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ウォルト視点です。
ドレス姿のサーヤから目が離せなかった。
落ち着いた若草色のドレスはサーヤの長身を凛と際立たせる細身のデザインで、栗色の髪を編み込んで片方に流していた。装飾品も控えめで、露出も少なく、それが逆に大人の女の色気を引き立てていた。
腰から広がるスカートがクビレを強調していて、その細さに目を見張った。…うん、その分胸も控えめだな。
どうして女らしくない奴だなんて思ったんだろう。彼女はこんなにも美しいじゃないか。
俺が息を呑んで見つめていると、ニヤニヤしながらコルトが耳元で囁いた。
「城主様、御令嬢をお出迎えなさらなくてもよろしいのですか?」
俺はその言葉にハッと我に返った。そうだ、さっさと迎えに行って馬車に押し込めないと、他の男があの姿を見ることになる。俺は大股でサーヤの元へ行き、手を差し出した。サーヤが微笑みながら俺の手の上にその細い指をそっと置いた。たったそれだけのことで、俺の心臓は高鳴った。
サーヤが恥ずかしそうに俯いている姿を上から見下ろしているだけで、頭の中がクラクラした。俺はなんとか気を紛らわせようと、ドレス姿を褒めようとしたのだが…
「その…ドレスなんだが…。」
「え?」
彼女の上目遣いに完敗した。
馬車が走り出してすぐに、サーヤが眠ってしまった。昨夜は遅くまでマナー講習を受けていたはずだから、あまり寝てないのだろう。俺は膝に彼女の頭をそっと乗せて、しばらく横顔を眺めていた。
綺麗な肌だな、と思った。あの頃に比べたら年相応の変化もあるが、さっき彼女がふわりと笑った時にできた薄い線をなぜか心の底から愛しく感じた。
女はすぐに肌の衰えを気にするが、男にとっちゃあそれが不思議でしょうがない。たまに気にする男もいるが、大抵『自分の肌』を気にしている場合が多い気がする。どっちにしろ男は他人の細かいところなんて全くと言っていいほど見てないもんだ。
それでも惚れた女だけは違うんだな、と実感したが。
それからしばらく走り続けると、彼女が起きる気配がした。俺はすぐに寝たふりをして様子を窺ってみたが、彼女が起き上がる気配がない。膝の上で固まっている様子からして、完全にタイミングを失っている感じがひしひしと伝わってくる。その間抜けっぷりに思わず笑いがこみ上げてきたが、なんとかそれを嚙み殺して助け舟を出してやった。
「おい、起きてるんだろ?身体がガチガチになってるぞ。起きたんなら、さっさと…」
起きろ、と言い終わる前に、物凄い勢いで跳ね起きた。やっと訪れた自然に起き上がれるチャンスを逃してなるものか、とでも思ったのだろうか。その不自然さといったら、さすがの俺も目を疑った。
必死に言い訳している彼女をなんとか落ち着かせたが、そのまま背中を向けられてしまった。まだもう少し馬車を走らせないといけないのにこのまま沈黙でいるつもりか、と彼女の方をチラと見て息を呑んだ。
窓の中に、彼女が恥ずかしそうに頬を染めている姿が映っていた。もう、ダメだ。後ろから抱きしめたい衝動に駆られて手を伸ばした瞬間、あの言葉が頭をよぎった。
----『落ち着いた年上の男性がお好みだと仰いまして』
ピタリと手が止まった。そうだ…俺はまだ、触れてはいけないんだ…。
俺は理性を総動員させて彼女から遠ざかった。それでも、彼女を見つめずにはいられなかった。
*
なんとか実家の屋敷に辿り着くと、義姉上の姿が目に入った。来るとは聞いていたが、わざわざ出迎えてくれるとは思ってもみなかったので意外だった。
馬車を降りて、ふと思い出した。そう言えば義姉上はサーヤと同じ28歳だったはず。彼女は俺たち兄弟とは幼馴染で、見た目とは真逆のお転婆娘だった。
男勝りなしっかり者で昔はよく一緒に走り回ったり木に登ったりして遊んでいたんだが、ある時から急に大人しくなったのを覚えている。次兄のシューゼルに聞いたら、『セレリーナは兄上に恋をしているからだよ』と教えてくれた。当時はそれとこれと何の関係があるのかと首を傾げたもんだが、好きな男の前では男に混ざって走り回る姿より、女らしく振舞いたいという女心を、今なら理解できる。
…うん?つい昨日は誰かさんとは一緒に走り回っていたような気がする。まだまだ道は遠いな…。
