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Changeling  作者: みのり
31/71

30

 ----『夜会の前にサーヤ様とお会いできるのを楽しみにしておりますわ。』


 巫女殿と案内をしてくれた侍女に挨拶をして宮殿を後にした。いつの間にか夕暮れが夜へと変わり始めている。門へと向かう回廊をゆっくりと歩きながら巫女殿の言葉を思い出していた。


 ----『確信はありませんが、もしかしたら私が呼べるかもしれないと思いました。』


 呼べるかもしれない、とはどういうことだ?違う世界にいる者を意図的にこちらに呼び寄せる。つまりは巫女殿がサーヤを召喚するということだ。いくらなんでも、そんなことが可能なのか?

 クレイス家は代々、琥珀の一族の取り換え子として抜群の武芸の才能を発揮した。ならば、碧の一族の取り換え子はどうだ。碧い石の力は確か『浄化と再生』…。

 『再生』、それは琥珀色の石とともに祈ることで災いによって受けた傷跡を再生へと導く力。


 ----()()()()()()()()()()()()()()()()()()…?


 そもそも、碧い石の継承者----まだ赤子だった頃のサーヤが消えたのは、()()()()がきっかけだったと聞いている。そしてそれが原因で彼女の両親は死んだ。もし、この一連の出来事を『災いによって受けた傷跡』と捉えるなら…。

 

 いつの間にか止まっていた足を動かして再び歩き出すと、大きく息を吐いた。これについては今度サーヤと会った時に話すと言っていたから、まぁいいだろう。

 回廊を抜けて門をくぐると、従者が馬を連れてきた。ジョナサンと軽く言葉を交わして立ち去ろうと馬に跨りかけた時、後ろから声をかけられた。


 「やぁ、ウォルト。」


 声の主の方へと振り向くと、木にもたれて立っていた長身の美丈夫が、こちらに向かって来るところだった。


 「フィグか。どうしたんだ、こんなところで。」

 「さっき門番から、君が巫女殿のところに来ているって聞いて、待っていたんだよ。」

 「そうだったのか。なら、丁度良かった。俺もお前に用があったんだよ。」


 馬を引きながら門から離れるようにして歩くと、フィグが俺にだけ聞こえるような小声で「この後マスターの店で落ち合おう」と言ってきた。俺はそれに同意すると、馬に跨りその場を後にした。

 王宮の門をくぐって通りに出ると、すぐに馬を走らせた。街へと向かう途中でフード付きの外套を羽織り、昼間に馬車を停めた広場まで行くと馬宿に馬を預けた。

 ここに来た時は、まさかこんな事になるとは思いもしなかった。だが、あの女が現れてくれたおかげで事態が動き出したのも事実だ。やっぱり未だに顔も名前も思い出せないが、この俺に改めてサーヤを手に入れる決意をさせてくれた事だけは感謝している。

 ま、それであの女への忌々しさを帳消しにしてやってもいいかな。なんせ今の俺は、巫女問題が片付いたばかりで結構機嫌が良いんだ。


*


 マスターの店に着くと、すでに店内は客でいっぱいだった。まだ殆どが来たばかりの客だったが、中にはすでに出来上がって顔を真っ赤にしている輩もいた。

 俺に気付いたマスターが片手を挙げて声をかけてきたので、マスターのいるカウンターの席に向かう。すると、注文する前から酒とつまみを出してきた。ここに座れ、という合図だ。俺はマスターのこういう所に好感を持っていて、ずっとここに通っている。

 クツクツと笑いながら席に座ると、出された酒をグイッと一気に飲み干した。微かな苦みを含んだ酒が身体に溜まった濁りを洗い流していくようで、その爽快さに大きく息を吐いた。

