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再会

 宿泊所に戻ったファラシアは、待機するようにと通された部屋で眉をひそめていた。

 仕事が終わったのだから、報奨金が渡されてそれで放免となるはずである──いつもなら。

 しかし今回は、帰路に就く許しも与えられずに、ただここで待つようにと言われただけだった。


 強行軍の疲れもあってひと眠りし、懐中時計で確かめた時刻は――この部屋に入れられてからもう四刻(二時間)も経っている。どんなに熟睡していても誰かが入ってくれば、目覚めていたはずだ。

 ファラシアのことをこんなに長い間放置しておくなんて、よほど人手が不足しているのだろうか。

 ――もしもそうなら、その理由はただ一つだ。


「まだ警戒しているのかしら……」

 寝台から足を下ろし、ファラシアは化け猫のことを考える。

 あれが殺されるのではないかという心配はしていなかった。物理的な力でどうこうできる相手ではないし、魔道でも、炎は効かない上に、氷や水でもあの化け猫の炎の力の前では役には立つまい。あの化け猫を殺すなら、再びファラシアに声がかかるはずだ。


(それに)


「何か、変なのよね、この部屋」

 つぶやきファラシアは部屋の中をグルリと見回した。そこは最初に通されたのとは別の部屋で、彼女の荷物はあらかじめこちらに移されていた。


(つまり、ここでしばらく過ごせっていうこと?)


 わざわざ荷物を動かしたということは、そうなのだろう。

 先の部屋よりも一回り程大きなこの部屋は、家具は揃っているけれど、生活する場としてはどこか違和感がある。首を傾げつつ何度か室内を見回してみて、ファラシアはようやくその原因に思い当たった。


(ここ、窓がない……?)


 そう言えば、さんざん廊下を歩かされた末に、階段を下った記憶がある。下っただけの記憶が。

 つまり、この部屋は地下にあるということだ。


 今まで何度もこの『協会』本部に泊まったけれど、地下に案内されたことはない。


 気付くと同時に、不安が込み上げてきた。ただ待ってはいられなくなったファラシアが立ち上がったその時に、扉が開かれた。そして、そこに現れた人物に目を丸くする。


 彼女はその人をよく知っていた。


「師匠……?」

 ある日突然、修行の旅に出ると言って彼が姿を晦ませたのはかれこれ二年前のこと。別れた時には肩を少し越すばかりだった栗色の髪が、今は背の半ばほどまで伸びている。


 彼はクリーゲル・デル・ファーム――ファラシアの師匠であり彼女の養い親でもある人だ。

 魔道士の称号にはファラシアが持つファルの他、上級のソル、中級のミル、下級のデルがある。

 かつては人並み外れた炎の力を揮ったと噂される彼だけれども、冠しているのはデルに過ぎない。

 ファラシアがまだ小さいころに、どうして師匠はデルなのかと問うたことがあった。実際、クリーゲルの力がそんなに弱いとは思えなかったからだ。その時、彼は、その方が楽だからだよ、と笑っていたと思う。


 クリーゲルは、扉から身を滑り込ませると厳しい眼差しをファラシアに向けた。整っているけれども強い印象を残さないその容貌は、ファラシアが拾われた時から全く年を取っていないように見える。


「師匠、今までどこに――」

 とがめる眼差しを向けるファラシアを、クリーゲルは片手を一振りして黙らせた。

「再会を喜んでいる暇は無いんだよ。さっさと荷物をまとめてここを出る用意をしろ」

 何故か不機嫌そうにそう言ったクリーゲルからは、いつもの鷹揚――というかいい加減というかのらりくらりというか――に構えている態度は一掃されていた。


「師匠? いったい、どういう……」

「莫迦やろう」

「……?」

 唐突な罵りに、ファラシアは目を白黒させる。数年来放置していた養い子に対して、これはあんまりではなかろうか。


 言葉もないファラシアの前でクリーゲルは片手を上げると、ビン、と中指で彼女の額を弾いた。

「痛ッ! 何するんですか!」

 抗議した彼女に、クリーゲルが鼻を鳴らす。

「連中の前で天を操るなんてマネしてんじゃねぇよ」

 ぶすりと怒った声でそう言われ、ファラシアは唇を噛んだ。

「でも、あの時は……」

「仕方なかったってんだろ? それは解るが、それにしても、もう少しやり方があっただろうに。お前はあいつらの前で力を見せ付け過ぎたんだよ。奴らすっかり震え上がってやがる。お前をこの部屋ごと封じ込めることに決めたようだぞ」

