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いつか叶う約束  作者: トウリン


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39/44

慟哭

 キアを出立してから三日、ドゥワナとグレイスターヌとの国境まであとわずか、という地点まで来たところのことだった。


 ピリピリと、肌に刺さるようなその気配。


 ファラシアは両の拳を固く握り締め、胸の内で呻く。

(間に合わなかった)

 足を止め、前方をヒタと見据えた彼女を、ノアが振り返った。

「どうした、ファラシア?」

 身を強張らせたままのファラシアの隣で、カイルがうんざりしたように溜息をつく。

「あーあ、来ちゃったよ」

 彼のその口調に、緊張感は皆無だ。けれど、その一言でノアは事態を察する。


「逃げる時間はあるか?」

「んー……ダメそう。もう扉が開く」

 肩をすくめたカイルの返事に、ノアは無言で剣を抜く。

「ノア、たぶん無駄だよ。今度は総力戦だ。こんなにいっぱい連れてきちゃったら、本業は放ったらかしなんじゃないかな」

 税金の無駄づかいだ、とボヤきながら、カイルはファラシアを横目で見遣った。


「いい? キアであんなことしちゃったのが悪いんだからね? 身から出たサビってやつなんだから、今度は本気でやるんだよ? 元同僚だから戦えない、なんて言ってたら、ダメなんだからね?」

 カイルはしつこいほどに念押ししてきたけれど、ファラシアは奥歯を噛み締めて、魔道風が渦を巻き始める様を見つめることしかできなかった。


 転移の魔道は、一つではなく、そこかしこで発動している。気配から察するに、現れる魔道士は五十を下らない。しかも、皆、上級以上の魔道士ばかりだ。けれど、ファラシアが目を瞠ったのは、その数、その構成のせいではなかった。

「ファラシア?」

 カイルが彼女の顔を覗き込み、血の気が引いたその様に眉をひそめる。

 ノアとカイル、ゼンの怪訝な顔にも気付かず、ファラシアは呆然とつぶやく。

「何で……、何で、彼女がいるの?」


 彼女の言葉が何を指しているか判らず顔を見合わせたノアとカイルだったけれども、すぐに二人はその理由を知ることになる。

 三人と一匹の前で、いくつもの魔道風が激しく砂塵を巻き上げ、そして次第に収束していく。数秒後にはあれほどの大気の乱れが嘘のように凪ぎ、代わって、ファラシアが予想した通りの黒山がそこにあった。


 そのうちの一人を、ファラシアは食い入るように見つめた。カイルが彼女の視線を追い、何を見ているのかを知って、呆れたと言わんばかりの声で呻く。

「うっわぁ、セコすぎ」

 ノアもすぐに事態に気付いたらしく、彼女らしくなく感情の混じる唸り声を漏らした。


 ファラシアが一瞬たりとも目を逸らせずにいるのは、今となっては敵としか言いようのない者達の中に埋もれた、一人の女性。

 彼女がこの場にいるなんて、信じられなかった。

 そんなことはあり得なかった――あってはならなかった。

 かけがえのない、自分の命よりも大切だといってもいいその人の名を、ファラシアは搾り出すように口にする。


「リーラ……」


 まるでその人から逃げようとするかのように一歩後ずさったファラシアを、カイルが支える。

「ファラシア」

 名前を呼ばれ、ファラシアは震える手で少年の手を探り、強く握り締めた。

「お願い……お願い、離さないで」

「解ってる。大丈夫だよ」

 カイルの微笑みに、釣られるように、ファラシアも引きつる頬を緩めた。それに伴い、少し余裕ができる。

 ファラシアは立ち塞がる人々に数歩近付き、中でも桁外れの魔力を漂わせている老人と視線を合わせた。


「リーラを解放してください、カリエステ様」

 今のファラシアは、たった一歩も下がれない。崖っぷちに立たされているようなものだ。そんな内心を悟らせないように、腹に力を入れて声を張り上げた。しかし、彼女の数倍は経験を重ねている老人は、実際はともかく、表面的には遥かに上手に立っているようであった。

