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Changeling  作者: みのり
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39

 ウォルトがシェランドルへと発つ日の夜明け前、シャロラインは玄関まで見送りに出ていた。少し肌寒さを感じてストールを首元まで包むと、身支度を済ませた息子に声をかけた。


 「昨夜は、サーヤさんとお話しできたの?」

 「はい。中庭で、少し。」


 そう言ったウォルトの表情に柔らかさが戻っているのを感じ取り、シャロラインはニッコリと笑って眺めていた。


 「ふふ、ここにいるのが私ではなく、彼女だったら良かったのにね。」

 「まったくです。」


 ウォルトが悪戯っぽく笑うと、シャロラインは「もう!」と言いながら小さな拳を胸にコツンとぶつけた。シャロラインはこうやって彩綾の話題で笑いあえることが嬉しかったが、ウォルトの恋を応援する代表者として確認しなければならない事があった。

 ウォルトを下から見上げるようにして覗き込むと、「何です?」とウォルトが聞いた。


 「ねぇ、ウォルト。ハッキリさせておきたいのだけれど。」

 「はい、何でしょうか。」

 「あなた、他に付き合っている女性なんていないわよね?」

 「は?何ですか急に。いませんよ、そんなもの。」


 ウォルトが面食らったように返事をすると、シャロラインは半目になって更に詰め寄った。まるで浮気した亭主を追い詰めるような態度に、ウォルトは変な冷や汗を感じていた。


 「じゃあ、香水の匂いとやらは何だったの?良くない関係か何かかしら?」


 いつになくグイグイと詰め寄る母親からの眼差しに絡めとられ、ウォルトは両手を上げて一歩下がった。二人の様子を遠くから興味深そうに眺めている部下に、ウォルトはギロリと一瞥して小さく息を吐いた。


 「誤解です母上。あれは、急に女性に抱きつかれた時に移ったもので、私は何もしていません。」

 「あら、急に?じゃあ、その方とあなたは全くの無関係なのね?」

 「う…ですから、それはサーヤと会う前の話でして、今はそういった事は一切ありません。」


 まさか自分の過去の女関係に両親から同じ詰め寄られ方をするとは思わず、ウォルトはガックリと肩を落とした。


 「全く…あんなに『彼女一筋です』みたいなこと言っておいて、中途半端に手を出したりするからややこしいことになるのよ!サーヤさんから聞いたときは、本当に肝を冷やしたんですからね。」

 「わかっています。ですが、少し前まで彼女と再会できるとは思っていませんでしたし、再開した今も昔も彼女以外の女性に好意を持った事はありません。」


 ウォルトが真剣な目でシャロラインを見つめて言うと、シャロラインは苦笑しながらウォルトの肩に手を添えた。


 「そういう事は、本人に言っておあげなさい。」


*


 陽の光が降り注ぐ中庭の一角で、彩綾とセレリーナと子供たちの甲高い笑い声がこだましていた。

 シェランドルの城で遊んでいた大縄跳びをして、三男のキャドリックが足を引っかけては皆で息を切らしながら笑い転げていた。どうしても引っかかってしまう事にむぅっと頬をふくらませながら、キャドリックは両手の拳を上げて息巻いた。


 「おねぇちゃん、もういっかい!」

 「よぉし!じゃあ今度はおねぇちゃんと飛ぼうか!」

 「じゃあ、僕が回す役をやるよ。」


 彩綾は持っていたロープの端を長男のアルバートに渡すと、キャドリックと両手を繋いで向かい合った。背の高い彩綾が5歳のキャドリックの背丈に合わせて手を繋いでいると腰が『くの字』に曲がって、その状態で縄を飛ぶ姿に遠くから眺めていた使用人たちはクスクスと頬を緩ませていた。

 縄が彩綾の頭に当たって絡まりながら笑いあっていると、侍女が声をかけてきた。


 「セレリーナ様、サーヤ様、奥様がお呼びでございます。広間の方へお越しくださいませ。」

 「あ、はい、わかりました。すぐに行きますね。」

 「さぁ、あなたたちもお屋敷へ戻りますよ。そろそろお昼ですから、手をキレイに洗いましょうね。」


 はーい!と元気の良い返事をして、子供たちは駆けっこをしながら屋敷へと向かって行った。時々、アルバートとフィンが後ろにいるキャドリックに気を配りながら走る。その姿に、彩綾は保育園の園庭で走り回る園児たちを思い出していた。


