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いつか叶う約束  作者: トウリン


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33/44

たとえどれだけ望んでも

 ノアのことを置き去りにしたというのにそれを悪びれる様子もなく、カイルはノアに屈託のない笑顔を向ける。

「宿帳にはあなたの名前で僕が書いておいたから──ね、ノア=イーエル」

 ないはずの彼女の苗字を告げたカイルに、ノアは微かに首をかしげた。

「『冷たい水』、か。解った」

 彼女はつぶやきうなずいた。

 イーエル、すなわち、古代神聖語で『冷たい(イー)』『(エル)』だ。

 その言語を解する者ならば、それが偽名であることを薄々感じ取るだろうけれど、文盲の者が五割近いこの地域では、誰も疑問を抱かないだろう。


「で、部屋は何処だ?」

 名前の話題はそれまでにして問いかけてきたノアに、カイルはゴソゴソと懐を探りながら答える。

「二階の一番奥。僕たちの荷物は先に置いてきちゃった。はい、これ鍵」

 ノアはカイルが差し出した鍵を受け取ると、代わりにまだ腕に抱えていたゼンをファラシアの膝に下ろし、立ち上がる。


 そのまま何も言わずに二階への階段に向かおうとする彼女を、カイルが引き留めた。

「あ、ねえ、ノア」

 彼女は振り返り、目顔で「何だ?」と訊いている。

「僕たち、ちょっと街を見てきてもいいかな?」

 小首をかしげながらそう言って、カイルはノアからファラシアに目を移す。

「この街って、店がたくさんあって面白いよ。売ってるのも珍しい物ばかりだし。ちょっと見に行こうよ」

 あまり意識することなく二人の遣り取りに耳を傾けつつお茶を飲んでいたファラシアは、唐突に話を振られて目をしばたたかせた。


「え、でも……」

 てっきり、出発まで宿の部屋に隠れているものだと思っていた。今この食堂にいることだって、部屋にいようとしたところを、ほとんど無理やり、カイルに引っ張ってこられたようなものだ。

 確かに布を被って力を使わずにいればファラシアの正体に気付く者などいないだろうけれど、用心するに越したことはない。国境まではまだまだ遠いのだ。何かの拍子にこの黒髪黒目を誰かに見られ、何かの拍子にそれが『協会』に伝わったら、国を出るまでに追い付かれてしまうかもしれない。


 不安に口をつぐんだファラシアに、卓に伏せたカイルが甘えるように布の奥の彼女の顔を覗き込んでくる。

「ねぇ、お願い。僕、まだ廻り足りないよ。それに、一人じゃイヤだし。ファーと一緒がいいんだ」

 ダメ押しで、カイルはもう一度「お願い」と繰り返す。いかにも、『聞き分けのない子ども』という風情で。


 そんな彼のねだる眼差しを受け止めながら、ファラシアは眉根を寄せる。

(これ、きっと、わたしの為、よね)

 彼女は胸の中で独り言ちた。


 カイルは自分の我がままのふりにかこつけて、彼女に色々と見せようとしてくれているに違いない。

 これまでにも何度も同じようなことがあって、人込みにこそ足を踏み入れることはなかったけれど、ここまでの道中、カイルは見つけた様々なものをファラシアにも見せてくれようとした。