「息災のようだな」

 彼女の要求は完全に無視して、泰然と、まるで『協会』本部で顔を合わせているかのように、穏やかにカリエステは答えた。


 たった数歩でも、近付くとリーラには左右から剣が突きつけられている事が見て取れた。それは、まるで罪人に対する扱いだ。

 何故、こんなことに。

 ファラシアの中に静かに怒りが燻ぶる。その場に居る者には、周囲の気温が明らかに下がったことが感じられたはずだ。その証拠に、魔道士たちは皆不安そうにそわそわと顔を見合わせる。そんな中、カリエステだけが炯々と光る眼でファラシアを見据えていた。


 彼の視線を真っ向から受け、ファラシアはもう一度繰り返す。

「リーラを、放してください」

 ファラシアの感情を受け、場は緊張した空気で張り詰める。しかし、カリエステは素知らぬ振りをして豊かな白髭をしごいた。

「それはできんよ。この者は無許可脱会者を逃がした、重違反者だからの」

「違います! わたしはその人に村を追い出されたんです!」

「お前がサウラに現れた時にこの者がすべきだったのは、『協会』への通報だ。そう、触れを出しておった筈だったがな、違うかの?」

 最後の問いは、リーラへのものだ。彼女はうつむいて唇を噛み締めた。


 リーラから伝わってくるのは、後悔の念だ。

 それが、サウラの村ですげなくファラシアを追い返したことに対するものなのか、こうやって、彼女を縛る存在になってしまったことに対するものなのか。

(だけど、リーラは、一つも悪くなんてないのに)

 ファラシアは唇を噛み締める。

 サウラを訪れたファラシアを追い出した時、リーラがどんな思いでいたのかなんて説明されずとも判っていた。村の為でも自分の為でもなく、ファラシアの為に、一刻も早くサウラから出て行かせようとしたのだ。それは、他の誰でもない、ファラシアにとって最善のことだった。リーラを恨む気持ちなんて、ひと欠片もない――持ちようがない。

 今だって、ファラシアの足枷になってしまったことは、リーラのせいではない。彼女に特別な思いを注いでしまったファラシアが、全て悪いのだ。


 リーラをこんなことに巻き込んだ『協会』に、そして何よりも自分自身に、ファラシアは憤った。奥歯を噛んだ彼女の耳に、カリエステの声が届く。

「この者の罪状では、まあ、禁錮二十年というところだろうな」

「そ、んな……リーラには、カヤだっているのに……」

 血の気の引いたファラシアの顔を見詰め、カリエステはしばし口を閉ざす。彼女の頭へ充分に事態が浸透するのを待って、続けた。

「幼い娘がいようと、罪は罪だ。ましてや、お前の事はこの国を揺るがしかねない。断じて、捨て置くわけにはいかんのだ」

 厳しいカリエステの眼差しには、一片の慈悲もなかった。


 自分のせいで大事なひとが陥ってしまった窮地を、どうしたら救うことができるのか。


 ――もしも、もしも今、彼等と戦ったら、どうなるだろう?


 ファラシアの頭を、ふとそんな考えが過ぎる。

 今まで、人間相手にこの力を振るったことはない、が――恐らく、勝てる。

 それは、予測ではなく確信だった。しかし、彼等と戦い、勝利したその果てには、ファラシアが最も恐れていた何かがある。


 結局は、ヒトから離れることのできない、ファラシアの迷い。


 カリエステは、鋭くその隙間を突いた。

「よいか、ファラシア。罪は、罪だ――しかし、その罪の元は、お前にある。裏を返せば、お前の事さえなければ、特赦を出すことも可能なのだ」

 容易に推し量れるその先に、突かれたようにリーラが蒼白な顔を上げる。その視線は忙しなく老人と少女を行き来した。

 ファラシアは期待を込めて、カリエステを見る。つながれたカイルの手に力が込められた事には、気付かなかった。


「それは、どういう……?」

「お前が、おとなしく捕らわれればいい」

「わたしが……」

 それは、つまり、死ぬまで封じられるということ――キアの魔物のように。

「そうだ。お前が『協会』に戻り、我らに背いたという事実をなかったことにすれば、この者の罪も同時に消える。お前の後ろにいる者達のことも、二度とドゥワナに立ち入らないという条件で、放免しよう」