 ----そういえば、ウォルトは今朝からシェランドルに行ってるのよね。昨日も帰ってくるの遅かったのに…。元気だわ~。


 自分には縁遠い体力だわ、と首を振りながら歩いていると、その様子を見ていたセレリーナが首を傾げた。


 「サーヤさん、どうかなさったの?」

 「いえ…ウォルトって、私と街に出かけた日からずっと出っ放しじゃないですか。今日もシェランドルへ行って今日中に帰ってくるんですよね?いつもこんな感じなんですか?」


 彩綾が呆れたように言うと、セレリーナはキョトンとした顔をした。そして何かを考えるように口元に手を当てながら、「そういえば…」と口を開いた。


 「ウォルトはいつも、王都まで来ることはあっても屋敷(ここ)には少し顔を出すだけで、用事が済んだらさっさと帰ってしまうのですけれど…。今回はサーヤさんがご一緒だからしばらく屋敷に滞在するのかと思っていましたが、サーヤさんを放ってあちこち出歩くなんて…本当にあの子ったら。」


 『サーヤさんを放って』という言葉がグサリと胸に突き刺さったが、それをグイッと引っこ抜くように慌てて手を振った。


 「いえ、いいんですよ!私は全然気にしていませんし、彼がここにいたところで何か話をするわけでもありませんから。それよりも、せっかく王都に来た時ぐらい恋人と過ごしたいのは当然ですよ。」


 自分の言葉になぜが胸がズキズキしながら広間に入ると、ソファに座っているシャロラインが満面の笑みで二人を迎えた。

 視線を下げてソファの前のテーブルに目をやると、眩い輝きを放つ宝石類が所狭しと並べられている。シャロラインの前で膝を折って宝石を並べていた中年男性が、スッと立ち上がって振り向き深くお辞儀をした。

 短く整えたグレーヘアーと手入れされた口元の髭が、グリーンの瞳を際立たせていた。ベージュブラウンのチュニックのフィット感が仕立ての良さを物語っていた。


 ----うわっ、素敵なおじ様。ってゆうか、何この宝飾品の量!目が!目が潰れる!!


 彩綾が驚愕で目を丸くしていると、シャロラインが手招きしながら声をかけた。


 「サーヤさんたら、そんなところで立ち止まってどうしたの?はやくこちらへいらっしゃいよ。」

 「さ、参りましょうか。」


 ニコリと微笑むセレリーナに促され、彩綾はおずおずとソファに座った。ごくりと唾を飲み込んで、眼下に広がる宝石たちに視線を落とした。近くで見ると、一つ一つに緻密で精巧なデザインが施されていて、それに光が反射して輝いている。圧倒するような存在感に、彩綾は背筋が凍る思いがした。


 ----まさか…これを私に着けろとか言うんじゃないでしょうね…。


 自分の耳や首や手に、家数軒分もの値段のものがのしかかると想像しただけで卒倒しそうになる。

 彩綾は咄嗟に断ろうとしたところで、宝石商の男性と目が合いハッと気が付いた。


 ----そうだ…。確か、こういう貴族の家に何かを売るのって、売り手は相当な収入を期待して、買い手は財力を示す為、とか小説で読んだことあったような…。


 無邪気に受け入れる事も、頑なに拒む事もできない。自分に課せられた『大人の対応』がこれ程難しかったことは一度も無かったような気がして、彩綾は口を噤んだ。

 彩綾が黙り込んでいると、シャロラインとセレリーナが(あらかじ)め広間に用意させておいた彩綾のドレスを見ながら、テーブルに並べられている宝石を順番に合わせ始めた。


 「このサファイアのネックレスなんて、綺麗ねぇ。」

 「サーヤさんは首が長くていらっしゃるから、こちらのボリュームのあるものでも着けこなせますわね。」

 「そうねぇ、とにかく明日が夜会デビューですもの。クレイス家の娘としては、うんと着飾らないといけないわ。」


 キャッキャッと慣れた手つきで楽しそうに選んでいる二人を眺めながら、彩綾は住んでいる世界の違いに呆然としていた。時折、彩綾の首元や耳元に近付けながら、あーでもないこーでもないと行ったり来たりしている。そんな二人を見ているだけでぐったりし始めた頃、不意に視線を感じた。

 視線の方に顔を向けると、こちらをじっと見つめる宝石商の男性と目が合った。男性は柔らかくニコリと微笑むと、彩綾に視線を合わせるように膝を床についた。その紳士的な大人の雰囲気に、彩綾はドキッと胸が高鳴った。


 「お嬢様、何かお気に召すものはございましたか?」

 「え?あ、そうですね、えっと…あ、それ…は…。」


 突然の問いかけに慌ててテーブルにある宝飾品に目を移すと、テーブルの端の方に置いてあったものが目に留まった。


 「こちらでございますか?」

 「はい、そうです。これ、すごく綺麗…。」


 彩綾が選んだものを男性が差し出す。ネックレスの中央に美しくカットされた濃色のイエローダイヤがはめられており、首周りの精巧なプラチナ台座にはダイヤや真珠がふんだんに使用されていた。それでいて、華奢なデザインになっている。イヤリングと指輪もセットになっていて、それら全てに同じイエローダイヤが使用されていた。


