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いつか叶う約束  作者: トウリン


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祠の主

 不安と、恐れと、期待。


 それらがない混ぜになったものを浮かべた眼差しが、ファラシアに向けられている。

変化(へんげ)ではない……あなたは本物の魔物、なのね」

 彼女は確かめるようにそう呟いた。


 ファラシアの前で身を丸めているソレは、異形だった。

 けれど、ゼンや、あるいはミリアの村を襲った蛇のような、動物から変化したものとは異なる何かがある。

 ファラシアは瞬きもせずに彼女のをことを窺っている相手を少しでもくつろがせようと、もう一度微笑んで見せた。それが功を奏したのか、魔物が意を決したようにゆっくりと身を起こす。


 ファラシアが見上げる角度が大きくなるにつれ、その巨体の全貌が明らかになっていく。魔物とはそれなりに距離を置いているにもかかわらず、今、ファラシアは首を限界まで反らせなければ、それの頭があると思しき辺りを見ることができなかった。


 ズルリと音を立てて、魔物が動く。


 一見、巨大な蛇の身体。

 長くとぐろを巻いた胴体は、両腕でも抱えきれないほどの太さがある。尻尾の先端には、ファラシアの身体など簡単に貫き通してしまいそうな鋭い棘がいくつか。青銀の鱗が光る部分だけを見れば、蛇の変化とも思えたかもしれない。しかし、それを頭側に辿っていった先に続くものは、明らかに蛇のものではなかった。鱗はそのまま続いている。けれど、形は人間の上半身と酷似していた。

 よくよく見ると、腕と首は長すぎるし、頭髪は毛というよりは太い紐をより集めたものが幾つも垂れ下がっているようなものだ。が、それでも、その魔物が人の姿を真似ようとしていることはヒシヒシと伝わってきた。


 魔物は自ら望んだ姿を取ることがほとんどである。

 獣でありたいと思えば、獣に近いモノに。

 鳥でありたいと思えば、鳥に近いモノに。

 虫でありたいと思えば、虫に近いモノに。

 ――ヒトは脆弱な存在だと思われているせいか、ヒトの姿を取りたがるものは、めったにいないけれども。

 そして、どれほど理想とする形に近付けるかは、魔物が持つ魔力次第となる。


 今、目の前に居る魔物からは、確かに、水の力が色濃く匂ってくる。けれど、全体的に見て溢れんばかりの魔力を有しているかと言われれば、それは否と答えるべきであろう。変化としては桁外れの力を持つゼンと比べても、それほど大きな差は無いと思われる。にも拘らず、上半身だけとはいえ、これほどヒトに似た姿を取ることができているのは、余程強く望んだからに違いない。ヒトを望む思いが、魔力以上の力となって、この魔物にこの姿を取らせているのだ。

 奇怪な姿のこの魔物の、ヒトに近付きたいと思う気持ちが、今のファラシアには切なかった。


 共感、あるいは同情、そんな気持ちを押し隠し、彼女は魔物に問いかける。

「わたしを呼んだのは、何故? わたしに何をして欲しいの?」

 ためらいを含んだ沈黙がしばし流れ、そして、魔物が声を発した。

「アナタ……来テくれタ」

 深い深い水の底から湧き立ってくる泡のようなその声は、たどたどしく、どこか幼さを感じさせる。やはり、どこかまだ不安そうだった。

 確かめるような、訊ねるような魔物の言葉に、ファラシアは微笑むことでうなずきに代える。それに勇気付けられたように、魔物がゆっくりと上体を寄せてきた。


 近付いてくるに従って、それまでは気付かなかったその容姿の細部が露になってくる。

 ゼンよりも赤みが強い金色の双の目には、猫のように縦長の深紅の瞳孔がある。顔の中央に盛り上がった鼻梁は無く、小さな二つの孔が開いているだけだ。唇の無い大きな裂け目には長く鋭い牙が光っており、口を閉じきることができないためか、その先から、透明な粘液が糸を引いて滴り落ちる。

 異形のものに不慣れな者であれば、一目で失神するかもしれないほどの、凶悪さだ。


 ほとんどファラシアと額が触れ合わんばかりまで距離を詰め、魔物が、再び口を開いた。先程よりはしっかりしたものとなっている。

「龍が、ワタシに応えテくれるトハ、思ッテなかッタ」

 その台詞に、ファラシアは眉をひそめる。

「龍? 違うわ、わたしはファラシア=ファーム──人間の魔道士。でも、わたしにできることなら、力になりたいの」

 魔力の大きさから勘違いしたのだろうとやんわりと否定したファラシアを、魔物は軽く首を傾げて見詰めた。そして、うなずくように瞬きをする。

「違ウ? ……そう、アナタが違うト言うなら、そうネ」

 ファラシアにへつらったというわけではなく、本心からそう言っているということは間違いなかった。魔物の感情はあけすけで、言葉などに頼るまでも無い。


 ほんの少し微笑んで、ファラシアは言う。

「わたしはただの人間なの。でも、そんなのはどうでもいいこと、そうでしょう?」

「そう、アナタが何でも、大きな力を持ッテいることハ、同じ。その力で、ワタシの願いヲ叶えテ欲しい」

 魔物が切実に何かを望んでいるのは、痛いほど解る。けれども、それが魔物にとって重要なことであればあるほど、ファラシアは簡単に応えることができないと思った。

「まず、あなたの望みが何なのか、教えてもらわなければ返事をすることができないわ。あなたはわたしに、何をして欲しいの?」

 問いかけたファラシアを、魔物は無言で見下ろした。ファラシアに自分の望みを叶えることができるのか、急に不安になったようだった。


 ふっつりと黙り込み、思案している。

 ファラシアはそれを邪魔しようとはせずに、ひんやりとした床の上に腰を下ろすと、やはり口を噤んで、魔物が再び口を開くのを待った。


 逡巡と迷い。


 その二つが入り混じった空気が、がらんとした石室の中を満たす。


 ファラシアは膝を抱え込み、そうして、思った。

 魔物も、ためらいもするし、迷いもするのだ、と。

 今までファラシアは、『協会』に命じられるままに数多くの魔物を封じ、時に──彼らの命をその手で屠ってきた。『協会』の教えによれば、魔物とは己以外の存在には頓着せず、ただ人やその他の生物に害を与える為だけに生きているという筈だった。心を持たない、破壊のみを目的に生きているものだと、『協会』は常に言い続けてきたのだ。

