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----この状況で、どうして笑えるんだ?
俺とのデート中に、他の女に威嚇されて怒らない女がいるか?俺の事、なんだと思ってるんだ?…そもそも、デートだと思っていたのは俺だけだったのか…?
気が付けば、俺は思いきりテーブルを叩きつけていた。俺を責める彼女の言葉が胸に刺さって、抉られるようで、聞いていられなかったんだ。
この時俺は、相当焦っていたんだろう。とにかくサーヤにはハッキリと言葉で伝えないと、俺の気持ちには永遠に気が付かない、そんな恐怖すらあった。頭の中がぐちゃぐちゃで、一気に捲くし立てるように想いを伝えた。好きだとか、愛しているだとか、一番わかりやすい言葉で伝えれば良かったのかもしれないが、今この場で彼女にそういった言葉を囁くのは違う気がした。
今すぐ受け止めてほしいとは言わない。ただ、少しでもいいからずっと想い続けた俺の気持ちに気付いてほしいんだ。もう、ダメなんだよ…。
片手で顔を覆いながら、彼女の視線から逃げた。彼女の顔を見るのも怖かった。ついさっきまで何も気にせず話していたのに、どうしてこうなったんだ。
一呼吸おいて耳に届く彼女の声が、少し低くてどこか不快感を滲ませていた。その声にハッと冷静になった俺は、顔を上げると自分の犯した失態にようやく気付いた。
俺の目の前には、静かに怒りを湛えた眼差しを向けるサーヤの顔があった。…嫌な予感がする。鳩尾のドロの消化が終わらないまま、再び頭の中に警鐘が鳴り響いた。
----『私はこの石をあなたに渡して、自分の元いた世界に帰るつもりよ。』
----『…だから、あなたの気持ちを受け取るわけにはいかないの。』
彼女の声が遠くなる。周りの音という音が無くなったようだった。あぁ…俺は失敗したんだ。
冷静になった頭が、本来の回転の速さでもう後戻りができない現実を突きつける。
伝え方を間違えた事はわかっている。でも、それだけだ。ただそれだけの事で、こんなにも呆気なく砕け散るものなのか?俺は、彼女とはこんな気持ちで見つめ合いたいわけじゃないんだ。手を取り、肩を抱いて、腕に閉じ込めて、その瞳に俺だけを映してほしい。
----なのに、また遠くなってしまったのか?…いや、考えろ、考えるんだ…。
額に手を当てながらしばらく考え込んだ俺は、サーヤに気付かれないように視線だけを彼女に向けた。沈黙の中どうしているのか確認するためだけだったんだが…。
俺を見つめる彼女の顔を見た途端、俺の中にあるどす黒い獰猛な欲望が彼女の周りを巻き付くように支配した。
----…こんな事ぐらいで諦めてたまるかよ。コイツは俺のもんだ。絶対に離すわけにはいかねぇんだよ!
「帰るぞ。」
目的は決まった。期限は夜会が始まるまでだ。それまでにすべてを片付けて、その後諸々のことが終わったら、正面からサーヤを迎えに行く。誰にも文句は言わせない。もちろん、彼女自身にも、だ。
*
沈黙のまま広場の繋ぎ場に戻ると、御者を見つけて帰るのが早くなったことを伝えた。とにかく夜会まで時間が無い。一刻も早く行動を起こさなければ間に合わない。
御者には彼女の負担にならない程度に、少し急いで帰るよう指示を出した。馬車の中は気まずい雰囲気だった。俺もサーヤも窓の外に顔を向けたまま一言も喋らなかったが、俺の頭の中ではこれからやるべき事で埋め尽くされていた。
屋敷に着くと、俺はサーヤを馬車から降ろしてすぐに馬に跨って王宮へと向かった。とにかく急いで彼女の元へ行かなくてはならない。
できる限り馬を飛ばして王宮の門に辿り着くと、馬から降りて身分証を出しながら門番に近付いて行った。もう何度も来ているから大概は俺の顔を見てそのまま通してくれるんだが、たまに見かけない者が立っていることもあるので念のためだ。
今日は顔見知りばかりで助かった。軽く挨拶をして門を通った後、再び馬に跨っていつものように一般の者が通る門とは別の門へと向かう。建物の裏手に近い門へと続く通りに差し掛かると、人通りがだんだんと少なくなっていく。
目的の門の前に辿り着くと、馬から降りて門番に掛け合った。
「これはウォルター様。お久しぶりです。本日は巫女様に会いに来られるご予定でしたか?」
「久しぶりだな、ジョナサン。実は今日は予定してなかったんだが、急遽巫女殿に用ができて連絡する間もなく来させてもらった。彼女は今こちらにおられるだろうか。」
「わかりました。すぐに確認して参りますので、中にお入りになってお待ちください。」
