チョコクレープの後で
七月中旬。
ずいぶんと夏らしい気温になってきて、そろそろ冷房のある部屋が恋しい頃。
教室の窓から見える少し離れた場所に建つ大学を、あそこは冷房あるのかな、と羨ましく眺めてみた。中に入ったことはないけれど、外から見る分には綺麗に見える私立大学。きっと冷房だって完備されているに違いない!
見当違いな八つ当たりをしているのは、私にとって夏休み前のこの時期が天敵だからだ。暑さは大の苦手だし、嫌がらせのように照りつけてくる強い陽射しも大嫌いなのだ。
なんでうちの高校は冷房ないんだろう。受ける前に調べておくべきだった。
後悔しながらため息をついている本日最後の授業終わりに、美咲ちゃんが私の席までやって来た。
「ゆーらら、夏休みの予定って決まってる?」
浮かれた様子の美咲ちゃんは、私の名前にリズムを付けて呼んだ。こういう時の美咲ちゃんは、絶対に何かお願い事があるのだ。
「予定はないけど、何のお願い?」
先手を打って私の方から話を振ると、美咲ちゃんは向日葵みたいに明るい笑顔を見せた。
「さすがゆらら! 話が早くて助かるよ。実はね、夏休みに晃一と遊園地に行こうって話になって、二人きりじゃ気まずいからお互いの友達誘うことにしたの。付き合ってくれないかな?」
猫なで声でお願いしてくる美咲ちゃんの可愛さに、思わず「いいよ」と言ってしまいそうになるけど、そこはグッと堪える。だって晃一だよ? あいつが私と一緒に遊園地なんて、ありえないでしょ?
「それなら、私以外の人にお願いした方がいいんじゃないかな? 美咲ちゃんも知ってのとおり、私と晃一はどちらかというとウマが合わないと思うんだけど……」
幼馴染のことを悪く言われるのもおもしろくないだろうから、できる限り控えめに言ってみる。けれど美咲ちゃんは、首を傾げた。
「え、そうかな? 私から見れば、晃一はゆららと仲良くしたがってるんだと思うけどな。私がヤキモチやいちゃうくらい……」
うん? 今、なんと?
美咲ちゃんの顔を覗き込むと、耳まで真っ赤になっていた。
待って、待って! これってもしかして……!?
軽いパニックになった私は、鞄にしまったばかりのノートを取り出して空白のページを開いた。口では上手く訊けそうになかったのだ。
『もしかして美咲ちゃん、晃一のことが好きなの?』
書きながら、なぜか私まで頬が火照ってきた。そっとノートを美咲ちゃんに向けると、それを読んだ美咲ちゃんはますます顔を赤くして、そしてコクっと小さく頷いた。
本当だったら「えー!」と叫び出したいところだったけど、さすがの私も自重したところで、晃一の悪口を言わなくて良かったと変な安堵が押し寄せた。
「いつから?」
小さな小さな声で尋ねると、美咲ちゃんは周りをキョロキョロと見渡した。晃一の姿を探したのかもしれない。けれど教室に残っているのはほんの数人。部活のある晃一たちは、授業が終わるとあっという間にいなくなってしまうのだ。教室内の生徒を確認した美咲ちゃんは、ふーっと息をひとつ吐いた。
「分かった。全部話すから、学校帰りにどこか寄らない?」
「もちろん!」
美咲ちゃんの提案を、私は快諾した。
**********
「それで、いつから好きだったの?」
私たちがいるのは学校から少し離れた、そしてあの私立大学のすぐ隣りにあるショッピングセンター。その中に最近オープンしたクレープ屋さんが美味しいと同級生から勧められ、初めてやって来たのだ。
手にはチョコクレープ、テーブルにはレモンスカッシュとトマトジュース。そして目の前には、顔を赤らめた美咲ちゃん。
「はっきりとは分からないんだ。ずっと一緒にいたし、家族ぐるみの付き合いってやつだったから。でも今月になって、後輩から晃一に手紙渡してほしいって言われたことあって、それで自分の気持ちに気づいた」
後輩? 手紙? あの晃一に?
「初耳! 晃一って、意外とモテるんだ?」
素直な感想を口にしてしまったけれど、美咲ちゃんが気を悪くした様子はなかった。
「小学生の時も、中学生の時も、晃一のこと好きな子はけっこういたんだよ。スポーツできるし、顔もほら、そんなに悪くないでしょ?」
やっぱり世の中、外見が大事なのですかね。みなさん、口の悪さは気にならないのでしょうか。
「ゆららにはあんなふうにいつも突っかかるけど、他の人にはそんな意地悪言わないし、だから私は晃一がゆららと仲良くしたがってるんだと思ってるんだけど……」
私、口に出してないよね!? 心の中に留めたよね!?
