20
翌日、彩綾とウォルトは馬車に揺られながら街へと出かけていた。彩綾が窓に貼りつくようにして外を眺めると、すでにたくさんの店が立ち並んでいる。石造りの街並みには色とりどりの花が飾られていて、降り注ぐ太陽の光がその鮮やかさを照らしていた。多くの人で賑わっている市場の横を通り過ぎると、彩綾はあることに気が付いた。
この街の特徴なのか流行なのか、店それぞれの看板がとても変わっている。
パン屋の看板を見ると何も書かれていない真っ白な板が店先にぶら下がっていた。『どんな食事にも合う』事を表現しているらしい。貸本屋の看板には虫の背中に文字が書かれている絵が描いてあった。なるほど、『本の虫』だ。花の形に模った愛らしい木彫りの看板を掲げている花屋の店先には、強面の屈強そうな男が花を並べていて、彩綾は思わず噴き出した。
まるで互いに競い合うかのように、自慢の看板を掲げている。それらを見て回るだけでも一日中楽しめそうだな、と彩綾はワクワクしていた。
街に入ってしばらく走ると、大きな噴水のある広場に出た。広場の一角には馬車を停めるための繋ぎ場があり、広場を囲むように馬宿付きの宿泊施設や土産物店が立ち並んでいた。
繋ぎ場で馬車から降りると、ウォルトは御者に戻りの予定時刻を伝えてから「さて、どこから見て回ろうか」と彩綾に声をかけた。
「ねぇ、この街で有名なものって何なの?」
彩綾の突然の質問に、ウォルトはしばらく考えてから女性向けの物を思いついた。
「有名なものか…そうだな、この街は紙が有名なんだ。」
「紙?文字を書く、紙の事?」
「ああ。シェランドルもそうだが、この国は森林資源が豊富でな。森林管理の観点からもそれらを活用する一環として製紙産業が発展したんだが、数年前から女性向けの物が出だしたんだ。色で染めた物や香を焚きしめた物、型押しされた物なんかもある。サイズも多様化して、手のひらサイズの小さな物から壁に貼るような大きな物まであって、それが若い娘を中心に一気に流行りだしたんだよ。」
ウォルトの話を興味津々に聞いていた彩綾は、この世界でも文具雑貨って受けるのね、と目をキラキラさせていた。もちろん、彩綾も文具雑貨には目が無い。
「へぇ~!私そういうの大好き!ぜひ行ってみたいわ。」
「よし、じゃあまずはそこから行ってみるか。」
ウォルトの案内で、二人は並んで歩き出した。
店のショーケースに並ぶ焼き菓子や雑貨を見ながら歩いていると、揚げドーナツを売っている店を見つけた。店内にも入れるが、道に面した小窓からも買うことができる。小窓から流れてくる甘くて香ばしい香りにつられて彩綾が何気なくじっと見ていると、ウォルトが「食べてみるか?」と声をかけてきた。
彩綾が振り返って返事をする前にウォルトは小窓からドーナツを一つ買うと、「熱いから気を付けろよ」と言って彩綾に渡した。
「あ、ありがとう。ウォルトは食べないの?」
「ん?あぁ、俺はいい。」
そっか、と彩綾はせっかくなので熱々のドーナツを一口食べた。外がカリカリで中はふっくらしている。はちみつをたっぷり練り込んであるのか、優しい甘さが口いっぱいに広がった。ゆっくりと歩きながら彩綾が頬をほころばせている様子を見て、ウォルトは足を止めた。
「美味そうに食うのを見てたら欲しくなった。」
「ほぇ?」
彩綾が急に立ち止まったウォルトに気付いて顔を上げると、ウォルトがドーナツを一口齧っているところだった。
「うん、美味いな。」
「!!!!!」
----た、食べた!!
