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Changeling  作者: みのり
27/71

26

 彩綾は中庭のベンチに座り、ステラが用意してくれたホットワインに口を付けた。蜂蜜やシナモン、オレンジピールをベースに数種類のスパイスを混ぜて軽くアルコールを飛ばしてある。あまりお酒を飲まない彩綾にも飲みやすく、独特の酸味を含んだ香りが鼻の奥をツンと刺激した。

 ワインを飲んでハァッと吐く息が一瞬白さを残して消えていくのを眺めながら、彩綾はふと気が付いた。


 ----あれ?そういえば、23年前にウォルトがここに来たことをクレイス侯爵に伝えたのは、当時の巫女だったわよね。私が28歳で、今の巫女が私の取り換え子なのだとしたら…当時、彼女はまだ5歳の子供だったという事になるんじゃないの!?


 彩綾は驚愕のあまり持っていたクッキーを膝の上に落とした。

 たった5歳の女児が、どういった経由で王宮に連れてこられたのか、そしてすでに巫女としての運命を受け入れていたという事実に、彩綾は眩暈を覚えた。

 本来ならば、自分が負うことになっていた役目を小さな子供に負わせていたのだ。28年間も。


 彩綾はいよいよ罪悪感で押し潰されそうになっていた。心臓がドクドクと鳴り、カップを持つ手が震えだす。カップをトレイにそっと置き、身体を包んでいた毛布の合わせ目をギュッと握り締め、毛布に顔を埋めるように項垂れた。

 先ほどまで『元の世界に帰るんだから』と呑気に考えていた自分に、だんだん腹が立ってくる。まだ見ぬ彼女への罪悪感と自分への苛立ちに、鳩尾(みぞおち)の辺りを鷲掴みにされているような感覚に襲われた。


 ----どうしよう。明後日、巫女に会うのよね…。本来なら、彼女は違う世界の違う国で生きていたかもしれないのに、私がそれを全て奪ってしまった…。


 項垂れたまま両手を合わせた指先を眉間に当て、深呼吸をした。決して軽い気持ちで会いたいと思ったわけではないが、ここにきて急に会っても良いものなのかどうかわからなくなる。

 碧い石を託すには今の巫女しかいないという気持ちと、これ以上自分の身代わりをさせ続けていいのかという気持ちが混ざり合う。

 それでも、この世界で生きていく自信が無い臆病な自分が、何よりも情けなかった。

 

 屋敷の明かりが少しずつ消え始め、中庭が暗闇を浮かび上がらせた。肌寒さが増し、そろそろ戻ろうかと顔を上げ残りのワインを飲もうと手を伸ばした時だった。

 俯いた視界の端に映った影から声をかけられた。


 「…お前、こんなところで何してんだよ。」


 彩綾が顔を上げると、ウォルトがこちらを見下ろしながら立っていた。いつの間にいたのかと驚いていると、今朝の無表情が消えていることに気が付いた。


 「なんだ、帰ってたの。…おかえりなさい。」


 どことなくぎこちない返事になってしまった事に妙な焦りを感じ、カップを持ってすっかり冷めてしまったワインに口を付けた。どこから見られていたのかわからないバツの悪さで真っ直ぐに前を向いていると、ウォルトが口を開いた。


 「…今朝の事、か…?」

 「は?」

 「え?」


 彩綾が混じり気なくキョトンとしていると、ウォルトは真っ赤になった顔を片手で隠しながらガックリと肩を落とした。

 なんでもねぇよ、と悪態をつくとそのまま彩綾の隣にドカリと座り込み、長い足と腕を組んで彩綾が持っているカップをチラと見た。


 「何飲んでたんだ?」

 「え?あぁ、これ?ホットワインよ。さっきステラさんが持ってきてくれたの。」


 彩綾がカップの中を見せるように差し出すと、ウォルトが中を覗き込む。冷たくなってはいたが、カップに残ったシナモンの欠片やオレンジピールが微かに香りを残していた。


 「お前、酒飲めないんじゃなかったのか?」

 「少しぐらいなら飲めなくはないんだけどね。ただあんまり得意じゃないというか、お酒を楽しめるわけじゃないから。でもこれは美味しかったから、スイスイ飲めちゃった。また作ってもらおうかな。」


 最後の一口を飲み干そうとした時、ウォルトが横から手を伸ばしカップを奪った。咄嗟に両手でカップを追いかけるようにウォルトの方を向くと、カップがそのままウォルトの口元へと運ばれた。


