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グランテール伯爵家を出た時は、まだ日が落ちきってはいなかった。
玄関先で二人と別れの挨拶をし、馬車に乗り込むと、御者に王宮まで行くよう指示を出した。屋敷の門を出てしばらく走らせた頃、一気に疲労感が押し寄せる。ぐったりと座席にもたれかかると、身体中の力と一緒に口から精気が抜けるような気がした。
----やっと終わった…。
事情があるとはいえ、こんな結婚詐欺みたいな真似は二度とごめんだ。ましてやレイシー嬢のような恋に恋しているような純粋な娘には、トラウマにもなりかねないんだ。
レイシー嬢の、大の『ロマンス小説愛好家』という側面。狡い手だが、そこを利用するしか無かった。俺とサーヤの出会いと別れ、そして時を経て再会するという流れは、王道のラブストーリーに映った事だろう。本当はそんないいもんじゃねぇけどな。
----しかし、ちょっと芝居臭かったか…。
哀れで愚かな男を演じ切るために、視界には決してフィグを入れなかった。嘘は吐いていないが、ヤツの姿を認めた途端に舌がもつれて台無しになることは、火を見るよりも明らかだ。なんにせよ、これでもう一つの懸念事項は片付いた。後は、あの男がどう出るか。
遠くに王宮の門が見えだした頃、馬車の小窓から数人の兵士たちが慌ただしく城を出入りしているのが見えた。騎士団も出ているようだ。様子を窺うように外を見ていると、御者が話しかけてきた。
「やけに騒がしいですね。何かあったのでしょうか。」
「そうみたいだな。急いだほうがいい、少し馬車を速めてくれ。」
「畏まりました。」
王宮の馬車用の通行門に着くと、馬車に掲げているクレイス家の紋章を見た門番がギョッとした顔で敬礼した。馬車から降りると、兵士が敬礼しながら声をかけてきた。
「ウォルター様、ようこそお越しくださいました。どうぞ、お入りください。」
俺を見るなり通してくれた門番は、あまり親しくは無いが、巫女に会いに来た時に何度か顔を合わせたことのある、若い兵士だった。
門をくぐり、すぐに本殿へと向かった。昨日と同じ受付所へ行き、警護に当たっていた若い騎士に声をかけた。
「ちょっといいか。俺は…」
「あ、ウォルター様!本日もお越しになるご予定だったのですね。」
話しかけた騎士の後ろからヒョコッっと顔を出したのは、昨日請け負ってくれた兵士だった。俺の声がしたから、咄嗟に出てきてくれたらしい。
「あぁ、昨日の。実は、今日も父に用があって来たんだが、今どちらにおられるだろうか。」
「クレイス侯爵様ですね。確認して参りますので、少々お待ちください。」
彼はそう言うなり、すぐに本殿へと駆け込んでいった。最初に声をかけた騎士が俺たちの会話を横で聞き、『父』と『クレイス侯爵』の言葉に目を丸くして硬直している。
「お前、見かけない顔だな。新入りか?」
「は、はい!つい先日、見習いから騎士へと昇格しました!」
「ほう?」
騎士に昇格したばかりの者が、他の場所ではなく、いきなり本殿の受付所の警護に割り当てられるとは…。余程の優秀な者だということか?
