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Changeling  作者: みのり
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38

 月が顔を照らしだし、まだ人通りが残る街の暗闇の中を、一頭の馬が疾走していた。背には一際大柄な騎士が、鬼気迫る形相で手綱を捌いている。その姿を見た者は皆、腰を抜かして尻をついた。


 ----父上…どうかご無事で!


 騎士が手綱をきつく振り叩くと、馬がそれに呼応するように速度を速める。目的の場所が見えてくると、辺りは警備団や野次馬でごった返していた。


 「ちょっと、どいてくれ!通してくれ!」


 並みの男より頭二つ分はあろうかという大柄な男の急な割り込みに、野次馬たちはギョッとして見上げながら道を開けた。幼い頃から見慣れていた馬車が、遠目でも認識できるほどの返り血を浴びている。騎士の目が大きく見開き、沸き立つ怒りに奥歯を食いしばった。

 ふと横を見ると、馬車のすぐ近くで指揮を執る若い騎士がいた。馬に跨り、大声を張り上げて、腕が二本しかないとは思えないような指揮裁きだ。


 ----この現場の責任者だろうか。


 馬から降りて手綱を引き、大柄の騎士が声をかけようとすると数人の兵士に止められた。


 「お待ちを!貴方様は、第一騎士団の方ではありませんね?」

 「はい。ここを指揮されている方に直接お話ししたいのですが。」

 「いけません!今副団長様は、それどころでは無いのです!お引き取り下さい!」


 ただでさえ目立つほどの大男と兵士とのやり取りに気付いた若い騎士が、怒鳴りながら駆け寄った。


 「お前たち何をしている!さっさと行け!!」

 「は!し、しかしながらクレイス様、こちらのお方が…。」


 ----クレイス!?では、このお方が…。


 若い騎士がギロリと睨みつけると、兵士は「ヒェッ」と喉を鳴らして慌てて駆けだしていった。兵士が去ったのを確認すると、馬上から冷たい視線で射抜くように睨みつける。大柄な騎士はビシッと姿勢を正して敬礼した。


 「…うん?なんだお前は。その鎧、王宮騎士団の者だな。どこの所属だ?何しに来た。」


 若い騎士が低い声で問いただす。大柄の騎士はゴクリと唾を飲み込んだ。


 「ご無礼を承知で参りました。私は王宮第七騎士団に所属しております、バドリック・ホルドリーと申します。先ほど何者かに襲われたレイソン・ホルドリー伯爵の息子でございます。私も、捜索に参加させてください!お願い致します!」

 「ダメだ。」


 若い騎士がピシャリと跳ね返すと、バドリックはなおも食い下がる。


 「お願い致します!貴方様にご迷惑をおかけするようなことは決して致しません!どうか…!」

 「何を言っている。もうすでに迷惑だ。第一、お前は第七騎士団長殿に許可を得てここへ来たのか?まさか、父親を案じて勝手に王宮を飛び出したのではあるまいな。」


 若い騎士が表情を変えないまま抑揚のない声で咎めると、バドリックは胸にしまっておいたシェランドル領主から渡されたメモを取り出し、震える手で若い騎士に渡した。若い騎士が馬上から睨みつけながら受け取り、目を通す。バドリックは恐怖と焦燥で心臓が爆発しそうになりながら、祈るような目で若い騎士を見上げた。


 「あれ?これ、ウォルトのサインじゃないか。なんでお前がこんなもの持ってんだよ。」


 急転換した若い騎士の態度に、バドリックは爆発寸前の心臓が口から飛び出そうになった。先ほどまでの、視線だけで人を殺めそうな冷徹な眼差しはすっかり姿を消し、人懐っこい瞳で興味津々にバドリックを見る。


 「え?え?あ、そちらは先ほど王宮でウォルト様に渡されたものです。もしかしたら兄上様が出動されているかもしれないのでこれを渡せ、と…。」


 状況に追いつかない脳をなんとか叩き起こす。バドリックが本殿の受付所であったことを恐る恐る話すと、若い騎士がやれやれ、と溜息を吐いた。


 「なるほどねー、アイツに行けって言われたんだ。全く…わざわざ『シェランドル領主』なんて書くってことは…。で?お前も捜索に参加したいんだったっけ?いいよ。」

 「は?」


 バドリックは青天の霹靂のように口をあんぐりと開けた。元々は自分が頼み込んだ事だったが、即答で断られた直後にあっさりと許可を得られた事が信じられない。ハッと我に返って敬礼しながらお礼を言うと、チラリとメモを見た。


