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Changeling  作者: みのり
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24

 倉敷は片手で彩綾の両腕を掴んだまま、首元に埋めた顔を上げてキスをしようとした。彩綾が震えながら咄嗟に顔を背けてキスを躱すと、倉敷はニヤリと笑って彩綾の身体を撫でた。

 彩綾がデニムのスリムパンツを穿いてベルトまで締めていることに気が付くと、軽く舌打ちをしてボタンシャツに手をかける。彩綾が思わず身を捩って抵抗すると、再び身体を押さえつけられた。


 「次また抵抗したら、今度は動けなくなるように無理矢理大人しくさせるよ?」


 そう言って手のひらを高く上げた。彩綾は喉の奥がヒュッと鳴り、殴られるかもしれないという恐怖で目を見開いていると、倉敷は再び顔を近付けキスをしようとした。


 ----これ以上、抵抗できない。どんな目にあうかわからない…


 恐怖のあまりボロボロと涙が溢れた。彩綾が覚悟をした瞬間、ドアホンの鳴る音が響いた。

 倉敷は彩綾の口を手で塞いで黙るように言うと、顔を上げて玄関の方を見た。しばらくの沈黙の後、再び彩綾の方に向き直って顔を近付けようとした。すると、再びドアホンが鳴り、倉敷が忌々しげに玄関の方を睨んだ途端、玄関の扉が開いた。


 「あれ?開いてる。祐輔、いるの~?…は?」


 玄関から入ってきた女性は、ベッドの上の倉敷と彩綾を見て固まっていた。彩綾が女性の方を見やると、以前この部屋の前で会った女性とは別の女性だった。目の前の倉敷は明らかに動揺している。彩綾は咄嗟に顔を捩って、声を震わせながら大声で叫んだ。


 「助けて下さい!!」


 叫ぶ彩綾に、女性はハッと我に返って倉敷が彩綾の口を塞いでいた光景を思い返した。


 「お願いします!助けて下さい!助けて下さい!!」

 「…は?え!?え!?ちょっと!あんた何やってんのよ!!」

 「ち、違…これは…!」


 女性はベッドに駆け寄り、彩綾をベッドから引っ張り出すと同時に、倉敷に強烈なビンタを叩き込んだ。そのまま倉敷と距離を取るように彩綾を支えて離れさせ、大人しそうな見た目とは正反対の鋭い眼差しと凄んだ声で言い放った。


 「…てめぇ…女をこんな目に遭わせやがって…。舐めたマネしてんじゃねぇぞコルァァァ!!!」

 「!!」


 彩綾と倉敷が彼女の口調の変貌ぶりに驚愕して固まっていると、その女性は彩綾に向き直って優しく言った。


 「怖い思いをしたのね、大丈夫だった?後の事は私に任せといて。これでも、()()()()()()()この辺りを締めるレディースの総長してたの。二度と近付かないよう、アイツへの落とし前はちゃんとしといてあげるわ。」


 彩綾がポカンとしていると、女性の後ろのベッドの上で青ざめている倉敷の姿が映った。彩綾がヨロヨロと立ち上がると、女性は彩綾の荷物を拾って渡した。彩綾はお礼を言って、まだ震え続ける足を庇うように壁に手をつきながら玄関へと向かった。靴を履いたところで、女性が声をかけてきた。


 「大丈夫?一人で帰れる?」

 「はい…。大丈夫です…。本当に、助かりました…。」


 それでは、と玄関から出ようとした時に、彩綾はふと思い出して女性の方に向き直った。目を伏せて俯き、ゆらりと腕をあげて倉敷を指さしながら言った。


 「そうだ…あの人ずっと前からセフレがいたんです。私を口説いている間も、付き合ってからも…数日前までずっと続いてました。彼女がいるのに黙ってセフレを続けていたことがバレて、相手してもらえなくなったそうです。さっき、『相当溜まってる』って言ってました。それでは、()()()()()()()()()()。」


 彩綾がそう言うと、部屋の奥から小さな声で『ひっ…』という声と、深々と下げた頭の上で何かが切れる音がしたが、そのまま振り返ることなく部屋を出た。

 マンションを出たところで何かが盛大に割れる大きな音が聞こえたが、何も聞こえない、と自分に言い聞かせて駅へと向かった。

 駅の改札を通り、ホームのベンチに座った。途端に先ほどまでの恐怖が蘇り、身体が震えだした。両手で自分の身体を抱きしめるようにして何とか耐えようとしても、身体が言う事を聞かない。


