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 夜空に星の明かりを打ち消すほどの満月が輝いている。

 その月明かりの下、ファラシアは獅子ほどの大きさになったゼンの背にまたがり声を張り上げる。


「皆! 家の中に入って固く戸を閉めて!」

 そこかしこで響く、バタン、バタン、という音。

 それを耳から耳へと聞き流しながら、彼女は長大な身体をうねらせるソレを見据えた。


(できたら、村の外で片を付けたかったんだけど)

 けれど、魔物出現の知らせがガスのもとに届いた時にはすでに遅く、ファラシアは広場でソレと対峙することになってしまった。


「この村で暴れる気なら、容赦しないわよ」

 ファラシアはゼンの背の上で鎌首をもたげる魔物をねめつける。


 それは、とにかく大きかった。

 ゼンの上からでも、見上げるくらい。

 村をぐるりと一周――は言い過ぎかもしれないけれど、少なくとも半周はしそうだ。ぞわぞわとうねる身体は月光を反射し、所々で褐色の鱗が光る。その頭はツルンと丸く、胴体にも脚と思しきものは付いていなかった。


 角もなければ、脚もない。

 ファラシアとて実物を見たことはないけれど、龍はその二つを有しているのだと、どの文献にも書かれていた。


 つまり――

「こいつ、やっぱり龍なんかじゃない。ただの、蛇の変化だわ」

 魔力は大したものではない。ただ、図体がデカいだけ。

 余裕で勝てる――闘うための場所さえ確保できたなら。この場で闘えば、化け蛇のうねりで村を壊滅させかねない。

 ファラシアは自ら囮となって村から引き離そうとしたけれど、周囲に溢れるヒトの気配が化け蛇の気を引いてしまうらしい。ゼンに命じて魔物の前でヒラリ、ヒラリと動いてみせても、ソレはその場でとぐろを巻いたまま舌をちらつかせている。


