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青空と夕焼け空が混ざり合う頃、ウォルトと彩綾を乗せた馬車は王都にあるウォルトの実家であるクレイス侯爵邸に着いた。
彩綾は馬車の中から外の様子を眺めていると、ある一角から同じような柵の壁が果てしなく続いている事に気付き、その壁が敷地の門まで続いていたことに度肝を抜いた。同じ程の距離が、まだ向こうに続いているということになる。
御者が門番に掛け合い、門が開けられ中へ入ると、さらに広い庭園が続いていた。玄関が、見えない。
彩綾が呆気に取られていると、隣にいるウォルトが「このまま屋敷まで馬車で行くからな」と何でも無い事のように言った。
屋敷に向かう間、彩綾は馬車の窓から庭を眺めていた。美しく刈り込まれた庭木が並び、たくさんの花が咲き誇っている。それぞれの花の色や大きさを考えて配置されているのだろう。どこを見てもまるで絵画のような美しさだった。
馬車が止まり、御者が扉を開けて踏み台を置いた。ウォルトは手を差し出して彩綾を馬車から降ろすと、そのまま玄関まで手を引いて連れて行った。すでに執事と侍女長そして、美しい女性が二人を出迎えるために立っている。
スカイブルーの瞳とアーモンド型の目元が印象的なその女性は、豊かなブロンドの髪を高く結い上げ、女性らしい物腰と少女のような愛らしさで微笑んでいた。同じ女性である彩綾の目から見ても、目を奪われるような美しさだった。
「お久しぶりです、義姉上。お元気そうで何よりです。」
「本当に、お久しぶりねウォルト。あなたもお元気そうで嬉しいわ。それから…」
女性は彩綾の方をチラリと見て、ウォルトに囁いた。
「こちらのお方が、あなたの…」
「義姉上、こちらの女性はサーヤ・キリタニ嬢と申します。以後、お見知りおきを。それからサーヤ、こちらは俺の長兄の妻で義理の姉にあたる、セレリーナ・クレイスだ。」
セレリーナの言葉を遮るように、ウォルトが慌てて紹介した。彩綾も習ったばかりのお辞儀をすると、妙な気恥ずかしさが込み上げる。
「初めまして、サアヤ・キリタニと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
「サーヤさんね。セレリーナ・クレイスですわ。こちらこそ、よろしくお願いしますね。私、サーヤさんにお会いできると聞いて、飛んで参りましたのよ。お会いできて嬉しいわ。」
セレリーナはそう言うと、ニッコリと微笑んだ。
彩綾は自分に会いたかったと言われた意味がわからないまま、とりあえず笑顔を返すことにした。本当に綺麗な人だと見惚れてしまう。そんな彩綾の耳元で、ウォルトがボソリと囁いた。
「義姉上は、お前と同じ28歳だ。」
「!!!!!」
まさか、と彩綾は自分の目を疑った。この目の前の麗しいご婦人が、自分と同い年だという驚愕が彩綾の全身を駆け巡る。
あまりの衝撃に固まっている彩綾を見て、ウォルトは顔を背けて笑いを堪えていた。
「サーヤさん?どうかなさったの?」
セレリーナの言葉にハッと我に返った彩綾は、隣で震えているウォルトを心の中で睨みつけながら、気を取り直してセレリーナに笑いかけた。
「いえ、なんでもありません。こちらこそお会いできて光栄です。」
「あら、そんなに畏まらなくてもよろしいのよ。さ、お義母様が中でお待ちしておりますから、参りましょうか。」
「そうだな。あぁ、それから…」
ウォルトはそう言うと、側で待機していた執事と侍女長に向き直った。
「彼はこの屋敷の執事でフィリップ、それから侍女長のステラだ。フィリップ、ステラ、こちらはサーヤ・キリタニ嬢だ。しばらくの間世話になるから、よろしく頼む。」
「初めまして、サーヤ様。フィリップと申します。どうぞよろしくお願いいたします。」
「初めまして。ステラと申します。よろしくお願いいたします。」
「初めまして、サアヤ・キリタニと申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
フィリップとステラは荷物を屋敷内へと運び込み、彩綾とウォルトはセレリーナに案内されて屋敷の中へと入っていった。
広い玄関ホールの床には大理石が敷かれ、高い天井から吊るされたシャンデリアの光を反射して光り輝いている。一歩足を踏み入れた途端、彩綾はその豪華さに息を呑んだ。