 「!!!」


 彩綾が口を開いたまま呆気に取られていると、ウォルトは残ったワインを飲み干してカップを覗き込んだ後トレイにのせた。


 「ふ~ん、俺には甘すぎるがなかなか美味いな。」


 わざわざ彩綾が口を付けていたところから飲むというとんでもない光景に、彩綾は顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。ウォルトはまたしてもシレッとした顔で残っていたクッキーを彩綾の口に押し込んだ。


 「うん?お前、もしかしてまた照れてんのか?」

 「えぇ、えぇ、若い娘じゃあるまいし、照れたりなんかしないわよ!最後の一口を取られた事に、この上ない怒りの限界突破をしそうで赤くなってんのよ!」

 「どんだけ意地汚ねぇんだよお前。」


 動揺を誤魔化すようにクッキーをガリガリと噛み砕いていると、ウォルトが腕を組んだまま前を向いて小さく息を吐いた。


 「…で?何に落ち込んでんだ。」


 彩綾はギクリと肩を震わせた。

 クッキーを噛むのをやめ、ゆっくりと飲み込む。口の中に残ったクッキーを流し込もうとカップに手を伸ばしたが、さっき飲み干された事を思い出して手を引っ込めた。

 中庭を映す明かりはほとんど無くなり、慣れた夜目で互いの顔がなんとなくしかわからない程度まで暗くなっている。その闇が彩綾の背中を押しているかのようで、辺りは静まり返っていた。


 「…あのね、ウォルトがこの世界に来た事を告げたのって、今王宮にいる巫女なんでしょう?」

 「そうらしいな。それがどうかしたのか?」

 「私の取り換え子…もしそうなら、それを告げた当時彼女はまだ5歳の子供だった。5歳なんて、私が保育園でお世話している子供たちぐらいの歳なのよ。そう思ったら、急に苦しくなってしまって…。なんて事をしてしまったんだろうって…、自分で自分が怖くて…。」


 彩綾は毛布をきつく締めるようにギュッと握り締めながら俯いて言うと、ウォルトはできるだけ目を向けないようにしながら聞いていた。


 「私、この碧い石を託すのは今巫女をしている女性しかいないと思っていたの。でも、もし彼女が巫女であることを望んでいなかったら?私を恨んでいたら?これ以上の負担を彼女に背負わせるのはあまりに自分勝手で…でも、だからといってこの世界で生きていく覚悟も私には無いの。」

 「…。」

 「明後日、夜会の前に彼女に会うでしょう?本当に会っていいのかどうか、自己満足なんじゃないか、迷惑なんじゃないか、そんな事ばかりが頭に浮かんできて…。情けなくて自分に腹が立つのよ…。」


 彩綾は身を捩って肌寒さのせいにするように小さく鼻を啜った。吐く息が震えていても、暗闇が自分の顔を見えないようにしてくれる安堵感からなんとか涙を流すことだけは避けられた。

 短い沈黙の間に呼吸を整えベンチにもたれかかると、ウォルトがタイミングを計っていたかのように頭にポンと手を置いて、ポニーテールのしっぽをするりと撫でおろしながら再び腕を組んだ。


 彩綾は自分の意思とは関係なく高鳴る心臓に、居心地の悪さを感じて顔を背けた。


 「父上から聞いた話だと、取り換え子である今の巫女が現れた事を知らせたのは先代の巫女、つまりお前の母親だという事だ。」

 「私の、お母さん…?」

 「あぁ。お前の母親が亡くなった事は知っているだろ?お前が消えた直後は()()生きていて、キールの街の近くの森に赤子が現れたと言ったそうだ。そう、ちょうどお前が現れた場所の辺りだ。」


 彩綾はハッとして、クレイス侯爵の言っていた言葉を思い出した。琥珀色の石の継承者が消えた時に現れた赤子の男児----クレイス家初代当主と、赤子だったウォルトが現れた場所も近かった。


 「当時父上は王宮近衛騎士団の一騎士だった。すぐに当時の団長や副団長と共に森の捜索に向かい、そこで赤子の女児を保護したそうだ。それが今王宮にいる巫女なのだが、保護した当初は本当に取り換え子なのかどうかわからなかった。なんせその時は琥珀色の石も碧い石も無かったから、確かめようがなかったんだ。」


 それもそうだ、と彩綾は思った。

 取り換え子がこの世界に来た28年前は彩綾が石を持って元の世界にいた上に、その当時はまだウォルトは産まれておらず、先代の琥珀色の石の継承者はこことは違う世界にいた。

