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途中までウォルト視点です。
明け方すぐに、俺はコルトを含む数十人の兵を連れて出立した。少人数だが、俺が最も信頼する熟練の精鋭部隊だ。ある程度の小競り合いには十分だった。
目的地に辿り着くと、偵察隊と合流した。これまでの報告を受けると、依然として侵入者がこの辺りをウロついているのは確かなようだ。なんとしても、サーヤに害が及ぶ前にそいつらを片付けてしまわなければならない。
この辺り一帯の地図を広げながら隊長と話し合っていると、俺たちの周りに異様な気配を感じて辺りを見渡した。少し距離があるが、武装した集団に囲まれている。その数が多いのは、俺たちがここへ来ることを予測して散り散りに身を潜めていたからだろう。
いつの間に…そう思ったのも束の間、相手は剣を抜き、矢を構え始める。辺りは瞬く間に緊張感に支配された。
俺はすぐさま応戦の号令を出し、剣を抜いた。突然の乱闘に敵味方が入り乱れての状況で、生け捕りは難しい。それに、数では圧倒的に敵の方が有利だ。俺たちは互いの背を庇い合うようにして立ち回った。
…しかし、何かがおかしい。
何度も戦火をくぐっているからわかるが、奇妙なほど手応えが無い。まるで奇襲するかのような形を取っているが、致命的な攻撃は避けているように感じる。そう、この乱闘を長引かせているように感じるのだ。
チラと横で応戦している部下を見やると、同じ様なものを感じ取っているらしい。ふとした表情に困惑の色を滲ませていた。
再び前から向かって来る敵に目を向け、何か見落としている事が無いか早急に考えを巡らせた。
なぜ、俺たちがここに来ると踏んでいた?そうだ、昨日の兵士が言っていたのは確か…
----『こちらの行動を予測していたように方向を変えて逃げて行きました。』
もし、俺をここへおびき寄せる為の陽動だったとしたら…サーヤが危ない!
俺はこれ以上戦いが長引くのを一刻も早く食い止める為に、胸の琥珀色の石を握りしめて意識を集中させた。
俺の全身を紅い光が覆い始め、ゴールドブラウンの瞳がゴールド一色へと変化する。身体中の筋肉が脈を打って膨張し、理性が薄れ、血が沸き立つ。
勝負は一瞬だった。その場にいた敵を次々と全て切り倒し、あっという間に辺りは血の海と化した。その場にいた者は皆、目の前の出来事に戦慄を覚え立ち尽くしていた。
静寂が訪れてもなお猛り狂う殺戮の衝動を抑えられないまま、俺は馬に跨り連れてきた兵士たちに命じた。
「すぐに城へと帰還する!これは囮だ!二手に分かれて城への道を走る!一隊は俺に、もう一隊はコルトについて行け!行くぞ!」
俺はそのまま向きを変えて、城へと馬を走らせた。力を使ったせいで、息は荒く身体が痺れるように熱い。だが、それどころじゃない。こうしている間にも、敵が城に向かっているはずだ。
----サーヤに手を出しやがったら、八つ裂きにしてやる…!
そうしてしばらく馬を走らせていると、後ろにいた兵士が俺の横に馬をつけてきた。
「ウォルター様!あちらの森の方に武装した複数の人影が見えたとの報告があります!」
「よし!お前たちは後ろから森へ入れ!俺たちは先回りして迎え撃つ!行け!」
「ハッ!!」
俺は数人の兵を連れて馬の速度を上げ、先回りして森へと入ると、ちょうど後ろから追いかけていた兵士たちと武装集団の乱闘が始まったところに出くわした。
俺の内に未だ渦巻いている衝動と、サーヤを狙っていたという事実が僅かな慈悲の心すら吹き飛ばしていた。
敵は俺たちの姿に目を見開き、捨て身の攻撃に転換した。どうやら投降するつもりは無いらしい。結局生け捕りにすることはできなかったが、敵が身に着けていた武具の様子から、昨日領内に侵入してきたという少数部族と関りがあることがわかった。
----やはり、こいつらが本命だったか…!
俺は後始末を部下に命じて、急いで城へと向かった。丘の手前で別行動をとっていたコルトたちと合流してさらに馬を走らせた。
リークには夕刻までには帰ることをサーヤに伝えておくように言ってある。サーヤは出迎えてくれるだろうか。昨日の事を考えると、あまり期待できないな…。
俺の帰還を知らせるラッパが鳴り響く。まだ熱が冷めきらないまま城門をくぐり抜け、馬から降りた。クソ…まだ足が震えている。
馬を従者に預けていると、出迎えに来たリークが俺の姿を見るなりハッと目を見開いた。気付いたようだが、周りに悟らせないように振舞うのはさすがだな。
「おかえりなさいませ、旦那様。」
「あぁ、今戻った。…サーヤはどうした?」
「あ、その、サーヤ様は今広場にいらっしゃいます。」
----…なんで、顔が赤くなっているんだ?