 齢を重ねた老人とは思えない力強い声で、カリエステは告げた。


 我が身の自由と、大事な人たちの自由。


 あまりに釣り合いの取れていない天秤に、ファラシアの気持ちが揺らぐ。

 キアの魔物のような孤独に耐えられるかどうか、ファラシアには判らない。これっぽっちも、自信がない。けれど、選択の余地はないように思えた。


 振り返り、ファラシアは、首を傾げて彼女を見詰めるゼン、唇を引き結んだままのノア、そして厳しい眼差しで一心に訴えるカイルを順々に目の奥に焼き付ける。


 皆、彼女自身の身とは比べようのない、かけがえのないもの達だった。


 カリエステに向けてフラリと足を踏み出したファラシアを、痛いほどに力がこもったカイルの手が引き止める。

「ファラシア……? 手を離さないでと言ったのは、ファラシアだよ?」

 肩越しに振り返ると、少年の真直ぐな眼差しとぶつかった。その手を繋いだままであったことを、今の今まで、忘れていた。


「ごめん、ごめんね、カイル……」

 小さくつぶやき、ファラシアは手を開く。けれど、カイルはより一層力を込めて、ファラシアの手を握り締めてきた。

「イヤだよ。離さない――離すもんか」

 あれもこれも、全てを手に入れることなどできはしない。この少年は、一番、手放してはいけないものなのかもしれない――しかし、ファラシアはもう一方を取った。


「お願い、カイル。離して」

 真っ直ぐに栗色の目を見つめて為された静かな懇願に、ふと、カイルの力が緩み、ファラシアの手がすり抜ける。


「ごめんね」

 もう一度繰り返し、ファラシアは一歩を踏み出した。


 視線の先には、カリエステと、目を大きく見開いたリーラがいる。溢れ出す涙で彼女の頬は濡れ、唇は今にも何か叫び出しそうに震えている。

 母とも姉とも想った、大事な人。

 彼女を守れるのならば、生涯の孤独も許せる気がした。


 泣かないで。


 思いを込めて、ファラシアは微笑んだ。

 その瞬間、リーラの眼が一瞬にして乾く。そこにあった絶望が、決意の色に塗り替えられる。


 ファラシアを襲った胸騒ぎ。


「リー……」

 何かを制止しようとして呼びかけた彼女の声は、半ばで止まる。


 それは、ほんの瞬きほどの時間に終わってしまった。


 立ち上がった、リーラ。

 彼女が身をよじり、刹那、何故か、その背から刃が生える。

 そして溢れ出す、深紅。


 奇妙なほどにゆっくりと倒れ込むリーラとファラシアの視線が交差した。微かに笑んだその口元とそこから零れた赤いものに、ファラシアの眼が吸い寄せられる。その脳裏で、目の前で地に倒れ伏すリーラの姿といつかの血に塗れたクリ-ゲルの姿が重なった。


 それは、ようやく癒えたばかりの傷を、こじ開けるもので。


 ――次の瞬間、ファラシアの中で何かが弾けた。


 声無き声が空気を引き裂き、ファラシアが居た場所から網膜を焼く光が溢れ出す。光の奔流はやがてその中心に吸い込まれ、換わって闇が現れた。ヒト程度の大きさのそれは、一同の視線を集めながら、ゆっくりと宙に浮き上がる。


「ファラシア……」

 後ずさりながらその名をつぶやいたのは、カイルだ。


 しかし、応える者は――いない。


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