 この場で、周りに被害を出さないようにするには、どうしたら良いだろう。

「蛇……か。蛇の弱点といったら、やっぱり、寒さかな」

 ファラシアの呟きと共に、周囲の気温が一気に下がる。腿の下でゼンが震えだすのを感じたけれど、途中で止めるわけにはいかなかった。

「ゼン、ちょっと我慢しててね」

 言いながら、軽く首筋を撫でてやる。その間も気温は下がり続けていた。


 化け蛇が不快そうに鎌首をもたげて周囲を見回す。その動きは目に見えて緩慢になっていて、あと少し下げれば、完全に冬眠状態になるだろう。

 次第に化け蛇の頭が下がり始める。その目の光は鈍くなり、やがて半目に、そしてついには完全に閉じてしまう。


「適材適所、よね。炎は使えないけど、こういうのなら得意なんだから」

 呟いて、ファラシアはゼンから降りた。よく見ると、彼の純白の毛先には氷の粒が光っている。ゼンが大きく身体を震わせると、それらが散って、キラキラと輝いた。


「でも、この後はどうしようか。ずっとここに寝かせたままにしておくわけにはいかないし」

 腕を組んで、化け蛇の巨体を見上げる。

「大きいわよね……確かに龍と間違えたのも──」

 無理は無い。

 そう続けようとした時だった。


「何やら同胞の気配がするから降りてきてみれば……そのような下等なものと我らを取り違えるとは、無礼にもほどがある」

 唐突に頭上から響いた声と共に、目の前の化け蛇が炎を上げる。一瞬にして、それは灰の塊と化していた。


「──!」

 ファラシアは息を呑んで空を見上げる。ゼンも彼女の隣で毛を逆立てて、天空に向けて唸りを上げていた。


 相変わらず、雲一つ無い夜空。

 しかし、今、そこには一つの影があった。

 月明かりが逆光となり、色彩は判らない。だが、長い身体をうねらせる優美なその動きは、まるで舞っているかのようだ。

 遥か上方からでも感じられる、桁外れの魔力。今まで戦ってきた魔物たちとは格が違う。


「りゅ……う? 今度こそ、本物の?」

 掠れた声での囁きは、空に浮かぶ存在にも届いたようだ。

「そのとおり。我こそ真の龍であるぞ」

 尊大な声が響いた直後、それまで化け蛇の巨躯が存在していたその場所に、一つの人影が佇んでいた。

 その存在そのものが輝きを帯びているのか、月明りだけでもはっきりと姿を見て取れる。

 スッと切れ長の目。

 通った鼻筋に薄めの唇。

 涼やかな容姿は、この国ではあまり見かけない。

 その容貌はあまりに整い過ぎていて、それだけで人間離れしていた。その上、その髪と瞳は鮮やかな真紅で、ヒトでないことは一目で判る。男女の別を読み取るのが難しいほどの秀麗さだったけれども、声は低く、恐らく男性なのだろうとファラシアは思った。