シレッとした顔で歩き出したウォルトに彩綾が固まって口をパクパクさせていると、ウォルトが無愛想に振り向いた。
「おい、何してんだよ。さっさと行くぞ。」
「へ?あぁ、はい、ソウデスネ。」
「うん?お前、もしかして照れてんのか?若い娘じゃあるまいし。」
ウォルトが呆れ顔で言うと、軽い放心状態だった彩綾は我に返ったと同時に最後の一言がグサリと胸に突き刺さった。コイツ、またしても…
「あのねぇ、いちいち余計な一言言うんじゃないわよ。」
「なんの事だ?『照れてんのか』か?」
「そこじゃ無いわよ!腹立つわね!」
フンッと彩綾がドスドスと歩きだし、ウォルトはクツクツと笑いながらその後ろを歩いていた。
金物屋の角を曲がってしばらく歩くと、たくさんの人が集まっている店があった。ウォルトの話通り、紙屋『ジュ・クラフターナ』は店内から店先まで女性客で賑わっている。店に近付いていくと、チラホラと男性客の姿もあった。
彩綾はウォルトから最近では女性に宛てる手紙を買う男性客が増えていると聞き、ふと聞いてみた。
「そういえば、アンタにはそういうの送る相手とかいないの?」
「は?」
突然の言葉にウォルトが目を丸くすると、彩綾は今までの仕返しとばかりに突きだした。
「だから、手紙を出したりプレゼントを贈ったりする相手よ。貴族の息子でアンタぐらいの歳ならそういった相手がいてもおかしくないんでしょう?」
どうなのよ、と彩綾が半目で面白がっているとウォルトが不機嫌な顔でそっぽを向いた。
「俺の事はいいんだよ。誰かさんと違ってまだそんなに焦ってねぇからな。」
「誰が焦ってるってのよ!あのねぇ、言っとくけど、私は結婚とか全くするつもり無いの。だから、焦るも何も無いのよ!」
「なんだ、もう枯れてんのか。」
コイツ…、と拳を握りしめていると店主が声をかけてきた。その声に振り返ると、店主がウォルトに挨拶をしながら近寄ってくるところだった。
「これはこれは、領主様。お久しぶりでございます。本日はどのような物をご入用でございますか?」
「うむ、今日は私の用事では無いんだ。彼女にこの街の有名な物を紹介してくれと言われたのでここに連れてきたのだ。良いものを見繕ってもらおうと思ったのだが、彼女は自分でいろいろ見るのが好きでな。品を見せてもらいたい。」
「左様でございましたか。それはそれは真に光栄でございます。ささ、どうぞこちらへお入り下さい。」
店主が腰を低くしてウォルトと話している様子を見て、彩綾はポカンとした後ハッと思い出した。
----そうだ、コイツは侯爵家の息子であり、シェランドル領主だった…。
店主とウォルトのやり取りを隣で見ていた彩綾は、いつもの砕けた話し方とは違って領主然とした立ち居振る舞いをしているウォルトの姿にドキッとした。
いやいや、と頭を振って店主に言われるがままに店内へと足を進めると、女性が好みそうなお洒落な内装と様々な種類の紙が所狭しと並べられているのが目に入った。彩綾は気を取り直してさっそく商品を見始めると、手のひらサイズの香り付きの紙が並べられている場所で足を止めた。
サンプル用に小さくカットされた紙が、それぞれ小瓶に入っている。彩綾は片端から順番に香りを嗅いでいると、ウォルトが横から口を挟んだ。
「何か良いものはあったか?」
「うん、この香り付きの紙なんだけどね。特にこれがすごくいい香りがするんだけど、なんの香りかしら。」
ウォルトが彩綾からサンプルの入った小瓶を受け取り、小瓶に貼っているラベルを見た。
「あぁ、これは『サントリュウム』という花の香りだな。」
「サントリュウム?」
「サントリュウムは白くて小さな花がたくさん咲く植物なんだが、その小さな花からは爽やかな甘い香りがするんだ。」
「へぇ~、そうなんだ。その香りを染み込ませているのね。」
「これが気に入ったのか?」
ウォルトが紙の束を手に取ると、彩綾が慌てて止めた。
「あ、いいわよ!私お金持ってないし!」