 マスターが空いたグラスに同じ酒を注ぎながら、ニヤニヤした顔で「聞いたぜぇ~」と言い、テーブルに置いた。


 「ウォルト、お前今日女とデートしてたんだって?すげぇデレデレだったらしいじゃねぇか。」


 カウンターに両手をついて、愉快そうに上から覗き込んで言ってきた。なるほど、それでここに座って話を聞かせろって事だったんだな。 


 「なんで知ってるんだよ。」

 「お!?じゃあ、本当なんだな?お前が女を連れて街をぶらつくなんざ、どうせ見間違いかなんかだろって思ってたんだが、そうかそうか。」


 他の客が注文した酒を棚から取り出しながら言うマスターの顔がどこか嬉しそうだったが、念のため本当の事を言っておくことにした。


 「期待を裏切って申し訳ないが、彼女はただの従姉だ。王都に来るのが初めてだから、街を案内していただけだよ。」

 「従姉?へぇ~、初耳だな。お前、従姉なんていたのか。」

 「まぁな。」


 あからさまなガッカリ顔を見せながら運び女に酒とつまみを渡すと、またこちらに向き直った。無言で探るような視線に居心地の悪さを感じたが、俺はつまみで出されたローストナッツを齧りながら酒を飲んでなんとかやり過ごそうとした。別に嘘は吐いてない。余計な事をあえて言う必要がないだけだ。

 俺が気に留めることも無く飲んでいると、「でもよぉ…」と続けた。


 「ただの従姉相手に、彼女のドーナツ齧ったり、過剰なスキンシップしたり、ホットサンド食べさせあいっこしたりするか?」

 「ゴッフ!!!」


 盛大に噴き出した。「うわ、きったねぇ!」とマスターが飛び退いたが、すでにカウンターは大惨事だ。咳込みながら運び女が持ってきた布で周りを拭いていると、今度はマスターが噴き出した。


 「おいおい、動揺しすぎだろう。やっぱり、ただの従姉なんかじゃねぇんだろ?」

 「いや、従姉なのは本当だ。彼女は俺の父親の弟の娘だからな。訳あって今こっちに来てるんだよ。」


 今更遅いが、それでも俺は平静を保とうとした。確かに初デートに浮かれて楽しい時間を過ごしていたが、周囲には今はまだ従姉だと言っておいた方が賢明だ。ここまで誰かに見られてたのが何よりの証拠だ。

 頑なに従姉だと主張する俺に何かを察したマスターは、それ以上何も聞こうとはしなかった。50年近く生きていると、積み重ねた人生経験からある程度はわざわざ聞かなくてもわかってしまうんだろう。俺がこれ以上話す気は無いことがわかると、最後にニカッと笑って「ま、頑張れよ」と言ってカウンターにいた他の客と話し始めた。


 店内がガヤガヤと賑やかになり、運び女が忙しなく動き回りだした頃。カウンターでしばらく一人で飲んでいると、テーブルを軽くコツンと叩く音がした。俺はチラと見上げてから席を立ち、マスターに軽く食えるものをいくつか頼んでから、グラスを持って奥のテーブル席へと移動した。後からフィグが酒を注文しながらテーブルに着くと、カウンターの横で運び女たちが嬉しそうにひそひそと話しているのが視界に入る。相変わらずモテる男だ。


 「待たせて悪かったね。」

 「いや、俺もさっき来たとこだから、気にすんな。」


 フィグの酒がテーブルに置かれたので、軽く乾杯した。酒に口を付けていると、すぐに料理が運ばれてきた。魚のパテにサラミ、ペースト状のチーズに蜂蜜をかけたもの。薄くスライスしたバケットが盛られた籠が添えられている。それからローストポークに口直しのマリネと塩ゆで豆。うん、酒と食うには丁度いいものばかりだ。

