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Changeling  作者: みのり
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12

 碧い石の力を目の当たりにして、彩綾は押し寄せる不安に胸が押し潰されそうになった。


 「ねぇ…一体何なの?この碧い石って、その…アンタの石を『浄化』するのに必要なものってこと?なんでそんなものを私が持ってんのよ。」

 「…。」


 彩綾は、母が自分を拾った時にはすでに『この石が腕に巻かれていた』と言っていた事を思い出していた。ウォルトの石を浄化する為の『碧い石』を、違う世界にいた自分が持っている。その紛れもない事実が、得体の知れない恐怖となって彩綾を襲った。今までこれ程知るのが怖いと思った事実は無い。


 「アンタ、昨日も私に聞いてきたわよね。この石の事をどこまで知っているかって。全然わからなかったから…本当は今日それについてあんたに聞こうと思っていたのよ。でも、まさかこんな…」

 「あぁ、それについてだが…」


 ウォルトが言いかけた時、扉をノックする音がした。ウォルトが「入れ」と言うと、入ってきたのはナタリーだ。あら、といった顔で彩綾とリークの顔を見ると、ウォルトに向かってお辞儀をした。


 「お取込み中失礼いたします、旦那様。ご夕食の準備が整いましたので、食堂までいらしてくださいませ。」

 「そうか、わかった。」

 「サーヤ様は、一旦お部屋へ戻られますか?」


 『夕食』と聞いた途端、お腹が鳴りそうになった。さっきまでの不安はどこへ行ったのかと自分でも恥ずかしくなってくる。しかし、とにかく食べて体力を付けなければ戦はできない。


 「あ、いえ、このまま食堂へ向かいます。お腹すきました。」

 「フフフ、そうですわね。今日は子供たちと一日中遊んでいらしたもの、当然ですわ。」


 ナタリーはチラリとリークに視線を移すと、ニコリと笑った。


 「ところで、リーク様。もうお顔は元に戻られたようですわね。よろしゅうございましたわ。」

 「ちょ、ナタリーさん!?」


 空腹ですっかり油断していた彩綾は、ナタリーのまさかの冷水発言に声が裏返った。


 「え!?あ、はい、そうですね。もうすっかり、ははは…。」


 ----忘れてた。さっきの出来事が衝撃的過ぎて、すっかり忘れてた!


*


 「…なんの話だ?」


 彩綾がダラダラと冷や汗を流していると、凍り付くような低い声でウォルトが割って入った。

 鋭い視線をリークへと向けている。リークはまるで蛇に睨まれた蛙のように青くなっていた。なぜか不機嫌なウォルトとこのいたたまれない状況に、彩綾が慌てて口を開く。


 「何でもないの!リークさん、ごめんなさい!あれは違うんです!例え話として言っただけで、その、本当に深い意味は全然!これっぽっちも!無いんです!」


 彩綾がそう言うと、リークもそれに応えるように両手を軽く振ってから胸に手を当てて苦笑しながら言った。


 「あ、はい、大丈夫です。その前からの会話も耳に入っていましたから、サーヤ様に他意は無いことは存じ上げております。ただ、私が少し動揺してしまって…。いい歳をして、情けなかったと反省しております。」

 「…だから、なんの話だ。ナタリー、何があった?」


 二人のやり取りに余計に不機嫌になったウォルトはナタリーに矢を向けた。ナタリーは城主の威嚇をものともせず、「大したことではございませんわ」と、涼しい顔をして説明しだした。


 「私、サーヤ様はすでにご結婚なさっていると思っておりましたの。その事をサーヤ様に申し上げましたら、ご結婚どころか特定のお相手もいらっしゃらない、と仰いまして。」

 「ほぉ。」


 それを聞いたウォルトの声が少し明るくなった。


 「ですので、侍女風情が差し出がましいかと思いましたが、旦那様はどうですかと尋ねましたところ、サーヤ様はリーク様のような落ち着いた年上の男性がお好みだと仰いまして。」

