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----『あなたの父親なら知っている。亡くなってはいるが。私の、弟だ。』
モンドールの言葉に、彩綾は先ほどやっと獲得した『開き直りカード』をあっさりと手放すことになった。モンドールの弟が父親、つまり目の前にいるクレイス侯爵が自分の叔父ということになる。
「ちょ、ちょっと待ってください。先ほど、クレイス家は男児のみが産まれていると仰っていませんでしたか?」
彩綾は口元を押さえながら、なんとか吹かずに済んだ自分を褒めてやりたかった。
「もちろん、その通りだ。29年前、当時18歳だったあなたの母親は、子を宿す歳頃に差し掛かっていた。代々巫女の相手となる者は徹底的な身辺調査を行い、国王陛下自らがお決めになられていた。しかし、ある時巫女がすでに子を身籠っていることがわかった。その相手が、我が弟エリオット・クレイスだった。」
彩綾は口をポカンと開けたまま、呆気にとられていた。モンドールは溜息を吐きながら続けた。
「もちろん、私はエリオットに詰め寄った。我がクレイス家は男児しか産まれないことを弟も重々承知していたし、何より国王陛下への反逆行為と捉えられても言い訳ができないからだ。しかし、エリオットは引かなかった。当時王宮第一騎士団に所属していたエリオットは、何度か巫女と会ううちに恋に落ち、自分が相手になることを望んだのだ。いや、他の男にその役を任せるなど、とてもじゃないが耐えられなかったのだろうな。」
モンドールの話にウォルトは心臓を握られる思いがした。エリオットの気持ちが痛いぐらいに理解できる。サーヤもいずれは継承者として子を産むことになるだろう。しかしその相手には、琥珀色の石の継承者である自分は決してなれない。すでにあの肌に他の男が触れていたと知っただけでも、内臓が焼ける程の嫉妬と怒りが込み上げたのだ。その上、子を宿すなど----。
「結局、巫女の相手が代々国王陛下に仕えるクレイス家の者であった事が幸いして、陛下のお怒りを受けずに済んだのだが、今度は無事に産まれるのかどうかが問題になった。互いの一族の特性を考えても、最悪の事態も考えていた。しかし…。」
そこで、モンドールは彩綾を見つめて優しく微笑んだ。
「しかし、産まれてきたのは、美しい女児だった。理由は考えた。クレイス家は取り換え子の子孫だが、長い時間の中でその血は薄れ、巫女の純粋な血統の前ではその力が出なかったのではないか、と。つまりサーヤさん、あなたはこのクレイス家の血を受け継ぐ初の女児ということになる。あなたが弟の忘れ形見である娘なら、私の娘も同然だ。」
彩綾は唐突に理解した。この屋敷に来てから、なぜ皆が自分に会いたかったと言ってくれたのか。なぜ自分に優しく微笑んでくれたのか。どうしてモンドールの微笑みに、幼い頃に亡くなった父の笑顔を重ねたのか。
----家族、だったんだ…。でも…。
彩綾がぎこちない笑顔を返すと、モンドールはハッとした。シャロラインがモンドールの肩にそっと手を置くと、モンドールは妻に視線を返して軽く頷き小さく息を吐いた。
「サーヤさん、すまなかった。一度に多くの事を受け入れる事は難しいことだ。今まであなたにはあなたの人生があったのだから、今日会ったばかりの者に急に家族だと言われても受け入れられないのは当然だ。」
彩綾は顔を横に振って片手を出し、小さな声で「いいえ、そんな…」と返した。しかし、それ以上何も言えずに黙り込んでいると、モンドールが両手で彩綾の両手を優しく包み込んだ。
「先ほどの夕食会でのサーヤさんの話を聞いたとき、私は心から神に感謝した。そして、あなたを拾って下さったご両親にもだ。お父上は早くに亡くなられたが、お母上は女手一つであなたを育ててくださった。お二人ともどれ程あなたを大切に育てられたのかは、今のあなたを見ればよくわかる。」
彩綾はみるみる視界が滲んでいくのがわかった。モンドールが彩綾の気持ちを汲むように、育ててくれた両親への気持ちを尊重してくれている事が堪らなく嬉しかった。涙が頬を伝う。
「そしてあなた自身、幼い子供たちを働く両親の代わりに世話をする仕事----『ホイクシ』だったか----をしていたんだろう?そのような仕事は、あなたに他者を思いやる慈悲深い心が無ければできない事だ。私は何よりも、それが嬉しかった。素晴らしい女性に育ててくれたご両親に、私は頭が上がらない。」
モンドールはそう言うと、本当に嬉しそうに微笑みながら指でそっと彩綾の涙を拭いた。そして、彩綾の目を見つめながら続けた。
「ただ、これだけは心に留めておいてほしい。私はそれでもあなたを家族だと思っている。亡き弟が残した大切な娘だ。あなたに何かあれば我々は全力であなたを守るし、あなたが望むなら本物の巫女であることも、クレイス家との関係も公表することはしないと誓おう。しかし、国王陛下にはお伝えせねばならん。それだけは了承してもらえるだろうか。」
彩綾は涙が止まらなかった。
亡くなった両親を家族だと思わなかったことなんて無い。それでも、父を早くに亡くし、母も亡くなって、自分は本当の娘じゃない事を知って。私はこの世で一人ぼっちなんだという気持ちを隠すように、目を向けないように、思い出さないように生きてきた。恋も満足にできない自分は今までも、これからもそうやって一人で生きていくんだと覚悟していた。なのに…