義姉上にサーヤを紹介し、サーヤには紹介ついでに同年齢である事もこっそり伝えておいた。予想通りの反応に満足した俺はさっそくキョロキョロ癖が出だした彼女を諌めていると、独特の足音が近づいてきたことに気付いた。
----来る。
そう思ったのも束の間、小さな塊が突進してきた。大した衝撃ではないが、毎回毎回よく懲りないものだと感心する。一度ひらりと身を翻してかわしてみたら、思いきりコケて逆恨みされた事があった。それ以来この母親の突進を甘んじて受けるようになったのだが、今回は隣で唖然としているサーヤがいる。よし、彼女に母を押し付けよう。
俺は母上にサーヤを紹介した。この小さな生き物が母親だと知った時のサーヤの顔は見ものだった。本当に期待通りの反応をしてくれるので、見ていて飽きない。
ティールームを見た時のサーヤの反応を見て、こういうのが好みか、と心に留めておいた。いずれ一緒に住むようになった時の事を考えて、彼女の好みを把握しておく必要がある。お茶をすすりながら本当にそんな時がくるだろうか、と溜息を吐いた。
しばらく話していると、父上と兄上たちが帰ってきた。
父と兄たちにサーヤを紹介すると、彼女の緊張が伝わってきた。事前に軽口を叩かせたら少しは気が紛れるかと思ったのだが、さすがに国王の側近相手ではそれも通用しないようだ。彼女の足がふらつきそうな事に気が付いて咄嗟に支えようとしたら、横から邪魔が入った。
----『サーヤちゃんが怖がっちゃうでしょ!」
…サーヤちゃんだと?なんだその、年下感満載の攻め文句は。
横から押しのけられた俺は沸き立つ怒りに顔を歪めた。誰が彼女の肩に触れていいと許可したんだ?気が付くと、なおも彼女の手を取ろうとする次兄を遮るように彼女の前に立っていた。
だから、勝手に触るんじゃねぇよ。
ここにいる家族は皆、俺が12年前に会った少女の事を知っている。もちろんそれが、ここにいるサーヤだという事も。だから次兄がわざと彼女と距離を詰めて俺をからかっているのもわかっていたんだが、そんなものに付き合う気はサラサラ無かった。なんせ、まだなんの肩書も持ってない俺にはどんな些細な事にも余裕は無いんだ。
広間へ入ると、また彼女の悪い癖が出ていた。今度は絨毯を踏みつけている。何がそんなに珍しいのかさっぱりわからないでいると、彼女の顔がみるみる赤くなった。どうやら長兄に見られたらしい。だから言わんこっちゃない。
父はサーヤの石を確認すると、一瞬ハッとした。だがすぐに嬉しそうな顔でサーヤを見つめていた。俺という前例があるから、もう生きている間には会えないかもしれないと覚悟していたそうだ。それでも28年といえば相当な年数だが、12年前に一瞬でもこの世界に来たことが父にとっては一縷の希望となったようだった。
父は言葉を選びながら慎重に話し始めた。いつも厳格な父の姿を見て育った俺は、父がこんな穏やかな話し方をするところを見た記憶があまり無い。女性が相手でも、相手が不快にならないよう礼節を弁える程度の態度だった。
やはり一族始まって以来初の姪娘、それも亡き弟の忘れ形見ともなれば話は別なのだろう。よく大抵の父親は娘に甘いと言うが、その比では無いのは火を見るよりも明らかだ。とはいえ、会ったばかりでしかも立派な大人の女性を相手に抱きしめたり額をこすり付けて親愛の情を示したりといったことはしないが、サーヤを見つめる目元にはそれに近い感情が溢れ出ていた。
父は俺とサーヤの石の事、石の一族の事、クレイス家が俺の先祖の『取り換え子』の子孫である事、そしてサーヤの『取り換え子』が現在王宮で巫女をしている事を話した。これらは全部、俺が成人して琥珀色の石を受け継いだ時に父から明かされたものだった。ただ、12年前に一瞬こちらに来たことだけは彼女に話さなかった。事前に俺がそう頼んでいたんだ。もう少し、待ってほしかった。
*
----『琥珀色の石の継承者からは男児のみが、そして、碧い石の巫女からは女児のみが産まれる。それ故に、男は外から妻を娶り、巫女は婚姻はせず子種だけを受けて子を残した』
…知らなかった。俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。もしそれが本当なら、俺とサーヤは絶対に結ばれないという事になる。そんな馬鹿な話があるか?何かの間違いじゃないのか?