彩綾がキョロキョロと周りを見渡していると、隣を歩くウォルトが腰を屈めて耳元で囁いた。
「おい、お前のそのキョロキョロ見て回る癖、なんとかなんねぇのか?」
「へ?だってこんな立派なお家、見たこと無いんだもの。今度いつ見られるかわからないじゃない。」
彩綾がキョトンとしていると、ウォルトが大きく溜息を吐いて「あのなぁ…」と言いかけた時、向こうの方からパタパタと速足で近付く足音が聞こえてきた。その音に反応して、ウォルトが片手で顔を押さえて俯いている。彩綾は急にどうしたのかと思った瞬間、甲高い声が耳を貫いた。
「まぁぁ~!ウォルト、帰ってきたのね!待っていたのよ~!」
彩綾が声の方に顔を向けると、一人の女性が満面の笑みでこちらに向かっているところだった。
一目で小柄だと分かるその女性は一目散にウォルトへと駆け寄り、飛びつくように抱きついて頬ずりしている。彩綾は目の前の光景に唖然として、再び固まった。
「ウォルト、久しぶりね!会いたかったわ!もう、あなたったら、王都に来ても全然顔を見せないんだもの。この間もここに来ると思ったら、ろくに顔も見せずにシェランドルに帰っちゃったでしょう?せっかくいろいろ用意して待ってたのに、本当にあなたときたら…あら?」
プゥと頬を膨らませながら一息で言い切ると、隣で固まっている彩綾に気付いてまじまじと見つめた。
彩綾はその視線が自分に向けられている事にハッとして背筋を伸ばすと、膝を折ってお辞儀をした。
「…母上、こちらはサーヤ・キリタニ嬢です。本日私がお連れすると言っていた方です。」
彩綾はウォルトの言葉に目を見開き、目の前の少女を見た。
ブロンドの髪をふわふわと結い上げ、濃いブルーの瞳とふっくらした頬。そして彩綾よりもやや低い位置にある顔から上目遣いで見つめるあどけない表情の、この少女に向かって『母上』と…。
「サーヤ、彼女は俺の母で、クレイス侯爵夫人のシャロライン・クレイスだ。」
「あ、初めまして、サアヤ・キリタニと申しま…」
彩綾が言い終わる前にシャロラインはパァッと顔を上げ、彩綾の両手を取ってブンブンと振りだした。
「まぁぁ!あなたがサーヤさんね!私はこの子の母親でシャロラインと申しますの。よろしくお願いしますね。先日夫からあなたをこの屋敷に招くことになったと聞いて、本当に驚きましたのよ。よくおいで下さいましたわね。お会いできて嬉しいわ!」
きゃあきゃあと喜ぶシャロラインに彩綾はどう対応すればいいのか分からないでいると、ウォルトが横から割って入った。
「母上、落ち着いて下さい。今帰ったばかりですから、彼女を一旦休ませたいと思います。お話はその後でするとして、とりあえず先に部屋まで行きましょう。」
「まぁ!そうね、私ったらつい嬉しくなっちゃって。気が付かなくてごめんなさいね。今日はとっておきのお茶を用意しているの!行きましょうか。」
彩綾は先ほどからの身に覚えのない歓迎ぶりに戸惑いながら、シャロラインの後ろについて行った。
「どうぞ」と通された部屋は、白を基調とした明るい部屋だった。白に花模様と金細工をあしらった調度品の数々が、女性の心をくすぐるような可愛らしいティールームだ。もちろん彩綾の心も鷲掴みにされ、感激してキョロキョロと眺めようとしたところを、頭ごとウォルトに押さえつけられた。
ウォルトは母と義姉、そして彩綾にソファに座るよう促してから、彩綾の隣に座った。
「ところで、母上、義姉上。父上と兄上はお戻りではないのですか?」
「ええ、今日はまだお戻りではないのよ。でも、サーヤさんがいらっしゃるから夕食までには戻ると仰っていたわよ。」
「ええ、義母上様。チェスター様も、本日は夕食を共にと仰っておりましたから、お早めのお戻りになるかと思いますわ。」
彩綾は目の前で繰り広げられる貴族トークを、まるで映画を観ているような気持ちでポカンと眺めていた。
----こんな世界が本当にあるんだ…。
チラとウォルトの顔を見ると、貴族というのは本当に美男美女ばかりなのだと改めて得心した。
自分とは生きている世界が違うんだな、と考えながら出されたお茶に口を付けると、鼻腔をくすぐる芳醇な香りが広がって、彩綾はうっとりとした。
お茶を楽しみながらしばらく親子の会話を聞いていると、玄関の方が騒がしくなり四人の元へ侍女がやって来た。
「ご歓談中、失礼いたします。旦那様とチェスター様、シューゼル様がお戻りになられました。」
