切なる願い
魔物の視線を追って、ファラシアたちもまた、その先へと向き直る。そちらには五つほどの氷の柱がそびえていた。もちろん、その中にはヒトの姿がある。
そのうち、一番奥で眠っているのは女性で、十七人の中でも目立って若い。他はいずれも三十代後半から四十歳には至っているだろうに、彼女だけが二十代半ばほどだった。
魔物の顔はファラシアから背けられており、彼女がその表情を読む事はできない。そして、魔物自身は自分に『表情』などというものがある事を否定するだろう。けれど、ファラシアには容易に想像することができた──魔物が、今、どんな『顔』をしているのかを。
魔物は、尾の腹でそっとその年若い女性が封じられている氷の柱を撫でる。
「これハ、れのあ。最初にワタシト居テくれタ人間。きあの世話ヲしテくれテいタ子どもだッタ。親ハもう死んでいテ独りだッタからかワタシにも良く付いテ回ッテいテ、ワタシがここに入るこトになッタ時、一緒に行くト、一緒に行きタいと言い張ッタ。まだ子どもだッタけれど譲らなくテ、結局、彼女が来るこトになッタ。どのくらいの年月ヲ一緒に居タのかハ、判らない──ここにハそれヲ確かめる方法が無いから。でも、あまり長い間ではなかッタ事ハ判る。れのあハ、ワタシに『ごめんね』ト言ッテ死んでいッタ。……でも、何が『ごめん』だッタのだろう? れのあハ、ワタシト一緒に来タせいで死んだのに……ワタシの、せいだッタのに……」
言いながら魔物はうつむきがちになり、そしてふっつりと黙り込む。
「きっと、あなたを残して逝く事を、謝っていたんだよ」
そう、ファラシアは言いたかった。
けれど、そんな言葉で魔物は楽になれるのだろうか。
ファラシアが決め兼ねているうちに、魔物が再び話し出す。その顔は、いつの間にかファラシアたちの方へと戻されていた──少し、うな垂れて。
「それから暫らく、ワタシハ独りで居タ。寂しくテ、でも、我慢しテ……段々、寂しい気持チで身体の中がいっぱいになッテ、誰かに傍に居テ欲しくなッテ……いツの間にか、呼んでいタ。……いけない事だト、解ッテいタのに」
魔物はチラリと氷の柱に目を走らせる。
「きあの街ヲ訪れるヒトの中にハ稀に魔力ヲ持ツヒトがいテ、ワタシの声に応えテくれタ。ここヲ訪れ、ワタシの話を聴いテ、それだけで去ッテ行ッタヒトもいる。けれど、中にハ、ワタシト一緒に居テくれるト言ッテくれるヒトもいタ。……ワタシハ、それヲ拒めなかッタ」
「……寂しいと思ってしまうことは、仕方のないことだわ。寂しさを辛いと思うことは、決して、罪ではない……」
「でも、ワタシにトッテハ、罪だ。ワタシがこの場所で誰かトいタいト思う事ハ、許されない。ワタシハ……誰も求めテは、ならない」
ファラシアの言葉を強い口調で遮った魔物の声は段々と小さくなり、広い肩を縮めた身体は一回りも二回りも縮んだように見える。
この場所を造ってからどのくらいの月日が流れたのかは、判らない。しかし、その永い時の中で同じ事を繰返してしまう度、魔物が己の弱さを責め、心の内に持つ刃で自らを切り裂いてきた事は、ファラシアには容易に測る事ができた。
魔物の心が解るだけに、何と言っていいか判らない。
ただただ魔物を見つめるばかりのファラシアの前で、それが再び顔を上げる。
丸まっていた背筋を伸ばし、それまでになく真っ直ぐな眼差しを彼女に注ぐ。
「ワタシハ、独りではいられない。けれど、もう、誰も呼びタくない。だから――だから、アナタに願う」
「何を?」
自分に叶えられるものなら、叶えたい。
ファラシアは魔物の視線を受け止めて、促す。魔物は答えた。
「ワタシヲ、眠らせテ欲しい。もう寂しくならないように、……もう、誰も呼んでしまわないように」
その言葉に、彼女は絶句する。てっきり、魔物を解放し、代わりにこの地を潤すような術をかけて欲しいと望むのだと思っていた。
「でも……」
目覚めぬ眠りに落ちるということは、それは、ほとんど死と同列だ。
ファラシアには、孤独に負け、孤独を恐れる魔物の気持ちが良く解る。
もしも、『協会』に捕らえられ、どこか、誰も訪れないような場所に閉じ込められてしまったとしたら。
とてもではないが、彼女には、耐えられないだろう。そんなことになるくらいなら、死んだ方がマシだと思ってしまうかもしれない。
けれど、魔物の苦しみを痛いほど感じていても、ファラシアは、すぐさまうなずくことはできなかった。
魔物とファラシア、両者の間に重苦しい沈黙が漂う──ねっとりとした、触れる事ができそうなほどの質感のある、沈黙。それは一呼吸毎に肺の中に染み込み、ゆっくりと身体中を満たしていく。
あと数回吸い込めば、窒息すらしていたかもしれない。
そんな鬱々とした重い空気を一掃したのは、苛立たしげな子どもの声だった。
「何で君は、そう自分を弱いと思いたがるのかな」
「カイル……」
ファラシアは振り返り、少年の冷ややかな眼差しを受け止めた。
カイルは疎ましそうに魔物を眺め、その眼差しのまま、ファラシアを見遣る。その足は、苛々と床を踏んでいた。