「そんな──!」

「だから俺が言っておいただろう、あんまり力を使いすぎるなと」


 舌打ちせんばかりの声音でそう言うと、クリーゲルは呆然としているファラシアに代わって荷物を詰め始める。本気で苛立っているらしいその手付きに、ようやくファラシアの脳は事態を受け入れ始めた。

「でも……あの魔物を……あれを助けなければ……」

「ああ、こいつか?」

 ファラシアのつぶやきに、クリーゲルが懐から何かを掴み出した。無造作な扱いに、白い毛の塊が唸り声を上げる。

「どうして……」

「お前がそう言うのが解っていたからだよ。だいたい、こいつを殺さなかったこともお前を危険視する声が高まった原因の一つなんだぜ。魔物を庇うたぁ、やっぱり、実はあいつも魔物の仲間なんじゃないかってな」


 仔猫ほどの大きさになった化け猫をファラシアに向かって放り投げ、クリーゲルは荷物の紐を締める。化け猫にしがみつかれた彼女にそれを突き出し、彼は鋭く目を光らせた。

「俺が助けてやれるのは今だけだ。次に顔を合わせるのは、お前の追っ手としてだぞ」

 荷物を受け取ったファラシアは、パッと顔を上げる。


「……え?」


 クリーゲルは、息を呑んだファラシアの頬を両手で包んで彼女の目を覗き込んだ。それは、ファラシアがまだ幼い頃からの、大事なことを言い聞かせる時にする仕草だった。

「俺がお前の泣き所になるだろうってことは、余程の馬鹿じゃない限り判りきったことだ。十中八九、お前の追っ手の一人に命ぜられるだろうよ」

「師匠……そんなの……」

「嫌か? でも、しょうがねぇよ」

 笑ってクリーゲルは手を離し、ファラシアの頭をクシャリと撫でた。そして真面目な顔になり、呼吸数回の間だけ養い子を見つめる。それはほんのわずかな時間であったけれど、互いを想う気持ちを通じ合わせるには充分だった。


 クリーゲルは無言で身を翻し、扉に向かう。

 先に廊下に顔を出し、周囲に人影が無いことを確かめてから、クリーゲルはファラシアを促した。


「いいか、見つかるんじゃねぇぞ」

 師匠の目に浮かぶ真剣な光が、これが悪い夢ではないことを証明している。

「師匠は、大丈夫なんですか? わたしを逃がして」

 大丈夫ではないから一緒に行く、そういう言葉を微かに期待して、ファラシアはそう問いかけた。

 けれど、その期待に反して、クリーゲルはかぶりを振る。

「まだ、俺がここに来ていることはバレちゃいない。それに、俺はお前に対する切り札だからな。そうそう廃棄処分にゃしないよ」

「切り札?」

「ああ。お前は俺に刃向かえないだろう?」

 当然のように言われ、ファラシアは言葉を失った。


「俺はな、お前を殺せる。それが自分の身を護る唯一の手段だとしたら」

 再び息を呑んだファラシアの顔を、皮肉げに唇を歪めてクリーゲルはもう一度包み込んだ。そうしてその頬を軽く叩いてから、手を離す。

「それが嫌だったら、何としても逃げおおせろよ」

 軽い口調でそう言った彼は、ファラシアの手の中の化け猫を摘み上げた。

「お前もな、例のこと、頼んだぜ」

「例のことって……?」

「秘密。その時が来れば解るさ。まあ、来ないことを祈っているがな。さあ、もう行け」

 背中を押され、その手の温もりをそこに感じた時、初めてファラシアの目に涙が滲んだ。もう二度とこの人と触れ合うことは無いのだという実感がジワリと襲ってくる。こぼれる前に、強い瞬きでそれを散らした。


「さようなら」

「元気でな」


 ――身を翻し走り去るその背を見送って、クリーゲルはぼやく。

「あん時お前を拾いさえしなければ、この身は安泰だったんだけどな」


 しかし、『もしも』という言葉は決して現実とは成り得ないことは解りきったことである。何度あの場面を繰り返したとしても、しがみついてきた小さな手を振り払うことなど、決してできはしないのだから。


 クリーゲルは埒もないことを愚痴ってしまった自分に舌打ちを一つして、片手で栗色の長髪を掻き回した。

 そうしている間に、魔力を漲らせた人の気配が、複数近付いてくる。


 数を頼んだ上に不意打ちならば、あの娘を抑えることができると思ったのか。


「馬鹿な奴らだな。お前らには荷が重過ぎるだろうが、あいつはよ」

 クリーゲルは薄い苦笑を浮かべて肩をすくめる。

「まぁ、俺も精々逃げ回ってみるか」


 そして、一瞬にして掻き消えた。

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