「わかったわ、私たちも出迎えに向かいますわね。」
シャロラインがそう言うと、参りましょう、とセレリーナに声をかけた。ウォルトも立ち上がろうとすると、シャロラインが片手をそっと差し出した。
「サーヤさん、あなたはここでお待ちになっていてね。ウォルトも、サーヤさんの傍にいて差し上げなさい。旦那様方は私たちで出迎えに参りますから、それまではここで寛いでらして。」
「え?あ、はい。わかりました。」
シャロラインがニッコリと微笑みセレリーナを連れて部屋から出ると、彩綾は緊張が解けて大きく深呼吸をした。隣に座るウォルトを見ると、ウォルトも彩綾を見ていた。彩綾は先ほどのウォルトの一言を思い出し、睨みつけるようにして言った。
「ちょっと、さっきはなんで聞いてもいないお義姉さんの年齢を私に教えたのよ。」
「うん?別に他意はないが?」
シレッと言い放つ男の態度の憎たらしさに当てられ、彩綾は更に目を吊り上げた。
「嘘つくんじゃないわよ!思いっきり私への当てつけでしょうが、嫌味な男ね!」
「なんの話だ?たまたま同い年だったから、気が合うんじゃないかと気を利かせたつもりなんだがな。」
「同い年であることを知って得られたられたものなんて、今まで自分の事を女だと思い込んでただけなんじゃないかっていう疑念だけよ!」
「お前、本当に残念だな…。」
ギャアギャアと言い合っているうちに、扉の開く音がした。そちらの方へ目を向けると、一人の男性が中へと入ってきた。
彩綾は一瞬で空気が変わるのを肌で感じた。その後ろに二人の男性が続き、さらに後ろにはシャロラインとセレリーナが続く。ウォルトはサッと立ち上がり、胸に手を当ててお辞儀をしている。彩綾も慌てて立ち上がり、膝を折ってお辞儀をした。
----間違いない、この方がウォルトのお父様…国王の側近をされている方だ…。
心臓がドクドクと音を立てて、彩綾の耳の奥を打ち付ける。緊張で喉がカラカラに乾くのがわかった。
しばらく顔を伏せていると、優しく、しかし威厳のある低い声で声をかけられた。
「あぁ、構わない。二人とも顔を上げなさい。ウォルト、よく戻ったな。」
彩綾はウォルトに合わせて顔を上げると、目の前の男性に目を奪われた。
ブロンドブラウンの髪を優雅に撫でつけ、ダークブラウンの瞳は鋭い眼光を放つ。整えられた髭と、長身で歳を重ねた厚みのある身体は逞しく、引き締まった腕は現役で剣を振り続けていることを物語っていた。
----こ、これは…ドストライクだわ!
クレイス侯爵が優しい視線を彩綾に向けると、彩綾は顔を真っ赤にして見つめ返した。
それを窘めるようにウォルトが「ゴホン!」と咳をして彩綾を見据えた。
「おかえりなさいませ、父上。それから、兄上方も。お元気そうでなによりです。」
「あぁ、今戻った。…で、そちらの女性か?」
クレイス侯爵はチラと彩綾を見て、紹介するよう促した。
「はい、こちらが先日お話ししましたサーヤ・キリタニ嬢です。サーヤ、こちらが俺の父のモンドール・クレイス侯爵だ。それから、長兄のチェスター兄上と、次兄のシューゼル兄上だ。」
長兄のチェスター・クレイスは、ブロンドの髪にダークブラウンの瞳をした美丈夫で、薄く伸ばした髭と落ち着いた物腰が大人の色気を纏わせていた。父であるクレイス侯爵の跡継ぎとしてその仕事を引き継ぎながら、王宮の近衛騎士団副団長を務めているという。
次兄のシューゼル・クレイスは、ブロンドブラウンの髪に母親譲りの濃いブルーの瞳と幼い顔立ちをした好青年だった。しかし剣の腕前は相当なもので、現在王宮第一騎士団副団長を務めており、次期団長候補として有望視されているという。
そこへ、末弟は『シェランドル領主』だ。
絵に描いたような武芸一家なんだな、と彩綾は驚きを隠せなかった。しかもどちらを向いても美男美女ときている。自分はとんでもなく場違いな所に来てしまったのではと、急に恥ずかしくなった。
彩綾は突然のクレイス一家との対面に、膝が震えそうなほどの緊張感に襲われた。声が上擦るのを覚悟して、腹を括って口を開いた。
「は、初めまして、サアヤ・キリタニと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。」
緊張で手足が冷たくなっているのがわかった。これ以上は無理だ、立っていられない思ったその時、肩に手をかけられた。