水の街
流石に豊富な水量を誇っているだけあって、キアはこれまでに寄った水場のうちで一番の盛りようだった。街の中央にはかなり大きな池があり、そこから東西南北に向けてひたひたと水を湛えた用水路が流れている。周囲には微かに水の匂いが漂い、心なしか、乾いた空気も潤いを帯びているように感じられた。
この街は、南ドゥワナを走る国道の数本が交差している交通の要所でもあって、各所から集まってきた様々な露天商が所狭しと品々を並べている。いずれの商人も、三日と店を広げてはいない。そこそこの収益と当座の路銀が集まれば、他の店から新たな商品を仕入れて次の街へと移っていく。だから、日々、品揃えは変わっていく。
そんな数ある露店の一つを前に立ち、カイルは黄色の果実を数個取り上げ、金を払いながら店の主人にニッコリと笑いかけた。好奇心溢れる無邪気そのものの少年というその風情に、商人も負けず劣らず開けっぴろげな笑顔を返してくる。
「よう、らっしゃい。うちのはみんな採れたて、新鮮そのものだよ!」
砂漠の真ん中にあるキアで採れたても何もないはずだがというツッコミは胸の中だけのものにして、カイルは声をあげる。
「わぁ、ホント、おいしそう。ねぇ、おじさん。この街って人が凄くたくさんいるね。お店も多いし、何処で買ったらいいか、迷っちゃうよ」
「そうかい、坊主。けど、うちにして正解だったぜ」
大仰にうなずいて、店の親爺はカイルが手にしている黄金色をした果物を指さした。
「そいつはここより南のハンディアで仕入れたやつで、キルミといってな、甘くて酸っぱくて滅法旨いんだ。ハンディアなんて行ったことないだろう? そいつを食べて、気分だけでも楽しみなよ」
得意げにそう言う商人に、カイルは目を輝かせてみせる。ドゥワナの中でもこの地方は暑いし乾燥しているしで快適とは程遠いからあまり来たことはないけれども、反面、ハンディア方面は結構好きな気候でカイルもよく足を延ばす。キルミも実際に採ったばかりのものを食べたことがある彼だが、そんなことはおくびにも出さずに答える。
「うん、そうだね、味わって食べるよ。でもさ、何でここってこんなに水があるんだろう。池まであるなんて、驚きだよ」
そうして目を丸くして見せたカイルに、商人はもじゃもじゃの眉を寄せた。
「坊主はここに住んでるわけじゃないのか」
「うん。お父さんたちと北の方から来たんだ」
「へぇ。いや、俺も良くは知らないが、なんでも水の神様が護ってくれてるらしいぜ」
内緒話を打ち明けでもするように、商人は声をひそめてそう言った。カイルは彼に首をかしげて問いかける。
「水の神様? 何それ。魔道士様のことかな」
「いや、魔道士なら魔道士って言うんじゃねぇか? ほら、池の傍に小さい祠があるだろ?あれに、その水の神様を祀っているそうなんだ」
「ふぅん……」
言われて、カイルはその祠のことを思い出していた。確かに池の前を通った時に視界に入り、ファラシアと、何を祀ったものなのだろうかと首を捻っていたのだ。
「水の神様、か……」
軽くうつむいて考え込んだカイルを、商人が覗き込む。
「どうしたい、坊主?」
「ううん、何でも。色々教えてもらえて、楽しかった。ありがとう。あ、これ三つくださいな」
「おう、毎度! 俺は明日までここにいるからよ、良かったらまた来いや」
「うん、そうする。じゃぁね」
もう一度、ニッコリと笑顔を作り、カイルは商人に手を振って店を後にした。その後も彼は他にも幾つかの店を回り、それまでに仕入れた情報が正しいことを確かめてから、池の所で待っているファラシアたちと合流する。
「お待たせ!」