 「それにしてもウォルトのヤツ、相変わらず滅茶苦茶するよなぁ。勝手に王宮の警備に口を出すなんて、下手したら反逆罪だぞ。」

 「なっ、そんな!悪いのは王宮を飛び出した私です!お咎めなら私が全て受けます!」


 大柄な男が噛み付く勢いで吠えると、若い騎士がキョトンとした顔でバドリックを見下ろした。


 「ぷっ!あははは!大丈夫だよ。それに、アイツはそんな事これっぽっちも気にしちゃいないよ。」


 若い騎士が笑っていると、バドリックは困惑した顔のままで立ち尽くした。早く行動しなければ、犯人を逃がしてしまう。


 「そうだ、まだ名乗ってなかったよね。俺は王宮第一騎士団副団長のシューゼル・クレイスだ。」

 「よろしくお願いいたします!早速、私も出動してよろしいでしょうか。」


 バドリックが馬に跨り指示を待つと、シューゼルは斜め上を見ながら顎を掻いた。


 「あー…、でももう現場を走り回る必要は無いかも。」

 「と、言いますと?」


 バドリックが首を傾げる。シューゼルはニコリと笑って人差し指を伸ばし、クイッと曲げた。


 「ネズミが一匹、罠にかかってくれたからね。」


*


 王宮の最下層にある地下牢。

 罪の重さによって使い分けられるが、囚人を収容する地下牢は天井が極めて低く、満足に立ち上がることもできない程に狭い。地下水が染み込み、酷い湿気で年中ジメジメとしている。臥床に敷かれた藁草は汚物にまみれて腐り果て、大量のカビや虫が湧いていた。

 その地下牢の一部屋に、一人の男が手枷と足枷に繋がれ、猿ぐつわを噛まされていた。


 「連れていけ!」


 囚人に目隠しを着け、数人の看守と兵士が取り囲みながら尋問室という名の牢へと連れ出す。壁に繋がれた首枷をはめ込み、床に固定した椅子に座らせると、背もたれには腰、椅子の脚には両足を固定し目隠しを外した。

 囚人の口や手足が震えてガタガタと音を立てる。視線の先には、ニッコリと微笑む若い騎士が机を挟んで椅子に座り、こちらを見ていた。


 「やぁ、ベンス。待ってたよ。」


 ベンスは目の前で微笑む騎士を見て、鼻で深呼吸をしながら睨みつけるように身構えた。猿ぐつわのせいでダラダラと涎が零れ、胸元がぐっしょりと濡れている。若い騎士が牢の前で控えている兵士に猿ぐつわを外すように言うと、舌を噛めないように猿ぐつわの代わりに奥歯に鉄を噛ませた。