父が知っていたのは確かだ。チェスター兄上は…知っていたみたいだ。腕を組んだまま俯いて黙り込んでいる。シューゼル兄上は知らなかったのだろう。青い顔をして、心配そうに俺の方を見ていた。
なぜ俺に黙っていた?俺のサーヤへの想いを知っていながら…いや、知っていたからか?たとえそうでも、再会するかどうかもわからない相手の事を隠して何になるっていうんだ。それとも、あえて言わなかった理由でもあるのか?…わからない。俺は空に視線を投げたまま、押し寄せる絶望感に必死で耐えていた。
話しの途中で夕食会になったが、正直何も味がしなかった。何を食べていたのかも覚えていない。出されたものを淡々と口に運んで飲み込むだけの動作が酷く億劫だった記憶しかなかった。
隣にいるサーヤが、元の世界での生活について話していた。両親に拾われた時の事、幼い頃に父親が亡くなった事、それ以来働く母親の代わりに家事をしていた事、『ガッコウ』という施設で学んでいた事、学業を終えて『ホイクシ』という仕事をしていた事、その後すぐに母親が亡くなった事。そして、この世界に来た時の事。
サーヤが話をする度に、父も皆も嬉しそうに聞いていた。この世界とは全く違う文化や考え方に興味があるようで、特に女性が普段ドレスを着ないという事に驚いているようだった。サーヤが今日人生で初めてドレスを着たと言うと、母も義姉上も目を剥いて驚いていたな。うん、俺も最初は驚いたから気持ちはわかる。
その時だった。
「サーヤさんは、今どなたか良い人はいらっしゃらないの?」
甲高い声が部屋に鳴り響いた。母の一言で、一瞬でその場に緊張の空気が走ったのがわかった。ただでさえ気が落ち込んでいた俺には、耳に毒を流し込まれるような話題だ。
「あ、それ僕も気になってたんだよね。サーヤちゃん可愛いからもう相手がいるのかなぁって。」
母の言葉に乗っかるように、次兄が切り込んだ。俺は気にしていない振りをして、無言で食べ続けた。父と長兄は固まり、義姉上がハラハラした顔で三人の顔を見ている。サーヤが勢いよく首を横に振って慌てて口を開いた。
「いえ、今はそんな相手はいません。それに仕事が忙しくて恋愛どころじゃありませんでしたし…。」
「今はという事は、以前はいたって事?」
次兄がわざとらしく声を上げて驚いて言った。俺が無視して食べ続けていると、サーヤが困ったように返事をした。
「あ、はい。随分昔の事ですが、一度だけお付き合いをしていた方がいました。ですがすぐに別れてしまって、それ以来ずっといません。」
「へ~、そうなんだ。でもさ、なんで別れちゃったの?サーヤちゃん、こんなに素敵なのに。」
さっきから可愛いだの素敵だのと、ちょくちょく余計な一言を挟んでくるのは何なんだ、と俺は静かに苛立っていた。すると返答に困っているサーヤの代わりに、長兄が反応した。
「こら、シューゼル。女性に過去の恋愛についてあれこれと詮索するもんじゃない。失礼だろう。」
長兄が静かに諫めると、次兄は「はいはい」と素直に引き下がった。しかし、俺は見逃さなかった。長兄と次兄が視線で『よくやった』『任せて』と言い合っていた事を。
*
広間に戻り、話の続きが始まった。最後にはサーヤも落ち着きを取り戻したようだ。いろんな事に驚きすぎて逆に開き直ったような印象を受けないでもないが、あまり取り乱したりしないところはさすがだな、と思った。
そろそろ話も終わろうかという頃に、次兄がとんでもないことを言い出した。
王太子殿下主催の夜会にサーヤを誘うなんて、一体何を考えているんだ!?夜会には必ずあの男が来るだろうし、当然あの兄妹だって来るだろう。クソッ!絶対わざとだ!!
それでなくてもサーヤのドレス姿なんて他の男に見せたくないのに。俺のパートナーとして出席するならまだしも、そういう訳にはいかないとわかってて誘うなんて…。あのニヤけ顔、覚えてろ!
早朝からの疲れと次兄への苛立ちで限界になった俺は、自室で休むために広間を出ようとした時だった。長兄が俺を呼び止め、明日サーヤと街へ行くように勧めてくれたのだ。サーヤは確かキールの街をすごく興奮しながら眺めていたな。いつものキョロキョロ癖だ。王都の街の方が規模が大きいから、きっと喜んでくれるだろう。
俺はその提案をありがたく受け取ることにした。