 決して楽しんで『協会』の命に従ってきたわけではないけれど、『協会』の教えに間違いはないと信じていた。だからこそ為すことができる仕事だった。

 しかし、このキアに来て、最初にあの魔物が発する切ないほどの呼び掛けを感じ取った時、初めてファラシアの中に疑いの欠片が生じた――それを放っているのが魔物かもしれないと思ったときに。

 その呼び掛けは切なく、そして、身を切るような祈りが含まれていて。

 その時、ファラシアは思ったのだ。

 魔物が本当に心を持たないのならば、どうしてこんなにも切ない声を上げられるのだろう、と。

 もしかしたら、こんな声で呼びかけてくるのだから、相手は魔物ではないのかもしれない。

 そうも、思った。

 けれども、いざ対面してみれば、やっぱり、魔物以外の何ものでもなくて。


 口をつぐんだ魔物以上に迷い、困惑しているのは、ファラシアの方かもしれなかった。


 魔物は未だ身動ぎ一つしない。


 ファラシアは、待った。


 己の鼓動の音さえ聞こえてきそうな、完全なる静寂。


 不意に、魔物が、そしてほんの少し遅れて、ファラシアが、動いた。彼女は立ち上がり、首を巡らせる。

 二人の視線の先には、大小の人影が二つ、そして、仔馬ほどの大きさの獣の影が、一つ。


「ヒト、ト……変化……ソレに、まさか、何で……?」

 後じさりながら、魔物がつぶやく。不安そうなその眼差しが、ファラシアとカイルの間を彷徨った。

 カイルは魔物にチラリと目をやっただけで、すぐにファラシアへと駆け寄ってくる。


「ファー、夜の独り歩きはあんまり感心しないな」

 笑みの欠片もない眼差しで口元だけニコッと笑った少年に、ファラシアは何と応えていいものか、言葉に詰まる。

「あ……えっと、……ごめん、なさい」

 辛うじてそれだけ言って、うつむいた。


 もしかしたら、ゼンが二人に教えたのだろうか。


 ファラシアは一瞬そう思ったけれど、すぐにそれを否定する。ノアとカイルを出し抜こうなど、はなから無理な話だったのだ。きっと、寝台を下りた時から気付かれていたに違いない。

 しょげているファラシアの頭に、カイルが手を伸ばす。背伸び気味に、ワシャワシャと彼女の髪を撫でた。ファラシアの顔を覗き込んで、カイルが問い掛ける。


「で、ファー、何でここに? 見たところ、あの魔物が関係しているんだとは思うけど」

「……まだ、訊いてないの。わたし、あの魔物に呼ばれたから此処へ来たのだけど、何でなのかを訊いて、返事を待っているところでカイルたちが来たから……」

「そう。でも、何にしても、あまりろくなことじゃないと思うな」

 突き放したようなカイルの言い方に、ファラシアは顔を上げる。

「そんな言い方……この魔物からは悪いものは感じないわ」

 憤慨したファラシアの声に、カイルは眉を片方だけ持ち上げる。彼は肩をすくめて、石室の奥の方を目で示した。それに引っ張られるようにして、ファラシアは魔物の背後へと視線を動かす。


 魔物の巨体でほとんどが隠され、暫らくはそれが何であるのか判らなかった。


 水晶の柱──いや、もっと屈折率の大きい、そう、氷の塊。そして、その中には何かが封じ込められているらしき影が見える。

 目を凝らしてみると、それが一つや二つではないことに気付く。そして、その正体も、嫌な予感を伴って、ジワジワと心に浮かんできていた。


 ファラシアは引き寄せられるように魔物の横をすり抜けフラフラと氷へ歩み寄る。


 震える指先で氷塊に触れた。


 氷塊――その中に閉じ込められているのは、まるで眠っているかのように穏やかな顔をしている人間たち。


 それが全部で、十七体。


 皮膚を切るような冷たさの氷に手のひら全体を押し付ける。人肌に触れても滴一つ作らないことが、それがただの氷ではないことを証明していた。


 いったい、自分は何を見て、何を感じていたというのか。

 ファラシアは己の甘さにほとほとうんざりする。身体を離して、もう一度氷の中の人々を見詰め、そして、魔物を見上げた。魔物は、何の悪意も感じさせない眼差しで見返してくる。

 ファラシアの前に存在する確かな惨状にも、魔物は全く悪びれる様子を見せない。


 結局、『協会』の教えの通りなのだろうか。

 魔物は、悪意を持って――いや、悪意とか、なんらかの意図すら持たずに、ただ、脆弱な人間を害してしまう存在なのだろうか。


 ある意味無垢な魔物に向けて発する言葉が見つけ出せないファラシアに代わり、それまで無言で成り行きを眺めているだけだったノアが問い掛けた。

「さて、我々としては、お前の希望を聞く前に、この氷漬けの人間たちはどういうことなのか、話して欲しいのだが?」


 冷ややかなカイルの、状況を見極めようとしているノアの、そして、不安と疑念を含んだファラシアの、三者三様の視線を一身に受け、魔物は大きく一つ瞬きをした。


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