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いつか叶う約束  作者: トウリン


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 闇は渦を巻き、次第に激しい魔道風を引き起こし始める。それはやがて重く立ち込めた暗雲を呼び寄せ、間を置かず、音を立てて雨が地を撃ち、無数の稲光が黒雲の中に走る。


 人知を超えたその現象に、誰もが恐怖と畏怖を抱く。


 刻一刻と勢いを増していく嵐の中、一番に我を取り戻した人間は、カリエステだった。

 地に伏したリーラを抱き起こし、息を確かめる。刃は片方の肺を貫いてはいたが、心の臓は無事だった。辛うじて上下している胸に小さく安堵し、ゆっくりと剣を引き抜きながらそこにある傷に全魔力を注ぎ込む。

 そうしながら、カリエステは眼を上げ、その先にある、かつて少女だったものを見詰める。実体はどうであれ、ただ一人の人間であろうとした彼女を追い詰め、今の事態を招いたのは、彼らだった。そして、カリエステ達に、それを収めるだけの力は無かったのだ。


 ほぞを噛んでいるのは、彼だけではない。

 闇の珠と化したファラシアを目の前に、カイル、ノア、ゼンも為す術がなく立ちすくむばかりだった。そもそも、近付くことすらできない。


「あそこまで辿り着けないことには、何も始まらんな」

 激しく吹き付ける雨と風に目を細めながら、ノアがつぶやいた。本来の大きさに戻ったゼンが大地に爪を立てて風除けになってくれてはいるが、嵐の勢いは激しくなる一方だ。いずれ、吹き飛ばされてしまうだろう。


「このままいったら、この国ぐらい滅ぼしそうだね」

 ゼンに摑まったカイルが、嵐の中心をヒタと見据えながら、言う。揺るぎ無いその視線は、その先にファラシアの姿を捉えているかのようであった。

「もっと、僕に力があれば……!」

 唸り、カイルはきつく唇を噛み締める。そんな彼を横目で見ていたノアは、その視線をファラシアであったモノへと移す。

「このままにしておけば、他の誰でもない、彼女が一番後悔に苛まれることになる」

 そのつぶやきに、カイルは判っているさと言わんばかりの眼を向ける。

「そうは言っても、このままじゃ動くこともできないよ」

「だが、ここに留まっていても仕方がない、強行突破だ」

 淡々と告げた彼女に、カイルが目を丸くした。


 ノアとて、そんながむしゃらなやり方は自分でもらしくないとは思うが、現状、他に手がなかった。時と共に事態は益々悪化していく一方であるならば、無茶と判っていてもやるしかあるまい。


「ゼンにしがみ付いていくぞ」

 とにかく、と足を踏み出した一行だったが、それを阻むように巻き起こった新たな魔道風に押し止められる。

 嵐などものともせずに逆巻いたそれは、一瞬にして消え失せた。

 代わってそこに現れたのは、二つの人影――一方は栗色の長髪、そしてもう一方は、あろうことか、この暴風の中で真紅の髪をそよとも揺らすことなく泰然と佇んでいた。その紅い男が片手を一振りすると、ノアたちの周囲の風がピタリと止む。


 ホッと思わず肩の力を抜いたノアたちに、場違いに呑気な声がかかる。

「さすがに、それは無謀でしかないな、ノア」

 栗色の髪からのその声には、聞き覚えがあった。


「クリーゲル殿?」


 目の前に立つ、確かに数秒前までは存在しなかったその人物の名を、ノアは最後に疑問符を付けて呼ぶ。ファラシアの養い親は、切羽詰った現状に全く気付いていないかのような緩い笑顔で、二人と一匹に向けてヒラヒラと手を振った。


「どうして、此処に?」

 あまりに都合が良すぎる救い手の登場に、その姿を見、声を聞いても半信半疑のノア達である。クリーゲルはその問いに肩をすくめた。

「声が聞こえちまったから」

 短い返事に、誰の、と問う者はいない。


 ノアとカイルから目を逸らし、クリーゲルは嵐の中心に浮かぶ漆黒の珠を見上げた。いや、もう、それは『珠』とは呼べないものだ。元の大きさになっているゼンすら呑み込んでしまいそうなほどに、育っている。

 クリーゲルの全身を貫いた、絶望に満ちたファラシアの悲鳴は、まだ彼の中に響き渡っている。あの瞬間、彼女が何かの境界を超えた事を悟った。

 ファラシアの心は、内包する強大な力に比して、あまりにも脆い。

 その脆さを与えてしまったのは自分なのだろうと、クリーゲルは思った。

 あの時自分が拾い上げていなければ、ファラシアは人の弱さも優しさも知ることなく、その力に相応しい強い心を得ていたのかも知れない。しかし、そう悔やむ一方で、クリーゲルは、同じ場面で同じように赤子を抱き上げてしまう自分がいることも判っていた。