「先だっての眷属の気配もそなたのものか。まだ、生まれて間もないな。名は何という?」

 意味不明な前半の台詞は、高飛車な口調での最後の問いでファラシアの頭の中から消え去った。

「人の名前を尋ねる前に自分の名を言う、というのが筋ではなくて?」

 と、ヒトの形をした龍は、微かに眉を上げる。

「そうか。ヒトの世ではそういうものであったな。我はクァールーンだ」

 単なる反抗心から出た言葉に、まさか相手が素直に答えるとは思っていなかったファラシアはいささか面食らった。


「……わたしは、ファラシア・ファームよ。こっちはゼン」

 クァールーンと名乗った龍は気まずそうな顔のファラシアをしげしげと見つめる。そして、つぶやいた。

「ほぅ、風と水とはうまく出たものよな。しかし、その色はいったいどうしたことだ?」

「どういう意味……?」

 一瞬怪訝な顔をしたファラシアだったが、はっと我に返る。

「いえ、それよりも、何故あの化け蛇を殺したの!? どこか人里離れた所に放せば、人間に危害を加えるようなことは無かった筈だわ!」


 ファラシアの糾弾を、しかし、その龍はさらりと受け流しただけだった。

「ヒトなど関係ないが、あんなものが我らの眷属と思われるのは不愉快だ」

「それだけの理由で!?」

「充分であろう」

 平然と返され、ファラシアは言葉を失う。龍族は強大な力を持つというが、それと同じくらいの自尊心もあるようだった。


 唇を噛んだファラシアを、クァールーンは面白そうに見る。

「何か不服か?」

「力があるからって、自分よりも弱いものを踏み躙るなんて……わたしは赦せない」

「なら、どうする。我に戦いを挑むか?」

 その答えは、何よりも雄弁に、彼女のその眼が語っていた。

「止めておけ。我は、眷属と争うつもりは無い」

「眷属って……何のこと?」

 ファラシアは眉をひそめた。

 そう言えば、クァールーンはさっきも似たようなことを言っていた気がする。


「全く自覚が無いというのも珍しいな。まあ、こういうことは自ら気付くほうが良いだろう。我は子どもの面倒を見る気は無いからあまり言わぬでおくが……」

「確かにわたしは人間離れしているかもしれないけど、人間であることには間違いないわ。それに、そっちにその気が無くても、わたしにはあるわよ!」

 ビッと指さしてそう宣言すると、クァールーンは愉快げに首をかしげる。

「風と水にしては、随分気が荒いな。それは我ら火龍の気性の筈だが」

「いつまでも意味の解らないことを言っていると──!」

 痛い目を見るわよ、と言い切らぬうちに、ファラシアは数多の氷塊を龍に向けて放った。が、それは相手に到達することなく瞬時にして消滅する。


「無駄だ。お前のその力は我には効かん。ものも解らん子どもを相手にするのは不本意だが……多少の躾は必要だな」

 髪一筋乱すことなく佇んでいるクァールーンは、駄々っ子を相手にする笑みを浮かべてそう言った。同時にその手の中に深紅の光を放つ剣を具現させる。


「やる気に、なったようね。……ゼン、あなたは下がっていて」

 ファラシアとクァールーンは互いに互いを見据え、ピクリとも動かない。


 それがどのぐらい続いたであろうか。

 先に動いたのはクァールーンからだった。剣を持たない右手に力が集まっていく。

 ファラシアにはそれが炎から成るものであることが解った。そして、その瞬間、彼女の身体が炎に包まれる。

「水よ、我が身を護れ。雷よ、敵を討て!」

 声と共にファラシアを包んでいた炎が瞬時に消え去り、ほぼ時を同じくして爆音が響いた。しかし、クァールーンは叩き付けられた雷をものともせず、跳躍する。


 真っ直ぐにファラシアを狙って振り下ろされた光の剣を、彼女は氷で作った盾で受け止め、受けた勢いをそのままに弾かれたように飛び退いた。

 彼女が最も得意とするのは水系の魔法であったが、それがクァールーンに効果が弱いのは最初の攻撃で解っている。


「となると……風、かな」

 ファラシアは口の中でそう呟く。


 三日月を思わせる、鋭利な刃。


 脳裏に確かな像を結んだファラシアの目の前に、クァールーンの剣が迫っていた。

 ファラシアは刃を放つと共に大きく一歩後ろに退いた。が、わずかに間に合わない。右肩から左腹にかけて斬られる感触を、彼女は確かに感じていた。深くは無いが、かなり広範囲に斬られている。

 膝を突いたファラシアの耳に、ドサリと、何かが落ちる音が届く。喘ぎながら顔を上げると、地面に転がる腕が見えた。

「ちと、侮り過ぎたな」

 左肩を押さえたクァールーンが、顔を歪ませてそう呟いたのが聞こえた。


「痛み分けっていうところね」

 わずかな動きでも痛みで脂汗が滲んだが、ファラシアは右手で服の切り裂かれたところを押さえ、左手でクァールーンの腕を拾う。

「肩を出して。多少の治癒ぐらいはできるから……」

 言いながらファラシアはクァールーンの肩の切断面に手にした腕を押し付けた。そして、つなぎ目に手を翳す。彼女自身、貧血で卒倒しそうであったので、普段のような即効性は無かったが、それでも何とか腕は繋がった。

 次いで、自分の傷に意識を集中させる。これは他者の傷を治すのより、容易なことだった。


「これで良いかな。さて、と……あれ?」

 立ち上がろうとして、ファラシアは思ったよりも出血による影響が大きいことを知らされる。治癒の術で傷を塞ぐことはできても失った血を作り出すことはできない。へたり込んだファラシアに、ゼンが気遣わしそうに顔を摺り寄せた。

「大丈夫よ。ありがとう、ゼン」

 ゼンの耳の後ろを掻いてやっていたファラシアに、クァールーンが問いを投げる。


「何故、我の腕を治した?」

「え?」

 キョトンとした顔で振り向いたファラシアを、クァールーンが奇妙な顔で見ていた。

「何故、この腕を治したのかと問うているのだ」

「わたしは痛いのが嫌いなのだけど、もしかして、あなたは好きだったのかしら?」

「いや、そんなことは……しかし、それが理由になるのか?」

「まぁ、自分が嫌なことは他人にもしたくないってこと、よ」

 ファラシアの言葉に、クァールーンが真顔で首を傾げる。


「そういうものか……?」

「そういうものよ」

 答えて、ファラシアは蒼い顔でクァールーンに笑いかける。クァールーンは未だ納得しきれない様子で立ち上がった。

「人の世で生きてきたものはそう考えるものなのかもしれぬな。しかし、龍族は受けた恩は必ず返す。何かあったら、我が名を呼ぶといい」

「ええ、是非そうさせてもらうわ」

 ファラシアは、正直、そんな破目には陥りたくないなと思いつつ、微笑んでそう返した。それに釣られるようにして、クァールーンも笑みらしきものを浮かべる。


「お前の面倒なら、見てやっても良いかもしれん。では、その時まで」


 それを最後に、クァールーンの姿が掻き消える。見上げると、遥か上空を優雅に泳ぐ姿があった。一度大きく円を描いた後、西の空へと去っていく──直にその姿は見えなくなった。


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