 「あら、イエローダイヤなんて珍しい宝石があったのね。サーヤさんのドレスにもピッタリじゃないの!」

 「まぁ、本当に!サーヤさん、こちらがお気に召しましたの?」

 「はい…なんだか目に留まってしまいました。」


 ----本当に、なんでこれが目に留まったんだろう。


 目の前のイエローダイヤを眺めながら、彩綾はなぜか惹き込まれるものを感じていた。しばらく考え込んでいると、シャロラインが嬉しそうに手を合わせてニコリと微笑んだ。


 「じゃあ、それに決まりね。それから…そっちのサファイアのものも頂くわ。」

 「ありがとうございます。それでは指輪のサイズの調整をさせていただいてもよろしいでしょうか。」


 彩綾は、シャロラインがまるで買い物かごに野菜を入れるかのようにサファイアを追加した事に、驚愕のあまり固まった。男性は手早く指のサイズを測るとニコリ笑って二つの指輪を順番にはめていった。


 「よろしゅうございました。どちらもサイズはピッタリなようですので、お直しする必要はございません。このまま納めさせて頂きますね。」

 「まぁ、良かったわ!サーヤさん、後で早速ドレスと合わせてみましょうよ!」

 「えぇ、素晴らしいものが見つかってホッと致しましたわ。」


 ----え、今から着けるの?嘘でしょう!?


 男性が深々と頭を下げて帰っていくと、三人は食堂へと移り遅めの昼食を食べた。食事をしながらシャロラインは急に何かを思い出したように「そうだわ!」と彩綾の方に向き直った。


 「以前サーヤさんが言っていたウォルトの『香水』の件なんだけれど、恋人ではないそうよ。本人が言うには勝手に付けられた、という事らしいけれど…。というか、昔も今も恋人はいないんですって!」


 シャロラインの突然の言葉に、彩綾はスープをゴクリと飲み込んだ。思わず咽そうになった口元をナフキンで拭いていると、視界の端で同じように咽そうになっているセレリーナが映った。

 なぜか親指を立てる勢いで嬉しそうに言うシャロラインに、彩綾はどう答えていいのかわからなかった。少なくとも、香水の女性と関係があったことは事実だという事は、話の流れで言ってある。それなのに、昔も今も恋人ではない事を嬉しそうに堂々と報告するのは、性に関して開放的なのか、それとも貴族にとって平民との関係は、当然カウントされないという事なのか。

 どことなくモヤモヤした不快な感情が彩綾の胸に重く沈んだ。


 ----こういった認識って、どの世界でもどの時代でも常識なんだろうな。…私にはついていけないや。


 けれど、自分には関係のない事だとわかっていながら、心のどこかでホッとしている自分に気付き、慌ててなんとか目を逸らそうとしてハッとした。


 ----いやいやいや、ってことは私は恋人でもない女性にあんな事を言われたってこと!?


 その時、ふとあの女性が言っていた言葉を思い出した。


 ----『さっきからチラチラ見てる娘たちの中には、一度はあなたに抱かれた娘もいるってこと気付いてないの?』


 ----そうだ…そうだった。てことは、()()()()()()()()()()()って…。どんだけいい加減なのよアイツは!!


 彩綾はシャロラインには満面の笑顔を返しながら、恋人がいない事に一瞬でもホッとした自分に無性に腹が立ち、周りに気付かれないよう持っていたパンを握り潰していた。


*


 夜も更けた中庭のベンチに、彩綾はぐったりと座り込んでいた。

 昼食後のフィッティングルームでの出来事を思い出すと、あれを明日もう一度、それもメイクやヘアメイクも追加するのかと思うだけで気が滅入りそうだった。

 さらに夕食後には明日の為にとお風呂上りに念入りにボディオイルを塗り込められた。そのせいで疲れてすぐにも横になりたかったが、なぜか目が冴えてしまった。

 なんとなく昨夜と同じベンチに座り、この日もステラにホットワインを用意してもらうと、カップを両手で包むように持ち、ふぅふぅと冷ましながらコクリと口に含んだ。昨日より大分スパイシーさが抑えられている。寝付けを妨げないようにとの、ステラの配慮が胸に沁みた。


 屋敷内の明かりのほとんどが消える。早めに屋敷に戻ろうと立ち上がって入り口に向かっていると、入口の前の柱に寄りかかっている人影が目に入った。

 暗闇に紛れるように佇む影に、彩綾が口から心臓が飛び出そうになっていると、ゆらりと動いた影がゆっくりと彩綾の方に向かってきた。

 恐怖で固まったまま目を丸くしていると、月明かりの下に現れた長身の男に気が付いた。


 「…ウォルト?」 

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