「広場に?何をしているんだ?」
「子供たちと遊んでいるところを見かけたと、使用人から聞いております。」
「…。」
子供と遊んでいるだと?俺が帰ってきた事は、ラッパの音で気付いているはずだ。ナタリーが傍にいるなら尚の事。それなのに出迎えにも来ないというのは、よっぽど俺の顔が見たくないのか…。あぁ、くそ…なんかイライラする…。
「…どこにいる?」
「はい、あちらの広場に…」
リークが言い終わる前に、俺は苛立ちを抑えきれず広場へと向かった。
痺れる足と重くなる身体に舌打ちしながら、それでも城の者には気付かれないよう足早に歩いた。そして、広場に差し掛かったところで足を止めた。
陽が差した広場の一角で、サーヤが子供達と何やらロープを使って飛び跳ねている。相変わらず、女らしさの欠片もない。…あ、こけた。でも、全く気にする事無く笑っている。子供たちもそんなサーヤを見て笑っていた。
一番驚いたのは、あのユアンが一緒に遊んで笑っていることだった。酷い怪我をしていて、この城で保護してからもほとんど喋らず感情を殺しているように見えた。ユアンのあんな姿は初めて見た。
俺はいつの間にか苛立ちを忘れて、柱にもたれかかって目を細めて見つめていた。
----そうだ、彼女の周りはいつも陽が差すように暖かいんだ。
*
彩綾が広場で子供達と遊んでいると、誰かが近づいてくる気配がした。
「こんなところで何をしているんだ?」
腕を組み、ゆっくりとした口調でウォルトが話しかけた。そう言えば、朝から出かけていると聞いていたことを思い出す。
「あれ?ウォルト、帰っていたの。おかえりなさい。」
「あぁ、今戻ったところだ。で、何をしているんだ?」
ウォルトは彩綾が持っているロープに目を向けた。同じ様に持っているユアンにも目を移す。
「あぁ、これ?これは『大縄跳び』って言って、長いロープを回してピョンピョン飛び跳ねる遊びよ。私の世界では、子供遊びの鉄板ね。」
「テッパン?」
「絶対に楽しい、ってことよ。」
そうか、と言いながらウォルトは彩綾の横顔を見つめた。それをユアンがじっと見つめている。ウォルトがその視線に気付くと、ユアンが彩綾の傍に寄って行き、彩綾の手をキュッと握った。
二人の間に薄っすらと火花が散ったことに、彩綾が気付くことは無かった。
「あ、そうだ。ねぇ、ウォルト…」
彩綾はウォルトに用事があったことを思い出し、ウォルトの方を見ると、その横顔が朱く染まっていることに気付いた。ふと空を見上げると陽が傾き、夕焼けに色付いている。彩綾はナタリーに子供達を使用人の居住棟まで送るように頼み、子供達の後ろ姿が見えなくなると、ウォルトに向き直った。
「…ねぇ、どうかしたの?」
「…何がだ?」
「アンタ変よ、さっきから。身体がふらついてる…あれ?」
彩綾が訝し気にウォルトの様子を見ていると、胸元で揺れる琥珀色の石が目に入った。
「アンタの石…なんか少し黒くなってない?光の加減かしら?」
ウォルトは咄嗟に石を握りしめると、途端に息を荒くして眉間に皺を寄せた。手足が震えている。
「あぁ…実は少しキツイんだ。悪いが、執務室まで一緒に来てくれないか。」
「え?えぇ、それは構わないけど…。肩貸そうか?」
「いや、大丈夫だ。」
ウォルトはそう言うと踵を返して城内へと向かい、彩綾もその後ろを追いかけるように歩いた。
執務室に入ると、リークがお茶の用意をしていた。
「旦那様!」
ウォルトを見るなりサッと顔色を変えて、ウォルトに駆け寄り身体を支えた。その所作は、取り乱すこともなく落ち着いている。彩綾は二人の様子を見て、これまでに何度も同じことがあったのだろうと察した。
二人を見ながらしんみりと考えていた彩綾はリークと目が合うと、今朝の事を思い出してたちまち顔が赤くなるのを自覚した。慌ててサッと顔を隠すように俯くが、ウォルトはそれを見逃さなかった。チラとすぐ隣にいるリークにも目をやると、耳が赤い。二人の空気が変わっていることが胸に引っかかったが、ウォルトの脚が限界だと言わんばかりに崩れてソファに倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
「ウォルト、大丈夫か!?」
リークの発した言葉に、彩綾は一瞬キョトンとした。
「へ?ウォルト、って。」
「え?あぁ、私たちは幼馴染なんです。といっても、私は彼の実家で働いていた使用人の子供なんですが。」
執務室ではつい口調が昔のように戻ってしまって…、と苦笑した。
「そうだったんですか。…ところで、これって…。」
彩綾はウォルトの首にかかっている琥珀色の石を指さした。光の加減ではなく、確かに少し黒ずんでいる。ウォルトが尋常ではない汗をかいている様子を見て、彩綾が額に手を当てるとそのあまりの熱さにハッとした。
彩綾はウォルトの傍に膝をついて座り、リークに汗を拭く為の布と身体を冷やす為の水をもらえるように頼んだが、それらはすでに用意されていた。
布を水に浸して絞り、ウォルトの汗をそっと拭いていると急にあの夢を思い出した。
----あれ?この感じ、どこかで…。
汗を拭きながらウォルトの苦しそうな顔色を見ると、ふとあの夢の中の男の子が重なった。
----そうだ、久しぶりに見たあの夢に似てる?いや、でもまさかね。あんまり覚えてないし、そもそもあれは『小さな男の子』だったし…。
ぶんぶんと頭を振ってしばらく布を当てていると、ウォルトが薄っすらと目を開けた。その顔がどことなくあの夢の中の少年の面影を映し出す。彩綾はハッとして思わず手を止め、ウォルトの顔を見つめていた。
ウォルトは止まった手を掴み、口元へと持ってきてそっと唇を当て、朦朧とした意識の中で呟いた。
「あの時と…同じだ…。」
ウォルトがフニャリとした顔で彩綾の手の平を頬に当てた。それを見た彩綾の心臓が飛び跳ねる。
ウォルトの声が聞き取れない。けれど、その顔が、仕草が、彩綾の心を打ち付ける。心臓の音が耳の奥を叩きつけるように鳴り響いていた。
----いやいやいや、なんだこれ!?誰だこれ!?てゆうか、手!キスした!コイツ、キスした!!