 ----もし、あのまま彼女が来なかったら…今頃、私は…。


 彩綾は初めて男の人を怖いと思った。自分の腕を押さえつけていた力でさえ、ほとんど本気を出していなかっただろう。それでも、全く歯が立たなかった。


 ----『もともと、お前が処女だってわかったから興味持った』

 ----『俺、処女の相手とかしたことないから、どんなもんか興味あってさ。相当痛いらしいね』

 ----『優しくしてほしかったら、暴れるな』


 倉敷の言葉が頭の中で何度も再生され、彩綾は息が苦しくなる思いがした。


 ----処女だからなんだっていうのよ…そんな事の為だけに…()()()()の為に…。


 必死に口説かれていたのか、と彩綾は自嘲した。すべてが嘘だった。優しい笑顔も、楽しかったことを子供っぽく話す姿も、辛い時に頭をなでてくれた大人の包容力も、全部、全部…。

 彩綾はだんだん視界が滲んでいくのがわかった。人に見られないように俯いて、声を出さないよう必死で堪えた。家に帰れば母がいる。ただでさえ最近具合の悪い母に心配させるわけにはいかない。


 ----もう、男なんか信じない…。二度と関わるもんか…!


 彩綾が唇を噛みしめて必死に涙を止めていると、遠くから閑静な住宅街には不釣り合いな大音量を出しながら、数台のバイク音が走っていくのが聞こえて彩綾は思わず噴き出した。

 彼らの到着地が彼の部屋ではないことを祈りながら、電車に乗った。


*


 彩綾はベッドに仰向けになったまま、ぼんやりとしていた。久しぶりに思い出した倉敷との出来事。さすがに8年も経っている上に自分もあの頃よりは大人になり、気持ちの整理もできている。でもそんな自分の気持ちとは裏腹に、それが未だに棘となって胸を刺し続けている事実に嫌気がさす。

 目を閉じて深呼吸をしながらなんとか気持ちを落ち着けた。


 ----あれからしばらくは、男が怖くて近寄ることもできなくなったんだっけ…。


 学校でも、アルバイト先でも、スーパーでの男性の買い物客ですら怖い時期があった。そんな彩綾を救ったのが、保育園の子供たちだった。

 倉敷との一件以降、彩綾は少しでも早く忘れられるように必死で勉強や就職活動に打ち込んだ。卒業してからは自転車圏内の保育所に勤め始めた。子供たちとの生活は毎日が慌ただしくて、でも楽しくて、充実していた。いつの間にか倉敷の事も忘れていた。そして翌年、母が亡くなった。


 ----それからの7年間は、あっという間だったな。


 毎日をただひたすら子供たちと過ごして、休日は一人で出かけて気分転換。そんな風に過ごしてきた日々を思い返し、元の世界に戻ったらまたあの生活に戻るのか、となぜか胸がつかえた。溜息を吐いて身体を起こすと、今朝の事を思い出した。

 なぜかウォルトに倉敷が重なり、自制が利かなくなった事を覚えている。そう言えば二日前に街で声をかけてきた女性と倉敷のセフレも重なる部分があるな、と気付いた。

 二人とも、『私は身体だけの関係です』と言って彩綾を静かに威嚇してきた。


 ----そうか、この前の女性になんとなく苦手な感じがしたのは、似てたからかぁ…


 ウォルトと当時の倉敷の歳が近いことや、女性関係が派手なこと、時折見せる優しさ、子供みたいな態度。思い返せば重なる部分が多いな、と彩綾はクツクツと笑った。そして唇を噛みしめながら胸の石を掴み、もう二度と騙されないと誓った。


 突然、シャロラインやセレリーナの前で醜態を曝した事を思い出し、彩綾は一気に青ざめた。


 ----あちゃぁ…どうしよう、とにかく謝らないと…。


 彩綾は身だしなみを整え、一階へと降りて行った。途中ですれ違った使用人にシャロラインの居場所を聞くと、広間にいらっしゃいますよ、と言われて広間へと向かった。

 広間に入ると、シャロラインとセレリーナが話しているところだった。二人は彩綾の姿に気付くと、セレリーナが立ち上がり彩綾の傍へ駆け寄った。そのままシャロラインのところまで行き、彩綾は二人に促されるままに二人の間に座った。


 「あの…、今朝は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。」


 彩綾がそう言うと、シャロラインは彩綾の手を取り、首を横に振った。


 「いいえ、もともとはウォルトの態度が原因ですもの。あなたは何も悪くないわ。ねぇ?」

 「そうですわ。サーヤさんが怒るのは当然ですもの。もっと怒ってもいいぐらいですわよ?」

 「…ありがとうございます。」


 二人が彩綾を励ますように、なんでも無いことのように振舞ってくれることが、彩綾は嬉しかった。家族がいたらこんな感じなのかと思い、ハッとした。


 ----いやいや、だから。私は、元の世界に帰るんだってば。


 彩綾が一瞬目を伏せて黙り込むと、シャロラインは目配せをして使用人たちを全員広間から出させた。部屋に自分たち三人だけになったことを確認すると、シャロラインは落ち着いた声で彩綾に話しかけた。