「何か判ったか?」
駆け足で近寄るカイルに、池の囲いに腰かけたファラシアの隣に立つノアが、問いかけてきた。
「んー、あんまり。少なくとも、魔道士はいないみたいだけど。あとね……」
聞いてきた話を一同に伝え、カイルはファラシアに笑顔を向ける。
「取り敢えず、一番の問題は解決したよね」
一番の問題、すなわち、魔道士の存在だ。
カイルの台詞に、布で隠されているファラシアの頭がコクリと上下する。頭から足先まですっぽりと彼女を覆い隠しているこの格好も、ノアが言っていたとおりこの街ではそれ程珍しいものではないようで、五人に一人は同じような姿をして通りを歩いていた。
「そうね。ちょっと安心した。後はわたしが気を付ければいいだけだもの」
カイルを待つ間、いつ追っ手が現れるかと気を張り詰めていたファラシアが、ほっと胸を撫で下ろした。被った布の隙間から覗く顔が微かに綻ぶのが、カイルにも見て取れる。
「ねぇ、魔道士はいないんだし、今夜はここで一泊していかない? ずっと野宿ばかりだったから、久し振りにちゃんと屋根のあるところで眠りたいよ」
目を輝かせてのカイルの提案について考えるように首を傾げたノアを、ファラシアも期待に満ちた眼差しで見詰める。
「そうだな……」
彼女自身も心配はないと判断したのか、あるいは懇願する二人の視線に負けたのか、ノアは暫らくしてからうなずいた。
「今夜一晩だけ、ここで宿を取ろう」
「やったぁ。美味しいもの食べて、英気を養わなくっちゃ。宿屋って何処ら辺かな」
両拳を握って喜ぶカイルに、いつも引き結ばれているノアの唇も微かに緩んでいるようだった。
「来た方向には無かったから、あっちの方かな。行ってみよう、ファー」
ひとしきり喜んだカイルはファラシアの手を取り、宿屋を探して走り出す。ノアが声を掛ける間も与えずに、二人の姿は見る見るうちに人込みへと紛れ込んでいった。
「……やれやれ、私とお前はどうやら置いていかれてしまったようだな」
ノアは足元に座り込んでいるゼンを見下ろしてつぶやいた。化け猫は、素知らぬふりで耳の後ろを掻いている。その仕草は、まるで『お前と一緒にしないで欲しい』と言っているようだ。
「お前なら、二人の後を追えるだろう。私を案内してくれないか」
猫に道案内を頼むなど、傍から見ていれば頭の回線が一本ずれているようにしか思われないだろうが、ノアは至って真面目な顔である。そしてゼンはと言えば、ノアの言葉を聞き入れたのか、あるいは単に気が向いたのか、スイと先に立って歩き出した。ピンと立てた尻尾が、まるで目印のようにも見える。
ノアは、旗のように揺らめくゼンの尾を見失うことなく付いていく。
直に、ノアとゼンは一軒の宿屋に辿り着いた。
ややこじんまりとした、さりとて安宿という感じもしない小綺麗さ。多分家族だけで賄っているのだろう、落ち着いた雰囲気の宿屋だ。
「ここか……旅慣れているだけあって、宿の選び方もうまいな」
つぶやいて、ノアは入り口に座り込んだゼンを抱き上げ、戸を押し開けた。
「いらっしゃい!」
一歩中に踏み込んだノアを、女将の陽気な声が迎える。一階はちょっとした食堂になっているようだった。四脚の椅子が付いたテーブルは全部で五脚あり、その一つにファラシアとカイルが座っている。入ってきたのがノアだと気付くと、カイルがひらひらと手を振った。
「こっちこっち。やっぱりちゃんと付いて来たね」
椅子を引いて腰を下ろしたノアに、カイルが笑顔を向ける。そのあっけらかんとした眼差しは、彼女とゼンに置いてきぼりを食らわせた記憶など無いか、あるいは、そんな気など全く無かったかのようだった。




