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Changeling  作者: みのり
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25

 「サーヤさんが謝る事なんて、全く無いのよ!」

 「そうですわ!なぜサーヤさんがお謝りになるの!?悪いのは、その男性とウォルトでしょう!?あぁ…本当に…もっと懲らしめてやれば良かったわ…。」

 「え?」


 セレリーナが最後にボソリと呟いた言葉を、彩綾は聞き取れなかった。なんでもなくてよ、とニコリと微笑むセレリーナがとても美しくて、彩綾は思わず見入ってしまう。

 彩綾は二人を心配させたままにしておくのも良くないと、話題を変えることにした。


 「確かに、彼との事がきっかけでしばらくは男性が怖くて近付けない時期もありましたが、そんな私を救ってくれたのが保育園にいる子供たちだったんです。」


 彩綾の突然の話題に、二人は少し面食らったような様子だった。彩綾はフフと笑って懐かしい話をするように話し始めた。


 「彼と別れた翌年から、保育所で働き始めました。どんなに勉強や実習で基礎知識を学んでいたとはいえ、実際に生身の人間、それも赤ちゃんや小さな子供を相手にするとなると、なかなか上手くいかなくて…。最初の頃は、本当に戸惑うばかりでした。それでも毎日赤ちゃんのお世話をしたり、子供たちと朝から晩まで生活を共にして、子供たちが寝ている間に雑用したり、イベントの準備をしたり。」


 話しているうちに表情が柔らかくなっていくのが自分でもわかる。自分はこの仕事が好きなんだなと改めて思った。


 「そうやって過ごしているうちに、いつの間にか忘れちゃってました。自分でも驚いたんですけどね、あれ?そう言えば私なんであんなに落ち込んでたんだろうって。なんて言うか、そんな事を覚えていられる程暇じゃ無かったって言うか…。子供たちの笑顔も泣き顔も怒った顔も、本当に可愛くて。あっという間に時間が過ぎていきました。そして…」


 彩綾が少し言い淀むと、シャロラインとセレリーナがどうしたのかと彩綾の顔を見つめた。


 「働き始めて1年経った頃に母が亡くなった時も、子供たちに救われました。父も母もいなくなって、私には兄弟姉妹もいませんし、母と二人になってからは親戚とも遠くなっていて…。と言っても、母から亡くなる前に私が本当の娘じゃないと教えられていたので、たとえ親戚付き合いがあったとしても頼ることはなかったと思いますが。それでまぁ…本当に一人になってしまったんです。」


 彩綾は苦笑しながら膝の上で手を組み、自分の組んだ手を見つめた。


 「心にポッカリと穴が開いたような状態で母の葬儀を済ませて、数日の休みの後に職場に復帰したんです。そしたら…子供たちが私の姿を見るなり駆け寄ってきて『さっちゃん先生!元気出して!』、『さっちゃん先生、大丈夫?』ってすごく心配してくれたんです。次から次に励ましてくれて、その日は皆で私のお手伝いを頑張ってくれました。おかげで、すっかり元の生活に戻れたんです。本当に…救われました…。」


 少しの沈黙の後、シャロラインは彩綾の片手を取って自分の膝の上で握った。彩綾が顔を上げると、シャロラインが優しく微笑んでいる顔が映り、彩綾もつられてニコリと笑った。


 「そうだったの…。サーヤさんにとって子供たちは、何度もあなたを救ってくれた小さなヒーローなのね。辛いことを忘れるのはとても簡単な事では無いわ。一生引きずっていても、決しておかしいことではないもの。それでもあなたは、克服してきたんでしょう?よく頑張りましたね。」


 彩綾は少し、ドキリとした。母が亡くなってからというもの、自分の内面的な部分を褒めてもらった記憶があまり無い。保育所での生活は充実していたが、職場仲間とプライベートで仲良くなることは無かったし、当然恋人もいない。そうなると必然的に人から内面を褒められることなど、この7年間ほぼ無かった。

 彩綾は少し戸惑うように、照れるように、小さく頷いた。


 「いえ…。それよりも、今こうしてここにいる間も私のいる世界がどうなっているのかが気になっています。実はここに来る前日に職場を辞めたところだったんです。引っ越しをして違う環境で働こうと思っていて、それまでの長期休暇に入った矢先にここに来たものですから、何もかも放ってきたままなんです。」


 それは…、とシャロラインが言いかけたところで、扉をノックする音がした。シャロラインが返事をすると、執事のフィリップが扉を開け、夕食の準備が整ったことを告げに来た。彩綾はこの屋敷に来た初日以降クレイス侯爵はもちろん、チェスターにもシューゼルにも会っていないことに気が付き、セレリーナにそれとなく聞いてみた。


