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ウォルト視点です。
シェランドルの城に帰った頃には空が明るくなっていた。深夜の強行に供をした護衛達はぐったりしていたが、そんなことを気にしてはいられなかった。
突然の主の帰還を知らせるラッパの音に城内は騒然としたが、それもどうでもいい。俺は馬から降りて、慌てて城門まで出迎えに来ていたリークに素早く指示を出した。
「リーク、今から森へ向かう。護衛の者を十数人連れて行くから、すぐに準備するよう伝えてこい。」
突然帰還した主の急な命令にリークは面食らっていた。俺は馬から降りて従者に飲み物を持ってくるよう命じた。
「え、今からですか!?戻られたばかりじゃないですか。何をそんなに急いでおられるのです?」
「昨夜、実家に帰ったら彼女から手紙が届いていた。」
「手紙、ですか?」
首を傾げているリークに、ウォルトがボソリと耳打ちする。途端にリークは目を見開いてウォルトを見た。
「あぁ…。今日、あの森の方角に『碧い石』を持った娘が現れる、と書いてあった。すぐにそこへ向かえ、と。」
「なんですって!?それは確かなのですか!?」
「まだわからん。だが、今まで碧い石について触れたのは、あの時の事以来だ。もし本当だったら俺たちで保護しないと大変なことになる。」
「…畏まりました。すぐに出立できるように準備いたします。」
リークは踵を返して、足早に城内へと入っていった。こういう時のリークは一切の無駄がなく的確に動いてくれる。本当に頼もしい。
俺は一旦執務室に行き、鍵をかけていた引き出しを開け、小さな箱を取り出した。とうとうこれを使う時がきたか、と慎重に蓋を外し、中から小壜を取り出した。
12年前のあの時の出来事を彼女に話したのは、しばらく経ってからのことだった。
彼女はどこかすでに理解している風だったが、言葉が通じなかったことに触れるとピクリと反応した。しばらく考え込んだ後「時間がかかるかもしれないが解決できると思う」と言った。
実際、それから7年が経ったある日、彼女に呼ばれて王宮に行った時に渡されたのがこの薬だ。強い薬ゆえ使わなくてもいいが、急を要する場合の念の為にと渡してくれた。
なんでもこれを飲んだら言葉が通じるようになるらしい。どうやってそんな魔術的なものを作ったのか尋ねたら、難しい説明を長々と始めたので俺はすぐに降参した。彼女が作るものなのだから、よっぽどのものなのだろうと思うに留めておくことにした。
しかし本当に、『碧い石の娘』と『あの少女』が同一人物なのだろうか。そんな偶然があるものなのか。
城に帰って1時間もしない内に、俺と護衛の者たちは森へと馬を走らせた。キールの街を抜け、森へと続く道を走っていると、一瞬、遠く離れた森の一角が光っているのが見えた。
それを見た俺は心臓が飛び出そうになった。12年前のあの光景が蘇る。
----まさか、本当に…!
俺は逸る気持ちを抑えきれず馬の腹を蹴り上げ、速度を上げて走り続けた。森に入ると兵士たちに広がって捜索するよう指示を出し、光った場所を探し回った。しばらく経つと、遠くまで進んでいた兵士たちが声を張り上げた。
「ウォルター様!娘を見つけました!!」
「ウォルター様!こちらです!」
俺は急いでその兵士の元へと向かった。心臓がバクバクと痛みを感じるほどに鳴っている。
たどり着いた場所は森の中とは思えないような、庭のような空間だった。兵士が指し示す方向を見ると、娘が一人座り込んでいるのを見つけた。
娘の無事を確認すると、俺はうるさい心臓を落ち着かせ、声を掛けた。が、相手は聞こえていないのか座ったまま俯いている。…仕方がない、ここは紳士として迎えに行くか。
俺は馬から降りて娘の元へと歩いて行った。俺が目の前で立ち止まると、その娘が顔を上げる。
俺は、今度こそ心臓が止まりそうになった。
----目の前に、あの時の少女がいる。
俺は何も考えられず、呆然と立ち尽くしたままただ目の前にいる少女----いや、女性を見つめた。
長い栗色の髪と俺を見つめ返す瞳は、あの時の面影がそのまま残っている。12年経ってさすがに娘というには無理があるが、それでも俺の目にはあの時のままの姿が映っていた。
「…俺の事、覚えているか?」
「〇※…?」
「わからないか?昔、お前に助けてもらった…」
…駄目だ。やはりあの時と同じで言葉が通じない。その上ひたすら怖がっている。
それもそうだろう。森の中、知らない場所、大勢の男に囲まれている状況。普通に考えて、何をされるかわかったもんじゃない。このまま連れて帰ろうとしても、保護どころか暴れて傷付けてしまうかもしれない。それだけは避けなければならない。
俺は決心して、懐に入れておいた小壜を取り出した。
*
----クソッ!何だっていうんだ!
