迫る足音、それぞれの思い
「少し、遅かったようですね」
ディアンら一行がキアに到着したのは、ファラシアたちが出立した後だったようだ。着いてすぐに、手分けしてキア中の宿屋を当たったのだが、集合場所に戻ってきたルーベリーとクリミアが同時にかぶりを振るのを見て、ディアンはため息混じりに言った。
「しょうがないじゃない。こっち方面は来たこと無かったんだから。イオザードだって、ちゃんと示してくれなかったし」
ディアンに他意はなかったが、クリミアには自分のせいだと言われているように感じられたらしい。ふくれっ面でソッポを向く。
前の日まではドゥワナの東方にいた彼らは、今、国のほぼ南端に位置するキアにいた。
昨晩遅く――いや、今日の深夜というべきか。
ぐっすりと眠り込んでいた一行の中、突然、イオザードが飛び起きたのだ。
「彼女が力を使った」
そう言って彼は皆を叩き起こしたけれど、他の者は誰も気づいていなかった。クリミアを筆頭に疑いの眼差しを注いだけれど、イオザードは、くしゃみをした程度の微かなものだったが、絶対に間違いないと言い張った。
半信半疑のまま、ファラシアが放った魔力を探るイオザードを案内役にしてクリミアが転移を行ったが、イオザードもクリミアも訪れたことがない方面だった為、若干離れた場所に出てしまったのだ。
そこから徒歩で約半日。
キアに着いた時にはすでにすっかり日は高くなっていた。
そして、今に至る。
「貴女を責めているわけではないですよ。しかし、サウラからわざわざこんな方へ来たという事は、ハンダにでも出るつもりでしょうか」
拗ねたクリミアへの取り成しはそこそこに、ディアンはファラシアたちの行く先を推理する。キアから真っ直ぐ南に行けば、ハンダだ。乾季の砂漠ではあるが、オアシスは点在しており、行こうと思えば行けない事は無い。ましてやファラシアほどの魔道士であれば、それほど苦でも無いだろう。
「あるいは、もうチョイ西のグレイスターヌかも知れねぇがな。サウラから真っ直ぐ出ようとすれば、都を突っ切ることになるだろう? さすがにそれは『協会』に見つかる危険が高いから、グルーッと回っていくつもりなのかも知れん」
ルーベリーの言葉に、ディアンは曖昧に頷いた。
「そうですねぇ……。まあ、あまり悠長にしている暇はありませんが、取り敢えず、イオザードを待ちましょうか。何かつかんできてくれるといいのですが」
そう言って、ディアンは近くの長椅子に腰を下ろす。
ファラシアたちが前日まで滞在していたこの町であれば、追跡の魔道に使えるようなものが何かあるかもしれないという事で、情報収集を兼ねて、イオザードは街中を歩き回っている。戻ってくるのは、まだだいぶ先のことになるだろう。
「あーあ、退屈。じゃぁ、わたしは宿で寝てるから。行き先の見当が付いたら起こして」
クリミアは言い残して、後は振り返る事も無く歩き去っていく。
「働いている同僚を労うって事は、全く頭に無いのかね。やること無くても待っててやるってのが、筋じゃねぇの?」
彼女の後姿を見送りながら、ルーベリーは憮然とするが、ディアンはいつものことだと諦め顔だ。
「なあ」
長椅子に並んで座ってややしてから、ルーベリーがボソリと声をかけてきた。座ったきり黙り込んでいるから、居眠りでもしているのかと思ったが。
「何です?」
ディアンが横を見れば、彼は浮かない顔をしている。
ルーベリーはまた少しためらってから、口を開いた。
「正直、勝ち目あると思うか?」
「ファラシア相手に、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
むっつりと返すルーベリーに、ディアンは苦笑した。
「そうですね。まあ、正直、判りません。確かに彼女の魔力は凄まじいですが、やりようによっては、簡単に下せるでしょうから」
「冗談言うなよ。『協会』総出でかかっても、アイツの小指一本で捻り潰されちまうんじゃねぇの?」
ディアンの言葉を、ルーベリーは鼻で嗤い飛ばした。彼の揶揄を、ディアンは微かな笑みで流す。