 「えぇ、そうですの。二日後の夜会に向けての諸々の準備ですとか警備体制の強化等で、今は王宮内外問わず猫の手も借りたいほどの多忙を極めていらして、夜会が終わってからも後処理が終わるまではほとんどお屋敷へはお戻りになられないのよ。」


 そうなんですか、と返事をしながら三人は食堂へと向かった。

 すでに子供たちが座っていて、揃ってプゥと膨れたような顔でお腹がすいたという目線を投げかけてきた。三人はクスクスと笑いながら席に着き夕食を食べ始めた頃、玄関ホールの方から騒がしい声が聞こえてきた。

 何事かと扉の方へ目をやると、ガチャリと扉を開けてシューゼルが食堂へと入ってきた。シューゼルは食事を始めたばかりの家族の様子を見て、少し会釈をした後シャロラインの方へ向き直った。シューゼルの様子から何か勘付いたシャロラインが、眉根を寄せていた。


 「母上、お食事中失礼いたしました。ただ今戻りましたが、またすぐに王宮へ向かいますので、ここで失礼します。」

 「…シューゼル、()()なの?」


 ----また?


 彩綾が何気なくチラとシャロラインの方に視線を向けると、小さく溜息を吐きながらシューゼルも眉間に皺を寄せながら言った。


 「えぇ…。夜会前のこの忙しい時に、わざとなのか偶然なのかはわかりませんが、本当に勘弁してほしいですよまったく。とにかく今回は僕が後処理を任されていますので、さっさと終わらせてきますね。」


 シューゼルは肩を竦ませながら両手を挙げて言うと、そのまま彩綾の方に視線を向けた途端ニコリと笑った。


 「サーヤちゃん、なんだか久しぶりだね~。ごめんね、最近物騒なのにうちの男連中はなかなか帰って来れなくて。あ、でもまぁウォルトがいるから安心…て、あれ?そういやウォルトは?」


 シューゼルがキョロキョロと辺りを見回すと、女性三人が視線を合わせて口を噤んだ。引き攣った空気を察したシューゼルが、地雷を踏んだことを自覚するには時間がかからなかった。

 セレリーナがナフキンで口元を押さえながら冷めた視線をシューゼルに投げる。


 「ウォルトでしたら、夕方頃馬車に乗ってどこかへ出かけて行きましたわ。行き先は告げていませんでしたから、どこへ行ったのか、帰ってくるのか来ないのかも存じ上げませんわ。」


 セレリーナの突き放した口調に、シューゼルは背筋が凍った。

 幼い頃からセレリーナの事を知っている者は皆、普段穏やかな彼女がこの目つきになった時は相当怒っている時だという事を知っていたからだ。シューゼルは額に冷や汗を滝のように流しながら、一刻も早くこの場から立ち去ろうとした。


 「そ、そうでしたか。ウォルトの奴、ご婦人方を放っておいてどこへほっつき歩いているのやら。ははは…ごほん。今度見かけたら、僕からもきつく言っておきますので。えっと…それでは、失礼いたします!」


 言うが早いか、シューゼルが扉から出て行く背中を見て、一目散に逃げるとはこの事かと彩綾は思った。

 シャロラインに視線を戻すと、険しい顔をしたまま姿勢を正して葡萄酒に口を付けているところだった。彩綾は一体何事かと気になったが、部外者が立ち入る事では無いと思い直して静かに食事を再開した。

 使用人が水を勧めてくれたのでグラスに半分ほど注いでもらう。グラスに口を付けながらチラとセレリーナの方を見ると、彼女も何かを察したように暗い顔をしていた。

 沈黙のまま食事が進み、セレリーナが子供たちを先に終わらせて自室に向かわせた。彩綾は早めに食事を終わらせ、二人に気を利かせて先に席を立とうとすると、シャロラインが押しとどめて座るように促しながら、片手を挙げて一時的に食堂から使用人たちを下がらせた。


 「サーヤさん、あなたを不安にさせてしまうだけになるのかもしれないのだけれど、念のためにお話しておきますね。」


 シャロラインに真剣な眼差しを向けられ、彩綾は背筋を伸ばして姿勢を正した。


 「先程のシューゼルとの話だけれど、数か月前から王都周辺の貴族や商人が襲われる事件が起こっているの。それだけなら物騒なお話ね、となるところなのだけれど、問題なのはなぜか犯人が捕まらないの。捕まえられないどころか、自警団だけではなく騎士団までが捜索に乗り出しているのに手がかりすら掴めないのよ。」


 シャロラインは再び葡萄酒に口を付けて、小さく溜息を吐いた。


 「だから、私たちも外へ出るときは必ず護衛を連れて行くようにと言われているの。先日はウォルトが一緒だったから何も心配はしていなかったのだけれど、もし外へ行くことがあったら護衛の者を用意するから必ず先に知らせてね。それに…今日も、誰かが襲われたようよ。今回はシューゼルが現場に向かうと言っていたけれど、今度も同じ様な事件でなければいいのだけれど…。」


