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屋敷から中庭に零れる明かりが無くなり、闇に慣れた目でサーヤの横顔を見ていると、やはり元気が無いように思えた。
「で、何に落ち込んでんだ?」
とにかく、話を聞かない事には始まらない。ずっと緊張しっぱなしだったんだから、そろそろ疲れが出てもおかしくない頃だ。彼女は少し躊躇いがちに話し始めた。
----『なんて事をしてしまったんだろうって…、自分で自分が怖くて…。』
どうやらサーヤは、自分が負うはずだった運命を、取り換え子である巫女殿に押し付けていたという自責の念に囚われているようだ。彼女のせいじゃないし、自分ではどうしようも無いことだ。それでも他人に押し付けていたという事実が、彼女を苦しめている。
なんでだろうな…。なんとかしてやりたいと思う反面、そうやって自分を責めてしまう彼女で良かったと思ってしまうのは。
こみ上げる抱き締めたい気持ちを抑えるために、極力彼女の方を見ないようにした。
----『もし彼女が巫女であることを望んでいなかったら?私を恨んでいたら?これ以上の負担を彼女に背負わせるのはあまりに自分勝手で…でも、だからといってこの世界で生きていく覚悟も私には無いの。』
----『本当に会っていいのかどうか、自己満足なんじゃないか、迷惑なんじゃないか、そんな事ばかりが頭に浮かんできて…。』
その心配はない。むしろ本人は今後も巫女を続けることに乗り気だ。そのことを先にサーヤに告げておこうかと思ったが、その前に巫女殿がこの世界に来た時の話をすることにした。
俺も後から聞いた話だったが、少なくとも巫女殿が嫌々引き受けたわけじゃない事、そして運命として真正面から受け止めていた事を伝えられたら、少しは気が軽くなるんじゃないかと思った。
こっそりと俺にわからないように鼻を啜る音がして、ギクリとした。チラと彼女に目をやるが、泣いてるようではないようだ。だが、一歩手前であることが感じ取れた。
----どうする?こういう時、どうするのが正解だ!?
手をそっと握るとか?肩にそっと手を置くとか?何もせずに前を向いて座っておいた方がいいのか?
グルグルと考えていると、ふとサーヤの栗色の髪が目に留まった。俯いている首筋から両肩に流れる髪に釘付けになった俺の耳元で、『コレナライインジャナイカ?』と何かが囁いた。その囁きが聞こえたと同時に彼女がベンチにもたれかかると、吸い込まれるように頭に手を置いた。
温かくて柔らかい髪に触れると、理性が飛びそうになる。そのままポニーテールのしっぽをするりと撫でおろして感触を楽しむと、腕を組んだ。
気を取り直して、俺は巫女殿について話した。彼女が見つかった時の事。徐々に巫女としての力が目覚めだした事。そして俺がこの世界に来たことを告げた5歳の頃には、すでに巫女としての素質が開花していて、浄化する力を発揮した事。
決して強制されたわけではなく、巫女殿自ら運命を悟り、受け入れたという事が伝わっただろうか。少しでも気持ちは軽くなっただろうか。静かに聞いていたサーヤの反応を見ながら話してみたが…。落ち着きを取り戻していくように感じたんだが、どうだろうか。
----『元々すごい素質があるって事よね。それも、本来の継承者である私以上に…。』
----『てことは、やっぱりこの碧い石も私が持つより巫女に預けた方がアンタの石を浄化するには良いのかもしれないわね…。』
いや、素質に関してはまだそうとは決まってない…あれ?なんだその何かを決意したような顔は。励ますつもりで話してみたが、なんだか違う方向に背中を押してしまったんじゃないか?まさかな…だってお前、巫女殿への罪悪感で悩んでたんだろ?
いや、ちょっと待てよ…。よく考えたら、巫女殿への罪悪感を無くすという事は、それは…つまり…
「そしたら私も心置きなく帰れるってもんよ。」
おいいぃぃ!なんでそうなる!!
コブが取れたようなスッキリした顔で部屋に戻ろうとするサーヤを、俺は慌てて呼び止めようと手を伸ばした。
帰る決意をさせてどうするんだよ!なんの為に婚約を白紙に戻してきたと思ってるんだ!…そうだ、それを今伝えないといけないんだった。
気持ちを伝えようと口を開きかけた時、先にサーヤが振り向き様に言い放った。
「それからアンタ、恋人がいるんなら他の女性に気安く触るんじゃないわよ。そんなんだから、女の子が勘違いしてアンタに惚れたりしちゃうんでしょう?いい加減にしときなさいよね。おやすみ。」
俺は愕然とした。伸ばした手が宙に取り残されたまま、言われた言葉が頭の中を彷徨っていた。
----恋人だと?もしかしてキャスリーの事か?あの女はそんなんじゃない、むしろ俺を陥れようとしてた相手なんだよ!
