている。

 ウォルトがハッとしたその瞬間、彩綾の身体が大きな光に包まれた。


 「待っ…!!」


 光と共に、彩綾の姿が消えていた。

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