 「よし、これで喋れるよな。試しに何か言ってみてくれるか?」

 「…。」


 ベンスが睨みながら押し黙っていると、若い騎士が間髪入れずに強烈な蹴りを(すね)に喰らわせた。


 「ぐう…!!うっう…」


 突然の激痛に顔を歪ませ、騎士を見る。先ほどと変わらない笑顔に背筋が凍った。が、怖気づくわけにはいかなかった。


 「二度も言わせるな。」

 「あ…あ、喋れる。」

 「そうか。じゃあ、いろいろ聞かせてくれるかな。」

 「へっ…何も話すこたぁ無ぇよ。俺は何も知らね…うがぁっ!!」


 同じ場所に強烈な二発目を入れられ、ベンスは苦痛で身を捩った。


 「勘違いするなよ。俺は『聞かせろ』と言ったんだ。お前が知ってようが知ってまいがどうでもいいんだよ。」

 「どっちにしても…俺は何も知らねぇよ…。」

 「そうかな?ところで、最近密かに通じている女がいたようじゃないか。仲間にも内緒なんだってね。」

 「なっ…!?なんで…それ…。」

 「犯罪仕事してる奴が、あんまり人を信用しちゃダメだよ~。」

 「な…嘘だ…。くそ!くそぉぉぉっっ!!」

 「と言っても、君を堕とすのには相当苦労したようだけどね。まぁ、そういう事だ。」


 若い騎士が両手を上げてやれやれ、というポーズをすると、ベンスは飛びかかり噛み付くように暴れながら目を充血させて睨みつけた。


 「さて。レイソン・ホルドリー伯爵殿を襲った時、他にも仲間がいたはずだ。これまでの貴族襲撃事件にも関わってるよな?仲間はどこにいる?誰からの依頼だ?」


 ベンスは興奮で首から上が真っ赤になり、目はまだ血走っている。相手の声が全く聞こえていないかのように息を荒げながら殺気と憎悪を滲ませていた。

 若い騎士は溜息を吐くと、牢の前で控えていた騎士に合図を送る。すると、牢の前に立っていた兵士たちが全員立ち去り、大柄な男が布を被せた台車を押しながら、腰を屈めて牢の中へと入って来た。辺りに三人以外誰もいなくなったことを確認すると、男が布を外す。ベンスは台車に置かれた物を見て、一気に血の気が引き青ざめた。


 「あぁ、ご苦労。さて、ベンス。先ほど二度も言わせるなと…おっと、これも二度目だね。」

 「な…な…。お、おい、これっ、これ…は…」

 「うん?拷問器具だけど?聞いても答えてくれないならしょうがないよね。」


 ニコニコと笑いながら答える若い騎士に、ベンスは脂汗をかきながらなおも噛み付く。


 「か、勝手に…拷問なんかして…」

 「本当はダメなんだけどね。でもそれはほら、()()やるかによってどうとでもなるんだよね。幸い僕たち以外は誰も見てないし。」

 「ふ、ふ、ふざんけんじゃねぇっ!そんな暴論が…ぎゃあぁっ!」


 ベンスが手枷にはめられた手を机に叩きつけながら唾を飛ばして喚き出すと、三発目が入った。涙目になりながら、ふと後ろで控えている男と目が合う。天井に届くほどの大男に鬼のような形相で睨みつけられ、ベンスはヒュッと喉を鳴らした。


 「あぁ、彼を紹介しよう。もしお前が喋らなかった場合、拷問するのは彼だからな。数々の貴族襲撃に加担した時点で、どの道お前は処刑されるんだ。だったら無駄に痛い思いをしたくは無いだろう?」


 ベンスは大男からの視線から逃げるように、若い騎士を睨みつけながら口の端を上げた。


 「…へっ、俺は仲間を売るようなマネはしねぇよ。やるならさっさとやりやがれってんだ。」

 「そうかぁ…。普通に話してはくれないんだね?」

 「うるせぇっ!何度も言わせんじゃねぇよ!!」


 大声が響き渡りベンスが机に唾を吐くと、若い騎士が後ろで控えている大男にチラと振り向いた。大男が小さく頷き一歩前に出る。ベンスが挑発するように睨み返すと、若い騎士が思い出したかのように「そうそう」と言って片手を大男に差し出した。


 「言うのを忘れていたよ。彼の名はバドリック・ホルドリー。今日お前たちに襲われた、レイソン・ホルドリー伯爵殿の息子だ。」


*


 まだ夜が明けきる前の王宮の庭の隅に、二つの影が立っている。庭にある井戸の水を汲み上げ、バドリックは自身に跳ね返った血を黙々と洗い流していた。会話も無く、ただ桶車と水しぶきの音だけが繰り返されていた。


 「まいったなぁ。まさか、ヒューイット・カーターの名前が出るとはね。」


 シューゼルがごく小さな声で呟くと、バドリックがピタリと手を止めた。シューゼルが続けるように促すと、再び清め始める。


 「…誰ですか?」

 「ヒューイット・カーター。カーター子爵家の当主で、反国王派として暗躍している人物だ。ベンスみたいな悪党集団を裏で操っているって噂は本当だったみたいだな。」

 「なっ!なんですって!?じゃあ、さっきヤツが吐いた今までの貴族襲撃というのは…」


 バドリックが驚愕で目を見開くと、シューゼルが人差し指を立てて「しーっ!」と抑えた。


 「興奮するなって!ったく、今まで襲われた貴族たちの共通点が何か知っているか?」

 「いえ…。私はまだ騎士になったばかりでして、その辺りの情報は…。」

 「それはな、全員が()()()『国王派』だってことだ。」


 さらに驚愕したバドリックの口元をシューゼルが慌てて両手で塞ぐと同時に、足を思いきり踏みつける。バドリックはあまりの痛みに息を詰まらせると、この男の蹴りを脛に三発も喰らったベンスに少し同情した。