「君は、ちっとも弱くなんか無いんだ。そこの魔物とは、全然違うんだよ。君は僕が欲しくて堪らないものを全て持っているのに、それを見ようとしない。それがどんなに悔しい事か、解る? ――解らないんだろうなぁ」
豹変したカイルのその冷ややかな眼差しに射すくめられながらも、ファラシアは懸命に首を振る。
「違うの、カイル。あなたの言う強さと、わたしの求める強さは違うのよ。力だけではない、他の──」
「いいよ、別にどうでも。ファーはそいつを可哀想だと思ってるんでしょ? 自分と同じで『弱い』から、共感して同情して助けてあげたいんだよね。だったら、何でも聞いてやればいい。君にできないことなんて、ないんだから。でも、どうなったって知らないよ?」
放るように言い置いて、カイルはクルリと踵を返す。そうして、一瞬にして姿を消してしまった。
「あ……」
彼を止めることができず、ファラシアは差し伸べた手を力なく垂らした。肩を落とした彼女に、静かな声が被さる。
「あまり気にするな。お前とカイルは別のものなのだから、いつでも同じ意見を得られると思っていてはいけない」
「ノア……」
自分よりも遥かに様々な経験を積み重ねてきているノアの言葉に、ファラシアは気弱に微笑む。彼女の言う事は、解る。けれど、ファラシアは、カイルにも自分と同じように感じて欲しかった。
どんどん欲張りになっていく自分を、ファラシアは止めることができない。最初は、ただ、一緒にいる誰かが居てくれれば良いと思っていた。その誰かが、いつしかカイルという一人になり、更には、同じものを見つめていきたいと考えるようになってきている。
うつむいたファラシアを、ノアは暫く黙って見つめ、そして、促す。
「さて、それではどうする?」
このまま、魔物をそのままにここを去るのか──願いを聞き届けるのか。
ファラシアは数瞬の迷いの後、顔を上げた。そして魔物を振り返る。
心は、決まった。
また、カイルの怒りを買ってしまうかもしれない。けれども、その選択が、ファラシアのしたい事、するべき事であった。
「あなたを眠らせるわ。もう、寂しさを感じることの無いように」
永遠の眠り──それはほとんど死に等しいものであるけれど、目の前にうずくまるこの寂しい魔物にとっては、数少ない幸せへの道に違わない。
「いつか、この辺りもあなたの力を必要としない、豊かな土地になるかもしれない。あるいは、あなたが眠り続けるまま、この町が朽ちていってしまうかもしれない……それでも、いいのね?」
「それでも、いい。きあが眠るこの場所で、ワタシも眠りタい」
魔物の眼差しには、一片の迷いも無い。
「そう……」
ファラシアは一瞬瞑目し、そして魔物を見上げる。
脳裏に思い浮かべるものは、氷の揺り籠。孤独な魔物を包み込み、その想い、その願いは静かに溢れ出させるまま、優しい夢を紡がせ続ける。
室の中に次第に冷気が満ち始め、魔物の身体は、透明な氷塊に包まれていく。
それは魔物だけでなくその周囲に並ぶ氷柱も巻き込んで、やがて大きな一塊になった。
「おやすみなさい──いい夢を」
ファラシアは氷壁にそっと触れ、つぶやく。絶望に溢れていた魔物のその目は、今は閉じられており、心なしか、微笑を浮かべているように見えた。
いつか、この土地が緑溢れるものになれたなら、魔物も解放される時がくるだろう。町が栄え続ける限り、魔物はそこに住む人々の生気を受け、生きていく。
──もし、その日が来なくとも、魔物は静かにこの地を潤していくのだ。
ファラシアは、自分とどこか似ていたその魔物をもう一度目に焼き付け、背を向ける。振り返った先に佇んでいたノアに、微笑んだ。
「さあ、行きましょう。力を使ってしまったから、いずれ『協会』の人たちがやって来るわ。早くこの地を離れないと。カイルを探さなくちゃ」
転移の魔道を使われてしまったら、もう手遅れかもしれないが、とは思ったけれど、口には出さない。今度こそ、彼らはファラシアを『退治』するつもりで来るだろう。だが、背負うものが増えてしまった今の彼女には、負ける事は許されない。前回の戦いでこちらの面子は向こうに知られ、ファラシアを助けるものとして、ノアとカイルも協会に追われる身になってしまった。
ノアとゼンは、ファラシアの助けなど無くても、きっと逃げ切れる。でも、カイルはどうだろう?
何か底知れぬものを内に潜ませている少年だけれども、恐らく、カイルに戦う力は無い。
(わたしが、守らないと)
ファラシアは、両手を握り締めて顔を上げる。
かつては曲がり形にも『同僚』と呼んだ者達ではあるけれど、どちらを優先させるかと問われれば、今のファラシアにとってはカイルの方が遥かに大事な存在だ。
逃げ切れるのか――戦わざるを得ないのか。
できたら前者がいいと、ファラシアは切実に願う。けれど、ままならないのが現実だ。
自分が本気でヒトと戦った時、どんなことになるのかは、彼女には予想も付かない。ただ、あまり嬉しいことにはならないのは、確かであった。