ルーベリーは呆れ顔になっているが、そう、ディアンは先のファラシアとの戦いで、確信していた。
彼女を抑えることは、実はとても簡単なことなのだと。
ファラシアを追うにあたって、ディアンは彼女の情報に一通り目を通していた。
どんな任務に就いたかに留まらず、彼女の日々の姿についても。
そこには、『協会』の大魔道士としてではなく、一人の少女としての姿があった。
故郷のサウラで、ファラシアは人々を守り、彼らに慕われ、その小さな村の中で穏やかで温かなつながりを築いていた。それはとても強固で、恐らく、ファラシアにとってはかけがえのないものだ。
(それが、彼女の『弱さ』だ)
クリーゲルが倒れた時の、ファラシアの反応――あの、取り乱しよう。
任務では常に、どれほど死人の山を見ようが眉一つ動かず冷静に魔物を屠っていた彼女が、養い親の受傷には、気も狂わんばかりだった。
あの後、クリーゲルの消息は杳として知れない。
彼を使えば、恐らく、また、ファラシアの動きを封じることができる。だが、彼は死んでいるか、あるいは、ファラシアが癒して一命を取り留めていたとしても、きっと二度と捕まらないだろう。
けれど、まだ、手はある――クリーゲルを盾にする以外にも。彼がファラシアに対して持つ威力を明らかにしてしまったせいで、より一層、彼女は窮地に立つことになるだろう。
ディアンは、小さな、しかしこの上なく苦いため息をこぼした。
正直、その手は使って欲しくない。
だが、きっと、『協会』はファラシアを捕らえるためであればどんなことも厭わないはずだ。
「彼女は、逃げられないよ」
ディアンはもう一度つぶやいたが、ルーベリーは無言で肩をすくめただけだ。
それから男二人は口をつぐみ、ぼんやりと人の流れを眺めながら、残る一人を待った。
*
ファラシアの気配が一番色濃く残っていた宿屋を後にして、イオザードは少女の名残を辿る。この町のあちらこちらに影のようなファラシアの残滓は残っていたが、追跡に使えるほどのものではない。
──何か、ないか。
元々、派手な魔力の放出を感知したわけではない。
何というか、爆発自体は大きかったのかもしれないが、幾重もの壁を通していて、伝わってきたのは微かな振動程度だった、というか。
多分、常にファラシアに意識を向けていたイオザードだったから、察知できたのだろう。現に、夜中に彼が飛び起きた時も、他の者は誰も気づいていなかった。
彼らがいた場所からキアまでは、相当の距離がある。ほとんど、国を半分縦断するくらいの。
それだけの距離があっても感知できたということは、ここで発動した魔力はそれなりのものだったはず。にも拘らず、いざキアに着いてみると、その気配はきれいに消し去られていた。
宿を出たイオザードは、そこからファラシアの痕跡を追う。彼女の気配は濃厚だが、魔道の匂いが無ければ正確に追跡できる自信が無い。クリミアの術は回数を重ねて用いる事ができない為、できるだけ失敗はしたくなかった。
この地域独特の、妙に背が高く、天辺にだけ緑を付けた街路樹。
南方から仕入れた、色鮮やかな果物を並べた露店。
少しでも涼が取れるように、風通しの良い木陰に置かれた、長椅子。
追われている身だというのに思う存分この街を楽しんだらしく、そこかしこに、ファラシアが残っていた。
イオザードは、身を屈めて長椅子の一つに触れる。
伝わってくるのは、『楽』だけ。そこに、追われる者の『苦』や『哀』はない。
ふと、彼は思った。
ファラシアという少女は、自分のしたいことも判らないような年頃から、『協会』の所有物となっていた筈だ。その軛から解放され、自由になってから見る世界は、どんなにか鮮やかなものであっただろうか。
自分が追っている相手の本質は『ただの少女』でしかない事を、イオザードは解っている。こうやって、彼女の名残を追う彼には、ファラシアの中に、『協会』に牙を剥いたり、ましてや世界に仇をなそうとしたりなどという気持ちなど微塵もない事が、いやというほど解っているのだ。
雛のうちに、選択の余地無く籠に入れられてしまった小鳥が、ふと気付いて外の世界を目指そうとするのを、いったい誰が止められようというのか。