「は?何言ってんだよ。気に入ったんだろ?」
「いや、まぁそうだけど…。」
彩綾がもごもごとしていると、ウォルトは小さく溜息を吐いた。
「心配するな。チェスター兄上からお前の欲しいものを買うように言われている。」
「お兄様から?」
どうして?という顔をする彩綾に、ウォルトが小さな声で耳打ちした。
「父上だと、お前が気に入ったと知った途端、店ごと買い与えかねない。」
その言葉に彩綾が固まって見上げていると、ウォルトのニヤリとした顔からあながち冗談ではない事を察して青くなった。国王の側近ともなれば、やることも派手になるものかと彩綾は恐ろしくなった。
「な、だからこの程度で済むなら安いものなんだよ。わかったか?」
「いや、わかんないわよ。でも、ありがとう。それじゃあお言葉に甘えます。」
買い物を済ませて店を出ると、陽が大分高くなっていた。お昼時だからか街の至る所からいい匂いが漂ってきている。料理屋のメニューを見ながらどの店に入ろうかと喋りながら歩き回っていると、店の外に設置されているテーブルでホットサンドを食べている人たちを見かけた。
「ねぇ、あれってホットサンドよね?あのお店行ったことある?」
「あぁ、そうだな。行ったことは無いが、この辺りじゃ評判の店だと聞いたことがある。あの店にするか?」
「する!」
二人はメニューを見ながらホットサンドとフライドポテト、小さめのドリンクを決めるとウォルトが会計をしている間、彩綾は店の外の日当たりの良いテーブルで待っていた。
世界規模の大手ファストフード店みたいだな、と小さく笑いながら景色を眺めていると、ウォルトが料理を運んできた。
彩綾がお礼を言いながら紙に包まれたホットサンドを持つと、その重さに驚いた。パンは表面がカリッとしていて厚切りトーストの切り込みに具がぎっしりと詰まっている。彩綾はエビのすり身をフライにしたものと野菜や卵ペーストを挟んだもの、ウォルトは薄切りビーフをギュッと詰めたものと野菜と香味野菜のソースを挟んだものを注文していた。
ドーナツの一件があって今更気にする事も無いかと、せっかくなので互いに一口ずつ味見をしていると、彩綾は周りの女性たちの視線に気が付いた。気付いていない振りをしてチラッと周りを見てみると、その視線は明らかにウォルトの方へと向けられていた。
----あれ?もしかして、コイツの事見てる?うわ~、わっかりやす~い。
彩綾がウォルトのモテっぷりに感心していると、ハタと気が付いた。
----ちょっと待って。彼女たちの視界には当然私も入っているわよね?もしかして、今の一口交換とか見られてたってこと?え…誤解されるとかマジで勘弁なんですけど…。
彩綾が俯いてダラダラと妙な汗をかいていると、ウォルトが突然黙り込んだ彩綾を訝し気に覗き込んだ。
「おい、どうした?食わねぇのか?」
「いや、アンタ、これだけ周りから見られててよく平気で食べられるわね。」
「別に、いつもの事だ。今に始まった事じゃない。」
「くっ…憎たらしい…。」
確かに顔だけはいいものね、と呆れて溜息を吐きながら気を取り直して食べ始めると、テーブルに人影がかかった。動く気配のない影に気が付くと同時に、後ろから声をかけられた。
「はぁい、この前振りねウォルト。」
彩綾とウォルトが同時に振り向くと、二人の間に分け入るように若い女性が立っていた。豊かな栗色の髪をまとめて横に流し、ネイビーブルーのドレスの胸元をグッと広げて若さと妖艶なボディラインを強調した美しい女性が、ウォルトの肩に手を置きながら話しかけていた。
「さっき友達から紙屋であなたを見かけたって聞いたんだけど、こんな昼間から街に来るなんて珍しいじゃない。」
ウォルトが誰だかわからないといった顔をして無愛想に見上げていると、女性がコロコロと笑いながら言った。
「ちょっと、何よその顔?ついこの間、マスターの酒場で会ったばかりじゃない。」
「!」
ウォルトはハッとして、ようやく相手の事を思い出した。