彩綾が顔を真っ赤にして石のように固まっていると、リークがウォルトから彩綾を引きはがし、頬をペチペチと叩いて目を覚まさせた。至福の時間を邪魔されたとばかりに、どこか憮然とした表情でノロノロと身体を起こす。彩綾はまだ固まっていた。
「ウォルト、そういった事は後にして下さい。一刻も早くサーヤ様に『浄化』をして頂かなければ…。」
「浄化?」
彩綾は石になりながらも聞き取った言葉のおかげで、正気を取り戻した。
「はい。サーヤ様のお力で、旦那様の石を浄化して頂きたいのです。」
「は?ちょっと待ってください。浄化ってどういう事ですか?なんの事です?」
二人のやり取りに耐えられず、ウォルトは苦痛を堪えながら割って入った。
「サーヤ…今はとにかく、俺の言った通りにやってみてくれ。」
そう言うと、彩綾に碧い石を出させてゆっくりと彩綾の目を見て言った。
「いいか、その石を強く握って…そうだ。そのまま、目を閉じて意識を集中させる。この『琥珀色の石を浄化するイメージ』を強く持つんだ…わかるか?…とにかく、やってみてくれ。」
「えっと、とりあえず、石を握って、アンタのその石を浄化?するイメージを持てばいいのね?…わかった!」
彩綾は訳も分からないまま、急いで言われた通りに目を瞑り意識を集中させた。
琥珀色の石が元の色に戻るイメージ…黒い影が消えるイメージ…ウォルトの熱が下がるイメージ…。
考えつく『浄化』のイメージを次々に思い浮かべた。そして、琥珀色の石と碧色の石が重なり合うイメージを思い浮かべた途端、彩綾の身体が深緑色の光に包まれた。そして、それに呼応するかのようにウォルトの胸元にある石が控えめに輝き、黒い影がスゥッと消えていった。
石が元の琥珀色に戻るとウォルトの呼吸も収まり、徐々に熱も下がっていった。ついさっきまでぐったりとソファに倒れていたとは思えない程、顔色が元に戻り身体を起こして座っている。だがやはりまだ辛いのか、ウォルトはひじ掛けに肘を置いて、手で額を支えるようにして言った。
「…やはり、石の持ち主の力はすごいな。もはや彼女では、こうはいかない…。」
彩綾は自分の身に起こったことに----いや、起こしたことに愕然とした。目を見開いて自分の両手の平を凝視しながら震える声で言った。
「何…今の…。な、なんか私、光ってなかった…?どうなったの…?」
「お前、その光に包まれてる間、どんな感じだったか覚えているか?」
「ど、どうって…。」
彩綾が震えたままの声で答えると、焦らなくていい、とウォルトが落ち着いた声で宥めた。おかげで彩綾は少し落ち着きを取り戻し、慎重に思い出しながら口を開いた。
「え…と、そうね、ウォルトの石と私の石が重なるような感じをイメージした途端に…なんか全身がポカポカと温かくなって、その温かさが身体からスゥッと抜けていく感じかしら。でも、その温かさは次から次へと沸き上がって…抜けていくというかウォルトの石に向かって注がれていっている、という感じの方が近いわ。」
「そうか…。」
ウォルトが額を支えていた手を口元に滑らせ、碧い石を、そして彩綾の目を見つめた。
彩綾はどこか熱を帯びたような視線にドキッとしながら、何とか動揺を悟られないように慌てて立ち上がる。ウォルトと対面になるようにソファに座り、話を切り出した。
リークが淹れたてのお茶を二人の前に置いた。