 怖がらせてごめんなさいね、とシャロラインが眉尻を下げると、彩綾は控えめに笑いながらコクンと頷き、シャロラインの言葉を心の中で反芻させた。


 ----『()()()()()()()()()()


 その言葉に彩綾は背中が寒くなった。

 彩綾の生きる世界では、服の繊維一本でも現場に残っていれば犯人の手がかりとして重要な役割を果たしている。もちろん、だからと言って即犯人逮捕に繋がるわけではないが、それでも完全犯罪が難しいとされる現代を生きる彩綾にとっては、この世界の現実を突きつけられた気分だった。


 ----とてもじゃないが、この世界では生きていけない…。私の防犯意識はこの世界では通用しないもの。


 彩綾が俯いて考え込んでいると、セレリーナは彩綾が怯えていると思い込んだ。


 「大丈夫ですわ、サーヤさん。ここが襲われる事はまずありませんし、たとえ襲われたとしても返り討ちにしてやりますわ。ねぇ、お義母様?」

 「そうね、私たちもクレイス家の嫁として多少は武術の心得がありますもの。そう易々とはやられないわ。」


 ほほほ、と笑いながら物騒な事を言う貴婦人方に、彩綾は親近感を覚えた。やはり、女性はこうでなくては。

 そろそろ行きましょうか、と言うシャロラインの言葉を合図に三人は立ち上がり、食堂を出た。シャロラインとセレリーナはそのまま自室に戻ったが、彩綾は昼寝をしたせいかあまり眠たくもなかったので、自室に肩掛けとクッションを取りに行くと中庭に出てベンチに腰掛け夜風に当たっていた。

 冷たい風をふわりと感じながらぼんやりと夜空を眺めていると、不思議な気分になった。


 ----こうしていると、自分の世界とは何も変わらないよね。視線を下げたら一気に豪華感出るけど。


 中庭の暗に屋敷から漏れる光が薄っすらと照らされ、芝生の葉先が蛍色に灯されていた。

 フフと笑いながら一呼吸してベンチにもたれると、この屋敷に来てからの四日間を思い返していた。もう随分長い日をここで過ごしているような気分だった。

 知った事もたくさんあったけれど、それ以外にも特に今日は自分の取り乱した姿を見られたり、誰にも言えなかった暗い過去話をしたりと、自分ではなかなか濃い一日だったように思えた。


 ----ウォルトはここに来た時まだ赤ちゃんだったんだよね。私と同じ世界にいたとしても日本であるとは限らないし、私と違ってこの世界この国が彼の全てなんだ…。


 足元を払う風が、芝生を撫でながら静かな音を立てている。


 すでにライフスタイルが出来上がってからここに来た自分とは違い、産まれてすぐからここで育ち、琥珀色の石の継承者としての運命を受け入れてこの世界を生き抜いてきたウォルトに、彩綾はどこか後ろめたい気持ちになった。


 ----そりゃまぁ、私が罪悪感を感じる事じゃ無いんだろうけどさ。もしかしたらウォルトだって、スマホ持ったり、ネトゲしたり、出会い系サイトで…いや、アイツには必要無いか…。


 不意に、街で会った女性の香水を身に着けて帰って来た時の事を思い出し、彩綾はモヤモヤと胸に重みを感じた。倉敷セフレ事件と重なりはするものの、あの頃感じたショックとはどこか違う感覚を払おうと、彩綾は自分に言い聞かすように心の中で呟いた。


 ----そもそも、相手を選んでようが手当たり次第だろうが、遊びまくってる事に変わりは無いじゃないの。どこに矜持を持ってんのか知らないけど、ドヤ顔でいう事じゃないでしょうが。


 ブツブツと一人言を呟いていると、人の気配を感じて顔を上げた。同時に、侍女長のステラが心配そうな顔をして声をかけてきた。


 「サーヤ様、こんなところに毛布一枚でいらっしゃるなんて、お風邪をお召しになりますわ。」

 「あ、ステラさん。すみません、今日長時間昼寝しちゃって全然眠たくないんです。毛布(これ)があればそんなに寒くはないですし、もう少ししたら部屋に戻りますね。」


 彩綾がニコリと微笑んで返すと、やれやれといった笑顔で温かい飲み物を勧めてくれた。彩綾はお言葉に甘えるように甘めのホットワインをお願いすると、ステラはホットワインに小さなクッキーを添えて持ってきてくれた。


 ----でも…綺麗な人だったな…。


 ホットワインから立ちこめるスパイシーな湯気が、胸のモヤモヤを消してくれるような気がした。

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