 「反国王派の貴族が、国王派の貴族を立て続けに襲っていたという事ですか?」

 「そういう事になるね。これはどうしたもんかなぁ…。まぁ、この件に関しては誰にも喋るなよ。その代わりに、お前に()()に参加させてやったんだからな。」


 バドリックが真摯な顔で頷くと、シューゼルはクスリと笑った。


 「ところで、お前はウォルトの事をどう思った?少しは話したんだろう?」


 突然の話題転換に、バドリックは面食らった。しかしすぐに姿勢を正してシューゼルに向き直ると、顔を引き締め口を開いた。シューゼルが「手も同時に動かせ」と指で桶を突く。


 「はい。ウォルト様は私のような新参者にも気安く話しかけて下さり、とても明るく太陽のようなお方だという印象を受けました。まさか彼の国境領土シェランドルの領主様とは知らず無礼な態度を取ってしまいましたが、そんな事は全く気にも留められず…。」


 バドリックは桶を置いて布で顔と頭を軽く拭くと、再び桶に水を張って布を濡らした。


 「私がまだ騎士見習いとして稽古や作法に励んでいた頃です。国境領土シェランドルが新しい領主様を迎えたという話を耳にしました。シェランドルの治安の悪さは有名でしたから、私のような者ですらその悲惨さは噂で知っておりました。」


 絞った布で鎧を拭きながら、興奮を抑えられないといった声で瞳を光らせた。


 「公の場で口には出しませんが、皆が皆、今度もどうせ無理だろうと思っていました。ところが、1年2年と経つにつれてみるみる統治の手を進め、3年経った今では細かい諍いは残っているものの、当時の荒廃した領土は美しく活気に満ちた交易拠点にまで変わったのです。」


 興奮して声が大きくなるのを抑えるように、シューゼルが声を落とすようにと指示を出した。バドリックは慌てて口を押えたが、興奮は抑えられない。瞳は未だに輝いていた。


 「その噂はあっという間に広がり、私も初めて聞いた時は本当に驚きました。そして『シェランドル領主は戦いの大小に関わらず、必ず先頭に立って味方の盾となり敵と対峙していた』と。私はそれを聞いて胸が熱くなりました。そして、強く憧れるようになったのです。私もいつか彼のお方のようになりたい、と。…まさか、あんなにお若い方だとは夢にも思いませんでした…。」


 バドリックが目を伏せると、シューゼルがニヤニヤしながら覗き込んだ。


 「全身傷だらけの厳つい顔をしたオッサンじゃなくて、ガッカリしたのか?」

 「いいえ、そんな!まさか!その逆です!」

 「逆?」


 シューゼルが首を傾げると、バドリックが顔を真っ赤にしてしどろもどろに続けた。


 「はい。私は、天啓を受けたような衝撃を受けました。あの時…私の父が襲われたと知った時…。」


 ----『構わん。ここは俺がなんとかする。すぐに行ってこい。』


 「私は、このお方は噂通りの方なのだと。何かあれば、ご自分が前に出て部下を守る方なのだと。」


 バドリックは胸に手を当て、シューゼルに向き直った。


 「…このような事を言うのはこれきりに致します。私は、騎士になる際の叙任式で国王陛下に生涯の忠誠を誓いました。その心に、今も嘘偽りはございません。ですがあの時…私はウォルト様と共に戦いたいと…このお方の傍で、このお方の為に生涯剣を振るい続けたいと、そして…」


 遠い空の際を薄い線が縁取り、夜が明け始めた。


 「王宮騎士団を離れウォルト様の元へ参りたいと、そう願いました。」

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