少し興味を持った俺は、兵士が戻ってくるまでの間のちょっとした暇つぶしに、この若い騎士と話をすることにした。
「お前、名前は?歳はいくつだ?」
「はい、私はバドリック・ホルドリーと申します。ホルドリー伯爵家の長男で、20歳です。どうぞ、よろしくお願いいたします。」
「ホルドリー伯爵家…、あぁ、あの熱心な教育運動家で知られている、レイソン・ホルドリー伯爵殿か。たしか、いくつもの養護院や学術院などを設立して、幼子の養護から庶民への教育支援まで幅広く活動されているお方だったな。お前は彼の息子なのか。」
「は、はい、よろしくお願いいたします!」
額に大量の汗をかきながら、みるみる顔を真っ赤にして勢いよく一礼をしてきた。俺も大概でかい方だが、俺よりもまだ拳一つ分は背が高い。
ダークブラウンの短髪ヘアで、赤茶色の瞳にはあどけなさが残る、穏やかな顔つきの好青年だ。顔に反して筋骨隆々の精悍な体つきで、そんな大男の豪速的一礼は、礼と言うより凶器のような頭突きにしか見えなかった。俺は咄嗟に後ずさりながら、宥める様に言った。
「いや、そんな畏まらないでくれ。確かに父は国王陛下の側近をしているが、俺自身はそんなに偉い立場じゃない。歳も23だし、お前とも近いんだ。俺はウォルター・クレイス。ウォルトでいい、お前はなんて呼ばれているんだ?」
「え?あ、えと、バドとか、バリーと呼ばれています。」
「そうか。じゃあ、バリーと呼ぶが構わないか?」
「は、はい!ありがとうございます、ウォルト…様」
恥ずかしそうにはにかんだ表情から、とても品よく育てられたのがすぐにわかった。さすがは教育家の息子だ。
「それにしても、騎士になったばかりなのに本殿の受付所付近の警護に割り当てられるとは、よほど優秀だったのか?ついこの間まで見習いだったんだろう?」
「あ、いえ、それが…。」
俺の問いかけになぜか答えにくそうにしていたのを不思議に思っていると、受付所にいたもう一人の兵士が横から割って入ってきた。
「彼は本当に優秀なんです、ウォルター様。二か月前に見習い限定のトーナメント戦が催されたのですが、圧倒的な強さで優勝したんですよ。」
「へぇ、そうなのか!凄いじゃないか!」
目を見開いて驚いてみせると、バリーは後頭部を撫でながら恥ずかしそうに苦笑していた。
「いえ、そんな、たまたまです。トーナメントの組み分けが自分にとって戦い易い相手が続いただけで…。」
「おいおい、謙遜はよせよ。あの戦いぶりで、戦い易いも何もないだろう。ウォルター様、彼は普段はこんなに腰が低いんですけど、一度剣を握ったらガラリと相貌が変わるんですよ。だから、彼の事を知らないヤツは舐めてかかって痛い目をみるんです。俺たちはそれを見ていつも楽しませてもらってましたよ。」
「や、やめてください!そんな大層な…!」
「そうなのか!それは面白そうだな。今度はぜひ俺とも手合わせしよう!」
握手をしようと手を差し出すと、バリーは面食らったような顔をした。俺の手と顔を交互に見て、慌てて手を拭いて握り返しながら微笑んだ。確かに、かなり鍛錬を積んできた手をしている。身体に見合ったゴツゴツとした手がそれを物語っていた。
良いものを見つけたな、と内心ほくそ笑んでいると、本殿に入っていった兵士が酷く慌てた様子で戻ってきた。相当走ったのか、息が乱れている。
「ウォルター様!クレイス侯爵様は現在執務室におられるとのことです。しばらくはそちらにおられるそうですので、ご用件はそちらで伺う、と言付かって参りました!それから、バドリック!」
はぁはぁと息を切らして一気に報告し終わると、すぐにバリーの方に目を向けた。尋常じゃない焦り方に、その場にいる皆が固まっている。
「バドリック、今さっき本殿の兵士に聞いたんだが、先ほどお前のお父上が何者かに襲われたらしい。今王宮内が騒がしいのは犯人の捜索に騎士団も駆り出されているからだそうだ。」
「そんなっ…!!」
兵士の言葉に、バリーは顔面蒼白になった。あまりの衝撃に我を忘れて、目の前にいる男の肩に掴みかかっていた。
「そ、それで父は!!父は無事なんですか!?」
「ちょっ、待て!落ち着け!状況はまだわからないが、今はまだ命を落とされたとの報告は受けていないそうだ。」
「くっ…!!」
バリーが身を翻して飛び出そうとした後ろから、兵士が咄嗟に腕を掴んで引き止めた。
「おい、待て!気持ちはわかるが、勝手に持ち場を離れるな!さっき第一騎士団が出て行くのが見えたから、彼らに任せておけば大丈夫だ!」
「しかしっ…!」
「構わん。ここは俺がなんとかする。すぐに行ってこい。」
俺は受付所に置いてある小さな紙に俺の名前とシェランドル領主のサインをして、バリーに渡した。バリーは紙を見るなり、驚愕に目を見開いて俺を見た。