こうして、今の自分を丸ごと受け入れてくれるようなモンドールの言葉が、心に温かく沁み込んでいくように感じた。
「はい。国王陛下にはお伝えしていただいて構いません。ですが公表は…しないでください。それから…もし、可能であれば現在巫女をされているという女性に会わせていただくことは可能でしょうか。」
モンドールは頷くと、ウォルトに視線を向けた。
「わかった、約束しよう。巫女のところにはウォルトに案内させればいいだろう。これが一番よく知っているからな。いいな、ウォルト。」
「わかりました。」
「ありがとうございます。その、本当に…たくさんのことを…。」
彩綾が俯いて声を小さくすると、シューゼルが「そうだ」と言いながらポン、と手を叩いた。
「思い出した。言うのを忘れていたんだけど、五日後に王宮で王太子殿下主催の夜会が開かれるんだ。僕たちも出席するんだけど、せっかくだからサーヤちゃんもおいでよ。」
「へ?」
構いませんよね父上、とシューゼルがニッコリと笑って言うが、彩綾は何を言われたのか理解できなかった。いや、今までの話で一番理解できなかったかもしれない。
固まる彩綾の隣で、ウォルトが苦虫を嚙み潰したような顔でシューゼルを睨んでいた。シャロラインとセレリーナがパッと顔を明るくして彩綾の両隣を陣取り、腕を取った。
「まぁ!サーヤさんも出席なさるといいわ!大変、早速ドレスを用意しなくちゃ!」
「お義母様、私もお手伝いさせていただきますわ!」
二人がきゃあきゃあと始めた横で、ウォルトが両手で顔を覆いながら項垂れている。シューゼルはニヤニヤとそれを眺めていた。
*
そろそろ寝ましょうか、とシャロラインが口を切ると広間には男性陣が残り、女性陣は部屋へと向かった。広間に残された四人の間を沈黙が覆う。シューゼルを除く三人は眉間に皺を寄せていたが、シューゼル本人は平然とした顔で座っていた。ウォルトがシューゼルに視線だけ向けて、忌々しそうに言った。
「シューゼル兄上、どういうつもりだ?なんでサーヤを夜会に誘ったりしたんだよ。」
ウォルトの視線を無視しながらシューゼルはなおも平然としていた。
「うん?何か問題でも?」
「とぼけるな!わかってて言ったんだろう!」
「なんの事かな~?あ、もしかして、あの子が来るかもしれないってこと?」
「くっ…そうだ!だが、それだけじゃ無い!」
ウォルトが今にも噛み付きそうな勢いでシューゼルに詰め寄ると、腕を組んでずっと沈黙を貫いてきたチェスターが口を開いた。
「まぁ、まてウォルト。まだ決まったわけじゃない。シューゼル、なぜ彼女を誘ったんだ?王太子殿下主催の夜会なら、当然あの男も来ることはわかっているんだろう?」
シューゼルが三人をチラと見ると、やれやれといったように両手の平を上に向けて肩を竦めた。
「もちろん、わかってるよ。でもさぁ、このまま隠しててもいずれは知られるだろうし、それなら先手を打って俺たちの保護下にいるってことを公の場で示しておいた方がいいんじゃないかなと思ってさ。それに…」
シューゼルがウォルトに視線を向けると、ウォルトがフンッとそっぽを向いた。
「ウォルトにとっても、その方が都合がいいんじゃない?あの子の事、そろそろなんとかしないといけなかったんだろ?サーヤちゃんに協力してもらいなよ。」
「アイツを巻き込むつもりは無い。むしろ危険だ。」
その時、ずっと考え込んでいたように目を閉じていたモンドールが、ゆっくりと口を開いた。
「うむ、サーヤさんには参加してもらおう。」
「父上!」と、ウォルトが前のめりに声を荒げた。モンドールはウォルトを視線だけで押しとどめて続けた。
「もちろん先ほど彼女に誓った通り、巫女であることも我々の血縁者であることも公表するつもりは無い。だが、知っている者がいないとも言い切れないのは、お前にもわかっているだろう。」
モンドールの言葉に、ウォルトは言葉を詰まらせた。
「いずれにせよ、五日後の夜会の前もしくは当日にサーヤさんを国王陛下と巫女に会わせるつもりだ。その際にはウォルト、お前も同行させるからそのつもりでいろ。」
「…わかりました。」
「よし、決まったね!まぁそんなに心配しなくても大丈夫だよ。いざとなったら、僕がサーヤちゃんの傍にいるからさ。」
シューゼルがウォルトに向かって片手をひらひらさせながら言うと、ウォルトは立ち上がってシューゼルを見据えた。
「余計なお世話だ。アイツを守るぐらい俺一人で十分なんだよ。父上、そろそろ部屋に下がらせていただきますので、今日はここで失礼します。」
「うむ、今日はご苦労だったな。」
「あぁ、そうだウォルト。」
ウォルトが踵を返そうとしたところでチェスターが呼び止めた。ウォルトがチェスターに向き直り、「なんでしょうか」と答えた。
「せっかく王都に来たんだ。明日、彼女と街まで出かけてくるといい。買い物でもすれば、彼女も良い気分転換になるだろうからね。」
チェスターがウォルトの肩にポンと手を置きながら言った。ウォルトは長兄のこういったさり気ない気遣いが好きだった。30歳になるチェスターとは7歳も離れているせいか、幼い頃から悩んだり苦しんだりしたことはいつもチェスターに相談していた。兄というより父代わりのように慕っていた。
ウォルトはチェスターに小さく頷くと、部屋を後にした。