馬を従者に預けて門をくぐり、彼女のいる宮殿へと続く回廊の柱にもたれ掛かりながらしばらく待っていると、連絡を受けた若い騎士がやって来た。ちょうど午後の祈りの儀が終わったところで、問題無いとのことだ。
俺は彼に礼を言うと、足早に宮殿へと向かった。宮殿の扉の前で侍女が待機していたので声をかけると、応接室まで案内してくれた。
宮殿の扉を通り、奥へと続くホールを抜けて応接室へと向かった。侍女が扉をノックすると中から返事があったので、中へと通してもらう。彼女はソファから立ち上がりニコリと笑って礼をし、俺もそれに倣った。
「ごきげんよう、ウォルター様。」
「ごきげんよう、巫女殿。今日は急に押しかけて申し訳なかった。失礼をお詫びします。」
巫女殿はニコリと笑って、小さく首を振った。
「いいえ、構いませんよ。そんな事をお気になさっていたら、ここへ来れなくなってしまいますわ。それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
巫女殿----レティーナは、漆黒の瞳に太い眉、長くて真っ直ぐな艶のある黒髪をサラリと流し、祭事用の衣装は殆ど露出が無いにも関わらず、その妖艶な身体を惜しげもなく主張するような魅力的な女性だ。が、メリハリのある身体とは対照的に平べったい顔の骨格が良い感じに抜けていて、おまけに年相応の落ち着きと世渡り上手な愛嬌まで身に着けている。
そこが彼女の一番の魅力だと言わんばかりに、彼女を知る男たちから絶大な人気があった。
----こうして見ると、サーヤとは歳は同じなんだが全然タイプが違うんだよなぁ。ま、俺も人の事言えねぇけど。
「今日来たのは、巫女殿に聞きたい事があるからなんだ。」
「碧い石について、でございますか?」
俺がコクリと頷くと、扉をノックする音がした。巫女殿が返事をすると、先ほど案内してくれた侍女がお茶と小さな菓子を持って入ってきた。よく考えたら立ちっぱなしだったので、これを機にソファに座った。侍女がお茶の用意を終えて出て行くと、早速本題に入る。
「早速だが、時間が無いので単刀直入に聞きたい。巫女殿は、彼女の持つ碧い石を扱えるか?」
巫女殿の目を祈るような思いで見つめたが、彼女はフイッと視線を逸らししばらく考え込んでいた。
「ウォルター様の琥珀色の石ですが、彼女に碧い石を使って浄化してもらったことはありますでしょうか?」
「あぁ、一度だけある。」
「今、見せていただくことは可能ですか?」
俺は首から石を外して彼女に渡した。彼女は石を受け取ると、手のひらに乗せた途端何かに得心したかのように真剣な眼差しで頷いている。そして俺の方へと向き直り、石を返してきたので俺はまたそれを首にかけ直した。
「やはり、本物は違いますわね。琥珀色の石が完全に浄化されています。取り換え子である私の力では、とてもこうはまいりません。」
「確かに、碧い石で浄化された後の身体の軽さは桁違いだった。だが、それが彼女の力なのか、それとも碧い石の力なのかはわからない。もし後者ならば、石が無くても浄化できるほどの力を持つ巫女殿ならば、彼女よりも碧い石を使いこなせるんじゃないかと思ったんだが。」
巫女殿は驚いたように目をパチパチと瞬かせていた。そりゃそうだろう。やっと本物がやって来たと思ったら、石を渡すから今後も君が浄化してくれと言われたら誰だって驚くだろう。
案の定、巫女殿は半目になって探って来た。彼女がこうなったら口調が崩れる合図だ。
「で?なんで急にそんな事を言い出したんです?何を企んでいるんですか?」
「企んでいるんじゃない。思いっきり、俺の我儘だ。それを言う前に聞きたいんだが、巫女殿は彼女の取り換え子としてこの世界に来て以来ずっと、彼女の代わりに巫女としてこの宮殿で暮らしているよな?」
「えぇ、そうですよ。それが何か関係あるのですか?」
俺は背中に冷や汗が流れた。己の目的の為だけに、今まで散々助けてもらった巫女殿に理不尽な要求をしようとしている。俺はカップに口を付け、お茶を一口飲んでから切り出した。
「その…もし、彼女が本来の巫女としてこの宮殿に戻ってきたとして、巫女殿としてはどう思うんだろうか。例えば、お役御免で外の世界に出られて嬉しいだとか、巫女としてこのままここに残りたいだとか、いろいろ思う事があると思うんだよ。」
歯切れの悪い言い方に、自分でも情けなくなった。なんだ?巫女ってのはこっちの継承者を間抜けにさせる妖しくも無駄すぎる能力でも持ってんのか!?