 「ねぇ、サーヤさん。よろしければ、話してもらえないかしら。ここには今私たち三人だけしかいないし、決して他言しないと誓うわ。あなたの今朝の様子を見ていて、思ったの。あなたが何か心に傷を負うような事があったのではないか、それが今もあなたを苦しめているんじゃないか、って。」


 彩綾が俯いて視線を彷徨わせていると、シャロラインは肩にそっと手を置いた。


 「もちろん、無理矢理聞くことではないと悩んだのだけれど、やっぱりどうしても放ってはおけなくて。娘が何かに苦しめられているのなら、たとえ全てを取り除くことができなくとも、少しでも軽くしてあげたいのが親心なのよね。」


 彩綾が顔を上げてシャロラインを見た。優しく微笑む彼女に胸の奥が熱くなった。それでも、今まで誰にも頼らず自分の足で立ってきた彩綾にしてみれば、胸の内を話すことは足元を(すく)われるような不安がつきまとうものだった。

 彩綾がまだ躊躇っていると、シャロラインは努めて明るい声を出した。


 「それにほら、もしサーヤさんが元の世界に帰ると言うのなら、今私たちに話してもあなたの世界にいる人たちに知られるわけではないのよ?それだったら、ずっと胸の奥にしまっていたものをこの際私たちに向けてバーンとぶつけてみてはいかが?それだけでも、人の心はスッキリするものよ。」


 シャロラインの言葉に、彩綾は苦笑した。確かに、自分が元の世界に戻ったら、この世界の人たちとは二度と会うことは無いだろう。そういう意味では、随分気楽に話せるというものだ。

 それに、この世界が自分の世界の歴史上どの辺りの時代なのかはわからないが、身分階級があり、シェランドルの城で見たところおそらく銃は無い。そしてユアンのような小さな子供ですらひどい目に遭わされるような時代であることは間違いない。そのような時代で女性の権利などあろうはずもない。あったとしてもごく一部であとは男の所有物と同じだろう。ましてや、略奪や戦争下での平民が受ける悲惨さなど、授業や映画、ドキュメンタリー番組で嫌と言う程知識はある。


 ----そんな時代を生きている人たちにとったら、私が経験したことなんて大した事じゃないだろうしね…。


 彩綾は一呼吸おいてから、シャロラインからゆっくりと手を離してソファに座り直した。倉敷との間にあった事をポツリポツリと話し出し、そして、ウォルトと街へ行った時の出来事が当時の状況となぜか重なってしまったことを話した。

 背景はどうあれ、女性にだらしない男に言い寄られる嫌悪感は二度とごめんだった。


 彩綾が話している間、二人は背筋を伸ばしただ黙って聞いていた。

 出会いから恋人になるまでの淡いやり取りや、恋人になった時の甘酸っぱい日々、なかなか会えなくなった時の寂しい気持ち。二人は「まぁ!」、「ふんふん」と相槌を打ちながら聞き入った。政略結婚が当たり前の貴族令嬢にとっては、こうした『恋バナ』はトキメキを追体験するには持ってこいな話題だったのだろう。

 そして、あの出来事の話に差し掛かった途端、二人の表情が硬くなった。彼の部屋に行ったら女性がいた事、身体だけが目的だった事、襲われているところを別の女性に助けられた事。重い話なだけに笑いポイントも必要かと、助けてくれた女性が実は怖い集団の元トップでその後復讐されたであろう事もついでに話した。

 彩綾はもう過ぎた事だと言わんばかりに、なんでもない事のように話し続けた。ただ、それ以来男性を受け付けなくなったと言うと、シャロラインとセレリーナが前後から彩綾を抱きしめた。そのまましばらく抱き合った後、二人は身体を起こし、シャロラインは彩綾の手を取った。


 「…今まで、誰か相談できる人は?」


 彩綾は苦笑しながら首を横に振った。


 「いえ…。ちょうどその頃から母の体調が悪くなりだして…。母には心配かけたくないですし、プライベートで仲のいい友人もいませんでしたので…。」

 「それじゃあ、今までずっと一人で抱えていらしたの?」


 セレリーナが言うと、彩綾は小さく頷いた。そうだったの…、と呟くセレリーナに、彩綾は何かを断ち切るかのように言った。


 「今朝、あんなに取り乱したのは…ウォルトと祐輔、街で会った女性と彼の部屋で会った女性、そして二人の女性関係の…その…だらしなさが被ってしまって…。そんな男ばかりが自分に寄ってくる腹立たしさとか、祐輔の時のように…突然突き放されたような感覚とかがドッと押し寄せてきて、昔の事を思い出してしまって…。本当に、申し訳ありません…。」


 彩綾が小さく頭を下げると、二人はカッと目を見開き彩綾の身体を起こした。

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