スタスタと歩いて行く後姿を、ただ呆然と眺めるしかなかった。なんでこうなった?お前は勘違いすらしてくれないのか?いや、でもさっき俺がホットワインを飲んだ時の表情は、間違いなく俺を意識していたものだ。
----はぁ…ホンットにわかんねぇ!
ベンチにぐったりと座り込み、空を眺めた。まさかこの俺が、こんな風に女に振り回されるなんて思ってもみなかった事だ。でも、全く思い通りにいかないことに、なぜか心が弾んで可笑しくなった。敵わねぇなぁ…。
----でもまぁ、元気になってくれたんならそれでいいか。
俺もそろそろ休もうかと立ち上がり、屋敷に入って自室へと向かった。今日は一度にいろんな事を片付けて疲れているはずなのに、妙に足元が軽くなったように感じた。それどころか、昨日サーヤの部屋の前で崩れそうになっていたのが遠い昔のように思える。
彼女とまた普通に会話ができるようになったことが、これほどまでに俺の心を癒してくれたんだと思うと、それだけで彼女を離したくない理由には十分だった。
明日は朝からシェランドルに向かわなければならない。その前に、サーヤに触れられて良かった。
*
夜が明ける前に準備を整え、護衛に連れてきた者を数人残して夜明けとともに出発した。今日の夜にはここに帰って来なければならない。馬を走らせ続け、何とか昼前にはシェランドルの城に到着した。
領主の帰還を告げるラッパが鳴り響き、門を通ると執事のリークと侍女長のナタリーが出迎えていた。馬から降りて従者に馬を預け、入口へと向かった。
「お帰りなさいませ、ウォルター様。ご無事で何よりです。」
「お帰りなさいませ。お食事の用意が整っておりますので、いつでも食堂へお越しくださいませ。」
「あぁ、今戻った。リーク、もう飯は食ったか?」
「いいえ、まだ済んではおりませんが。」
足早に執務室の方へと歩きながら、時間が惜しくて早口で指示を出した。
「そうか。リーク、このまま執務室に来てくれ。ナタリー、すまないが二人分の食事を執務室に運んでくれるか。」
「かしこまりました。」
ナタリーが食堂へと向かい、俺とリークは執務室に入った。荷物と上着を放り投げ、ソファにドカリと座ると一気に力が抜け落ちた。なんだかんだ、執務室が一番落ち着く。
扉をノックする音がしたのでリークが応対に出ると、侍女がお茶の用意を持ってきた。リークがそれを受け取ってお茶を淹れると、一口飲んで早速本題に入った。
「俺が不在の間、変わりは無かったか?」
「えぇ、今のところ目立った動きはありませんよ。ご指示通りに警備を配置して強化しております。」
「そうか。これから、一層の警備強化が必要になる。対少数部族だけでなく、もっと大きな戦になるかもしれねぇ。それを未然に防ぐことが今回の目的だ。」
「どういう事でしょうか。当初は今回のご帰省でサーヤ様の存在が明らかになるため、少数部族からの危険が更に増す恐れがあるとの事でしたが、王都で何かございましたか?」
リークが目を丸くして聞いてきたので、順を追って話すことにした。サーヤには12年前に会ったこと以外は全て話した事。巫女殿に今後も巫女としての役目を果たしてもらう事。数年に渡って複数の人間に見張られていた事。そして見張りを命じていた人物を特定した事。
話している間のリークの百面相が面白かった。話し終わる頃には片手で顔を覆ってガックリと項垂れていた。
「…一体、この短期間で何やってるんですか。状況が変わり過ぎでしょう。」
「悪いな。だが、おかげで見えなかった部分も出てきた。」
「えぇ、そうですね。その、酒場のオーナーだというヒューイット・カーター子爵といえば、反国王派であるというだけでなく、ガラの悪い連中を使ってコソコソと暗躍する組織を牛耳っているという、黒い噂のある人物です。そんな男がウォルト様を狙っていたという事は、それを指示している者がいると思って間違いないですね。」
口元に手を当てて考え込むように言うリークの顔を横目で眺めながら、『大人の男』の表情を観察していた。お茶を淹れる姿勢からも落ち着いた雰囲気を醸し出していたし、こうしてただ考え込んでいるだけでも知的な思慮深さが滲み出ている…気がする。うん、俺にはサーヤの言う『大人の男の魅力』なんてもんは全くわからん。
俺の視線に気付いたリークが訝しげに見返してきたので、誤魔化すように話の続きをした。
「そうだ。状況を整理すると、キャスリー、ジェスキン、ヒューイット・カーター、フィグは俺を監視し、グランテール伯爵は恐らくサーヤを狙っている。フィグがサーヤの正体を後から確認してきたのが何よりの証拠だ。そして、ヒューイット・カーターに俺を監視するように命じたのも、王宮の軍務長官でもあるグランテール伯爵とみていいだろう。」