 豆を口に放り込んでいると、フィグがニヤニヤしながら俺を見てきた。嫌な予感がする。


 「聞いたよウォルト。君、今日デートしてたんだって?」

 「…だから、なんで知ってるんだよ。」


 誰だよ吹聴して回ってるやつ!どいつもこいつも、俺がデートしてるのがそんなに珍しいのか!?しかもついさっきのことじゃねぇか。

 額に手をついてげんなりしていると、フィグがバケットにパテを塗りながら芝居がかったヤレヤレ顔でいるのが目に入り、正直イラっとした。


 「へぇ~、本当だったんだ。僕としては喜んでいいのか、顔を顰めたほうがいいのか悩むところだね。」


 指についたパテをぺろりと舐めながらバゲットを口に運んだ。完全に面白がってるな…。だが、そろそろハッキリさせないことには事態が動かないのも確かだ。今まで慎重にやり過ごしてきたが、フィグの方も俺の噂を聞いてこのタイミングしかないと思ったのだろう。俺から切り出すのを待っているようだったが、先に口を開いたのはフィグの方だった。


 「で、僕に何か用があったんじゃなかった?」

 「あぁ、そうだ。レイシーのことだが…、婚約を白紙に戻そうと思っている。」


 フィグは酒を一口飲んで、ローストポークに手を伸ばした。普段は完璧なテーブルマナーで食事をするフィグも、ここで俺と酒を飲む時だけはその辺の男連中と同じ様にガサツになる。肉を口に入れると壁にもたれかかるように座り、鼻で溜息を吐いた。


 「それは、レイシー()も気を落とすだろうね。なんせ彼女は君にゾッコンだから、あまりのショックで部屋に閉じこもって涙で小説を濡らしてしまうかもしれないなぁ。」

 「棒読みもそこまでいくといっそ清々しいな。大体彼女が惚れているのは、小説に出てくるお気に入りの王子か何かが俺に似ているからだろう。俺に恋をしてるわけじゃないし、そもそも俺がそんなおキレイな男じゃないことはお前もわかってんだろ?」


 俺も肉を口に放り込みながらテーブルに肘をついて身体を預けた。フィグも壁にもたれてモグモグしながら「王子じゃない。騎士(ナイト)だ。」と言った。


*


 二年前、俺はある夜会で社交界にデビューしたばかりの、当時16歳だったフィグの妹レイシー・グランテールに一目惚れされた。豊かなブロンドヘアと大きな菫色の瞳、ふっくらとした頬と小さくて愛らしい果実のような唇が、男の庇護欲をそそる典型的美少女だった。彼女は、瞬く間に男たちの注目の的になった。

 まだ夜会での立ち居振る舞いに慣れていなかった彼女は、そのたどたどしい仕草がさらに男たちの情欲を煽り立て、格好の獲物となった。そういった場では、婦女子の傍には供の者がいるものなのだが、男ってのは隙あらば獲物を狙う習性があるからな。彼女がほんの一瞬だけ一人になった隙を上手く突いた輩がいた。

 供の者はおらず、数人の男に囲まれて、彼女はどうしていいのかわからずただ顔を青くして震えていた。そこにたまたま通りかかった俺が、出入り口に突っ立っていた野郎どもが邪魔で追っ払ったのを、彼女が『助けてもらった』と勘違いしたのがきっかけだった。…本当はその直前に、一度寝た女に泣きつかれて、ウンザリして単にムシャクシャしてたから、八つ当たりしただけだったんだが。

 後日彼女からお礼を言われた時は、全くなんの事かわからず精一杯の笑顔で対応するのに苦労したもんだ。そしてこの時の『精一杯の笑顔』が、彼女の好きなロマンス小説に出てくるナイトの挿絵に似ていたらしく、俺に惚れたというわけだ。踏んだり蹴ったりだよまったく…。


 それから半月ほど経った頃、俺が父に呼ばれて実家へと帰った時に、グランテール伯爵家令嬢との縁談が持ち込まれた。俺に一目惚れしたレイシーが父親であるグランテール伯爵に必死で頼み込んだらしい。

 本来なら、格下である伯爵家が侯爵家(うち)に突然縁談を持ち込むなどありえないことだ。それを俺のところまで持ってきたという事はつまり、これが単なるおめでたい話じゃない事は、父上をはじめその場に居合わせた長兄と次兄の顔でなんとなく察した。