――自分も、その小鳥を再び鳥籠の中に閉じ込めようとしている者の一員なのだと思うと、正直、気が滅入る。
「まあ、やらないわけにはいかないけどな」
所詮彼とて、その鳥の一羽なのだ。
魔道士は、『協会』に属していなければ異端の存在なのだから。
かぶりを振ってイオザードは長椅子から手を離し、背筋を伸ばして探索に戻る。
それからまたあてどなく街を歩いていたイオザードは、やがてキアの中心に位置する泉まで辿り着いた。
大きくはないが、東西南北に伸びる水路を持つその泉は、澄んだ水を溢れんばかりに湛えている。
キアが栄えている理由は、ひとえにこの泉のお蔭であると言ってもよい。こんな砂漠の真ん中に位置しているにも拘らず、泉からは常に清らかな水が湧き出していた。
実際にこの地に赴いたことはないが、イオザードは本が好きで、暇さえあれば各地のことを都の図書館で読みふけっていた。その中に、キアについての記載もあったと思う。
確か、キアという街ができる前、もう何百年かも判らない大昔に水を引き込んだ魔道士がいたという言い伝えがあったと思う。だが、その話が本当ならば、定期的な補強も要さずにそれ程長い間持続する魔道とは、いったいどんなものなのか。
イオザードはグルリと泉を回って、そこに特に変わったことが無いことを確認し、広場を後にしようした――が、ふと視界の片隅をかすめた小さな祠に気を引かれる。
近寄って、指先で触れてみた。
(彼女の魔力、だ)
それは、本当に微かなものに過ぎない。だが、確かに感じられる。
イオザードは首をかしげながら、その祠を覗き込む。何も見えないし、何も感じない。
「封印か……これは、ディアンの領分かな」
おそらく、ファラシアはこの中で何らかの魔道を用いたのであろうし、それを追跡すれば、彼女が何処に行こうとしているのかも判るだろう。
彼女に追いつくのも、もうすぐだ。
だが。
ふと、イオザードの中に迷いがよぎる。
あの少女を追って、狩り立てて、その行き着く先は……?
その逡巡を、イオザードは頭を強く振って、吹き飛ばす。何をどう考えても、自分は組織の中に組み込まれた部品の一つに過ぎなくて、『協会』から言われるがままに動くしかないのだ。
イオザードは苦い思いを噛み締めながら、身を翻す。自分の職務に対して、これほどの疑問を抱くことは、この先、訪れることはないだろうと確信しながら。
*
「これ、は……」
封じられた魔物を数多く見てきたディアンでさえも、言葉を失った。
ガランとした室の中に、氷漬けになった巨大な魔物。それからは、ジンワリと、だが絶え間なく魔力が染み出てきている。それがこの町を潤しているということは、魔道をかじった者であれば、一目瞭然だった。
イオザードが見つけた祠の封印をディアンが解き、転移の魔道に導かれた先にあったものは、予想だにしないものであった。
恐らく、この町ができた頃から、その魔力で水源を供給してきたに違いなく、そしてまた、他の魔物の襲撃を退けてもきたのだろう。それだけでもこの魔物の力を察することができる。これほどの魔力を持つ魔物を封じていることもさることながら、その気配は外に漏らすことなく、必要最低限の力を得られるように調整してあるその匙加減が絶妙だ。
「しかし、なんだって、あいつはこんなことをしたんだ?」
魔物を見上げながら、誰にともなくルーベリーが問いかける。
「力を使えば俺らに居場所が知れるのが、判らん奴ではなかろうに」
首を傾げられても、他の二人にも判る筈がない。ここにクリミアがいればまた気に障るようなことをのたまうのだろうが、幸いなことに、彼女は宿だ。
「少なくとも、無理矢理封じた、という訳ではなさそうですね」
暗い中でもはっきりと判る魔物の表情を覗き込みながら、ディアンがつぶやいた。彼のその台詞に、ルーベリーも内心でうなずく。
どこか蛇めいた魔物の顔に浮かぶもの。
それは、安堵と、満足と、喜びだ。怒りや憎悪は、欠片も感じられない。
(この魔物が、こうなることを望んだのか……?)