 「…ほぉ…。」


 再びウォルトの声が低くなり、目が座りだす。その瞳には薄っすらと憤懣(ふんまん)の色が滲んでいた。それに気付いたリークが心を無にして直立している。


 「その時、たまたまサーヤ様に御用のあったリーク様が聞いてしまわれて、そのまま何もお伝えしないままお顔を真っ赤にして立ち去られたのですわ。」

 「………。」


 なるほど、とウォルトは小さく鼻で笑った。

 なぜ彩綾が城門まで出迎えに来なかったのか、そしてなぜその事を聞いたときにリークの顔が赤くなったのか。彩綾の言葉に動揺して、リークが伝えていなかったからだ。

 ウォルトが沸々と怒りを沸き上がらせていることに彩綾だけが気付かなかった。


 「えっと、ナタリーさん。誤解も解けたことですし、そろそろ食堂の方に…」


 彩綾がソファから立ち上がり、ナタリーの元へ行こうとした。

 その時、ウォルトの苛立ちが頂点に達し、吐き捨てるように言い放った。


 「ハッ!何が年上が好みだ。こんなガサツな女を嫁にする男なんているわけねぇだろ。」

 「な…、なんですってぇ!?」

 「例え嫁不足に陥ってる国の男でも、もうちょっとマシな女を選ぶだろうよ。」

 「お、おい、ウォルト、ちょっと待て…」


 突然の罵倒に、彩綾は耳を疑った。謂れのない侮辱に呆気にとられていると、ウォルトは畳みかけるように追い打ちをかける。リークが慌てて止めに入ると、逆に火に油を注いだように怒りを爆発させた。

 

 「うるせーな!大体、結婚どころか恋人すらいたこと無いんじゃねぇのか?」

 「うるさいわね!アンタには関係無いでしょうが!」


 彩綾はわなわなと唇を震わせながら絞り出すように反撃したが、あまりの衝撃に気持ちがついていかない。じわじわと目頭に熱が帯びるのを感じて、咄嗟に目に力を入れて耐えた。


 「あぁ、関係ないし、興味もないね。『特定のお相手』なんて大層なもん、お前の人生とは無縁だったろうしな。」

 「失礼ね!恋人ぐらい、いたことあるわよ!!」

 「…は?」


 彩綾の言葉に、ウォルトは頭を殴られたような衝撃を受けた。直前まで緊張していた空気が、一瞬にして水を打ったように静まり返る。彩綾が何を言っているのか理解できないでいると、今度は逆に追い打ちをかけられた。


 「だから、恋人ぐらいいたって言ってんの!」

 「…。」


 彩綾は怒りと口惜しさで顔を歪ませながら、ウォルトを睨みつけた。


 「別にアンタに女としてどう思われても何とも思わないけど、そんな風に侮辱される謂れはないわ!」

 「…おい、ちょっと待て。」


 ウォルトが落ち着かせようと低い声で言うが、頭に血が上った彩綾はその声音には応じなかった。むしろ、ウォルトがきっかけなのだから応じる必要など無い。


 「何よ!」

 「いいから落ち着け。…お前、恋人がいたのか?」

 「はぁ!?今度は何よ!」

 「いいから答えろ!本当に恋人がいたのかって聞いてるんだ!」


 まだ侮辱するつもりか、と彩綾は今度こそ怒りを露わにして大声を出した。ウォルトは努めて冷静に話そうとしていた。が、上手くいかない。


 「だから、いたって言ってんじゃないの!何なのよ!今度は証明しろとか言うんじゃないでしょうね!」

 「…いつだ?」

 「あんたには関係無い。」

 「『答えろ』と、言った。」


 彩綾は肩で息をしながら、ウォルトの急変する様子を見て頭を抱えた。本当に、意味がわからない。大きく溜息を吐き、ソファに座り直して、気持ちを落ち着かせてから渋々答え始めた。


 「…私が20歳の頃だったから、8年ぐらい前だったかしら。」

 「8年…。他には?」

 「いいえ、その人だけよ。しばらくして母が亡くなって、その後は仕事で忙しくてそんな暇全然無かったし。」


 なぜそんな事を聞いてくるのか、彩綾は訳が分からないといった顔で、俯くウォルトの顔を見つめた。数秒の間が空き、ウォルトが俯いたままポツリと呟いた。


 「…その…そいつとは…。」

 「え?」

 「その恋人だった男とは…どこまで…だった…。」

 「は?何て?ハッキリ言いなさいよ。」

 「…だから!その男とはどこまで深い仲だったのかって聞いてんだ!!」


 突然のウォルトの言葉に、彩綾は呆気に取られた。まさか自分の赤裸々な事柄についてまで聞かれるとは思わず、一瞬言葉に詰まった。そして、あまりの屈辱に一気に冷めた目が座りだす。