 クリーゲルは一度目蓋を伏せ、そして再び嵐の中心に在る闇の核を見詰める。その凄まじいまでの魔力の奔流は、脆弱な人間など触れるだけで千々に引き裂くだろう。

 だが、その堅固な鎧の中に、絶望で心を染め上げた少女が閉じこめられている。


「さて、これからどうしたらいいでしょうかね」

 クリーゲルは後ろに立つ真紅の男に、そう問い掛けた。

 それにより、一同は改めてその異様な風体に眼を留める。瞳と髪は純然たる紅――それはヒトとしてあり得ない色である。

 ヒト、ではない。しかし、魔物というには整いすぎた姿だった。

 ノアは正体が掴めず眼を細め、ゼンはかつて眼にした相手の力を思い出し、わずかばかり後ずさった。カイルだけが、正確にその本性を捉え、気圧されることもない。


「初めて御目にかかります、火の方。僕はカイル――キャンイールーといいます」

 頭は下げず、だが、常になく丁寧な口調でカイルが言った。少年が口にした耳慣れない響きにノアの眉が微かに動いたが、疑問を声に出すことはなかった。


「大気と大地――しかも相殺されているか。苦労したようだな。我はクァールーンだ」

 軽く首を傾げてカイルを見下ろしながら、紅い男――クァールーンが名乗った。

「はじめまして、クァールーン。でも、何故、あなたが彼と一緒にいらっしゃるんですか?」

 心底不思議そうにカイルが訊ねると、クァールーンはやや鼻白んだ様子で軽く眼を逸らした。

「あの娘とは、縁があってな」

 どうやらそれ以上触れて欲しくないようだ、とカイルは察する。ファラシアとの関係は気になったが、今の状況でそれを追求する余裕はない。


「それで、手を貸して頂けると思っていいんですね?」

 話題を切り替えたカイルに、クァールーンがうなずく。

「已むを得まい。この国が滅びようと我には関係ないが、あの娘には借りがある」

「この国が滅びる…?」

 聞き捨てならない一節に、ノアが初めて口を挟んだ。

「ファラシアがこの国を滅ぼしかねないということか?」

「このまま放っておけばそうなるが、そもそも自業自得であろう? あの娘が、自ずからこの国を――他者を害そうとするとは思えん。余程、追い詰めたのではないのか?」


 クァールーンの言うことは、何一つ間違っていない。

 返す言葉もない一同を気に留める様子もなく、クァールーンは続ける。


「あれは所謂『暴走』というやつだが、我も話に伝え聞いただけで、まだそのものを見たことはなかった」

「暴走? 何ですか、それ?」

 首をかしげたのは、カイルだ。

「うむ。何でも、絶望やら憎悪やら、激しい感情が引き金となって起こるらしいが。最後のものでも、五百年は経っているだろう。その時も国が一つ無くなったと聞く」

「その時はどうやって治めたのでしょう?」

「ひとしきり暴れれば、いずれは落ち着く。ヒトもそうであろう? それがいつで、どれ程の被害をもたらした後になるのかは、判らんがな」

 事も無げなクァールーンの台詞だが、ファラシアを知る者達は、とてもではないが、その『いつか』を待つ気にはなれなかった。そんな事になったら、全てが終わった後、ファラシアも終わってしまうだろう。


「我々は今すぐ彼女を止めたい。それには、どうしたら?」

 ノアの声はいつもと変わらず冷ややかで、その内にこれまでに経験した事がない程の焦りが渦巻いているとは、毛ほども悟らせなかった。

 彼女をチラリと一瞥したクァールーンは、その目を闇の珠へと向ける。

「手っ取り早いのは、あの中に入り、あの娘と話をする事だ」

「では、何とかあそこに辿り着かせてくれないか」

 入るどころか近付くことすらできない現状を何とかして欲しい。こうして話している間にも、嵐は益々勢いを増していた。クァールーンが張ってくれた結界のおかげでノア達は落ち着いていられるが、今も目の前をなぎ倒された巨木が飛び去っていく。


「私が――」

 行く、と名乗り出ようとするノアの出鼻を挫くように、クァールーンが付け足す。

「だが、ヒトの身では、中に入ると同時に消え失せるであろうな」


 それでは、いったいどうしろと言うのか。


 わずかに苛立ちの色を見せたノアを他所に、クァールーンはカイルを見下ろした。カイルもその眼差しを受け止める。

「僕が行く」

「カイル」

 ノアは眉根を寄せて少年を見た。彼がただの子どもではないということは彼女も薄々察してはいたが、この大事を任せてもいいものだろうかという迷いは残る。

「色々な意味で、僕が一番の適任なんだよ」

 ニッコリと笑ったカイルの晴れ晴れとした顔には、気負いも、そして自己犠牲の文字もない。ただ単に、自分が為すべきことであると、受け止めているだけのようだった。


「しかし……」

 それでも、と言い募ろうとするノアをカイルが押し留める。

「ファラシアの事は、僕が、何とかしてあげたいんだよ。他の誰にもその役を譲りたくないんだ」

 静かに、けれど断固とした響きを持たせて、彼は言った。それは、独占欲の形の一つかもしれなかった。


「カイル……」

 少年の決意の固さを緩める事ができるものはいない。


 カイルはノアに背を向け、再度クァールーンを振り仰いだ。

「僕に、行かせてください」

「では、我の力を少しばかり貸してやろう。いくら我が眷族とはいえ、独りで相手をするには荷が重いだろう。何しろ、あの娘は我の腕を切り落とした程のものだからな」

 そう言って、クァールーンはカイルに手を翳す。そこから彼に向けて力が流れ込み――瞬き数回のうちに、カイルは自分の身体が爆発するのを感じた。

 刹那、嵐を押しやり周囲を満たした眩い光に、クァールーン以外のものは、思わず目蓋を下ろす。


 そして再び開いたとき、視界一杯に存在するモノに、皆、目を奪われた。


 カイルという少年であったモノは会釈の代わりに瞬きを一つすると、真直ぐに嵐の中心へと向かう。光り輝くそれは、闇の核に触れると同時に、弾け飛んだ。



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