それはつまり、魔物自身がキアの水源になることを望み、魔物除けになることを望んだことになるが。
(魔物がヒトの為に何かをしようなどと、考えるものなのか……?)
ルーベリーだけでなく、その場にいる皆が同じことを自問したに違いない。しかし、答えは判らない――そんなことは決して有り得ないのだから。魔物は本能的に、身に染み付いた習性として、ヒトを襲い、殺し、喰らうものなのだ。
だから、『協会』は存在する。
そんな絶対悪に対するものとして、『協会』はこのドゥワナにおいて絶大な力を振るうことができているというのに。
ヒトを守ろうとする魔物がいるなどということが公になったら、『協会』の立場が揺らいでしまう。
疑問と迷いに満ちた沈黙を破ったのは、ディアンだった。
「とにかく、これを手掛かりにして彼女を追うことができるはず。一度、『協会』に指示を仰ぎましょう。ファラシアは私たちだけでは手に余ります。……もっと、手が必要だ」
*
ディアンからの報告を受け、『協会』は一人の女性を招喚した。
恐らく、ファラシア・ファル・ファームが最も想う女性を。
「あたしに何の御用でしょうか?」
目つきも声も刺々しく、リーラは目の前に並ぶ『協会』の重鎮達に問うた。押し潰されそうな威圧感を跳ね返すように、少し顎を引いて彼らを睨み付ける。
「あの娘に、帰ってくるよう説得して欲しいのだ」
わずかな間の後、『協会』の長カリエステがそう言った。だが、リーラは、その答えを笑い飛ばす。相手がこの国で揺るぎない力を持つ、事実上の最高権力者であるということも、忘れて。
「帰る!? 何処に帰るっていうの? あんた達が用意した、檻の中? それとも鎖にでも繋ごうってのかしら!?」
仔猫を守る親猫さながらに、彼女は毛を逆立てんばかりになって更に言い募る。
「あんた達はひどいよ。散々あの子をこき使って、手に余るようになったからいない事にしてしまおうってんだろう。あの子はいつだって、皆の為になろうって、ただ、それだけだったのに! あの子は、みんなを大事に想ってくれてたんだ。あたしの事も、カヤの事も、見ず知らずのひとの事だって!」
そこまで一息でまくし立てたリーラの顔が、不意に歪む。
「でも、そんなあの子を……あんた達は見捨てたんだ。……あたしも、そうだ。あたしも、あの子を追い払った……」
泣き濡れるリーラを、カリエステは黙って見つめる。
前掛けで涙を拭い、リーラが再び顔を上げるまで、それ程の時間は掛からなかった。
「とにかく、あたしはあんた達には協力しない。決して」
乾いた目で、リーラはカリエステを見据える。一歩も譲らぬ構えの彼女に、老人は小さくため息をついた。
「それでは、仕方がない」
カリエステのその言葉と同時に、リーラは指一本動かせなくなった自分に気付く。
「いったい、何を……」
「あの娘を捕らえる為の、盾となってもらう。そなたがおれば、あの子も逆らえまい」
「こんなやり方、卑怯じゃないか!」
「それは充分承知の上だ。だが、わしらも切実なのだよ」
底の読めない眼差しで低くつぶやき、そして、カリエステは一同を見回す。
「転移の術を操る者を、直ちに集めろ。キアに向かう」
にわかに騒がしくなった中、身じろぎ一つできないまま、リーラは自分の不甲斐無さに歯噛みした。
こんな事態になってしまっては、あの時、妹とも娘とも思う少女にあれほど辛い思いをさせた意味が無くなる。
こんなことになるのなら、思いのままに彼女を抱き締め、いつか必ず帰っておいでと、必ず帰って来いと、言えばよかった。
「ああ、どうかお願い……逃げて……捕まらないで……」
リーラは祈るようにつぶやく。それを聞き届けてくれる何かがいればいいのに、と願いながら。