 「…あんた、頭おかしいんじゃないの?」

 「いいから答えろ。その男と、どこまで、やった?」

 「おい、ウォルト!いくら何でも人前で…いや人前じゃなくても女性に聞くことじゃないだろう!」


 ウォルトのあまりにも礼節を欠いた言動に、さすがのリークも声を荒げて止めた。ナタリーは顔を真っ青にしてオロオロと成り行きを見守っている。

 ウォルト自身、侮辱していると分かっている。それでも止めることはできなかった。


 「お前は黙ってろ、リーク。聞くのが嫌なら出ていけ。ナタリーもだ。」

 「ウォルト…お前…。」


 ウォルトの態度に、彩綾の頭の奥底で何かが切れる音がした。

 とにかくさっさとこの場を終わらせたい一心で、ウォルトを冷たく見据えて言い放った。


 「そんなに知りたいなら教えてやるわよ。別に隠すことでもないし。その恋人だった人とは、デートも!キスも!その先も!全部経験してるわ!…これで満足?」


 てゆうか…、と彩綾は言葉を付け足した。


 「アンタ、人の事をとやかく言うけど、恋人いるんでしょう?何がそんなに気になってんのよ。」


 思いも寄らない彩綾の言葉に、ウォルトはポカンと口を開けて目を丸くした。


 「…は?なんの事だ?」

 「何って、あんたの首のうしろ。それ、キスマークでしょう?」

 「なっ!?」


 ウォルトは咄嗟に首を抑えた。グルグルと頭を巡らせ、先日の酒場の2階での情事を思い出した。彩綾を探しに森へ行った前日の夜だ。


 ----クソッ!あの時の女か!!


 一気に体温が下がり、口が乾き、嫌な汗が全身に流れた。なんとか誤解を解こうと重い口を動かす。


 「違う、これはそんなんじゃない!」

 「は?そんなんじゃない、って…。あぁ、そうゆう事…。」

 「な、なんだよ…?」

 「つまり、恋人じゃなく()()()()()()()って事ね。ま、あんた顔は良いから不自由しなさそうだもんね。どうでもいいけど。」


 「さ、ナタリーさん、行きましょう」と、彩綾の言葉に呆然とするウォルトに目もくれず、彩綾はサッと立ち上がって部屋を出た。

 二人で廊下を歩きながらオロオロとするナタリーに、今夜の夕食は部屋で摂りたいと伝えて部屋に入った。扉を閉め、ズルズルとへたり込む。


 ----だーもう!しょうもない嘘ついちゃったじゃないよ、あのバカ!!


*


 執務室での一件以来、彩綾はウォルトを徹底的に避け続けた。食事は自室で食べ、ウォルトが外出する時は広場に出て子供たちと遊び、城にいる時は部屋に閉じこもった。何度かナタリーが彩綾の元へやってきて「旦那様がお会いになりたいそうです」と取り次いでも、彩綾は一切受け付けなかった。


 部屋に籠っていると、自分が言い放ったくだらない嘘を思い出す。


 ----『その恋人だった人とは、デートも!キスも!その先も!全部経験してるわ!』


 恋人がいたのは嘘じゃない。デートもキスも、経験している。ただ、その先は…。

 もう二度と思い出したくない恋だった。だから、あの日ウォルトに詰め寄られて嫌でも思い出さないといけなくなったことに胸が締め付けられる思いがした。そこへ、あの質問だ。


 この歳で最後まで経験が無いなんて言ったら、それこそ馬鹿にされるような気がした。そんな事になったら、今度こそ立ち直れない。傷付くのは、もう二度とごめんだった。


 そのまま三日が過ぎた頃、ウォルトが数日王都へ出向くと聞き、彩綾は久しぶりに部屋から出た。


 ----よし、アイツはしばらく留守になるってリークさんが言ってたし、思いっきり羽を伸ばそう!


 彩綾は朝食を食べた後、ナターシャ達のいる子供部屋に向かった。小さな子供たちは彩綾の顔を見るなり、走り寄ってくるようになった。

 世話を担当していた侍女に挨拶をして部屋を出ると、そのまま広場へと向かった。


 大きな子供たちが遊んでいる広場の一角へと歩いて行く。まだ大分距離があるのにユアンが彩綾の姿に気付いて、周囲にわからように微笑んでいる。随分懐いてくれたなぁと彩綾は嬉しくなった。

 子供たちの元へと駆け寄っていると、ふとユアンの表情が真顔になり、視線が彩綾の後ろへと向けられている事に気が付いた。


 彩綾はすっかり気が緩んでいたせいで、自分に近付く気配に気が付かなかった。

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