 本物の取り換え子かどうかわからない者を、どうして巫女の座に座らせたのか不思議に思った。その疑問に答えるように、ウォルトが続けた。


 「ところが女児が言葉を話すようになった頃から不思議な事が起こった。遊んでいたかと思えば、突然何かに反応するようにピタッと動きを止めて、ブツブツと呟き始めたんだ。」

 「…何を?」


 ウォルトが胸にしまっている石を服越しに確認するように押さえた。


 「覚束ない口調だったから何を言っているのか聞き取れなかったらしいが、とにかく『こはく』とよく言っていたそうだ。」

 「こはく…。」

 「ハッキリしだしたのは4歳くらいからだったそうだ。『こはく、あんまり、つかっちゃだめだよ』と言い出したらしい。それで間違いなく取り換え子だということになったそうだ。とにかく聡い子供だったらしく、5歳の頃にはすでに巫女としての素質が現れていたらしい。この世界に無いはずの琥珀色の石の存在を、常に感じ取っていたようだ。」


 彩綾は自分が5歳くらいの頃の記憶を探ってみた。

 当時はまだ、碧い石は母が箱にしまっていて彩綾自身はその存在すら知らなかった。そういう意味では巫女と条件は同じはずなのに、自分にはそういった力を感じたことなど一度も無かったし、当然琥珀色の石の存在を感じ取ったことも無かった。それどころか、お転婆すぎて四六時中怒られていた記憶しかない。良く言えば『子供らしい子供』だった。


 ----もしかして…もしかしたら…。


 「初めて巫女としての力を発揮したのは、俺の腕に巻き付いていた琥珀色の石を浄化したことだった。父上が琥珀色の石を巫女に渡した時、石はかなり酷い状態だったらしくて、碧い石が無いまま浄化をするのは相当な時間がかかったそうだ。ましてや、少女の力では少しずつ浄化しないと身体への負担が大きかったらしい。」

 「それでも浄化できたってことは、元々すごい素質があるって事よね。それも、本来の継承者である私以上に…。確か、クレイス家の初代当主アルスター・クレイスも武芸に才能を発揮させていた…。てことは、やっぱりこの碧い石も私が持つより巫女に預けた方がアンタの石を浄化するには良いのかもしれないわね…。」


 ウォルトがハッとして彩綾を見る。彩綾の何かを決意した表情に、余計な事を話し過ぎたと後悔の念が押し寄せたが、すでに遅かった。彩綾はトレイを持って立ち上がると、顔だけをウォルトに向けてニコっと笑った。


 「ウォルト、ありがとう。ウジウジ悩んでいても、どうしようもないもんね。恨まれようが嫌われようが、やっぱり面と向かって話をしない事にはなんにも解決しないし、アンタが石の力を思う存分発揮できるようにする為にも、きちんと頭を下げてお願いしてみるよ。そしたら私も心置きなく帰れるってもんよ。」


 はぁ~っ、と安堵の深呼吸をしながら彩綾は屋敷に戻ろうとした。ウォルトが慌てて呼び止めようと手を伸ばしたところで、彩綾がピタリと足を止めて振り向いた。


 「それからアンタ、恋人がいるんなら他の女性に気安く触るんじゃないわよ。そんなんだから、女の子が勘違いしてアンタに惚れたりしちゃうんでしょう?いい加減にしときなさいよね。おやすみ。」


 ったくこれだから節操のない男は…とブツブツ言いながら去っていく彩綾の背中を、ウォルトは固まったまま呆然と見つめていた。


*


 翌朝、彩綾はベッドから起きて身支度を済ませ、一階へと下りて行った。

 広間ではすでにシャロラインとセレリーナがソファに座ってお茶を飲みながらお喋りをしており、侍女が子供たちを起こしに行っているところだった。

 彩綾が二人に挨拶をしながら、昨夜ウォルトが帰って来た事と、少し話をしているうちに元通りに戻った事を伝えると、セレリーナが思いも寄らない事を言った。


 「ウォルトといえば、一度シェランドルに帰ると言って今朝早くから出かけたそうですわ。今夜遅くにはこちらに帰ってくるそうですけれど。」


 毎日よく頑張るなぁと特に気にも留めないでいると、シャロラインがなぜか嬉しそうな顔を彩綾に向けた。


 「それじゃあ今日は、ドレスに合わせるアクセサリーを決めましょうね。」


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