 とにかく俺たちは正式に婚約はせず、あくまで『婚約者候補』という形をとった。仮の婚約だから、何かしらの証明だの契約だのは必要ない、単なる口約束だ。グランテール伯爵も、もともと礼に欠ける申し出であった事は自覚しているのか、それとも何としても侯爵家との繋がりが欲しいのかはわからないが、大事な一人娘を不確かな口約束なんかに任せる程度には必死だということだ。

 グランテール伯爵の動向を探りながら仮婚約関係をズルズルと引き延ばしてはきたが、そろそろ潮時だろう。彼女自身には何も落ち度は無いんだ。このまま結婚する気も無い男に操を立て続けて彼女の婚期を台無しにするのは、仕打ちにしては酷すぎるってもんだ。


 フィグもまた、この事には常に頭を悩ませていた。そもそもコイツは大事な妹が仮とはいえ俺の婚約者になる事を快く思ってはいなかった。いや、実際にめちゃくちゃ嫌がっていた。縁談の話が耳に入った途端、俺の元に飛んできて目を剥いて詰め寄って来たからな。

 そりゃあそうだろう、いくら俺が男前で強くて地位も財力もあるからといって、女関係とややこしい荷物が付きまとう男に目に入れても痛くない程可愛い妹を任せたくないのは、真っ当な思考を持った人間なら考えるまでも無いことだ。それでも、この縁談には理由(わけ)がある事がわかっているから、表向きは祝福していることにしている。兄ってのも大変だな。

 案の定、俺が婚約を白紙に戻すと言うやいなや、やっと苦悩から解放されるかのように晴れやかな顔つきになった。もう少し隠そうとは思わねぇのか…。


 「まぁとにかく、そういう事だ。そこで、改めて令嬢に挨拶に伺いたいと思っているんだが…できれば今度の夜会までには済ませたい。」

 「そうだね。こういう事は早い方が良い。明後日の夕方なら都合がつくと思うんだが、細かい時間とかは明日でもいいかな。」

 「あぁ、明日も昼過ぎに王宮に行く用があるからその時でいい。」

 「わかった。僕も明日は訓練以外の時間は団長の執務室にいるだろうから、どこかで会えるだろう。」


 そこで話が途切れると、肩の荷がほんの少し軽くなったような気がした。大体、惚れた女がいるのに他に婚約者がいるなんて、俺自身が許せない。どっちにしろ、サーヤがこの世界に来た以上、そして恐らくサーヤの存在を知られている以上、ここからは今まで以上に気を引き締めなきゃならないんだ。だったら方向性が見えるようになった分、いくらか気が楽になるってもんだろう。

 グラスに口を付けようとした時、「ところで…」とフィグが声を低くして言った。


 「…父のグランテール伯爵には、もう伝えてあるのか?」


*


 フィグと酒を飲んだ後、俺はマスターに部屋を借りて泊まることにした。昼間のサーヤの言葉が、予想以上に刺さっていたんだな。いつもは休憩にしか使わないが、今夜はこのまま眠りたかった。

 扉に鍵を掛け、荷物を脇に放り投げてベッドに倒れ込んだ。


 ----疲れた…。


 目を閉じると、サーヤの嬉しそうな笑顔が瞼に浮かぶ。目をキラキラさせて、栗色の髪がふわりと揺れた。あんなに幸せだと感じたのは初めてだったな。


 ----本当に、綺麗だった。


 胸の奥に熱いものが込み上げてきて、だんだん息苦しくなった。


 ----まずい…、このままじゃ寝られねぇ…。


 なんとか下半身の熱を治めようと深呼吸を繰り返している時、扉を静かにノックする音がした。俺は剣に手をかけて慎重に扉へと近付くと、息を殺して壁に背を預けた。


 「ウォルト、いるんでしょう?私よ。」

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