「シェランドル領主…貴方が、あのシェランドル領主様ですか!?彼の荒れ果てた領地を、たった3年で統治したという凄腕の領主がいると噂では聞いておりましたが、まさかこんなにお若い方だったとは…!数々の無礼な態度、大変申し訳ございません!!」
バリーは両膝をついて頭を下げた。突然の騎士の最高礼に流石の俺も面食らって、腕を引っ張って立ち上がらせた。まったく、生真面目なヤツって急にとんでもないことをやらかしてくれる。
「おいおい、コラコラ。何やってんだよ。そんな事してる場合じゃないだろうが。さっき第一騎士団だと言ったな。だったら、そこの副団長である俺の次兄が出動しているかもしれない。この紙を渡せば何かしらの取り計らいをしてくれるハズだ。代わりの者は手配するから、すぐに行ってこい。」
バリーは紙を握りしめ、「ありがとうございます!」と言うとすぐに踵を返して駆けて行った。残った二人の兵士に代わりの者が来るまで待機するように伝え、父上のいる執務室へと向かった。
執務室の扉をノックすると中から返事が聞こえたので、中へと入った。父上は机の書類に目を通したまま、声だけをこちらに向けていた。
「ウォルトか。よく来たな。」
「お忙しいところ申し訳ありません、父上。先に一つよろしいでしょうか。」
「どうした?」
「先ほどまた貴族が襲われたそうですが、レイソン・ホルドリー伯爵だと聞きました。」
ピタリと手を止めて顔を上げると、大きく息を吐いた。
「そうだ。外からの帰宅中に襲われたらしい。今医療院で治療を受けているようだが、犯人がまだ捕まっていない。」
「そうでしたか。実はそのホルドリー伯爵は、今日本殿の受付所の警護に当たっていたバドリック・ホルドリーの父親でして、私の判断で現場に向かわせました。急ぎ代わりの者を受付所の警護に当たらせるよう指示をいただいてもよろしいでしょうか。」
父上は少し思案したあと、側で控えていた騎士に視線で指示を出して手配に向かわせた。騎士が扉から出て行くのを見届けてから、小さく溜息を吐いてジロリと俺を見据えた。
「勝手に王宮内の警護に口を出すんじゃない。下手をすればお前も彼の息子も、捕まってもおかしくはないんだぞ。」
「はい、申し訳ありません。ですがご安心を。念のため、彼には私のサイン入りメモを渡しておきました。ですので、彼個人の判断ではなく私に無理矢理行かされたとでも言えば、彼にお咎めは無いでしょう。」
「お前、全然反省してないだろう。なんだ、サイン入りメモとは…。」
神妙な顔つきでケロリとのたまった俺に、父上は呆れてものも言えないといったように顔を顰めていた。が、徐々にクツクツと笑いだしてニヤリとしながら俺を見上げた。
「ま、私もそうしていただろうな。で、今日はどうした?流石に女の匂いは消えたようだな。」
途端に、俺は昨日の父上の言葉を思い出し、一気に体温が上がるのがわかった。そうだ、父上には釘を刺されていたんだった。
「あれは誤解です、父上。急に女に抱きつかれて匂いが移っただけで、何もありませんし、すぐに追い返しました。」
「ほう、急に。だから、お前は潔白だと?」
「う…そう…とも言い切れませんが…。」
瞬時にしっぽが垂れた俺を見て、親が子を完全にからかうような姿勢をとった。長年の人生経験から、すでにサーヤにもバレている事も、俺がそれで内心相当焦っている事も察しているんだろう。普段厳格な父にしては珍しく『楽しくてたまらない』といった顔を隠そうともしていなかった。なぜだ。
「とにかく、私はサーヤと再会してからはそういった関係は一切ありません。それから、先ほどグランテール伯爵家を訪れてレイシー嬢との婚約も白紙に戻してきました。」
「…そうか。あの男はいなかったのか?」
「はい。兄のフィガロ殿に同席していただき、彼にはフィガロ殿から伝えておくとのことでしたので、近いうちには知ることになるかと。それを踏まえて諸々の書類や手紙を作成してきました。」
バッグに入れてきた書類を渡すと、父上は一通り目を通して引き出しにしまい込んだ。チラと外を見ると、空はすでに暗くなっている。
「今は陛下も王太子殿下もお食事中だろうから、後は私の方で処理しておく。ご苦労だったな。」
「はい。それから、明朝に一旦シェランドルへ行って参りますので、サーヤのことをよろしくお願いいたします。」
「そうか。…そうだな、ヤツはいつ動くかわからん。準備は早い方が良い。」
執務室を出て本殿から出ると、受付所にはすでに代わりの騎士が立っていた。軽く挨拶をして馬車を待機させている方へと向かう。御者に、「屋敷に戻る」と伝えようとして、考え直した。
「屋敷に戻る前に寄りたいところがある。」
----そうだ…あともう一つ、ハッキリさせておくことがあった。