 ある時は、完全な弧を描く大きな虹。

 ある時は、岩陰に隠れるように咲いていた小さな花。

 あるいは、茂みの向こうに広がる広大な地平線だったり、月のない夜空に広がる星空だったり。

 今までにも、何度もファラシアの視界に入ってきたことがあるはずのそれらが、目を輝かせるカイルと一緒だと、とても特別なものに感じられた。


 確かに、初めて足を踏み入れたこの街を、見てみたい。

 任務であちらこちらの街に赴いた時は、そこはただの休息場所でしかなかったけれども、このキアの街並みも彼と一緒ならこれまでとは全く違うものが見えてくるに違いない。


 そう、ファラシアは思ったけれど――それでもやっぱり、余計な危険は冒せない。


「ダメだよ」

 諦めの苦笑混じりにそう答えようとした彼女を封じるように、先んじて、淡々とした声が割って入る。

「構わないだろう。私は部屋にいるから、適当に必要な物を買い揃えてきてくれ」


「やったぁ!」

「ノア!?」

 パッと振り向こうとした拍子にはだけそうになった布を慌てて押さえて、ファラシアは非難の声をノアに向けた。

「そんなの、無理でしょう? わたしは部屋にいた方が――」

「そう、神経質になるな」

 何でもないことのようにそう言われても、ファラシアは気にしないではいられない。

「ノア……」

 反論しようとしたファラシアを、今度はカイルが遮る。

「じゃあ、行ってきまーす。夕飯までには帰るから」

 言うなり彼は席を立って、有無を言わせずファラシアの手を取った。

 その勢いのまま、ファラシアが抗議する暇は呼吸一回分も無く、あれよあれよという間に彼女は外に連れ出されてしまう。ハタと我に返った時には人の波に揉まれていて、露店の軒先を覗き込むカイルの為すがままになっていた。


「まずは何かちょっと食べようか。ほら、あれなんか美味しそうだよ。あ、あっちのって何だろう」

 まさに子どもの身軽さでくるくるとファラシアを連れ回すカイルのその様子は、満開の花畑に遊ぶ蝶さながらだ。ファラシアは次から次へと興味の対象が変わっていくカイルに付いていくのがやっとだった。


「カイル、もうちょっとゆっくり……」

 目まぐるしい展開に息が上がり加減のファラシアは、言いかけて、ふとその口をつぐむ。

「ファー? 疲れちゃった?」

 足が止まったファラシアに、カイルが振り返って彼女の顔を覗き込んできた。そして、そのままファラシアの視線を追いかけて、その先に在る物に気付く。


「ああ、あの祠か。いつの間にかこんな所まで来ていたんだ。……気になるの?」

「ん、ちょっと……何となく……」

 少し気遣うような顔付きでそう訊ねたカイルに、ファラシアは気もそぞろに答えただけだった。最初に近くに行った時も感じたけれど、あの祠には何か惹き付けられるものがある──そう、まるであの祠が手招きをしているかのように、気になって仕方がないのだ。


「近くに行ってみたいの?」

「ええ……いえ、やめておいた方がいい気がする……けど……」

「何だか歯切れが悪いね。あれは水の神様が祀られているんだっけ。ファーは水が強いから、何か感じるのかもしれないな」

「そう、なのかな……」

 彼と言葉を交わしながらも、ファラシアの足は少しずつ祠に近付いていっている。そうして、気付いた時には、腕を一杯に伸ばせば祠に触れることができるぐらいまでの距離まで来ていた。


 彼女は立ち止まり、祠をジッと見つめる。と、不意に、ひらりとゼンがファラシアの腕の中から飛び下りて彼女の前に回り、そこで祠に向き合うと丸めた背筋の毛を逆立てた。


「ゼン?」

 名を呼ぶと、彼の金色の目がほんの一瞬ファラシアに向けられたけれども、またすぐに祠に戻ってしまう。まるで、その命無き物が彼女に襲い掛かろうとしていると思っているかのようだ。


 唐突なゼンの怒りに眉根を寄せつつ、ファラシアは彼が威嚇しているものに目を向ける。


 祠は、小さなものだ。高さはカイルの背丈と同じほど。格子の扉がはまっているけれど、その隙間を覗き込んでも何も見えない。

 ファラシアはソレに向けて手を伸ばしかけ、指先を握り込む。ためらう彼女に、ゼンが短く鋭い声を上げた。

 ファラシアはささやき声で彼に応える。そうして、小さく息をついてから、またそろそろと手を伸ばしたけれど――結局、彼女の手は祠まで紙一枚挟めるだけの隙間を空けた所で止まった。


「やっぱり、感じる。……魔道の力だわ──でも、魔道士の──ヒトの、ものじゃない」

 ファラシアは、一つ一つを確かめるように、途切れ途切れにつぶやく。そんな彼女を、カイルは黙って見詰めていた。

「そう、魔道士の力は、ほんの残滓程度。なら、魔物……? まさか。ううん、やっぱり……でも、それなら、どうしておとなしくヒトに使われてなんているの……?」


 不意に奇妙な圧力を感じて、ファラシアの額に汗がにじむ。


 確かに、そこには何かがある。


 それは、間違いない。


 ファラシアは食い入るように祠を見つめる。

(――わたしを呼ぶ、あなたは、誰?)