焦りつつも、美咲ちゃんの言葉に異議を唱えることの方が最優先事項だ。
「それは私が美咲ちゃんと仲がいいから、ただ単にからかいやすいだけでしょ。もし本当に仲良くなりたいなら、あいつの作戦は大失敗ってことになるよ」
私の言葉の最後に、美咲ちゃんは思わずといった様子で吹き出した。
「そこまで言ったら、晃一が可哀想じゃない? でも確かに、作戦は失敗だったかもね。その辺が小学生なんだよ、あいつは」
ため息をつく美咲ちゃんは、本当に晃一のことを身近に感じているのだと思った。まるで自分のことのように、晃一のことを心配できる。そんな経験、私にはまだないかもしれないな。
一瞬感じた寂しさを振り切るように、美咲ちゃんに新しい質問をぶつけてみる。
「それじゃ、次の質問。晃一のどこが好きなの?」
私の質問を聞いた美咲ちゃんは、飲んでいたレモンスカッシュを吹き出す寸前でなんとか飲み込んだ。
「そういうこと、聞く!? じゃあゆららは王子様のどこが好きなのよ?」
質問返しをされた私は「うーん」と考え込んでしまった。確かにそう言われると、どこが好きって言えないものかもしれない。私はなんでドラキュラさんが好きなんだろう? どこを好きになったんだろう?
思い出すのはあの映画のような時間。そして一瞬で恋に落ちた感覚。説明しようとしても、全部を表せる言葉なんて見つからない気がした。
「ね、言えないでしょ? そんなものなんだよ、誰かを好きになるなんてさ」
美咲ちゃんは明るく笑った。美咲ちゃんのこの明るさが、私は大好きだ。
だからここはひとつ、美咲ちゃんのために一肌脱ぐとしますか。
「分かったよ! 美咲ちゃんの想いに免じて、遊園地、一緒に行くよ」
「ありがとう、ゆらら!」
喜ぶ美咲ちゃんに、ひとつだけ忠告しておかなければいけないことがある。
「でもその晃一の友達と私をくっつけようとしても、無駄だからね?」
「そ、そ、そんなこと、考えてなかったよ」
明らかに慌ててましたよね?
美咲ちゃんをジロリと横目で見る。
「だ、大丈夫だって。ゆららには王子様がいるもんね!」
美咲ちゃん、顔が引きつってますよ?
とは言え、隠し事ができないところも、美咲ちゃんの長所だから仕方ない。
それから私たちはクレープとジュースを完食すると、家に帰るべくショッピングセンターを後にした。
「おいしかったね」
美咲ちゃんの言葉に同意しようとしたその瞬間、胸がドキンと高鳴った。
この匂い……。
「どうしたの?」
美咲ちゃんが尋ねてきたけど、その質問に応える余裕はなかった。
どこ? どこにいるの?
周りを見渡して、歩行者ひとり一人を確認する。買い物をする主婦、スーツを着たサラリーマン、学校帰りの小学生。違う。でもどこかに必ず……。
そして少し離れた大学生らしきグループの中に、ついに彼を見つけた。
間違いない!
思わず駆け出す私に、美咲ちゃんが慌ててついてくる。
「ちょっと、ゆらら!?」
もちろん、重ねて飛んでくる美咲ちゃんからの質問に答える余裕はまだない。
彼は大学の学門を通り抜け、構内に入っていった。迷わず私も後を追う。警備員のおじさんがこっちを見ている気がするけど、そんなことに構っていられない。
あともう少し……!
「待ってよ、ゆらら! これ以上は入れないよ」
美咲ちゃんに腕を取られ、私は立ち止まった。校舎の前で肩で息をする私たちを、通り過ぎる大学生が訝しげに見ていく。
構内だけならいざ知らず、さすがに校舎には侵入はできないか。
待ち焦がれたドラキュラさんまであと一歩のところだった悔しさはあるけれど、今日まで十二年も待ったのだ。こんなに近くにいることが分かっただけでも大進歩。そう自分に言い聞かせて、どうにか諦めをつける。息を整えながら校舎を見上げると、入り口の上には教育学部の文字があった。遠目で見ていたのと同じように、間近で見ても綺麗な校舎だった。
やっぱり、絶対、冷房完備に決まってる。
「美咲ちゃん、決めた。私、ここに進学する」
私の言葉を聞いた美咲ちゃんは、写真に撮っておけば良かったと思うほど驚いた顔をした。
「こっちは訳が分からないんだから、一から説明してよね!」
そこから家までの帰り道、私の取った謎の行動について責められつつ説明するはめになったけれど、私の胸はドキドキでいっぱいだった。