俺がガックリと項垂れていると、巫女殿が菓子を食べてお茶をすすりながら返事をしてきた。
「そうですね。代わってもらえるなら、その方がいいですよ。もともとこのお役目はサーヤ様がすべきことですし、実際に抜群の浄化力をお持ちじゃないですか。でしたら、私は身を引いてお暇させていただきたいと思います。」
巫女殿はすでに彼女の名前を知っていた。情報が早いな。
それよりも、お世話になりました、とペコリと頭を下げた巫女殿の言葉に、俺は愕然とした。サーヤが巫女として宮殿に入ったら、琥珀色の石の継承者である俺と結ばれることは永遠に無い。サーヤ自身は元の世界に帰ると言ってはいるが、アイツの性格的に自分の代わりに巫女としての人生を他人に負わせることに何も感じないはずは無い。
結局は、巫女として宮殿に入る決断をするんじゃないだろうか。
----もし、そんなことになったら…。俺と結ばれないどころか、他の男から子種をもらう事になるじゃねぇか!ふざけんじゃねぇ!
俺は考えないようにしていた事実を目の前に突き出されたようで、狂いそうな嫉妬と怒りがこみ上げてきた。無意識に石を握りしめていたせいで、俺の瞳がゴールドに変わりそうになる直前に巫女殿が片手を目の前にかざした。
額に流れてくる力に俺はハッと我に返り、石からゆっくりと手を離した。危なかった…もう少しで石の力を使う所だった。誰と戦うつもりだよ…。
俺が心臓をバクバクさせながら呆然としていると、巫女殿がゆっくりとソファに座り直して俺を真っ直ぐ見据えて言った。
「余計な建前などいりません。本当の事を言ってください。あなたは、何を望んでいるのですか?」
俺は息を呑んだ。彼女の射抜くような視線に降参し、二度と許してもらえなくなる覚悟で洗いざらい話すことにした。
「…わかった。正直に言おう。巫女殿には嘘は吐きたくない。」
俺は気持ちを落ち着かせるためにカップに口を付け、深呼吸してから口を開いた。
「彼女は…サーヤは、碧い石を俺に託して自分の世界に帰ると言っている。」
「それは…。」
巫女殿は少し困惑気味に返事をした。俺は溜息混じりに続けた。
「この世界に来て間もないということもあるが、自分の世界との違いがストレスなのか、碧い石の存在を知ったばかりで恐怖を感じているのか、いろいろ理由はあるんだろうが…。何にせよ、自分の生きてきた世界が自分の全てだからここには残れない、そういうことだった。」
俺は彼女の言葉を繰り返しながら、自分で自分を刺しているような気分だった。はぁ…と深く息を吐く。頭を両手で支えるのが精一杯だった。いや、まだ途中だ。
「だが俺は、何としても彼女にはここに残ってもらいたい。そして…」
「そして、俺の妻にする、ということですか?」
巫女殿は射抜くように核心を突いてきた。だが、俺もここまできて後戻りはできない。
「…そうだ。だが、彼女がここに残り巫女として宮殿に入ったら、俺とは決して結ばれることはない。それどころか、他の男の子種を受けることにすらなる。そんな事は決して耐えられない!」
話しているうちに身体中の筋肉が強張り、拳を握りしめ、奥歯を噛みしめていた。そんな俺を見つめながら、巫女殿は冷ややかな表情を湛えて乱れのない声で刺し込んできた。
「それは、取り換え子である私に石を渡して、碧の巫女として生き、生涯独身のまま見ず知らずの殿方の子種だけを受けて、世俗と隔離された宮殿の奥で子と共にひっそり暮らせ、という申し出ということですね?愛する女と共に生きたいという、自分の欲望のためだけに。」
巫女殿の言葉に乗せられた憤怒と憎悪を、俺は真正面から受け止めるように彼女を真っ直ぐに見つめた。