 無意識のうちに、ファラシアはそう問いかけていた。

 声、ではない。けれど、ひたひたと何かが彼女の頭に滲み込んでくる。


 その時。


「大丈夫?」

 静かな、しかし緊張をはらんだ声を掛けられて、ファラシアはビクリと肩をはねさせた。突然集中を乱されて、ドクドクと心臓が胸の内側を叩いている。

 視線を彷徨わせながら声の方を見れば、カイルが底の見えない眼差しを彼女に据えている。ファラシアは、今初めてカイルの存在に気が付いたような思いで、ゆっくりと瞬きをした。


「カイル……?」

「大丈夫?」

 茫洋としているファラシアに、カイルがもう一度問いかけてきた。ふと違和感を覚えて視線を落とすと、いつからそうしていたのか、祠に伸ばされていない方の彼女の手が、カイルの手の中に包み込まれているのが見て取れた。ファラシアは、痺れた指先から随分長い間そうされていたことを知り、見渡した空がすっかり赤くなっていることでそろそろ夕飯時が近いことを知った。

 繋がれた手をファラシアがジッと見つめていると、その視線に突かれたかのように、カイルが手を開く。


 血行を取り戻した指先がチリチリと痛んで、ファラシアは無意識のうちにもう片方の手でそれをさする。その仕草を見た瞬間、ふわりとカイルの表情が緩んだ。

「ごめん。ちょっと強く握り過ぎちゃった」

 申し訳無さそうなカイルに、ファラシアは微笑んで見せる。

「わたしこそ、心配させてごめんね。ボーっとしていたみたい。結構遅くなっちゃったから、買い物を済ませて帰らないと、ノアが心配するわ」

 作った明るい声でそう言ったファラシアを、カイルは微かに首をかしげて、栗色の目で見つめてくる。彼女の心を見通そうとしているかのようなその眼差しから逃げ出したかったけれども、ファラシアはそうせず、受け止める。


 ややして。


「そうだね、つまみ食いばっかで、肝心な物は何にも買ってないや。ノアに怒られちゃう」

 そう言ったカイルの笑顔は、先程までのことなど無かったかのように朗らかで、ファラシアはホッと頬を緩ませる。


 ファラシアが言おうとしないことを無理に訊き出そうとしないのは、カイルが彼女のことを信じてくれているからだ。

 それが解かっているから、ファラシアの胸は、チクリと痛んだ。


 その信頼に応えられる自信が、彼女にはなかったから。


「じゃあ、行こうか」

「……うん」

 屈託のない声と共に差し伸べられたカイルの手を取るとき、ファラシアは、もう、以前のような抵抗感を覚えない。

 いつの間にか、彼に触れ、彼に触れられることに、馴染んでしまった。

 肉体的な距離は、心の距離を、物語る。

 こうやって触れ合うことに抵抗がなくなったということは、カイルのことを、心の中にも受け入れているということだ。


(だけど……)

 ファラシアはこっそりと唇を噛んだ。

 心を開けば開くほど、きっと、別れの時が辛くなる。

 カイルは事ある毎に『傍に居る』と言ってくれ、ファラシアも確かにそう宣言する彼の心は信じている。けれどもファラシアは、望んだことが必ずしも叶えられるわけではないということを、もう知っている。

 いつかカイルと離れなければならない時が来たときは、彼が悲しむようなことが無ければいいと、ファラシアは切に願う。


「ファー?」

 物思いに沈んでいた彼女は、名前を呼ばれて顔を上げた。

 すぐ近くに、栗色の瞳。

 その色は、離れたくないと、ずっと一緒にいられるものだと思っていた、もう一人の人物を思い出させる。


(師匠には、もう逢えない)

 彼は逢いに来てくれると言っていたけれども、それは実行不可能な約束だ。

 ファラシアは、それは仕方のないことだと受け入れている自分が頭の奥底にいることを、自覚している。

(でも――)

 ファラシアは、カイルを見つめた。

 彼やゼンとは、どうだろう。

 同じように手を離すことが、できるだろうか。


「ファー、どうかした?」

 もう一度呼ばれて、我に返った彼女は小さくかぶりを振った。

「ごめん、何でもないよ」

 微笑みながらそう言って、ファラシアはカイルの手を引いて歩き出す。


 ――夕暮れ時で増えてきた人波に紛れて見えなくなる寸前、ファラシアはもう一度祠を振り返った。


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