軍務長官は王宮内の軍部を司り、軍資金の調達や軍の編成から、各部門の長が集まる賢人会議で国王に直接意見を述べる事もできる地位にある。
カップに口を付けていると、再び扉をノックする音がした。フィグが返事をして扉を開けると、ナタリーが昼食を運んできた。テーブルに食事を並べている間にお茶を飲み干し、ティーセットを下げて出て行った後、リークにも座るよう促した。こんがりとグリルしたチキンのスパイシーな香りが部屋中に広がった。
「サーヤ様を直接襲っていたのは、国境付近を拠点にしている少数部族とその息のかかった者たちでしたよね。ですが、確かあの辺りの少数部族に睨みを利かせているのは隣国のシズニルブ王国…。」
「そう…28年前のあの事件同様、グランテール伯爵は表立っては狙ってきていない。今のところはな。そしてここ最近頻発している国王派貴族の襲撃だ。それも、犯人はなぜか捕まらない。これは偶然か?」
リークがハッとした顔でパンをちぎる手を止め、俺に向き直った。さっきから驚きっぱなしで、いつの間にか普段の言葉遣いに戻っている。
「まさか…グランテール伯爵が反国王派貴族を裏で操って、有力な国王派の貴族を襲っているのか?確かに彼がバックにいれば、犯行グループに事前に情報を流すことは可能だ。でも、いくら軍務長官といえども一貴族が、他国が締める少数部族を動かす事なんてできないはずだ。」
肉を頬張り、パンをちぎりながら目線だけをリークに向けた。パンをスープにつけると、パンに塗ってあったガーリックが溶けて香ばしさが口に広がる。
「グランテール伯爵にはな。だが、もしあの男がシズニルブ王国と繋がっていたら?」
「なっ…!まさか…もしそれが本当なら、あの男は国を裏切ったという事か!?軍務長官が謀反を起こすなんて…!」
口に入れたパンを喉に詰めそうになり、慌てて水を流し込んでいた。コイツ、さっきから手が止まり過ぎじゃないか?
「お前、覚えてるか?俺があの森にサーヤを探しに行った日、俺のすぐ後に少数部族があの森にサーヤを狙いに来ていただろう。俺は巫女殿からの連絡を確認してすぐにここへ戻ってきて、その足であの森に行ったんだ。その俺と、国外の者が、ほぼ同時にあの森に向かうなんて、不自然だと思わないか?」
「とにかく食え」と食事を促し、葡萄酒で口内を拭った。せっかくの料理が冷めてしまってはもったいない。それに、ゆっくり食べてる暇は無いんだ。
「だが、内通者がいたとなれば話は別だ。それも、王宮の奥深くにいる巫女殿の予言を知る事ができる人物なんて、ほんの一握りしかいない。そしてそれを他国に流す事ができる程の情報網と権力を持つ人物ともなれば、自然と絞られてくるだろう?」
リークは小さく頷き、「確かに…」と呟きながらスープを啜っていた。流石にいつまでも驚いてばかりではいられないと気付いたのか、それとも驚きより憤怒の方が勝ってきたのかわからないが、眉間に皺を寄せながら黙々と食べながら聞いていた。
「だがまぁ、あの男ならやりかねないな。シズニルブ王国はバーヴェルク王国王家を相当恨んでいる。シズニルブ王国も強大な軍事力を持っているが、それでも彼の国には今のこの国を相手にするだけの力は無い。だから碧い石ごとサーヤを人質にさせて、それらを盾に俺の力とクレイス家の力を封じた上でこの国を侵略させようとしたんだろう。後々、シズニルブ王国での地位を約束させてな。そしてシズニルブ王国で俺とレイシーを結婚させ、俺の子、つまり琥珀色の石の継承者を得る。」
「だから、国王陛下の周りから邪魔な有力貴族を潰していったということか…。」
「そうだ。それに、ヤツはサーヤが現れる前から動いていた。つまり、最初は巫女殿が狙われていたかもしれない。そこへまさかサーヤが現れたものだから、相当焦ったはずだ。…そう、だからあんなに不自然だったんだよ。本当はもっと時間をかけて根回しするつもりだったんじゃないだろうか。」
「それから、自分の娘を口約束なんて軽いもので婚約を取り付けたのも、いざという時の為だ。」
「いざという時?」
俺の言葉にキョトンとした顔のままパンを口に運んでいた。大人の男のこういう子供っぽい表情にも、女ってのは弱いものなんだろうか。…やっぱりわからん。
「あぁ。レイシー嬢と婚約する前から、俺は…まぁいろいろ女関係があったんだが、キャスリーだけはマスターの酒場にいる時にいつも声をかけてきていたんだ。俺は誰とも付き合うつもりがないから、もちろん避妊していた。だが、今となっては思うんだよ。キャスリーの目的は、俺の子を身籠ることだったんじゃないかってな。」
「ゴッフ!!」
リークが盛大にむせた。…どこかで見た光景だ。幸いナフキンを口に当てていたから飛び散ることは無かったが、スープが鼻に入ったらしく、目と目の間を必死に揉んでいる姿に胸がすく思いがした。