とりあえず城に連れて帰ることには成功した。が、まさかこんな乱暴な女だとは思わなかった。初恋の相手のその後は知らない方が良いというのは本当の事だな。美しいままで終わらせておく方が、真実を知るより百倍マシだ。少なくとも俺はそう確信した。
侍女長のナタリーにはサーヤの身の回りの世話をするよう命じておいた。服も髪も汚れてボロボロだったから、風呂に入ってドレスを着て栗色の髪を結い上げれば、ちょっとはマシになるだろう。
ま、ドレスでガサツな部分までは隠せないだろうが、女らしい姿を見てやってもいいかなとは思う。
俺が食堂に入って席に向かうと、サーヤはすでにコルトと話しながら食事をしていた。
…楽しそうだ。俺には目を吊り上げた顔しか見せないくせに。
そもそもなぜドレスを着ていない。せっかくの栗色の髪が台無しじゃないか。いや、別に気にしてはいないが。
食事中も各隊の隊長たちが挨拶がてら声をかけてくる。休憩中の彼らとのたわいもない会話は貴重だ。俺の目の届かない細かい問題や隊内の微妙な変化に気付けるし、それらに迅速に対応できる。
しかし…コルトの奴、いつまでサーヤと話し続けるつもりだ。ちょっとは気を利かせらんねぇのか。
結局、サーヤとはろくに話もできないまま休憩時間が終わった。隣で交わされる会話が気になるが、やらなきゃいけない仕事が山ほどある。俺は席を立って行こうとした時に、腰に括り付けていた巾着を落としてしまった。マズイと思って振り返った時には遅かった。彼女がそれを拾って、紐に手をかけていたからだ。まだ何も知らない彼女に中を見られる訳にはいかない。
俺は咄嗟に大声を出して彼女の手から奪い取った。
*
----やってしまった。
あんなこと言うつもり無かったのに。彼女の為と思ってした事がどんどん裏目に出てしまっている。ただでさえ敵意を向けられているのに、どうしたらいいんだ…。
とにかく、国王陛下と父、そして彼女には報告しなければならない。その為にはサーヤがあの石についてどこまで知っているのか聞く必要がある。俺はリークに彼女を執務室まで連れてくるように言った。
結局、彼女は石についてはほぼ何も知らなかった。なんせ、俺にも気付かないんだ。一瞬こちらに来たことすら夢だとでも思っているんだろう。そりゃあ12年も経っているし、忘れていても無理はない。
わかってはいるんだ。でも、理解に気持ちがついていかないから…俺は無性に腹が立ってついつい口調が荒くなってしまう。負のループだ。
少し一人で考えようと、リークにはサーヤを部屋まで送るように言った。
しばらくすると、扉をノックする音がした。リークが戻るには早すぎる。「入れ」と言うと、案内してきた従者の隣には国境付近の偵察に当たっている部隊の連絡係の兵士が----かなり飛ばしてきたのだろう、息を切らして立っていた。
「ウォルター様、ご報告申し上げます!」
「どうした。」
「実は先ほど国境付近の少数部族と思われる小隊が密かに領内に侵入した形跡を見つけまして、直ちにその行方を追ったところ、妙なことにこちらには目もくれず別の場所に向かって行ったようなのです。」
「別の場所?」
「ハッ、それが、キールの街の近くの森の中に向かったようなのです。」
「なんだと!?それは間違いないのか!?」
「間違いありません!ただ、こちらもすぐに動いて後を追いましたので何事も起こらなかったのですが、さらに奇妙なことにこちらの行動を予測していたように方向を変えて逃げて行きました。現在も行方を追っておりますが、すぐにこの事をウォルター様にご報告申し上げろとの隊長からの命令で参りました。以上です!」
「わかった…ご苦労だった。下がっていい。」
「ハッ、それでは失礼いたします。」
兵を下がらせ、再び一人になった部屋に静けさが戻った。
----どういう事だ。
俺は、兵士の言葉に内心かなり動揺していた。兵士が言っていた小隊は、ほぼ間違いなくサーヤを狙ったものだ。
だが、なぜだ?なぜ、そいつらがサーヤの事を----いや、あの森に『碧い石』を持つ娘が現れる事を知っている?
俺は、彼女に会ったその日の夜に手紙を受け取り、翌朝、つまり今朝にはここへ戻ってあの森へ向かっている。その俺とほぼ同じタイミングであの森に向かう事ができるなんて可能なのか?ましてや国外の者が。もし、そんな事ができるとしたら…。
その時、アイツの言葉が脳裏をよぎった。
----『最近、国境付近で何か変わったことはないかい?』
フィグ…。アイツは何か知っているのか?確かに昔フィグの父親は…いや、それは俺もフィグも生まれる前の話だし、今回の事と関わりがあると結び付けるにはまだ何の確証も無い。それに、フィグ本人が直接関わっているとも考え難い。いや、それよりもどうやって…。
扉をノックする音にハッとして返事をすると、リークが戻ってきた。リークに先ほどの兵士とのやり取りを話した後、明朝すぐに国境付近へ向かうことと、小競り合いになる可能性を視野に入れた準備をしておくことを伝えた。
そして、国王陛下への謁見の申し出をしたためた手紙を王都にいる父に送った。
なんとしてもサーヤを守らなければならない。その為にまず俺がやるべきことは、彼女を安全な場所へ連れて行くことだ。こんな、危険な国境地域ではなく。